しょうの雑記ブログ

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スピッツ「ロビンソン」の歌詞の考察

 スピッツ「ロビンソン」の歌詞の考察を行います。

 

 「ロビンソン」は、1995年にリリースされた、スピッツ11枚目のシングルです。

 

 オリジナルアルバムでは、1995年にリリースされた「ハチミツ」に収録されています。

 

 

 また、ベストアルバムにも収録されています。

 

 

 この曲は、スピッツの「出世作」と言われる曲です。

 

 シングルが出た時は、特に目立ったプロモーション活動はなかったようですが、じわじわと売れ続け、最終的には、160万枚を超える大ヒットシングルとなりました。

 

 自分は、「ロビンソン」がヒットした時のことをよく覚えています。

 

 スピッツの音楽については、友人にスピッツのファンがいたため、ロビンソンが出る前から聴いていました。

 

 「ロビンソン」が出る前のスピッツは、そこまで売れておらず、「知る人ぞ知る」といった感じのバンドでした。

 

 しかし、「ロビンソン」がじわじわと売れ続けていって、テレビの音楽チャート番組にも「スピッツ」の名前をよく見るようになりました。

 

 それを見て、「何か凄いことになっているな」と思いました。

 

 「ロビンソン」が大ヒットしたことで、今までは「知る人ぞ知る」という立ち位置だったスピッツが「誰もが知る国民的バンド」になりました。

 

 そういう意味では、「ロビンソン」は、「スピッツの転換点となった1曲」です。

 

 改めて思い返すと、あまりプロモーション活動を行っていなかったにも関わらず、あそこまで大ヒットしたのは凄いと感じます。

 

 きっと、みんな純粋に「この楽曲の良さ」にひかれて、CDを購入したのでしょう。

 

 この曲は、独特の浮遊感があり、心地よいメロディの曲となっています。

 

 ただ、歌詞はとても抽象的で、「一体どんな意味なんだろう?」と疑問に思っている方も多いかと思います。

 

 そこで、今回は、「ロビンソン」の歌詞をじっくり考察して、この歌詞に隠された意味を探っていきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は草野マサムネです。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

 

「ロビンソン」の歌詞の考察

1番のAメロの歌詞

 新しい季節は なぜかせつない日々で

河原の道を 自転車で 走る君を追いかけた

思い出のレコードと 大げさなエピソードを

疲れた肩にぶらさげて しかめつら まぶしそうに

 

 曲の最初に、『新しい季節は なぜかせつない日々で』という歌詞が来ます。

 

 『新しい季節』とは、何の季節のことでしょうか?

 

 これはおそらく、「春」のことではないかと予想します。

 

 ただ、新しい季節が来ているにも関わらず、この曲の主人公は、切ない気持ちを抱えているようです。

 

 次に、『河原の道を 自転車で 走る君を追いかけた』という歌詞が続きます。

 

 ここで、『君』が出てきます。

 

 『君』はおそらく、主人公にとって大切な人なのではないかと思います。

 

 『河原の道を 自転車で 走る君を追いかけた』という歌詞には、「君と過ごす何気ない日常」が描かれています。

 

 その後には、『思い出のレコードと 大げさなエピソードを 疲れた肩にぶらさげて』という歌詞が来ます。

 

 主人公は、思い出のレコードをバッグに入れて運んでいるのでしょう。

 

 そして、そのレコードには「エピソード」があって、そのエピソードも一緒に運んでいるようです。

 

 『しかめつら まぶしそうに』というのは、「光をまぶしがっている時のような、しかめつらをしていた」という意味ではないかと思います。

 

 『疲れた肩』『しかめつら』という歌詞から、主人公は、日常生活に疲れていると推測できます。

 

1番のBメロの歌詞

同じセリフ 同じ時 思わず口にするような

ありふれたこの魔法で つくり上げたよ

 

 1番のBメロでは、まず、『同じセリフ 同じ時 思わず口にするような』という歌詞が来ます。

 

 これは、どういう意味でしょうか?

 

 おそらく、「主人公と君が、たまたま同じ時に、同じ言葉を発した」ということでしょう。

 

 たまにこういったことはあるので、同じような経験をしたという人もいると思います。

 

 その現象に対して、主人公は、『ありふれたこの魔法』と言っています。

 

 「たまたま同じ時に、同じ言葉を発すること」は、多くの場合、「偶然」起こることです。

 

 しかし、この主人公は、「偶然」とは捉えていません。

 

 「ありふれたことではあるけど、まるで魔法みたいだ」と言っています。

 

 なぜこのように思うかというと、主人公にとって『君』は、非常に大切な人だからでしょう。

 

 大切な人と「同じ時に、同じ言葉を発した」ことで、「心が通じ合った」と思って、嬉しくなったのでしょう。

 

 その後、『つくり上げたよ』という歌詞が続きます。

 

 一体、何をつくり上げたのでしょうか?

 

 これは、次のサビの歌詞を見ればわかります。

 

1番のサビの歌詞

誰も触われない 二人だけの国

君の手を離さぬように

大きな力で 空に浮かべたら

ルララ 宇宙の風に乗る

 

 『誰も触われない 二人だけの国』というのは、とても印象的な歌詞です。

 

 これは、どういう意味なのでしょうか?

 

 おそらく、「主人王と君だけしか入れない、二人だけの世界」ということだと思います。

 

 「二人だけの世界」のことを『国』と言っているのだと思います。

 

 1番のBメロの最後に『つくり上げたよ』という歌詞がありましたが、これは、「他の人が入ることのできない二人だけの世界」を作り上げたということでしょう。

 

 そして、『君の手を離さぬように』という歌詞からは、「せっかく手に入れた大事な君を、絶対に手放したくない」という主人公の強い意志を感じます。

 

 この歌詞を見ると、主人公は、君のことを本当に大切に思っているということがわかります。

 

 次に、『大きな力で 空に浮かべたら』と来ますが、この歌詞もなかなか意味深です。

 

 一体、何を浮かべたのでしょうか?

 

 自分としては、「二人の愛」を浮かべたのではないかと思います。

 

 その後には、『宇宙の風に乗る』という歌詞があります。

 

 これもふまえると、主人公は、「二人の愛が、空に浮かんで、宇宙にまで飛んでいく」というようなイメージをしたのではないでしょうか。

 

 サビの部分では、『ルララ』という耳慣れない言葉が出てきますが、これについて「何か意味があるのかな?」と思う人もいるでしょう。

 

 ただ、自分としては「ルララには、特に意味はない」と思っています。

 

 「“ラララ”だとありきたりだし、ちょっと変えて“ルララ”にするか」くらいのノリで決めたと予想します。

 

 ただ、この部分が「ラララ」という歌詞だと全然印象に残らないので、『ルララ』にしたのは大正解だと思います。

 

 あえて『ルララ』にすることで、この部分がとても印象深くなっています。

 

 自分としては、「ロビンソン」がここまでヒットしたのは、サビに『ルララ』という歌詞を使ったこともポイントなのではないかと思っています。

 

 これがあるかないかで、サビの部分の印象深さが全く変わってしまうので。

 

2番のAメロの歌詞

片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も

どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ

いつもの交差点で 見上げた丸い窓は

うす汚れてる ぎりぎりの 三日月も僕を見てた

 

 2番のAメロは、『片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も』という歌詞から始まります。

 

 これは、「主人公が道端で捨て猫を見かけた」ということでしょう。

 

 主人公は、それを見て、「自分と、どこか似ている」と思ったようです。

 

 このことから、主人公は、「社会生活において、輝くことができていない」ということがわかります。

 

 そして、「自分と似ている」と共感したからか、猫を抱き上げて、頬をよせたようです。

 

 『いつもの交差点で 見上げた丸い窓』という部分は、「いつも通っている交差点の上を見上げたら、丸い窓がある建物を見つけた」ということでしょう。

 

 そして、その丸い窓は、うす汚れていたようです。

 

 ここの部分も、主人公は、「自分と似て、うす汚れているな」と思ったのかもしれません。

 

 この後の『ぎりぎりの 三日月』という部分は、なかなか面白い歌詞です。

 

 これはどういう意味なのでしょうか?

 

 主人公が交差点を見上げた時間帯は、きっと夜だったのでしょう。

 

 その際、空には三日月が出ていたのだと思います。

 

 ただ、『ぎりぎりの 三日月』と言われても、「一体どんな三日月なんだ?」と思ってしまいます。

 

 自分としては、『ぎりぎりの』というのは、主人公の精神状態が反映されている言葉ではないかと推測します。

 

 主人公は、社会に疲れていて、ぎりぎりの状態だったので、三日月を見ても、「ぎりぎりで、しんどそうだな」と思ったのでしょう。

 

 「自分の精神状態を三日月にも反映させてしまった」ということではないでしょうか。

 

2番のBメロの歌詞

待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳

そして僕ら今ここで 生まれ変わるよ

 

 『待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳』というのは、「夢の中で君を待ちぶせして、気づいた君が驚いた」ということではないでしょうか。

 

 主人公が見た夢の中の出来事を描いているようです。

 

 『そして僕ら今ここで 生まれ変わるよ』というのは、「二人だけの世界を作って、新しい自分に生まれ変わる」という意味だと思います。

 

2番のサビの歌詞

誰も触われない 二人だけの国

終わらない歌ばらまいて

大きな力で 空に浮かべたら

ルララ 宇宙の風に乗る

 

 ここでは、『終わらない歌ばらまいて』という歌詞が印象的です。

 

 『終わらない歌』と聞くと、ブルーハーツの名曲、「終わらない歌」を思い浮かべる人も多いと思います。

 

 自分としては、この『終わらない歌』という歌詞は、ブルーハーツを意識して書かれた歌詞だと推測します。

 

 スピッツの草野さんは、「ブルーハーツが好き」ということを公言しています。

 

 インディーズ時代、スピッツは、元々パンクバンドでした。

 

 しかし、ブルーハーツを見て衝撃を受け、「スピッツがこのままパンクをやっていたら、絶対にブルーハーツに勝てない。もっと別の方法で勝負しないと。」と思ったそうです。

 

 それがきっかけで、スピッツの音楽性は、ソフトなロックに変わっていったようです。

 

 このように、ブルーハーツは、スピッツに大きな影響を与えたバンドです。

 

 そのため、草野さんが全くブルーハーツのことを意識せず、『終わらない歌』という歌詞を書いたとは思えません。

 

 『終わらない歌』という歌詞を書いたということは、どこか、ブルーハーツの「終わらない歌」とリンクする部分がありそうです。

 

 ちなみに、ブルーハーツの「終わらない歌」は、「世の中に冷たくされても、自分の意志を貫いて生きていく」といった感じの歌詞になっています。

 

 「終わらない歌を歌う」というのが、「自分の意志を貫く」ということの比喩になっている曲です。

 

 そして、この「ロビンソン」の主人公も、ブルーハーツの「終わらない歌」の主人公のように、「世の中に冷たくされている」という点は共通しています。

 

 そのため、ここに出てくる『終わらない歌』という歌詞にも、「自分の意志を貫くぞ」というメッセージが込められている気がします。

 

 この歌詞に出てくる『終わらない歌ばらまいて』というのは、「世の中に冷たくされても、大好きな君とずっと一緒に過ごす」という主人公の意志表明だと私は解釈しました。

 

 ちなみに、以前、ブルーハーツの「終わらない歌」の歌詞の考察も書いたことがあるので、興味のある方は、そちらの記事も読んでみてください。

 

www.bamentekiou.com

 

 

「ロビンソン」という曲名について

 歌詞を一通り見てきましたが、「なんでこの曲がロビンソンというタイトルなんだ?」と疑問に思う人もいるでしょう。

 

 このタイトルは、草野さんいわく、「タイに旅行に行った時、『ロビンソン百貨店』というのを見かけて、曲名を決める時にそれを思い出して、『ロビンソン』という曲名にした」そうです。

 

 どこかで、そう語っているのを見た記憶があります。

 

 ただ、自分としては、なんとなく、このタイトルを付ける時、「ロビンソン・クルーソー」のイメージもあったのではないかと推測します。

 

 なぜなら、この曲の歌詞をじっくり見ていくと、「ロビンソン・クルーソー」のイメージと重なる部分があるからです。

 

「ロビンソン・クルーソー」とは

 ではここで、「ロビンソン・クルーソー」についても説明します。

 

 「ロビンソン・クルーソー」は、イギリスの小説家のダニエル・デフォーの小説です。

 

 「ロビンソン漂流記」と呼ばれることもあります。

 

主人公のロビンソン・クルーソーは、船乗りでした。

 

 ある時、乗っていた船が難破して、無人島に漂着します。

 

 そして、小説の中では、ロビンソン・クルーソーが28年に渡って無人島で生活する様子が詳しく描かれます。

 

「ロビンソン・クルーソー」と「ロビンソン」の歌詞の共通点

 パッと見た感じでは、「ロビンソン・クルーソーとロビンソンの歌詞には、共通点がない」と思うかもしれません。

 

 確かに、「ロビンソン」の歌詞には、「無人島」という歌詞は出てきません。

 

 ただ、よくよく見ると「無人島」と近いニュアンスの言葉は出てきます。

 

 それが、『誰も触われない 二人だけの国』という言葉です。

 

 この言葉は、だいぶ「無人島」のイメージと近い気がします。

 

 無人島は、誰も住んでいないため、基本的に外から誰も入ってきません。

 

 そして、『二人だけの国』も、主人公と君以外は、誰も入ってきません。

 

 「無人島」も『二人だけの国』も、「外部と繋がりがない」点では、共通しています。

 

 そういう意味では、「無人島」と『二人だけの国』という言葉は、結構似ている感じがします。

 

 草野さんがどこかで語っていた「ロビンソン百貨店からタイトルをつけた」という話は、たぶん嘘ではないでしょう。

 

 ただ、この曲を作る際に、草野さんの頭の中に、なんとなく「無人島」のようなイメージがあったのではないでしょうか。

 

 それで、「ロビンソン百貨店」を見た時に、「この曲はロビンソン・クルーソーっぽさもあるな。そうだ、ロビンソンにしよう」といった感じでタイトルをつけたのではないでしょうか。

 

 真相はわかりませんが、自分としては、なんとなくそういうイメージでタイトルをつけていたのではないかと推測しています。

 

 

 

 

 

まとめ

 スピッツ「ロビンソン」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 歌詞に難しい言葉は使われていませんが、だいぶ抽象的で、色んな解釈ができる歌詞になっていると思います。

 

 ただ、一つ気になるのは、歌詞に『君』は出てくるものの、「君の反応」だったり、「君の考え方」は、全く歌詞に出てこない点です。

 

 この歌詞を見ても『君』が何を考えているのか、全くわかりません。

 

 そのため、歌詞は、主に、「主人公の妄想の中で繰り広げられる世界」のことを描いている感じがします。

 

 歌詞に『君』と出てきますが、これは、実際の君というより、「主人公の妄想の中の君」が描いているような気がします。

 

 主人公には、「気になる人」はいるのだと思います。

 

 その「気になる人」が『君』でしょう。

 

 ただ、その人との実際の恋愛のことを描いているというより、「将来、こうなれたらいいな」という妄想を描いているのではないでしょうか。

 

 主人公と『君』は、まだ恋人関係ではなく、ただの友達の可能性もあります。

 

 なんとなく、主人公は、気になる人と『同じセリフ』を言ったことで舞い上がって、「これは運命だ。この人と一緒にいたい!」と思い、妄想の世界を繰り広げている感じがしますね。

 

 という感じで、自分としては、こう解釈しましたが、これはあくまで私の解釈です。

 

 この歌詞をじっくり見て、「これは、最愛の人との素敵なラブソングだ」と思った方は、そう解釈して楽しめばいいと思います。

 

 この歌詞は、そのような解釈をすることも可能だからです。

 

 抽象的で、色んな解釈ができる歌詞だからこそ、「自分なりの解釈」をして楽しめばよいと思います。

 

 ただ、この記事を見て「そういう解釈もあったか」と思った方は、この記事の内容を頭に入れつつ、「ロビンソン」を聴き直してみてください。

 

 そうすると、曲の印象がガラッと変わって、なかなか面白いと思います。

 

 

スピッツ「流れ星」の歌詞の考察

 スピッツ「流れ星」の歌詞の考察を行います。

 

 この曲は、1999年にリリースされた、スピッツ20枚目のシングルです。

 

 オリジナルアルバムでは、「花鳥風月」に収録されています。

 

 

 シングルとしてリリースされたのは1999年ですが、曲自体は、もっと前からあったようです。

 

 スピッツがアマチュアの頃から、ライブで演奏されていたとのことです。

 

 この曲は、スピッツの曲の中では、そこまで有名な曲ではないかもしれません。

 

 ただ、完成度は非常に高く、素晴らしい曲だと思います。

 

 メロディはポップでわかりやすいですが、歌詞は、意味深で、パッと聴いただけでは、意味がわかりづらくなっています。

 

 そこで今回は、この曲の歌詞を考察して、隠された意味を探っていきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、草野マサムネです。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

「流れ星」の歌詞の考察

1番のAメロの歌詞

僕にしか見えない地図を 拡げて独りで見てた

目を開けた時にはもう 太陽は沈んでいた

 

 曲の冒頭から、だいぶ解釈が難しい歌詞になっています。

 

 『僕にしか見えない地図を 拡げて独りで見てた』とは、どういう意味なのでしょうか?

 

 ここで言う『地図』とは、おそらく、「将来の計画」といった意味ではないかと思います。

 

 そういうことだとすると、『僕にしか見えない地図を 拡げて独りで見てた』という歌詞は、「将来のことを、あれこれ計画して、考えていた」という意味ではないでしょうか。

 

 その後、『目を開けた時にはもう』とあるので、おそらく、目をつぶって将来のことを想像していたのだと思います。

 

 また、『太陽は沈んでいた』とあるので、目をつぶって長い間想像していたら、いつの間にか時間が経って、暗くなっていたのでしょう。

 

1番のBメロの歌詞

造りかけの大きな街は 七色のケムリの中

解らない君の言葉 包み紙から取り出している

 

 ここもまた、解釈が難しい部分です。

 

 『造りかけの大きな街』とは、何を意味しているのでしょうか?

 

 この言葉は、先程出てきた『地図』と関係がありそうです。

 

 おそらく、「地図の中に、街を造っていた」ということだと思います。

 

 つまり、将来を想像して、「将来、こういうことをしたい」と考えていたのではないでしょうか。

 

 そして、『七色のケムリの中』というのは、どういう意味でしょうか?

 

 これは、「想像の中で『街』を作っていたけど、その街はケムリに包まれていた」ということだと思います。

 

 つまり、「将来、やりたいことはあるけれど、それがどうなっていくのか、具体的に想像できない」ということでしょう。

 

 そして、ここで初めて、『君』が出てきます。

 

 この人は、おそらく、この曲の主人公にとって、大事な人のことでしょう。

 

 次の、『解らない君の言葉 包み紙から取り出している』とは、どういう意味でしょうか?

 

 おそらく主人公は、以前、『君』から、「意味深な言葉」を言われたのだと思います。

 

 『包み紙から取り出している』というのは、「その言葉を思い出している」という意味ではないでしょうか。

 

 そして、『包み紙』という歌詞を見ると、主人公は、その言葉を、「大切に心の中にしまっておいた」ということがわかります。

 

1番のサビの歌詞

流れ星 流れ星

すぐに消えちゃう君が好きで

流れ星 流れ星

本当の神様が

同じ顔で僕の窓辺に現れても

 

 ここで、『君が好きで』という歌詞が出てくるので、主人公は、『君』のことが好きだということがわかります。

 

 ただ、気になるのは、その前の『すぐに消えちゃう』という部分です。

 

 これは、「いつの間にかいなくなってしまう」という意味でしょうか。

 

 そうだとすると、主人公と『君』は、「普通の恋人の関係」ではないのかもしれません。

 

 その後に続く、『本当の神様が 同じ顔で僕の窓辺に現れても』とは、どういった意味なのでしょうか?

 

 唐突に『神様』が出てくるので、この時点では、その意味はよくわかりません。

 

 ただ、もう少し歌詞を見ていくと、その意味がなんとなくわかってきたりします。

 

2番のAメロの歌詞

君の心の中に棲む ムカデにかみつかれた日

ひからびかけていた僕の 明日が見えた気がした

 

 この部分も、なかなか解釈が難しかったりします。

 

 『君の心の中に棲むムカデ』とは、どういった意味でしょうか?

 

 自分の解釈では、「『君』の心の中の、尖った部分」のことではないかと思います。

 

 尖った部分を『ムカデ』に例えているような気がします。

 

 ただ、その後に、『ひからびかけていた僕の 明日が見えた気がした』という歌詞が続くのが、なんだか不思議な気がします。

 

 なぜ、「『君』の心の中の尖った部分」を見て、『明日が見えた』と感じたのでしょうか?

 

 自分の解釈では、主人公は、『君』が「心の中のマイナスな面もさらけだしてくれた」ことに対して、嬉しさを感じたからではないでしょうか。

 

 『君』が、マイナスな面もさらけだしてくれたことで、より深く『君』について知ることができたと感じたのでしょう。

 

 それにより、主人公は、「『君』との関係が深まった」と思ったのかもしれません。

 

 ただ、この部分は、解釈がとても難しいので、他にも色んな解釈ができそうです。

 

2番のBメロの歌詞

誰かを憎んでたことも 何かに怯えたことも

全部かすんじゃうくらいの 静かな夜に浮かんでいたい

 

 『誰かを憎んでたことも 何かに怯えたことも 全部かすんじゃうくらいの 静かな夜』という歌詞を見ると、その夜に、嫌なことも忘れてしまうような、素晴らしいことがあったと推測できます。

 

 きっと、その夜に、主人公は、「『君』と一夜を共に過ごして、『君』と一つになれた」のではないかと思います。

 

 そういった素晴らしいことがあったので、『誰かを憎んでたことも 何かに怯えたことも』、「どうでもいいや」と思えたのでしょう。

 

2番のサビの歌詞

流れ星 流れ星

すぐに消えちゃう君が好きで

流れ星 流れ星

本当の神様が

同じ顔で僕の窓辺に現れても

 

 この部分は、1番のサビの歌詞と一緒です。

 

 ただ、これまで見てきた歌詞をふまえて、もう一度、『本当の神様が同じ顔で僕の窓辺に現れても』という歌詞の意味を考えてみましょう。

 

 『神様』とは、何のことを指しているのでしょうか?

 

 また、その神様は『僕の窓辺』に現れるようですが、『同じ顔』という歌詞も、パッと見ただけでは、意味がわかりません。

 

 これは一体、どういう意味なのでしょうか?

 

 色々と考えてみたところ、自分としては、『神様』というのは、『君』のことを指しているのではないかと思いました。

 

 主人公はきっと、『君』のことを「神様のような素晴らしい人」と思っているのでしょう。

 

 そして、『同じ顔』というのは、「『君』と同じ顔」という意味だと思います。

 

 『本当の神様が 同じ顔で僕の窓辺に現れて』という歌詞は、主人公が、「『君』の顔をした神様を思い浮かべていたら、『君』が実際に僕の窓辺に来た」という意味ではないでしょうか。

 

 こういったことを考えると、主人公と『君』は、たまにしか会えない関係だということがわかります。

 

 そして、この歌詞では、「たまにしか会えなくて、会えてもすぐいなくなってしまう『君』」のことを、「流れ星のようだ」と言っているのだと思います。

 

 また、「流れ星」と同じで、『君』とは、どうやら夜にしか会えないようです。

 

 「一夜を共にすることがあるけれど、たまにしか会えない関係」ということを考えると、この二人は、普通の恋人ではない特殊な関係だと思われます。

 

 そうすると、「主人公と『君』は、いったいどんな関係なんだ?」と気になってくると思います。

 

 自分としては、主人公と『君』は、「不倫関係にある」と考えました。

 

 不倫関係にあるからこそ、「夜に、たまにしか会えない」のだと思います。

 

 そして、『君』はおそらく、「気まぐれな性格」なのではないでしょうか。

 

 不倫をしていて、気まぐれな相手なので、いつ会えるか、なかなかわからないのでしょう。

 

 急に、「今日の夜、空いてる?」と連絡が来て、その日に会うような関係ではないかと推測します。

 

 そして、おそらく主人王は、『君』について、「流れ星のように、自分のものにできない」とわかっています。

 

 ただ、それでもなお、「好きだ」という気持ちを持ち続けているのでしょう。

 

 そして、不倫関係で、「夜に、たまにしか会えない」からこそ、主人公は、「『君』と過ごす時間」をより大事にしているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

まとめ

 スピッツ「流れ星」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 自分は、主人公と『君』との関係は、「不倫関係」だと考えました。

 

 ただ、注意してほしいのは、これはあくまで、自分の解釈だということです。

 

 歌詞を見て、「この二人は、不倫関係ではなく、たまにしか会えない恋人だ」と解釈することもできます。

 

 また、「片想いをしていて、相手がなかなか会ってくれない人の歌だ」解釈することも可能でしょう。

 

 そう思った方は、無理に「不倫の曲だ」とは思わず、自分が思ったように解釈して楽しむようにしてください。

 

 ただ、自分としては、歌詞の端々に、どうしても「不倫のにおい」を感じたので、「不倫関係にある人の歌だ」と解釈してしまいました。

 

 という感じで、「流れ星」の歌詞の解釈をしてきましたが、この歌詞は、抽象的な表現が多いので、様々な解釈ができる歌詞になっています。

 

 「この曲の歌詞をじっくり聴いたことがなかった」という方は、歌詞の意味を考えながら、改めて聴き直してみてください。

 

 そうすると、新たな発見があって、この曲をさらに楽しめるようになると思います。

 

バンド「Hi-STANDARD」の魅力

 2023年2月15日、ネットを見ていたら、目を疑うようなニュースが飛び込んできました。

 

 「Hi-STANDARD(ハイスタンダード)のドラムの恒岡章さんが51歳で死去」というニュースです。

 

 2023年2月14日に亡くなったとのことで、死因については特に書かれていませんでした。

 

 個人的に、近年の恒岡さんの音楽活動については、正直、あまりチェックしていませんでした。

 

 ただ、2022年のフジロックで、ユアソングイズグッドのサポートドラマーとして叩いたのを見ました。

 

 YouTubeの配信で見たので、生のグルーヴは体感できませんでしたが、配信で見たため、逆に恒岡さんのプレイをじっくり見ることができました。

 

 そのライブを見て、「恒岡さんは、速い曲だけでなく、こんなゆったりした曲もうまく叩けるんだ。器用で良いドラマーだな」と思っていました。

 

 そして、その時は、まさか翌年亡くなるとは、夢にも思いませんでした。

 

 自分が中学生~高校生の頃、ハイスタは、大ヒットしていました。

 

 そのため、周囲の友達でハイスタを聴いている人が多く、自分も周囲の影響で、ハイスタの音楽を聴くようになりました。

 

 そして、実際に聴くと、「日本にもこんなかっこいいバンドがいるのか!」と衝撃を受けました。

 

 正直、自分は「ハイスタンダードの大ファン」という程ではありません。

 

 ただ、大ファンではなくとも、昔から好きなバンドの一つです。

 

 好きなバンドのドラマーが亡くなってしまったことはとても悲しいですが、今回は、恒岡さんへの追悼の意味も込めて、バンド「Hi-STANDARD」の魅力について語っていきます。

 

 

 

 

 

 

 

ハイスタンダードとは

 ハイスタンダードの魅力を語る前に、ハイスタンダードというバンドについて説明していきます。

 

 Hi-STANDARD(ハイスタンダード)は、1991年に結成されたパンクバンドです。

 

 メンバーは、難波章浩(ボーカル・ベース)、横山健(ギター・コーラス)、恒岡章(ドラム・コーラス)の3人です。

 

 「メロディック・パンク」「メロディック・ハードコア」と呼ばれる、速く激しく、それでいてメロディアスな音楽を演奏するバンドです。

 

 「ハイスタンダード」だと長いので、「ハイスタ」と略されることが多いです。

 

 また、音楽ジャンルについても、「メロディック・ハードコア」を略した「メロコア」や「メロコア系」と呼ばれたりもします。

 

 「メロコア」と呼ばれるジャンルの音楽を日本に根付かせたバンドと言えます。

 

 2000年に、人気絶頂の中、活動休止をします。

 

 その後、再結成を望む声が多かったものの、バンドは活動休止状態が続いていました。

 

 しかし、2011年に、東日本大震災のチャリティーの意味も込めて、再結成を果たしました。

 

 ちなみに、ハイスタで一番有名な曲は、おそらく「STAY GOLD」でしょう。

 

 ファンの中でも人気がある曲で、「この曲が一番の代表曲」と言う人も多いです。

 

 YouTubeにオフィシャルのミュージックビデオがアップされているので、「まだハイスタを聴いたことがない」という方は、まずはこの曲から聴いてみてください。

 

www.youtube.com

 

 この曲は、1999年にリリースされたアルバム「MAKING THE ROAD」に収録されています。

 

 

 

 

 

 

ハイスタンダードの魅力

 ここからは、私が思う、ハイスタンダードの魅力について語っていきます。

 

圧倒的なスピード感

 ハイスタの楽曲を初めて聴くと、おそらく、「テンポがやたら速いな」と感じるでしょう。

 

 このバンドが好きな人は、その「テンポの速さ」に魅力を感じている人が多いと思います。

 

 一部例外はあるものの、ハイスタの楽曲は、「テンポの速い曲」が圧倒的に多いです。

 

 テンポが速いと、自然と気分も高揚します。

 

 そういった「気分の高揚感」を得られるところが、ハイスタが人気になった一つの要因だと思います。

 

 特に、10代~20代の若いリスナーにとっては、この「テンポの速さ」は魅力的に映るでしょう。

 

アメリカ西海岸のパンクバンドのような音と演奏

 自分が中学生の時、ハイスタを初めて聴いて、「これは、本当に日本のバンドか?」と衝撃を受けました。

 

 音の質感と演奏が、アメリカ西海岸のパンクバンドのようだったからです。

 

 まず、「音の質感」が、当時の他の日本のパンクバンドと全然違うと感じました。

 

 ハイスタの音は、「カラカラに乾いていて、湿度が全然ない」といった感じの音です。

 

 なんだか、日本のバンドというより、アメリカ西海岸のパンクバンドにありそうな音でした。

 

 そして、「演奏」は、非常に速くてパワフルで熱く、聴いていて圧倒されました。

 

 ただ、楽器に詳しい人で、「ハイスタは、演奏があまり上手くない」と言う人もいます。

 

 確かに、細かく見ていったら、荒い部分もあるのかもしれません。

 

 しかし、ハイスタの演奏は、「上手いか下手か」といったことはどうでもよくなるくらい、「熱」が伝わってきて、心が熱くなりました。

 

 とにかくやたらと熱量を感じる演奏は、まるで海外のパンクバンドのようで、「日本人離れしている」と感じました。

 

 1990年代中頃の日本では、こういった音と演奏のパンクバンドは、他にほとんどいなかったように思います。

 

 その当時、海外では「グリーンデイ」というメロディック・パンクバンドがヒットしていました。

 

 ちなみに、グリーンデイも、西海岸のカリフォルニア出身のバンドです。

 

 自分は、グリーンデイの曲を聴いた後にハイスタを聴いたりもしていましたが、聴き比べても、あまり大きな違いは感じませんでした。

 

 「ハイスタは、日本のバンドというより、西海岸のパンクバンドみたいだな」と思いました。

 

 そして、海外のパンクバンドにも引けをとらない日本のバンドがいることに対して、なんだか誇らしい気分にもなりました。

 

 当時は、「日本のバンドよりも海外のバンドの方が格上」という風潮がありましたが、ハイスタを聴くと、「ハイスタは海外のバンドに負けてないじゃん」と思えました。

 

 グリーンデイの来日時にハイスタが前座を務めたこともあったので、グリーンデイのメンバーも、ハイスタの音楽は認めていたのだと思います。

 

 そして実際、ハイスタは、アメリカでもCDをリリースしており、アメリカでもメロディック・パンクが好きな層からは評価されていました。

 

 このように、「洋楽のパンクバンドと聴き比べても、引けをとらない音と演奏」は、ハイスタの大きな魅力の一つです。

 

「アメリカ西海岸スタイル」を日本に定着させた

 ハイスタというバンドは、音楽だけでなく、「ストリートカルチャー」の面でも、日本に多大な影響を与えたバンドでした。

 

 1990年代の中頃、アメリカ西海岸では、「短パン・Tシャツ・スニーカー」というファッションでスケボーをして、「音楽はメロディック・パンクを聴く」というキッズが沢山いました。

 

 そして、ハイスタのメンバーは、それを見て、「そういうライフスタイル、いいな」と思ったのでしょう。

 

 そのためか、ハイスタのメンバーは、そういった「西海岸のキッズのスタイル」を取り入れていました。

 

 ハイスタ以前の日本のパンクは、「鋲つきの革ジャンに、細身のジーンズをはいて、足下はブーツ」といういかついスタイルが主流でした。

 

 しかし、そんな中、日本のパンクシーンの中にパッと飛び出してきたのがハイスタです。

 

 ハイスタは、今までの日本のパンクファッションにはない「短パン・Tシャツ・スニーカー」という非常にラフな格好をしていました。

 

 いわゆる西海岸によくいるキッズの格好ではありますが、当時のパンクシーンでは、それが逆にとても新鮮に映りました。

 

 そして、「バンドをやりつつスケボーもやる」というスタイルも新しく、そのライフスタイルを見て「かっこいい!」と感じたキッズが多かったと思います。

 

 その証拠に、ハイスタが流行った頃、「短パン・Tシャツ・スニーカー」という格好で、スケボーもするという日本のキッズが沢山いました。

 

 スニーカーは、スケボーをするので「バンズ」や、その他のスケボー用のシューズをはいていました。

 

 そのため、当時、「短パン・Tシャツ」にスケボーシューズをはいている人を見ると、「あの人、きっとハイスタが好きなんだろうな」と予想できました。

 

 そして、実際にそういう人と音楽の話をすると、ほとんどの人が、「ハイスタが好き」と言っていました。

 

 きっと、ハイスタがとてもかっこいいバンドだったため、「ハイスタが取り入れている西海岸スタイルもかっこいい」と思って、キッズがみんなハイスタのスタイルを真似したのでしょう。

 

 また、「短パン・Tシャツ・スニーカー」というスタイルは、安い値段でそろえられるので、それもキッズの中で流行った理由の一つかもしれません。

 

 このように、90年代の日本のストリートでは、ハイスタの影響により、「西海岸スタイル」を取り入れるキッズが爆発的に増えました。

 

 それにより、「西海岸スタイル」が、日本のストリートカルチャーの定番スタイルとして確立されました。

 

 そして、「西海岸スタイル」のファッションは、2023年のストリートの中でも、しっかりと定番のスタイルとして根付いています。

 

 こういったことを考えると、ハイスタは、音楽だけでなく、ファッションやライフスタイルの面でも日本のストリートに多大な影響を与えたと言えます。

 

「日本人なのに英語で歌う」という衝撃

 ハイスタは、基本的に、歌詞は全て英語で歌っています。

 

 これも、中学時代に初めてハイスタを聴いた時は、非常に衝撃的でした。

 

 「歌詞の一部分だけ英語」というバンドは結構いましたが、「全て英語で歌う日本のバンド」は、当時、他にほとんどいなかったからです。

 

 全て英語詞にした理由は、色々考えられます。

 

 ただ、自分としては、「ハイスタのサウンドには、日本語よりも英語の方が合うから」という理由が一番大きいのではないかと思います。

 

 ハイスタは、西海岸のパンクバンドのような、乾いた陽気な音を出すバンドです。

 

 そういうバンドの音に日本語詞を乗せると、「重くなりすぎる」のではないでしょうか。

 

 日本語は、英語に比べて母音が多いため、どうしても音に重さが出てしまいます。

 

 ハイスタは、西海岸のパンクバンドのような軽やかな音なのに、そこに日本語を乗せると、変な重さが出て、チグハグになってしまうのではないでしょうか。

 

 それで、「だったら、英語詞にしよう」ということで、英語詞になったではないかと思います。

 

 そして実際に、ハイスタの曲を聴くと、「英語が、違和感なくメロディに乗っていてとてもかっこいい」と感じました。

 

 やはり、ハイスタの音楽には、英語詞が非常に合っていると思います。

 

 ただ、英語を喋れる方からは、「ハイスタは、発音がイマイチ」という声もちらほら聴きます。

 

 確かに、改めてじっくり聴くと、あまり滑らかな発音とは言えません。

 

 ただ、パッと聴いた感じの音が非常にかっこいいので、個人的には、多少の発音の悪さはあまり気になりません。

 

歌詞に前向きなメッセージが込められている

 ハイスタの歌詞は基本的に全て英語なので、英語を話せない人にとっては、聴いていてもパッと意味がわからなかったりします。

 

 しかし、歌詞を和訳してみると、なかなかグッとくるメッセージが込められていたりします。

 

 また、過去に、ハイスタのメンバーが「日本語でラブソングやまっすぐなメッセージを歌うと恥ずかしいから、英語詞にした」と語っていたインタビューを見たことがあるので、そういったことも、英語詞にした理由の一つだと思います。

 

 パンクバンドというと、「反抗的で攻撃的な歌詞」のものが多いと思います。

 

 しかし、ハイスタの歌詞は、そういったものとはだいぶ違います。

 

 「仲間との友情」「夢をあきらめない心」「失敗しても立ち上がる気持ち」「好きな人に対する愛情」といった、ピュアで前向きなメッセージが込められています。

 

 ハイスタの音楽については、最初は、「英語がわからないし、歌詞の意味はどうでもいい」と思って聴いているキッズが多かったと思います。

 

 しかし、何度も聴いているうちに、「いったいどんなことを歌っているんだろう?」と歌詞の意味を調べて、グッときたキッズも沢山いたでしょう。

 

 ハイスタの歌詞に込められたピュアで前向きなメッセージは、いつの時代も廃れないと思います。

 

 ロッキングオンのサイトに、ハイスタの歌詞の素晴らしさを紹介しているページがあるので、興味のある方は、こちらのページも見てみてください。

 

rockinon.com

 

 

 

 

 

カバー曲のセンスが抜群に良い

 ハイスタは、基本的にはオリジナル曲を演奏するバンドです。

 

 ただ、時々、カバー曲も演奏します。

 

 そして、そのカバー曲が、どれも非常に素晴らしいのです。

 

 カバー曲であっても、オリジナル曲に引けをとらない素晴らしさがあります

 

 ハイスタは、基本的に、「パンクの曲をパンクっぽくカバーすること」はあまりしません。

 

 大体、ゆったりした曲をパンクバージョンにしてカバーしています。

 

 ハイスタは、「え、この曲をパンクバージョンにするの?」と誰もが驚く曲をカバーします。

 

 自分が初めて聴いたハイスタのカバー曲は、ベイ・シティ・ローラーズ「SATURDAY NIGHT」のカバーでした。

 

 原曲は、かなりテンポがゆったりした感じのロックです。

 

 しかし、ハイスタは、これを、超高速のパンクナンバーにしてカバーしました。

 

 ちなみに自分がハイスタの「SATURDAY NIGHT」を聴いたのは中学1年生の頃でしたが、原曲のベイ・シティ・ローラーズの方は聴いたことがありませんでした。

 

 「SATURDAY NIGHT」に関しては、ハイスタのカバーを先に聴きました。

 

 後で、「これはカバー曲である」ということを知って、原曲も聴いてみました。

 

 そうしたら、「うわ、原曲は全然違う!」と衝撃を受けた記憶があります。

 

 普通とは逆のパターンですが、「ハイスタから入って、原曲を聴く」という体験も、なかなか面白かったです。

 

 そして、ハイスタのカバー曲の中でも、自分が一番衝撃を受けたのは、「はじめてのチュウ」のカバーです。

 

www.youtube.com

 

 「はじめてのチュウ」は、アニメ「キテレツ大百科」のエンディングテーマでしたが、非常にゆったりしたかわいい曲で、パンクとは真逆のイメージの曲です。

 

 「ハイスタが、はじめてのチュウを英語でカバーしたらしい」と聞いた時、「日本のバンドが、日本語の曲を英語の歌詞に変えてカバーする」という発想は、他のバンドではありえないと思いました。

 

 タイトルも、「はじめてのチュウ」ではなく、「MY FIRST KISS」になっています。

 

 しかも、普通のカバーではなくパンクバージョンでカバーしているのです。

 

 ただ、「曲としてちゃんと成立するのか?」という疑問もありました。

 

 しかし、気になったので、CDを買って聴いてみました。

 

 実際に聴いてみると、めちゃくちゃかっこいい曲になっていて、「あの曲が、こんなにかっこうよくなるのか!」と衝撃を受けました。

 

 曲のテンポはそこまで速くないですが、このくらいのテンポ感が、この曲には合っているなと思いました。

 

 歌詞は、英語で、元の歌詞の意味を大きく外さないように英訳されていました。

 

 そして、基本的には英語で歌っていますが、最後の「はじめてのチュウ」という部分だけ日本語にしている点も、うまいな~と感心しました。

 

 この曲は、「Love Is a Battlefield」というマキシシングルに収録されています。

 

 ちなみに、このシングルにはエルビス・プレスリーの「Can’t Help Falling In Love」のカバーも収録されていますが、こちらも良いカバーなのでおすすめです。

 

 原曲はバラードですが、カバーの方は、勢いのあるパンクナンバーになっています。

 

 気になった方は聴いてみてください。

 

 

「DIY精神」を持っている

 パンクバンドは「DIY精神」を持ったバンドが多いです。

 

 「DIY精神」というのは、「自分たちのことは、自分達でやろう」という考え方のことです。

 

 そして、ハイスタも、「DIY精神」を持ったバンドと言えます。

 

 その証拠に、1999年に「PIZZA OF DEATH(ピザ・オブ・デス)」というインディーズレーベルを設立し、バンド自ら運営をしていました。

 

 元々、ハイスタは、「トイズファクトリー」というレーベルから音源をリリースしていました。

 

 しかし、「ピザ・オブ・デス」を立ち上げてからは、そこからハイスタの音源を出すようになりました。

 

 バンドがレーベルを運営すると、音楽制作以外の色んな作業が増えて、なかなか大変です。

 

 しかし、自分たちでレーベルを運営すると、「バンドが思った形で音源がリリースできる」というメリットがあります。

 

 きっと、「大変だけど、自分たちが納得する形で音源を出したいから、自分たちでレーベルをやろう」と思ってやっているのでしょう。

 

 パンクバンドの原点を忘れず、「ずっとDIY精神を持ち続けているところ」も、このバンドの魅力だと思います。

 

インディーズにも関わらず、アルバムを100万枚以上売った

 ハイスタは、パンクバンドの中では、かなり人気のあるバンドでした。

 

 1995年にリリースしたアルバム「GROWING UP」は、海外版も含めると、70万枚以上売れました。

 

 

 1997年にリリースしたアルバム「ANGRY FIST」も、50万枚以上売れました。

 

 

 そして極めつけが、1999年に自主レーベルの「ピザ・オブ・デス」からリリースした、「MAKING THE ROAD」です。

 

 

 このアルバムは、なんと、100万枚以上を売り上げる大ヒットとなりました。

 

 「ミリオンセラー」のアルバムとなったのです。

 

 90年代の後半では、ミリオンセラーのアルバムは結構ありました。

 

 しかし、ミリオンセラーのアルバムは、ほとんど、メジャーレーベルからリリースされたものでした。

 

 やはり、メジャーレーベルの方がお金に余裕があるので、宣伝にお金もかけられて、メディア露出も多くなります。

 

 また、タイアップも、メジャーレーベルの方がつけやすかったりします。

 

 当然、宣伝にお金をかけ、メディア露出を増やし、タイアップをつけたりすると、ヒットする確率は高まります。

 

 そういった理由で、ミリオンセラーとなるアルバムは、メジャーレーベルから出ているものばかりという状況でした。

 

 しかし、ハイスタの「MAKING THE ROAD」はインディーズの自主レーベルからリリースしています。

 

 そのため、宣伝にはあまりお金をかけていません。

 

 メディア露出も、あまりありませんでした。

 

 当然、タイアップもついていません。

 

 さらに、ハイスタは全編英語詞のバンドなので、歌詞の魅力が伝わりづらいというデメリットもあります。

 

 そんな不利な状況にも関わらず、このアルバムは100万枚以上売れました。

 

 これは、とんでもないことです。

 

 このアルバムがなぜこんなに売れたかというと、「口コミの力」「ハイスタというバンドに対する信頼感」が大きかったのだと思います。

 

 ハイスタは、「口コミ」で大きくなっていったバンドだと思います。

 

 ハイスタのCDを聴いたり、ライブを観て、「ハイスタは凄い!」と興奮した人がいたとします。

 

 そうなると、その人は、ハイスタを誰かに教えたくなり、「このバンドは凄いよ」と友達に教えます。

 

 その友達も、CDを買ったり、ライブを観たりして、同じように「ハイスタは凄い!」となって、別の友達にハイスタを勧めます。

 

 そういった「口コミ」が広がることで、ハイスタの認知度は高まり、CDもたくさん売れるようになりました。

 

 そして、ハイスタは、「MAKING THE ROAD」の前にも、「GROWING UP」「ANGRY FIST」という素晴らしいアルバムをリリースしています。

 

 そのため、「次に出るアルバムも素晴らしいに違いない」と考えていたファンが多かったと思います。

 

 「MAKING THE ROAD」を出す前に、既に、ハイスタは、「ファンからの信頼感が非常に高いバンド」になっていました。

 

 そして、「MAKING THE ROAD」がリリースされた時、「ハイスタのアルバムだから間違いないだろう」という感じで、迷わず買ったファンが多かったと思います。

 

 ハイスタには、「口コミの力」と「バンドに対する信頼感」があったからこそ、「インディーズレーベル」「宣伝にお金をかけない」「メディア露出が少ない」「全編英語詞」「タイアップなし」という不利な状況でも、100万枚以上売れたのではないでしょうか。

 

 こういった不利な状況を覆したハイスタは、改めてかっこいいバンドだと思います。

 

バンド主催で大型音楽フェスを開催した

 2023年現在、日本では、沢山の音楽フェスが開催されています。

 

 「フェスに毎年参加する」という音楽好きも多く、完全に、日本の音楽ファンの中に音楽フェスは根付いています。

 

 そして、10-FEETが主催する「京都大作戦」のように、バンドが主催する大型音楽フェスも増えてきています。

 

 しかし、1990年代の中頃、日本に音楽フェスはほとんどありませんでした。

 

 そんな状況の中、ハイスタは、「AIR JAM(エアジャム)」という大型ロックフェスの主催者となり、フェスを開催しました。

 

 これは、当時としては非常に画期的なことでした。

 

 エアジャムは、初回は1997年に開催され、翌年の1998年にも開催されました。

 

 1997年といえば、フジロックが開催された年です。

 

 フジロックは、日本の大型音楽フェスの先駆けと言われています。

 

 そういった日本を代表するフェスが始まった時に、バンド主催でフェスを開催していたハイスタは、改めて凄いと感じます。

 

 ハイスタが大型音楽フェスを開催できたのは、「CDが大ヒッしていた」ということも大きいでしょう。

 

 CDの売り上げが好調で、金銭的に余裕があったので、大型フェスを開催する気になったかもしれません。

 

 ただ、そうだとしても、バンドがフェスを主催することは、大きなリスクが伴います。

 

 チケットが売れなければ、大赤字になり、バンドがその赤字を引き受けなくてはなりません。

 

 また、悪天候によりフェスが中止になったりしたら、さらに大きな赤字となる可能性もあります。

 

 そして、ハイスタがエアジャムを始めた90年代の日本では、音楽フェスがまだ根付いていませんでした。

 

 そのため、「やってみないと、どうなるかわからない」という状況だったと思います。

 

 2020年代の日本で音楽フェスを開催するよりも、遥かにリスクがある状況でした。

 

 しかし、そんな状況でも、ハイスタはフェスを主催し、開催しました。

 

 これはやはり、「DIY精神」によるものだと思います。

 

 リスクは承知の上で、「プロモーターに任せるより、自分たちで主催した方が、納得のいくフェスになる」と考え、フェスの主催者になったのでしょう。

 

 そして、実際に行うと、フェスは成功しました。

 

 広い会場に、多くのパンクキッズが集まりました。

 

 このフェスが面白かったのは、音楽だけでなく、「スケートボード」や「BMX」のライダーによるパフォーマンスも行われていたことでした。

 

 まさに、「西海岸のストリートカルチャー」を体現したようなフェスになっていたと思います。

 

 そして、エアジャム2000は、千葉マリンスタジアムで開催されました。

 

 サマーソニックが行われていることでおなじみの会場です。

 

 非常に広い会場にも関わらず、多くの観衆で埋め尽くされました。

 

 バンド主催のフェスで、千葉マリンスタジアムが人で一杯になるというのは、本当に凄いことですね。

 

 当時のハイスタの人気の高さが伺えます。

 

 ただ、2000年にハイスタが活動休止すると、エアジャムもお休みとなりました。

 

 しかし、2011年にハイスタが活動再開するとともに、エアジャムも復活します。

 

 「エアジャム2011」には、ハイスタの活動を待ちわびたファンが多く駆けつけました。

 

 その後も、エアジャムは、「2012」「2016」「2018」と開催されました。

 

 やはり、ハイスタのことを語る時、エアジャムの存在は外せません。

 

 今でこそ、日本でバンド主催のフェスは増えていますが、ハイスタはまさに「開拓者」と言えるでしょう。

 

 ハイスタが「バンド主催でもフェスは開催できる」ということを示してくれました。

 

 そのような前例があったことで、「自分たちでも、フェスを主催できるかもしれない」と勇気づけられたバンドマンも多かったのではないでしょうか。

 

 そして、もしハイスタがいなければ、バンド主催のフェスが日本でこんなに増えることはなかったかもしれません。

 

 そういう意味でも、ハイスタは偉大な存在です。

 

 エアジャムは、「ハイスタの持つDIY精神」が反映されていて、ハイスタの魅力が詰まったイベントだと思います。

 

年齢を重ねても「やんちゃな雰囲気」を持ち続けている

 この記事を書くにあたって、「ハイスタの魅力は何だろう?」とじっくり考えましたが、「いつまでもやんちゃな雰囲気を持っている」ところも大きな魅力だなと改めて感じました。

 

 ハイスタは、20代前半でデビューしています。

 

 当然ながら、デビューの頃は、まだ若いのでやんちゃです。

 

 しかし、若い頃だけでなく、年齢を重ねてからも、すっとやんちゃなイメージを保っています。

 

 ハイスタは、活動休止期間を経て、2011年に活動を再開します。

 

 2011年時点で、ハイスタのメンバーは、「おじさん」と呼ばれるような年齢になっていました。

 

 しかし、ステージに出てきた3人は非常に若々しく、全くおじさんに見えません。

 

 20代の頃のような「やんちゃな雰囲気」がしっかりと残っています。

 

 それは、演奏が始まっても変わりません。

 

 中年と呼ばれるような年齢になっても、「パワフルに押しまくる、やんちゃな演奏」を聴かせてくれました。

 

 そういう姿を見ると、良い意味で「変わってないな~」と思い、安心しました。

 

 やはり、「年齢を重ねても、変わらずにやんちゃな人」というのは、見ていて楽しいです。

 

 その後、さらに年齢を重ねて、3人が50代に突入しても「やんちゃなイメージ」は変わりませんでした。

 

 最近、ハイスタは、あまり活動していませんでしたが、「またそのうち、3人で集まって、やんちゃな姿を見せてくれるだろう」と思っていました。

 

 しかし、恒岡さんの訃報により、それがもう叶わなくなってしまったのは非常に残念です。

 

 恒岡さんは、難波さんや横山さんと比べると、やんちゃさは、やや控えめです。

 

 ただ、一度ステージに上がってドラムを叩くと、年齢を重ねても、やんちゃで良いドラムを叩いていました。

 

 しかし、ステージに上がればやんちゃなドラムを叩いていましたが、普段話している姿を見ると、「穏やかで優しそうだな」という印象を受けました。

 

 恒岡さんが普段話している様子は、下の動画を見てみてください。

 

www.youtube.com

 

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まとめ

 ここまで、自分が思う「ハイスタの魅力」について色々と語ってきました。

 

 ざっと魅力を紹介してきましたが、ここで紹介したこと以外にも、数えきれないくらい沢山の魅力があるバンドです。

 

 改めてハイスタというバンドを振り返ってみると、「本当に偉大なバンドだな」と思います。

 

 日本の音楽界には、「メロコア」と呼ばれるシーンがあり、メロコアが好きな音楽リスナーも沢山います。

 

 ただ、もしハイスタというバンドがなければ、日本にこんな大きなメロコアシーンが生まれていたかは疑問です。

 

 あったとしても、もっと小さなものになっていた可能性が高いと思います。

 

 それくらい、多大な影響力を与えたバンドです。

 

 ハイスタは、どちらかといえば、フロントの難波さんと横山さんにスポットライトが当たりがちです。

 

 しかし、恒岡さんがハイスタのドラマーでなかったら、ここまでの人気バンドにはなっていなかったのではないでしょうか。

 

 ハイスタには、「この3人だからこそ出せる音」がありました。

 

 このバンドは、3ピースバンドです。

 

 そのため、普通は、「1+1+1」で「3」となります。

 

 しかし、ハイスタの場合は、3人揃うととんでもないパワーが出て、「1+1+1」が「3」ではなく、「6」にも「10」にもなるようなバンドでした。

 

 ハイスタというバンドには、「バンドマジック」がありました。

 

 だからこそ、これほど多くの人の心をつかんでいるのでしょう。

 

 難波さんや横山さんは、それぞれのバンドのライブなどで、ハイスタの曲を演奏することもありました。

 

 しかし、そういう場でハイスタの曲を聴いても「なんだか違う」という印象は拭えませんでした。

 

 そういう印象になってしまったのは、「ドラムが恒岡さんではない」という理由が大きかったのではないでしょうか。

 

 やはり、恒岡さんの非常にパワフルでテクニックも感じられるドラムがなければ、ハイスタの音は完成しないと思います。

 

 今後、もしかすると、サポートのドラムを入れて、ハイスタが再始動する可能性も0ではありません。

 

 しかし、そうなってしまうと、「ハイスタと似ているけれど別のバンド」という感じになってしまうのではないでしょうか。

 

 やはり、恒岡さんが叩いていないと、「ハイスタじゃない」という感じになりそうなので。

 

 恒岡さんが亡くなったことにより、残念ながら、オリジナルメンバーのハイスタのライブを生で見ることは不可能になってしまいました。

 

 しかし、恒岡さんという素晴らしいドラマーが叩いたハイスタの音源は、沢山残されています。

 

 そういった音源を改めて聴き直して、「ハイスタの素晴らしさ」と「恒岡さんのドラムの素晴らしさ」を感じることにしましょう。

 

 恒岡さんが叩いたハイスタの音源は、今後もずっと聴き続けられるべき、素晴らしい音楽だと思います。

 

 また、ライブDVDも色々出ていますので、「ライブの雰囲気を体感したい」という方は、ライブDVDを観てみてください。

 

 

 

 そして、バンドのことをもっと深く知りたいという方は、「SOUNDS LIKE SHIT」というハイスタのドキュメンタリーのDVDを観るのもおすすめです。

 

 

スピッツ「スピカ」の歌詞の考察

 スピッツ「スピカ」の歌詞の考察を行います。

 

 「スピカ」は、1998年にリリースされた、スピッツ19枚目のシングルです。

 

 こちらは、「楓」との両A面シングルとしてリリースされました。

 

 オリジナルアルバムでは、「花鳥風月」に収録されています。

 

 現在は、インディーズ時代の曲を4曲追加した「花鳥風月+」として販売されています。

 

 

 また、2002年に発売された、スピッツのトリビュートアルバム「一期一会」では、椎名林檎がこの曲をカバーしています。

 

 こちらのアルバムは、もう新品では売っていないので、買うとしたら中古になります。

 

 

 この曲は、とても良い曲ですが、歌詞の解釈が少し難しかったりします。

 

 そこで今回は、この曲の歌詞を考察して、隠された意味を探っていきます。

 

 「なぜこの曲がスピカというタイトルになったのか?」という理由についても、考えていきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、草野マサムネです。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

「スピカ」とは

 曲の説明をする前に、タイトルに使われている「スピカ」という言葉の意味を説明します。

 

 スピカは、「おとめ座α星」とも呼ばれる、おとめ座の中で最も明るい星のことです。

 

 春の夜に、青白く輝きます。

 

 ちなみに、この曲の歌詞には「スピカ」という言葉は出てきません。

 

 タイトルにのみ使われています。

 

 この「スピカ」の意味を頭に入れつつ、歌詞をじっくり見ていきましょう。

 

「スピカ」の歌詞の考察

 ここからは、「スピカ」の歌詞を詳しく見ていきます。

 

1番のAメロの歌詞

この坂道もそろそろピークで バカらしい嘘も消え去りそうです

やがて来る 大好きな季節を 思い描いてたら

ちょうどいい頃に素敵なコードで 物凄い高さに届きそうです

言葉より 触れ合い求めて 突き進む君へ

 

 最初に、『この坂道もそろそろピークで』という歌詞が出てきますが、この『坂道』とういのは、実際に坂道を上っているのではなく、「比喩」だと思います。

 

 この曲の主人公は、人生の中で厳しい状況に直面しているのでしょう。

 

 それを、「坂道を上ること」に例えているのだと思います。

 

 『バカらしい嘘も消え去りそうです』というのは、「冗談を言っている余裕もない」ということでしょうか。

 

 しかし、その厳しい状況もピークに達して、そろそろ終わりが見えてきているようです。

 

 『やがて来る 大好きな季節』というのは、おそらく「春」のことでしょう。

 

 人生の中で、厳しい状況に直面していることを「冬」に例えて、「これを乗り越えたら春が来る」と言っているのだと思います。

 

 『ちょうどいい頃に素敵なコードで』という部分は、解釈がなかなか難しかったりします。

 

 『コード』というのは、家電のコードでしょうか?

 

 ただ、家電のコードだと、よく意味がわかりません。

 

 また、音楽の「コード」だとしても、意味が繋がりません。

 

 自分としては、『コード』という歌詞は、「高度」という意味だと捉えました。

 

 最初の『ピーク』という歌詞にかけて、『コード』という表記になっているのかなと思いました。

 

 これが「高度」という意味だとすると、その後の歌詞と意味が繋がります。

 

 『物凄い高さに届きそうです』というのは、「辛い季節も終わりが見えてきて、気分もだいぶ上がってきている」ということではないでしょうか。

 

 次に、『言葉より 触れ合い求めて 突き進む君へ』という歌詞が来ますが、ここで初めて、『君』が出てきます。

 

 『君』は、おそらく、主人王にとって大事な人のことだと思います。

 

 そして、『君』は、『言葉より 触れ合い求めて 突き進む』と言っています。

 

 この歌詞から想像すると、『君』は、かなり感覚的で、人としての本能的な部分を大事にする人ではないかと推測できます。

 

 ちなみに、この曲の歌詞は、「ですます調」の部分が多くなっています。

 

 スピッツの歌詞で「ですます調」になっているものは、なかなか珍しいと思います。

 

 この曲は、「ですます調」を多用することにより、独特な雰囲気が出ている気がします。

 

1番のサビの歌詞

粉のように飛び出す せつないときめきです

今だけは逃げないで 君をみつめてよう

やたらマジメな夜 なぜだか泣きそうになる

幸せは途切れながらも 続くのです

 

 『粉のように飛び出す せつないときめきです』というのは、「粉が宙に舞うように、切ないときめきが漂う」という意味だと思います。

 

 『今だけは逃げないで』という歌詞を見ると、主人王は、「普段、面倒くさいことから逃げがちである」ということが推測できます。

 

 ただ、今の瞬間は、逃げずに、『君』をみつめていると決めたようです。

 

 それくらい、主人公にとっては、『君』が大切な人だとわかります。

 

 『やたらマジメな夜』という歌詞は、パッと聴いただけだと、よく意味がわかりません。

 

 自分としては、これは、「君と真剣に向き合う夜」という意味かなと思いました。

 

 次に、『なぜだか泣きそうになる』とありますが、これは、「君の素晴らしさに触れて、涙が出てくる」といった意味ではないでしょうか。

 

 その後の、『幸せは途切れながらも 続くのです』という歌詞も意味深です。

 

 今はその意味がよくわかりませんが、最後まで歌詞を見ていくと、その意味がなんとなくわかってきます。

 

2番のAメロの歌詞

はぐれ猿でも調子がいいなら 変わらず明日も笑えそうです

ふり向けば 優しさに飢えた 優しげな時代で

 

 『はぐれ猿』というのは、なかなか面白い表現ですね。

 

 普通、歌詞ではなかなか使わない言葉ですが、どういう意味なのでしょうか?

 

 自分としては、主人王自身が、自分のことを「はぐれた猿みたいだ」と思っているということだと推測します。

 

 「猿」は、人間と比べると、そんなに頭はよくありません。

 

 主人王は、自分のことを「あんまり頭が良くない」と思っていて、それを「猿」に例えているのだと思います。

 

 そして、ただの猿ではなく『はぐれ猿』と言っているのは、主人王自身が「人とつるむのが苦手」ということかもしれません。

 

 主人公は、自分を卑下しているようですが、それでも、『調子がいいなら 変わらず明日も笑えそう』と、ポジティブな気持ちは持っているようです。

 

 その後の、『優しさに飢えた 優しげな時代』という部分は、非常に鋭い歌詞だと思います。

 

 「現代の日本社会」のことを、こう言い表しているのだと思います。

 

 短いシンプルな言葉で、現代社会をスバっと斬っています。

 

 今の日本社会は、パッと見は「優しさにあふれている」ように見えます。

 

 日本は、犯罪の数が比較的少なくなっています。

 

 また、電車に乗ると、お年寄りや体の不自由な人に席を譲っている人も結構います。

 

 そういうのを見ると、「日本は治安が良いし、日本人は優しい人が多いな」と思ったりします。

 

 しかし、少し日本社会を俯瞰して見ると、「なかなか厳しい社会だな」と思うことが多かったりします。

 

 アルバイトや派遣社員といった非正規の職員は、本人に大した非がなくとも、簡単にクビになったりします。

 

 また、生活保護も、申請してもなかなか通らなかったりします。

 

 女性やマイノリティに対する差別も、依然として存在しますし、大きく改善する気配もありません。

 

 こういうことを考えると、「日本社会のシステムは、弱者やマイノリティにとって厳しいな」と感じます。

 

 日本人は、一人一人を見ていくと、弱者やマイノリティに対して親切な人が結構います。

 

 また、政府や行政は「人に優しく」といったキャッチコピーを打ち出しています。

 

 そういった、「一見優しそうな雰囲気を出している」ことを、この歌詞では『優しげ』と言っているのだと思います。

 

 ただ、日本社会が本当に優しい社会かというと、そうではありません。

 

 弱者やマイノリティになると、社会から厳しい扱いを受けることがしばしばあります。

 

 そうなると、弱者やマイノリティの人たちは、「もう少し優しく接してほしい」と思い、優しさを欲します。

 

 そういった状況を、この歌詞では『優しさに飢えた』と表現しています。

 

 これだけ単純な言葉で、物事の本質を表現できる草野さんの表現力は、やはり凄いと感じます。

 

 この歌詞を見ると、主人公も、「現代の日本社会の中で苦しんでいる」と思われます。

 

2番のサビの歌詞

夢のはじまり まだ 少し甘い味です

割れものは手に持って 運べばいいでしょう

古い星の光 僕たちを照らします

世界中 何も無かった それ以外は

 

 ここでは、最初に『夢』という言葉が出てきます。

 

 これは、「君と過ごす時間が、まるで夢のようだ」ということだと思います。

 

 そして、『はじまり』という歌詞を見ると、主人公と『君』は、付き合い始めたばかりだと推測することができます。

 

 そして、主人公は、『君』と付き合い始めたばかりなので、「甘い」ではなく、『少し甘い』という歌詞になっているのでしょう。

 

 次に、『割れもの』という歌詞が出てきますが、これはおそらく、『君』のことだと思います。

 

 「凄く大事な、壊したくないもの」という意味合いで『割れ物』という言葉を使っています。

 

 そして、カバンに入れて運ぶのではなく、「手に持って運ぶ」と言っているのは、「大事に扱う」といった意味合いでしょう。

 

 その後の、『古い星の光 僕たちを照らします』という部分は、なかなかロマンチックな歌詞ですね。

 

 星と地球の距離は非常に離れているので、星の光が地球に届くまでは、とても長い時間がかかります。

 

 そのため、私たちが見ている星の光は、実は、今現在の光ではなく、「昔の光」です。

 

 このような事実をふまえて、『古い星の光』という歌詞になっているのだと思います。

 

 そして、「星が照らす」というのは、単に星が照らしてくれるということだけでなく、「自分が今生きているこの瞬間が、輝いている」という意味も含まれていると思います。

 

 主人公にとって、大切な『君』と過ごす時間は、何よりも輝いているのです。

 

 そして、『世界中 何も無かった それ以外は』という歌詞は、「大好きな君と一緒にいる時間は、何よりも素晴らしくて、世界中の全てのことを忘れてしまう」という意味でしょう。

 

最後のサビの歌詞

粉のように飛び出す せつないときめきです

今だけは逃げないで 君をみつめてよう

やたらマジメな夜 なぜだか泣きそうになる

幸せは途切れながらも 続くのです

続くのです

 

 最後のサビの部分は、一番最後に『続くのです』と2回繰り返していること以外は、1番のサビと同じです。

 

 ただ、1番のサビの部分で意味がよくつかめなかった『幸せは途切れながらも 続くのです』という部分の意味を、改めて考えてみます。

 

 ここで、この曲のタイトルが「スピカ」であることを思い出してみましょう。

 

 スピカは、「星の一つ」です。

 

 それをふまえると、『途切れながらも』という歌詞は、もしかすると、「星の輝き」とかけているのかもしれません。

 

 星は、時々、瞬いたりするので、光っている状態がずっと続く訳ではありません。

 

 時々、光が途切れて、また光ったりします。

 

 主人公は、おそらく、「君と過ごす幸せな日々も、星の光のように少し幸せが途切れることがあるかもしれないけど、それでも続くんだよ」と言っているのだと思います。

 

 そして、一番最後に、『続くのです』と2回繰り返しているところに、主人公の「なんとか、途切れながらでも幸せが続いてほしい」という強い願いが込められている感じがします。

 

 

 

 

 

まとめ

 スピッツ「スピカ」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 抽象的な表現が多いですが、簡単な言葉の中に深い意味が込められていて、「やはり草野さんの作詞能力は凄いな」と感心させられます。

 

 そして最後に、「なぜこの曲が「スピカ」というタイトルになったのか」について、考えてみます。

 

 では、ここで改めて、最初に説明した「スピカ」の意味を思い出してみましょう。

 

 スピカは、「おとめ座の中で最も明るい星」でした。

 

 それをふまえると、この歌詞で主人公が一番言いたいことが何か見えてきませんか?

 

 おそらく、主人公は、『君』をスピカに例えて、「君は、乙女(女の子)の中で、最も輝いている」と言っているのです。

 

 この曲は、「女の子の中で最も輝いている君」のことを歌った曲だから、「スピカ」というタイトルになったのです。

 

 このことに気づいた時は、「なるほど! そういう意味か! うまいな」と思いました。

 

 こういった、「気づかない人も多いけれど、気づく人は気づく」仕掛けを入れるところは、さすがだなと思います。

 

 この曲を聴いたことがあるけれど、「君=スピカ」ということに気づかなかった人は、そのことを頭に入れつつ、この曲を聴き直してみてください。

 

 そうすると、また新たな発見があって、面白いと思います。

 

 また、春の晴れた夜に「スピカ」を聴きながら、星の「スピカ」を見てみたりすると、曲のイメージがさらに広がって楽しいと思いますよ。

 

スピッツ「空も飛べるはず」の歌詞の考察

 スピッツ「空も飛べるはず」の歌詞の考察を行います。

 

 「空も飛べるはず」は、1994年にリリースされたスピッツ8枚目のシングルです。

 

 オリジナルアルバムでは、1994年にリリースされた「空の飛び方」に収録されています。

 

 

 また、ベストアルバムにも収録されています。

 

 

 この曲は、非常に有名な曲で、「スピッツの代表曲」と言ってもいいような曲です。

 

 ほとんどの人が、一度はどこかで聴いたことがある曲ではないでしょうか。

 

 非常にポップで、それでいて切なさもある、素晴らしいメロディの曲です。

 

 ただ、歌詞は「ラブソングだ」ということはわかりますが、結構抽象的で、パッと聴いただけは、何が言いたいのか、少しわかりづらくなっています

 

 そこで今回は、この曲の歌詞を考察して、歌詞に隠された意味を探っていきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、草野マサムネです。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

「空も飛べるはず」の歌詞の考察

1番のAメロの歌詞

幼い微熱を 下げられないまま

神様の影を恐れて

隠したナイフが 似合わない僕を

おどけた歌で なぐさめた

 

 冒頭から、なかなか難解な歌詞が出てきます。

 

 『幼い微熱を 下げられないまま』とは、一体、どういう意味なのでしょうか?

 

 自分の解釈では、「幼い頃は、ずっと微熱があるような感じで頭がフラフラしていて、世界になじめなかった」といった感じの意味ではないかと思います。

 

 『神様の影を恐れて』というのは、生きていく中で、ずっと、「誰かに怒られるのではないか」と怯えていたという感じでしょうか。

 

 『隠したナイフ』という歌詞も、なかなか意味深です。

 

 これは、実際にナイフを隠し持っていたということではなく、比喩でしょう。

 

 この曲の主人公は、心の中に尖った部分を持っていて、それを『ナイフ』と例えたのだと思います。

 

 ただ、主人公は、そこまで強い人間ではないため、心の中に尖った部分があることについて『似合わない』と感じているようです。

 

 その後、『おどけた歌で なぐさめた』とあるので、そんな主人公を、誰かが歌を歌ってなぐさめてくれたようです。

 

 それが誰なのか、歌詞には書かれていません。

 

 ただ、それはきっと、主人公にとって大事な人なのではないかと思います。

 

1番のBメロの歌詞

色褪せながら ひび割れながら

輝くすべを求めて

 

 『色褪せながら ひび割れながら』という歌詞を見ても、この主人公は、「社会になじめず、辛い日々を送っている」ことがわかります。

 

 ただ、『輝くすべを求めて』という歌詞を見ると、そんな辛い毎日を送っていても、「輝きたい」という希望は捨てていないようです。

 

1番のサビの歌詞

君と出会った奇跡が この胸にあふれてる

きっと今は 自由に 空も飛べるはず

夢を濡らした涙が 海原へ流れたら

ずっとそばで笑っていてほしい

 

 このサビの部分で初めて、『君』が出てきます。

 

 『君と出会った奇跡が この胸にあふれてる』という歌詞を見ると、この主人公は、『君』と出会えたことを、心から喜んでいるようです。

 

 そして、『きっと今は 自由に 空も飛べるはず』という歌詞を見ると、「空も飛べそうなくらいウキウキしている」ことがわかります。

 

 次の、『夢を濡らした涙が 海原へ流れたら』という部分は、非常に詩的で、美しい表現ですね。

 

 これは、どういった意味なのでしょうか?

 

 『夢を濡らした涙』というのは、「夢が叶わなかった時に、涙を流す」ということでしょうか。

 

 『海原へ流れたら』というのは、「夢が叶わなかった悲しみを、どこかに流したい」ということではないかと思います。

 

 きっと、主人公は、『君』に対して、「自分の将来の夢が叶わなかったとしても、その時は、そばで笑ってなぐさめてほしい」と言っているのだと思います。

 

2番のAメロの歌詞

切り札にしてた 見えすいた嘘は

満月の夜にやぶいた

 

 『切り札にしてた 見えすいた嘘』とは、どういう意味なのでしょうか?

 

 きっと、『君』に対して、何かをごまかすためにつく嘘のことだと思います。

 

 『見えすいた嘘』という歌詞を見ると、きっと主人公は、素直で嘘をつくことが下手なのでしょう。

 

 『満月の夜にやぶいた』という歌詞は「もうそんな嘘はつかないと決めた」ということでしょう。

 

 主人公は、『君』に対して、「嘘をつかず、まっすぐ向き合っていく」ということを決めたようです。

 

2番のBメロの歌詞

はかなく揺れる 髪のにおいで 

深い眠りから覚めて

 

 『髪のにおい』というのは、おそらく、「『君』の髪のにおい」でしょう。

 

 『深い眠りから覚めて』という歌詞を見ると、この主人公は、『君』と一緒に寝ていて、『君』の髪のにおいで起きたのでしょう。

 

 この歌詞を見ると、主人公は、「『君』と一夜を共にしたのかな」と推測することができます。

 

2番のサビの歌詞

君と出会った奇跡が この胸にあふれてる

きっと今は 自由に 空も飛べるはず

ゴミできらめく世界が 僕たちを拒んでも

ずっとそばで笑っていてほしい

 

 『君と出会った奇跡が この胸にあふれてる きっと今は 自由に 空も飛べるはず』という歌詞は、1番のサビと同じです。

 

 この部分は、素直に解釈すれば、「君と出会えて、空も飛べそうなくらいウキウキしている」という意味になるでしょう。

 

 ただ、本当に、それだけの意味なのでしょうか?

 

 『君』と出会っただけで、『空も飛べるはず』という気分にまでなるというのは、なんだか気分が盛り上がりすぎな気もします。

 

 「出会っただけで、そこまで気分が盛り上がるかな?」と少し疑問に思ったりします。

 

 自分としては、ここの部分の歌詞には、実は、「裏の意味」も含まれているように感じます。

 

 スピッツの歌詞は、昔から、「性」が裏テーマになっていると言われています。

 

 一見、性的な内容ではないように見える歌詞でも、よく見ると、「実は性的な内容が含まれていた」ということがよくあります。

 

 ここの部分の歌詞にも、よく見ると、性的な意味が含まれているように感じます。

 

 サビ前の『はかなく揺れる 髪のにおいで 深い眠りから覚めて』という部分の歌詞を見ても、だいぶ性的な雰囲気を醸し出していることがわかります。

 

 それを考えると、『空も飛べるはず』という歌詞には、「好きな人と一夜を共にして、一つになれて、空も飛べそうな気分だ」という意味も込められている気がします。

 

 そのため、この歌詞には、「君と出会えた喜び」だけでなく、「君と一つになれた喜び」も含まれているのではないでしょうか。

 

 もし、主人公が『君』とそうなれていたとしたら、『空も飛べるはず』という気分になるのも納得できます。

 

 「好きな人と一つになれること」は、多くの人にとって、無上の喜びだったりしますから。

 

 そして、その次に、『ゴミできらめく世界』という歌詞が来ますが、これは本当に素晴らしい表現だと思います。

 

 『ゴミできらめく世界』とは、どういう意味なのでしょうか?

 

 晴れた日に、「細かいゴミ(ほこり)が宙に舞って、光っているところ」を見たことがある人は多いともいます。

 

 草野さんは、きっと、そういう場面を見て、この歌詞を思いついたのではないかと思います。

 

 ほこりが宙に舞って光っていると、それはなかなかきれいだったりします。

 

 しかし、いくらきれいでも、それは、結局、「ゴミ」です。

 

 細かいゴミが沢山舞っている場所に立って、ゴミを沢山吸い込むと、健康を害します。

 

 草野さんは、おそらく「現実社会」のことを『ゴミできらめく世界』と例えたのだと思います。

 

 現実社会というのは、パッと見は、ゴミできらめく世界のように、「きれい」だったりします。

 

 表向きは「きれいごと」を言う人が多いですし、社会は、汚い部分を表には出さないようにしています。

 

 ただ、自分が実際に現実社会に足を踏み入れると、「人間の裏の部分の汚さ」に気づいたり、「社会の汚い仕組み」に気づいたりして、社会に絶望する人も沢山います。

 

 そういう意味で、『ゴミできらめく世界』という言葉は、現実社会の表と裏を、一言で見事に言い表した言葉だなと思います。

 

 こういった表現は、「詩人・草野マサムネの真骨頂」という感じがしますね。

 

 草野さんのこの表現力には脱帽です。

 

 そして、その後の、『僕たちを拒んでも』というのは、「社会が僕と『君』を拒んでも」という意味でしょう。

 

 主人公は、「この先、二人は、社会にうまく適応できないかもしれない」と思っているようです。

 

 ただ、もしそうなったとしても、主人公は、「『君』がそばで笑っていてほしい」と願っています。

 

 「たとえ社会が自分の味方をしてくれなくても、『君』が見方でいれくれれば、僕は頑張れる」ということかもしれません。

 

 

 

 

 

まとめ

 スピッツ「空も飛べるはず」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 歌詞をじっくり見ていくと、そこかしこに、「深い意味」が隠されていることがわかったと思います。

 

 この曲に使われている歌詞は、非常に簡単な言葉ばかりです。

 

 しかし、それにも関わらず、これだけ深い意味を持たせられるというのは凄いですね。

 

 「さすが草野さん」と唸らせます。

 

 ただ、様々な意味は隠されているものの、この歌詞は、主に、「好きな人と出会えて、その人と一緒に過ごす喜び」を歌っていると思います。

 

 そのため、所々ネガティブな表現はありますが、全体としては、ポジティブな曲になっています。

 

 もし、「今まで、この曲の歌詞をじっくり聴いたことがなかった」という方がいたら、このブログの内容をふまえて、改めて聴き直してみてください。

 

 そうすると、新たな発見があって、なかなか面白いと思います。

 

 

スピッツ「猫になりたい」の歌詞の考察

 スピッツ「猫になりたい」の歌詞の考察を行います。

 

 この曲は、1994年にリリースされたシングル「青い車」のカップリング曲として発表されました。

 

 アルバムでは、シングルのカップリングや他アーティストへの提供曲を集めた「花鳥風月」に収録されています。

 

 このアルバムは、1999年にリリースされました。

 

 ちなみに、現在は、「花鳥風月+」といって、インディーズ時代の曲が4曲追加されたものが販売されているようです。

 

 スピッツのインディーズ時代の音源を聞けるのは、なかなか貴重だと思います。

 

 

 いわゆる、スピッツの「マイナー曲」を集めたアルバムではありますが、実は、かなり良いアルバムです。

 

 このアルバムを聴くと、「シングルのカップリング曲であっても、スピッツは本当に良い曲を作るな」と感心します。

 

 カップリング曲であっても、手を抜いていないことがわかります。

 

 ちなみに、2002年にリリースされたスピッツのトリビュートアルバム「一期一会」では、つじあやのさんがこの曲をカバーしています。

 

 つじさんの「猫になりたい」は、素朴で良い感じのカバーになっています。

 

 ちなみに、この「一期一会」は、もう新品では売っていないので、買うとしたら中古になります。

 

 

 「猫になりたい」は、シングルのカップリング曲なので、一般的には、あまり有名な曲ではありません。

 

 しかし、スピッツファンの中では、昔から根強い人気がある曲です。

 

 「この曲がスピッツの曲の中で一番好き」というファンの人もいるくらいです。

 

 まさに、「隠れた名曲」といった感じの曲です。

 

 メロディも素晴らしいですし、何より、歌詞が本当に素晴らしいと感じます。

 

 そこで今回は、「猫になりたい」の歌詞を考察して、隠された意味を探っていきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、草野マサムネです。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

「猫になりたい」の歌詞の考察

1番のAメロの歌詞

 まずは、1番の歌詞を見ていきます。

灯りを消したまま 話を続けたら

ガラスの向こう側で 星がひとつ消えた

からまわりしながら 通りを駆け抜けて

砕けるその時は 君の名前だけ呼ぶよ

 

 『灯りを消したまま 話を続けたら』というのは、「部屋で誰かと話し続けていたら、暗くなって、そのまま話を続けた」ということでしょうか?

 

 この曲の主人公には、「長い時間、話ができる人」がいるようです。

 

 『からまわりしながら 通りを駆け抜けて』とは、どのような意味でしょうか?

 

 自分の解釈だと、「社会に出て、色々もがきながらも、空回りしている」といったような意味ではないかと思います。

 

 そして、その後、『砕ける』という歌詞もあるので、社会の中で、なかなかうまくいっていないと推測することができます。

 

 ただ、そんな時でも『君の名前だけ呼ぶ』と言っています。

 

 このことから、この主人公には、「辛い時の支えになるような、大事な人がいる」ということがわかります。

 

1番のBメロの歌詞

 1番のBメロの歌詞も見ていきます。

広すぎる霊園のそばの このアパートは薄ぐもり

暖かい幻を見てた

 

 『広すぎる霊園のそばの このアパートは薄ぐもり』とありますが、ここに出てくるのは、主人公のアパートでしょうか?

 

 または、『君』のアパートでしょうか。

 

 どちらにしても、陰気な場所にあるアパートと言えます。

 

 ただ、そんなアパートの中でも、『暖かい幻』を見ていたようです。

 

 その幻がどのようなものか、この歌詞だけでは、よくわかりません。

 

 ただ、なんとなく、これは『君』のことかなと推測できます。

 

1番のサビの歌詞

 1番のサビの歌詞も見ていきます。

猫になりたい 君の腕の中

寂しい夜が終わるまで ここにいたいよ

猫になりたい 言葉ははかない

消えないようにキズつけてあげるよ

 

 『猫になりたい』という歌詞に対して、「わかる」と共感する人も多いでしょう。

 

 飼い猫は、1日の大半を寝て過ごし、時々、人に甘えたりします。

 

 そんな姿を見て、「うらやましい」と感じ、「自分も猫になりたいな」と思う人は沢山います。

 

 ここで言う『猫』は、おそらく、「『君』が飼っている猫」のことだと思われます。

 

 主人公は、きっと、「呑気に、『君』に甘えている猫」を見て、うらやましくなったのでしょう。

 

 それで、『猫になりたい』という気持ちが湧いてきたのだと思います。

 

 また、歌詞に出てくる『ここ』というのは、『君の腕の中』のことを指しているのでしょう。

 

 つまり、「一晩中、君の腕の中で眠りたい」と言っているということです。

 

 そして、猫が言葉を使わずに『君』とコミュニケーションしているのを見て、主人公は、『言葉ははかない』と感じたのでしょう。

 

 このことから、主人公は、「『君』と、言葉ではないコミュニケーションがしたい」と思ったと推測できます。

 

 次の、『消えないようにキズつけてあげるよ』という歌詞は、なんとも草野さんらしい独特な表現ですね。

 

 これは、「好きな人にいたずらをして、ちょっと困らせたい」ということではないかと思います。

 

 猫は、時々いたずらをして、爪で飼い主を傷つけてしまうことがあります。

 

 それを見て、主人公は、「自分も、猫みたいに『君』にいたずらをして、少し困らせたい」という気持ちが湧いてきたのかもしれません。

 

 これは、「小学生の男子が、好きな子に対していじわるをする感覚」に近いのではないかと思います。

 

2番のAメロの歌詞

 2番のAメロの歌詞も見ていきます。

目を閉じて浮かべた 密やかな逃げ場所は

シチリアの浜辺の絵ハガキとよく似てた

 

 『目を閉じて浮かべた 密やかな逃げ場所』という歌詞を見ると、主人公は、「心の中に逃げ場所を持っている」ことがわかります。

 

 きっと、現実が辛いせいで、心の中に逃げ場所を作るようになったのでしょう。

 

 そんな心の逃げ場所は、『シチリアの浜辺の絵ハガキ』のような、とてもきれいな場所のようです。

 

 現実は、汚い部分が多かったりするので、心の中ではきれいな場所を想像してしまうのかもしれません。

 

2番のBメロの歌詞

 2番のBメロの歌詞も見ていきます。

砂ぼこりにまみれて歩く 街は季節を嫌ってる

つくられた安らぎを捨てて

 

 『砂ぼこりにまみれて歩く』という歌詞を見ても、主人公が厳しい現実を過ごしていることがわかります。

 

 次の、『街は季節を嫌ってる』という部分は、解釈が難しい箇所です。

 

 ただ、自分の解釈では、この歌詞は、「街は、春のような安らげる季節が来ることを嫌っている」という意味ではないかと思います。

 

 きっと、主人公の心の中は、「常に冬」といった感じなのでしょう。

 

 春が訪れる気配がないので、主人公は、「街は、冬の次の季節が来るのを嫌っている」と思ってしまったのかもしれません。

 

 『つくられた安らぎを捨てて』という歌詞も、なかなか解釈が難しい部分です。

 

 ただ、自分としては、「今の自分の現状は辛いけれど、安易に辛さを紛らわすことはしない」という意志表明ではないかと思います。

 

 世の中には、「辛さを紛らわす方法」は沢山あります。

 

 ただ、中には、「一時的には辛さが紛れるが、根本的な辛さを解消することができないもの」もあります。

 

 主人公は、「そういった、安易に辛さを紛らわすことはしない」と言っているのだと思います。

 

 そのかわり、「本当の安らぎ」を追い求めている感じがします。

 

 そして、その「本当の安らぎ」というのは、「『君』と一緒に過ごすこと」で得られると感じているのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

まとめ

 スピッツ「猫になりたい」の考察をしてきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 この曲は、「猫になりたい」というタイトルですが、果たして、この曲の主人公は、「猫になりたい」と強く望んでいたのでしょうか?

 

 自分としては、それほど強く「猫になりたい」と望んでいたようには思えません。

 

 主人公は、きっと、猫になりたいというより、「『君』と恋人になって、甘えたい」と思っていたのです。

 

 それができれば、「別に猫になれなくても構わない」と考えているはずです。

 

 主人公と『君』は、きっと、まだ恋人同士ではないはずです。

 

 なぜなら、もう既に恋人同士ならば、猫にならなくても『君』に甘えられるので、「猫になりたい」と思う必要もないからです。

 

 恋人として甘えられないからこそ、「猫になって甘えたい」と思っているのでしょう。

 

 主人公と『君』は、長時間部屋で話していることから、ある程度、親しい関係ではあるようです。

 

 きっと、「友達以上、恋人未満」くらいの関係なのではないでしょうか。

 

 ただ、主人公は、「君に触れたいのに、恋人にはなれていない」ということに対して、非常にもどかしさを感じていると思います。

 

 そのため、この曲を聴くと、「大好きな人がいて、よく話はするけれど、恋人にはなれていない時のもどかしさ」を思い出してしまいます。

 

 ただ、そういったもどかしさも、この曲の大きな魅力になっていると思います。

 

 この歌詞で描かれているもどかしい感じは、「恋」の素敵な部分の一つだったりするので。

 

スピッツ「ハチミツ」の歌詞の考察

 スピッツ「ハチミツ」の歌詞の考察を行います。

 

 「ハチミツ」は、1995年にリリースされたアルバム「ハチミツ」に収録されています。

 

 アルバムのタイトルトラックになっています。

 

 

 この曲については、「かわいらしい曲」というイメージを持っている人が多いのではないでしょうか。

 

 確かに、曲調もポップで、歌詞もかわいらしい部分が多いので、それは間違っていません。

 

 ただ、歌詞をじっくり見ていくと、ただかわいらしいだけではない「深さ」と、草野さんならではの「歌詞作りの巧みさ」が見えてきます。

 

 そこで今回は、この曲の歌詞を考察し、「草野さんの歌詞の作りの巧みさ」についても見ていきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、草野マサムネです。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

「ハチミツ」の歌詞の考察

1番のAメロの歌詞

一人空しくビスケットの しけってる日々を経て

出会った君が初めての 心さらけ出せる

 

 『ビスケットのしけってる日々』というのは、「さえない日々」という意味でしょう。

 

 この曲の主人公は、これまで、一人で空しく、さえない日々を送っていたようです。

 

 この部分を見て、「歌詞の作り方がうまいな~」と感心してしまいました。

 

 さえない日々のことを、「しけった日々」と表現する人は、草野さんの他にもいると思います。

 

 ただ、草野さんの凄いところは、そこに『ビスケットの』とつけ加えたところです。

 

 これをつけることによって、「草野さん特有の、唯一無二の表現」となっています。

 

 もしこれが、「一人空しく しけってる日々を経て」という歌詞だったとすると、どうしても、「主人公の悲惨な感じ」が強調されてしまいます。

 

 しかし、これに、『ビスケットの』という言葉がつくと、どことなく「かわいさ」が出てきます。

 

 そうなると、「悲惨な中にも、どこかかわいさとユーモアのある表現」になって、ネガティブな雰囲気になりすぎません。

 

 この辺のバランスの取り方は、絶妙です。

 

 次に、『出会った君が初めての 心さらけ出せる』という歌詞が続きます。

 

 ここで『君』が初めて出てきます。

 

 主人公は、『君』と出会って、「この人は、今まで生きてきて初めて、自分の心を素直にさらけ出せる相手だ」と感じたようです。

 

1番のサビの歌詞

素敵な恋人 ハチミツ 溶かしてゆく

こごえる仔犬を 暖めて

懐かしい遊びが 甦るのは

灯りの場所まで綱渡りしたから

 

 サビの最初に、『素敵な恋人 ハチミツ 溶かしてゆく』という歌詞があります。

 

 『溶かしていく』とは、いったい何を溶かしていくと言っているのでしょうか?

 

 これはおそらく、「主人公の心の中の凍った部分」でしょう。

 

 主人公は、ずっと、一人でさえない日々を送っていました。

 

 すると、次第に、心の中に、「氷のような硬く凍った部分」ができてきます。

 

 そうなると、「何をしても面白くない」という風になりがちです。

 

 主人公の心の中は、きっとそうなっていたのでしょう。

 

 しかしある時、人生で初めて、「心をさらけ出せる素敵な人」に出会いました。

 

 それにより、硬い部分が、少しずつ溶け始めてきて、人生を楽しめるようになったのだと思います。

 

 そう考えると、『素敵な恋人 ハチミツ 溶かしてゆく』という歌詞は、「ハチミツのような甘い素敵な恋人に出会って、心の中にある氷のような硬い部分が解けていく」といったような意味だと推測できます。

 

 次に続く『こごえる仔犬』というのも、「主人公の心の中の凍った部分」のことだと思います。

 

 こごえる仔犬のように、主人公の心の中も、冷え切っていたのでしょう。

 

 しかし、『君』と出会ったことで、「心の中のこごえる仔犬」も、徐々に暖められていったのだと思います。

 

 その後の『懐かしい遊びが 甦るのは』という部分は、なかなか解釈が難しかったりします。

 

 ただ、自分としては、『懐かしい遊び』というのは、「子供の頃感じていた、素直に遊びを楽しむ心」という意味だと解釈しました。

 

 人は、大人になるにつれ、「社会の厳しさ」に直面します。

 

 「社会の厳しさ」に直面すると、「頑張らなきゃ」という気持ちが強くなり、子供の頃感じていた「楽しむこと」を忘れがちになります。

 

 きっと、主人公も、社会にもまれてさえない日々を送るうちに、「子供の頃感じていた、素直に楽しむ心」を忘れていたのでしょう。

 

 しかし、主人公は、『君』と出会ったことで、素直に「楽しい」と思えるようになったのだと思います。

 

 それがきっと、「子供の頃、素直に遊びを楽しんでいた気持ちと似ている」と思ったのでしょう。

 

 そのため、『懐かしい遊びが 甦る』という歌詞は、「子供の頃感じていた、素直に遊びを楽しんでいた頃の気持ちが甦ってきた」という意味だと思います。

 

 次の『灯りの場所まで綱渡りしたから』という歌詞も、解釈が難しい部分です。

 

 自分は、『綱渡りした』というのは、「危険を冒した」と解釈しました。

 

 そして、『灯りの場所』というのは、「暖かい場所」という意味のように思えます。

 

 「君と恋人同士になって、暖かい場所を手に入れた」ということではないでしょうか。

 

 それを考えると、『灯りの場所まで綱渡りした』という歌詞は、「君と恋人同士になって、暖かい場所を手に入れるために、勇気を振り絞って告白した」という意味ではないかと思います。

 

2番のAメロの歌詞

ガラクタばかりピーコートの ポケットにしのばせて

意地っ張り シャイな女の子 僕をにらみつける

 

 この部分の歌詞は、まず、ただの『コート』ではなく、『ピーコート』にしているところが非常にうまいなと感じます。

 

 「コート」ではなく、『ピーコート』にすることで、素敵な女の子が、ピーコートを羽織っている姿をパッと想像することができます。

 

 また、ただの「コート」よりも、『ピーコート』の方が音の響きがかわいくなるので、それも『ピーコート』という歌詞にした理由の一つかもしれません。

 

 『ガラクタばかりピーコートの ポケットにしのばせて』というのは、実際にポケットにしのばせているのではなく、「比喩」ではないかと思います。

 

 『君』は、「人から見たらガラクタに見えるようなもの」を心の中にしのばせているのでしょう。

 

 『意地っ張り』という歌詞を見ると、人からそれをバカにされても、自分ではそれをとても大事にしているということが推測できます。

 

 『僕をにらみつける』というのは、「この人も、自分の大切にしているものをバカにするのではないか?」と少し疑っているということだと思います。

 

 ただ、主人公は、「そういう、芯があって意地っ張りな部分もかわいい」と思っていそうな気がします。

 

2番のサビの歌詞

おかしな恋人 ハチミツ 溶かしてゆく

蝶々結びを ほどくように

珍しい宝石が 拾えないなら

二人のかけらで 間に合わせてしまえ

 

 2番のサビでは、『おかしな恋人』という歌詞が出てきますが、これはどのような意味でしょうか?

 

 これは、「はたから見たら、二人はおかしな恋人に見える」という意味ではないでしょうか。

 

 『君』は、「他の人見たらガラクタに見えるようなものを心の中にしのばせている」ので、

 

 はたから見たら、「ちょっと変わった人だな」と思われるような人ではないかと推測します。

 

 そして、主人公も、そんな『君』と気が合っているので、はたから見たら、「ちょっと変わった人」と思われている可能性が高い気がします。

 

 そういう意味で、『おかしな恋人』と言っているのではないでしょうか。

 

 ただ、主人公と『君』は、きっと、「自分たちは別におかしくはない」と思っているはずです。

 

 これは、本当におかしな恋人ということではなく、「世間と少し価値観がずれている二人」というニュアンスだと思います。

 

 次の『蝶々結びを ほどくように』という部分は、草野さんの作詞技術の高さがうかがえる歌詞です。

 

 『蝶結び』ではなく、『蝶々結び』としているところが凄いと感じます。

 

 普通は、『蝶結び』と言いたくなるところを、あえて『蝶々結び』にしています。

 

 この2つの単語を比べてみると、『蝶々結び』の方が、明らかにかわいい感じが増します。

 

 そして、そのかわいさが、この曲の雰囲気に合っています。

 

 些細な違いではありますが、あえて『蝶々結び』という単語を選択したところに、草野さんの作詞家としての凄さが表れています。

 

 そして、『溶かしてゆく 蝶々結びを ほどくように』という歌詞は、「まるで、蝶結びをほどくように、簡単に、心の凍った部分が溶けていく」という意味でしょう。

 

 『珍しい宝石が 拾えないなら 二人のかけらで 間に合わせてしまえ』という部分は、なかなか意味深です。

 

 ここは、色んな解釈ができると思います。

 

 自分としては、『宝石』というのは、「お金」という意味だと解釈しました。

 

 『珍しい宝石が 拾えないなら』というのは、「お金がなくて、ぜいたくができないなら」という意味だと思います。

 

 きっと二人は、まだ若く、お金がないのでしょう。

 

 そのため、ぜいたくな生活はできないのだと思います。

 

 ただ、それでも、がっかりしている様子はありません。

 

 その後の『二人のかけらで 間に合わせてしまえ』という歌詞は、「お金がなくてぜいたくな生活ができなくても、二人で工夫して、楽しい生活を送って行こう」という意味だと思います。

 

 この歌詞を見ると、主人公と『君』は、「世間が思う良い生活ではなく、二人が思う良い生活を追及していきたい」気持ちを持っていると考えられます。

 

 この部分の歌詞からは、草野さんの持つ「DIY精神」を感じますね。

 

 スピッツは、インディーズ時代は、パンクロックを演奏するパンクバンドでした。

 

 そのため、草野さんの根底には、「パンク精神」や「DIY精神」がある気がします。

 

 「DIY精神」というのは、「自分たちのことは、自分たちでやろう」という考え方のことです。

 

 パンクロッカーは、この精神を持っている人が多く、ただ曲を演奏するだけでなく、レーベルの運営も自分たちで行っているバンドが構います。

 

 なぜそんな大変なことをするのかというと、「お金がない」というのも理由の一つだと思いますが、そうした方が、「バンドの表現をそのままリスナーに伝えやすくなるから」です。

 

 様々な人を介してしまうと、「バンドメンバーがやりたかった形で音源をリリースできない」ということが起こりやすくなるので、それを避けるため、自分たちでレーベルもやるのでしょう。

 

 今のスピッツは、メジャーレーベルに所属しているので、スタッフが沢山いて、音源のリリースや宣伝活動については、他の人に任せているでしょう。

 

 ただ、草野さんはパンクあがりなので、メジャーになった今も、「DIYでやっている人たちに対する憧れ」や「そういう人たちに対するリスペクト」がありそうな気がします。

 

 そのため、『二人のかけらで 間に合わせてしまえ』という歌詞は、草野さんの隠れた「DIY精神」が表れた歌詞だなと思ったりします。

 

「ハチミツ」というタイトルについて

 一通り、歌詞の解釈をしてきましたが、ここからは、なぜこの曲が「ハチミツ」というタイトルになったのかについて考察していきます。

 

 このタイトルは、おそらく、英語で「恋人」のことを表す「honey(ハニー)」を日本語に訳したものでしょう。

 

 「honey(ハニー)」は、「ハチミツ」という意味もあるので、「甘い恋人の歌だから、ハチミツ」という感じでつけたのではないでしょうか。

 

 それを聞くと、「なんだ、そんな単純な理由か」と思う人もいるでしょう。

 

 ただ、よくよく考えてみると、これはかなりとんでもないことです。

 

 日本の曲で、恋人のことを歌って「honey」というタイトルをつけた曲や、「honey」がタイトルについている曲は、結構あります。

 

 ただ、恋人のことを歌って、「ハチミツ」というタイトルをつけている曲は、この曲以外には、ほとんどありません。

 

 おそらく、honeyの和訳で「ハチミツ」というタイトルだと、「あまりにストレートすぎてちょっと」と思う人が多いので、「ハチミツ」というタイトルの曲がほとんどないのだと思います。

 

 みんなが、「さすがにそれはちょっと」と思うようなことを、サラッとやってしまうところに、草野さんの凄さを感じます。

 

 そのため、「ハチミツ」というタイトルは、「単純だけど、実は非常に革新的なタイトル」と言うことができるのではないでしょうか。

 

 そして、「ハチミツ」というタイトルが、かわいらしい曲の雰囲気とばっちり合っているところも素晴らしいですね。

 

 

 

 

 

 

まとめ

 スピッツ「ハチミツ」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 この曲は、歌詞がかわいいですが、ただかわいらしいだけなく、背後に様々な意味が隠されていることがわかったと思います。

 

 また、歌詞の細部を見ていくと、草野さんの作詞家としての巧みさに唸らされる曲でもあります。

 

 「この曲の歌詞をじっくり聴いたことがなかった」という方は、この記事の内容を頭に入れつつ、改めてこの曲を聴き直してみてください。

 

 歌詞の深さに気づくと、この曲の魅力がさらに魅力的に感じると思います。

 

スピッツ「フェイクファー」の歌詞の考察

 スピッツ「フェイクファー」の歌詞の考察を行います。

 

 「フェイクファー」は、1998年にリリースされたアルバム「フェイクファー」に収録されている曲です。

 

 アルバムの最後に収録されていて、アルバムのタイトルトラックになっています。

 

 

 「フェイクファー」は、どこか切ないメロディの曲です。

 

 また、歌詞を見てみると、非常に意味深な歌詞となっています。

 

 そのため、今回は、「フェイクファー」の歌詞を考察して、歌詞に隠された意味を紐解いていきます。

 

 そして、一通り歌詞の考察した後、なぜこの曲が「フェイクファー」というタイトルになったのかについても、考えていきます。

 

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「フェイクファー」の歌詞の考察

柔らかな心を持った はじめて君と出会った

 まずは、冒頭の歌詞を見ていきましょう。

柔らかな心を持った はじめて君と出会った

少しだけで変わると思っていた 

夢のような 唇をすり抜ける くすぐったい言葉の

たとえ全てがウソであっても それでいいと

 

 この曲は、『柔らかな心を持った はじめて君と出会った』という歌詞から始まります。

 

 『君』は、この曲の主人公の恋人でしょうか?

 

 そして、『君』は、『柔らかな心』を持っていると言っています。

 

 おそらく、優しい心の持ち主なのでしょう。

 

 主人公は、『君』の優しい心に惹かれているのかもしれません。

 

 最初の歌詞を見ると、「おそらく、この曲はラブソングだろうな」と推測できます。

 

 ただ、歌詞を読み進めるうちに、「普通のラブソングと違う」ということが段々わかってきます。

 

 次に、『少しだけで変わると思っていた』とありますが、今の時点では、何が変わるのかわかりません。

 

 しかし、一通り歌詞を見ていくと、その意味がなんとなくわかってきます。

 

 その後、『夢のような 唇をすり抜ける くすぐったい言葉』とありますが、これはどういう言葉でしょうか?

 

 きっと、恋人動作がかわす、「大好き」とか「愛してる」といった、甘く、くすぐったい言葉のことでしょう。

 

 その後には、『たとえ全てがウソであっても それでいいと』と続きます。

 

 この歌詞を見ると、「あれ?」となります。

 

 これだと、「大好き」といった甘い言葉がウソでもいいということになります。

 

 普通は、恋人から「大好きだよ」と言われて、それがウソだったら、この上なく落ち込むでしょう。

 

 しかし、主人公は、「ウソだとしても、それでいい」と割り切っています。

 

 この部分の歌詞を見ると、「主人公と『君』は、普通の恋人関係ではないのでは?」と思えてきます。

 

君の名前探し求めていた

 さらに、歌詞を見ていきます。

憧れだけ引きずって でたらめに道歩いた

君の名前探し求めていた たどり着いて

 

 『憧れ』というのは、『君』に対する憧れでしょうか?

 

 ただ、その後の『引きずって』という言葉が気になります。

 

 『引きずって』という言葉は、どちらかというとネガティブな意味合いの言葉です。

 

 これだと、「君に対して憧れを持つこと」が、良くないことのように思えます。

 

 次に続く、『でたらめに道歩いた』というのも、結構ネガティブな表現です。

 

 でたらめに道を歩く時は、大抵、「もうどうでもいいや」という気分の時です。

 

 主人公は、そんな気持ちだったのでしょうか?

 

 その後の『君の名前探し求めていた』という歌詞も意味深で、謎が残る部分です。

 

「君を探し求めていた」ではなく、『君の名前探し求めていた』となっています。

 

「名前を探す」ということは、主人公は、『君』の名前を知らないのでしょうか?

 

 ただ、普通の恋人の場合、相手の名前を知らないことは、まずありません。

 

 しかし、この歌詞を見ると、「主人公は、もしかして、『君』の名前を知らないのでは?」と思えてきます。

 

 どんな事情で名前を知らないのか、この時点ではわかりませんが、この歌詞からも、「普通の恋人関係ではない雰囲気」が強く漂ってきます。

 

 そして、次に『たどり着いて』とあるので、主人公は『君の名前』を知ることができたということでしょうか?

 

 もしくは、『君の名前』を知ることができなかったけれど、「君と会うことができた」という意味かもしれません。

 

分かち合う物は 何もないけど

 続きの歌詞も見ていきます。

分かち合う物は 何も無いけど

恋のよろこびに あふれてる

 

 ここでは、『分かち合う物は 何も無いけど 恋のよろこびに あふれてる』という歌詞が出てきます。

 

 これを見て、頭の中に「?」が浮かびます。

 

 「相手と何かを分かち合う」ことは、恋愛の大きな魅力の一つです。

 

 相手と「楽しみ」を分かち合うと、一人で楽しむより、さらに楽しさが大きくなります。

 

 また、「悲しみ」を分かち合うと、一人で体験するより、悲しい気分を小さくできます。

 

 そして、同棲や結婚をして、「生活を分かち合う」と、さらに絆が深くなります。

 

 しかし、ここでは、『分かち合う物は 何も無い』と言っています。

 

 この歌詞を見ると、「この二人は、恋人関係ではない」ということが、なんとなくわかります。

 

 ただ、その後に、『恋のよろこびに あふれてる』と続きます。

 

 ここでも、頭の中に「?」が浮かびます。

 

 「恋人関係ではないのに、恋のよろこびにあふれてるって、どういうこと?」と混乱してきます。

 

 ただ、この後の歌詞を見ていくと、二人がどんな関係なのか、段々とわかってきます。

 

偽りの海に 体委ねて

 さらに歌詞を見ていきましょう。

偽りの海に 体委ねて

恋のよろこびに あふれてる

 

 『偽りの海に 体委ねて』という歌詞は、かなり意味深ですね。

 

 ここは、どういう意味なのでしょうか?

 

 『偽り』という言葉からは、何か「いけないことをしている」というニュアンスが漂います。

 

 そして、『体委ねて』というのは、「君と体の関係を持っている」といことだと思います。

 

 この歌詞を見ると、「恋人関係ではないけれど、体の関係を持っている」ということがわかります。

 

 これを見ると、「二人は、体だけの関係なのかな?」と思ってしまいます。

 

 ただ、その後に、『恋のよろこびに あふれてる』という歌詞が続きます。

 

 これを見ると、主人公は、「体だけの関係」と割り切っているのではなく、『君』を好きだという気持ちも持っているようです。

 

 なぜなら、体だけの関係の相手に対して、『恋』という言葉は使わない気がするので。

 

未来と別の世界

 曲の終盤部分の歌詞を見ていきます。

今から箱の外へ 未来と別の世界

見つけた そんな気がした

 

 

 この部分の歌詞も、かなり意味深ですね。

 

 ここまで歌詞を見てきて、「一体、主人公と『君』は、どんな関係なのか?」と気になっている人も多いかと思います。

 

 これについては、様々な解釈があるでしょう。

 

 ただ、自分としては、主人公と『君』は「不倫関係にある」と解釈しました。

 

 主人公は、『君』と体の関係を持っています。

 

 しかし、体の関係を持ちながらも、『分かち合うものは 何も無い』とも言っています。

 

 これは、普通の恋人の関係ではありません。

 

 二人は、「普段の生活は、全く別なので、生活を分かち合うことはない。ただ、時々体の関係を持っている」ようです。

 

 このようなことをふまえると、「二人は不倫関係にある」と解釈するのが、一番しっくりくるのではないでしょうか。

 

 そして、この曲の終盤部分の歌詞も、「不倫をにおわせる歌詞」となっています。

 

 『今から箱の外へ』という歌詞がありますが、『箱』とは、いったい何を意味しているのでしょうか?

 

 これはおそらく、「不倫をする時に過ごす密室」のことだと思います。

 

 不倫の関係だと、他者に知られないように会う必要があります。

 

 外で二人が一緒にいるところを誰かに見られると、まずいことになります。

 

 そのため、こっそりと密室で会うことになります。

 

 この歌詞では、その密室を『箱』と表現しているのだと思います。

 

 この後、『箱の外へ』と言っているので、主人公には、「密室だけで会うのではなく、外でも君と一緒に過ごしたい」という気持ちがあることがわかります。

 

 主人王は、「君が旦那と別れて、僕と結婚してくれたら、外で堂々と会える」と考えているのだと思います。

 

 次に、『未来』という歌詞が来ますが、『未来』というのは、「このまま君と不倫関係を続ける未来」のことでしょう。

 

 そして、『未来と別の世界』というのは、「君が旦那と別れて、僕と結婚してくれる世界」のことだと思います。

 

 主人公は、そんな世界を『見つけた』と言っています。

 

 ということは、「君が旦那と別れて、自分を選んでくれる」ことに確証を得たのでしょうか?

 

 しかし、その後の歌詞を見ると、「そんなことはない」とわかります。

 

 この歌詞の後は、『そんな気がした』と続きます。

 

 『気がした』という歌詞を見ると、主人公の「自身のなさ」がうかがえます。

 

 主人公はおそらく、「君が今の生活を捨てて、旦那と別れるという選択をすること」は、かなり厳しいと感じているはずです。

 

 しかしそれでも、主人公は、「君の優しい心が好きだ」という気持ちは捨てきれないようです。

 

 そのため、つい、「君が旦那と別れて、自分を選んでくれた後の世界」を想像してしまうのでしょう。

 

 「無理だとわかっているけれど、奇跡的に、その夢が叶ってくれないかな」という主人公の切ない気持ちが、『未来と別の世界 見つけた そんな気がした』という歌詞に込められているように思えます。

 

「フェイクファー」というタイトルについて

 歌詞を一通り見てきましたが、ここからは、「なぜこの曲がフェイクファーというタイトルになったのか」について考えてみましょう。

 

 そもそも、「フェイクファー」は、「化学繊維を用いて、本物の毛皮に似せて作ったもの」のことです。

 

 フェイクファーは、毛皮と似ていますが、毛皮ではありません。

 

 そういう意味では、「偽物の毛皮」と言うこともできます。

 

 そして、フェイクファーは、触ると温かさを感じますが、「リアルファー(本物の毛皮)」と比べると、どうしても温かさが劣ります。

 

 そして、その温かさも、リアルファーと比べると、どこか「人工的な温かさ」になっています。

 

 リアルファーの方は、触ると「自然な温かさ」を感じますが、フェイクファーの方は、「温かいんだけど、人工的で、どこか不自然だよね」と感じたりします。

 

 草野さんは、「リアルファーとフェイクファーの温かさの違い」に着目して、この曲に「フェイクファー」というタイトルをつけたのではないかと思います。

 

 おそらく、「好きな人と結婚して、結婚相手と触れ合うこと」を「リアルファー」と考えたのでしょう。

 

 結婚相手と抱き合うと、「相手の体の温かさ」を感じます。

 

 そして、相手が「自分のことを好きでいてくれる」とわかっているので、「自然な温かさ」を感じることができます。

 

 不倫相手と抱き合う場合も、抱き合えば、当然「相手の体の温かさ」を感じます。

 

 しかし、相手が「自分のことを好きでいてくれる」かどうか、わかりません。

 

 好きではないのに、性欲を満たすためだったり、刺激を求めるために、抱き合っている可能性もあります。

 

 そうなると、「相手の温かさを感じるけど、どこか不自然な感じがする」と思ってしまうでしょう。

 

 やはり、「相手の気持ちが偽物である場合」や「相手の気持ちが偽物の可能性がある場合」というのは、どうしても「本物の温かさ」は感じられないものです。

 

 そういった「不倫で感じる偽物の温かさ」を表すのに適した言葉を考えた時、「フェイクファーが良い」と思いついて、このタイトルをつけたのではないかと思います。

 

 この歌詞をじっくり見てみると、「フェイクファー」というタイトルは、「絶妙だな」と感じます。

 

 「不倫で感じる偽物の温かさ」を一言で表すのに、これほど適した言葉は他にないのではないでしょうか。

 

 この歌詞に対して、「フェイクファー」というタイトルをつけられる草野さんのセンスに脱帽です。

 

 

 

 

 

まとめ

 スピッツ「フェイクファー」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 改めてじっくり見てみると、「非常に深い歌詞だ」と感じた人が多いと思います。

 

 どこか文学的な香りも漂う歌詞ですね。

 

 この歌詞は、様々な解釈が可能ですが、前述のように、私は、「この二人は不倫関係にある」と解釈しました。

 

 そして、この曲を「不倫関係にある二人の歌」と解釈すると、よく意味がわからなかった部分の歌詞の意味も見えてきたりします。

 

 前にも述べたように、冒頭で『柔らかな心を持った』という歌詞が出てきます。

 

 これは、「君の外見や体だけでなく、優しい心の部分に惹かれて、好きになった」ということだと思います。

 

 ただ、その後、『少しだけで変わると思っていた』と続きます。

 

 これは、「君を好きだという気持ちも、“所詮は不倫関係だから”と割り切れば、少し経てば変わって、なくなると思っていた」という意味ではないかと思います。

 

 ただ、この歌詞は、「過去形」で書かれているという点に注目してみてください。

 

 「過去形になっている」点が、非常に重要です。

 

 過去形で書かれているということは、「変わると思っていたけれど、結局変わらなかった」という意味が暗に含まれています。

 

 そのため、主人公は、不倫関係だと割り切ろうとしても、「君の優しい心が好きだ」という部分は、結局、捨てきれなかったのだと思います。

 

 そして、冒頭部分には、『夢のような 唇をすり抜ける くすぐったい言葉の たとえ全てがウソであっても それでいいと』という歌詞も出てきました。

 

 これも、「二人は不倫関係にある」と解釈すると、その意味がわかってきます。

 

 『君』は、主人公と夜を共にする時に、「大好き」「愛してる」といった甘い言葉を言っていたのでしょう。

 

 しかし、主人公は、その言葉を「本心ではないだろうな」とわかっていたはずです。

 

 ただ、それでも、「その言葉がウソだったとしても、君と触れ合えることが嬉しい」と思って、不倫関係を続けていたのでしょう。

 

 そして、『君の名前探し求めていた』という部分も、謎が残る歌詞でした。

 

 しかし、「不倫関係にいる二人の歌である」と解釈すると、その謎も解けてきます。

 

 不倫をしている女性で、不倫相手に自分の素性をわからせないようにするため、「本名を隠す人」は結構います。

 

 そのため、『君』も、もしかすると、主人公に「本名を明かしていなかった」可能性があります。

 

 不倫をしている人だと、「苗字は隠して、下の名前だけ教える」というパターンもあります。

 

 主人公は、もしかすると「君の下の名前しか知らない」のかもしれません。

 

 そして、その下の名前を教えてもらったとしても、主人公は、「本当の名前なのか?」と疑ってしまうはずです。

 

 そういう状態であれば、『君の名前探し求めていた』という歌詞も納得ができます。

 

 『君の名前探し求めていた』という歌詞は、主人公が「君の本当の名前が知りたい」と言っているという意味ではないでしょうか。

 

 また、『分かち合う物は 何も無いけど 恋のよろこびに あふれてる』という歌詞も、「不倫の歌」と解釈すると、謎が解けてきます。

 

 不倫関係の二人であれば、生活を分かち合ってはいません。

 

 そうなると、当然、日頃から、楽しさや悲しさも分かち合ってはいません。

 

 しかし、たまに合って体を重ねていると、相手のぬくもりを感じ、その瞬間だけは「恋のよろこび」を感じられたのでしょう。

 

 この部分の歌詞は、そういった意味だと思います。

 

 という感じで、ここまで、「不倫の歌である」という前提で、色々と歌詞の解釈を進めてきました。

 

 「不倫の歌」と解釈すると、歌詞に納得できる部分が多かったのではないでしょうか。

 

 ただ、もちろん、この歌が「不倫の歌」だと確定している訳ではありません。

 

 あくまで、私の解釈です。

 

 草野さん自身、明確に「不倫をしている二人」をイメージしてこの歌詞を書いたとは限れません。

 

 しかし、歌詞を見ていると、ラブソングであるものの、「不穏な空気」がそこかしこに漂っていることは事実です。

 

 そういったことを考えると、仮に不倫を想定して書かれた曲でなかったとしても、「禁断の恋」について歌っている曲であることは確かでしょう。

 

 もし、この曲の歌詞をじっくり聴いたことがなくて、「普通の恋人同士のラブソング」と思って聴いていた方がいたら、この記事の内容を頭に入れつつ、曲を聴き直してみてください。

 

 そうすると、曲のイメージがガラッと変わって、面白いと思います。

 

スピッツ「運命の人」の歌詞の考察

 スピッツ「運命の人」の歌詞の考察を行います。

 

 「運命の人」は、1997年にリリースされた、スピッツ17枚目のシングルです。

 

 オリジナルアルバムでは、「フェイクファー」に収録されています。

 

 

 また、ベストアルバムにも収録されています。

 

 

 この曲は、パッと聴いた感じだと、「ポップなラブソング」といった印象です。

 

 ただ、歌詞を見てみると、結構抽象的で、意味がわかりづらかったりします。

 

 そこで今回は、この曲の歌詞を考察して、隠された意味を探っていきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、草野マサムネです。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

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「運命の人」の歌詞の考察

バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日

 まずは、冒頭の歌詞を見ていきます。

バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日

でもさ 君は運命の人だから強く手を握るよ

ここにいるのは 優しいだけじゃなく 偉大な獣

 

 冒頭から、なかなかインパクトのある歌詞が出てきます。

 

 『バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日』というのは、どういう意味でしょうか?

 

 これは、「ふとした瞬間、ひらめいた」という意味だと思います。

 

 人は、日々生活をしながら、頭の中では何か考えています。

 

 何気ない日常の中で、ふと、「これだ」とひらめく瞬間は、たまにあります。

 

 この主人公も、日曜日にバスに乗っている中で、「あ、あの人が、自分にとって運命の人だ!」とひらめいたのだと思います。

 

 そして、『でもさ 君は運命の人だから強く手を握るよ』とあるので、その人は、一緒にバスに乗っていて、隣にいるのかもしれません。

 

 ただ、ここで気になるのは、『でもさ』と、否定的な言葉から始まっているところです。

 

 「運命の人を見つけたのに、なぜ、『でも』と言っているんだろう?」と不思議になりますが、この先の歌詞も見ていくと、なんとなくその意味がわかってきます。

 

 その次の、『ここにいるのは 優しいだけじゃなく 偉大な獣』というのは、どういう意味でしょうか?

 

 主人公自身が、「自分は普段は優しいけれど、獣のような男らしい部分もあるんだぜ」と言っているのでしょうか?

 

 または、『君』のことを『偉大な獣』と言っている可能性もあります。

 

 普通は、歌詞で、女性のことを『獣』とは言いませんが、草野さんの歌詞なので、女性のことを言っている可能性も十分にあります。

 

 「しっかりと芯があって、獣のような強さのある、偉大な女性」と言っているのかもしれません。

 

 ただ、この部分は、主人公自身のことを言っているのか、『君』について言っているのか、手掛かりが少なく、はっきりわかりません。

 

愛はコンビニでも買えるけれど もう少し探そうよ

 さらに歌詞を見ていきます。

愛はコンビニでも買えるけれど もう少し探そうよ

変な下着に夢がはじけて たたきあって笑うよ

余計な事は しすぎるほどいいよ

扉開けたら

 

 『愛はコンビニでも買えるけれど もう少し探そうよ』という歌詞は、なかなか意味深ですね。

 

 これはどんな意味なのでしょうか?

 

 『愛はコンビニでも買える』というのは、「寂しいから、とりあえず、そこまで好きでもない人と付き合うこと」を指しているのだと思います。

 

 恋愛というのも、しようと思えば、手軽にすることもできます。

 

 大好きな相手が見つからなくても、「まあ悪くないかな」という相手を見つけて、「付き合ってください」というと、付き合えたりします。

 

 しかし、この歌詞では、そういう「手軽な恋愛」をしようとしている人に対して、『もう少し探そうよ』と言っているのだと思います。

 

 手近な、そこまで好きではない人と付き合うより、「運命の人を探して、その人と付き合おう」と言っている気がします。

 

 次の『変な下着に夢がはじけて たたきあって笑うよ』という歌詞も、どういう意味なのか、わかりにくかったりします。

 

 自分は、この歌詞は、「運命の人と、一夜を共に過ごした時のこと」を言っているのだと思います。

 

 「運命の人」と一夜を過ごすことになった時、主人公か『君』が変な下着を履いていたので、つい笑ってしまい、笑いながらたたきあったりしていたということでしょう。

 

 それを考えると、この二人は、「一夜を共にする機会はあったが、最後まではいっていない」と考えることができます。

 

 そして、『余計なことは しすぎるほどいいよ』というのも、非常にインパクトのある歌詞です。

 

 普通、学校や社会では、「余計なことはなるべくするな」と教えられます。

 

 しかし、ここでは、それとは真逆で、「しすぎるほどいい」と言っています。

 

 こういう部分に、「常識から外れたことを言ってやろう」という、草野さんの隠れたパンク精神を感じます。

 

 そして、よくよく考えると、「この言葉も、あながち間違いじゃないな」と感じます。

 

 人生の中で、「色々と余計なことをしているうちに、自分にとって大切なものが見つかった」ということは、沢山あります。

 

 例えば、「ロックバンドを組んで、バンドに熱中する」というのも、多くの大人からしたら、「余計なこと」になります。

 

 「バンド活動なんて、余計なことをしていないで、真面目に勉強して、就職したら?」と言う大人は沢山います。

 

 しかし、草野さん自身、ロックに出会って、バンド活動という「余計なこと」をしたからこそ、「音楽にずっと浸れる生活」を手に入れることができました。

 

 そういったことを考えると、「余計なことをする」というのも人生の中では、実は重要なのだと思います。

 

 この歌詞には、「余計なことをするからこそ、運命の人や、運命的な出来事に出会うことができる」という草野さんからのメッセージが含まれていると思っています。

 

 そして、『扉開けたら』という歌詞は、「余計なことをしているうちに、運命の扉が開くこともあるよ」ということではないでしょうか。

 

1回目のサビの歌詞

 1回目のサビの歌詞も見ていきます。

走る 遥か この地球(ほし)の果てまで

悪あがきでも 呼吸しながら 君を乗せて行く

アイニージュー あえて 無料(タダ)のユートピアも

汚れた靴で 通り過ぎるのさ

自力で見つけよう 神様

 

 『走る 遥か この地球(ほし)の果てまで』というのは、「全力で、自分のやりたいことをやる」といった意味でしょうか。

 

 ただ、『悪あがきでも』という歌詞もあるので、この主人公は、「この世の中で、自分のやりたいことをやり続けるのは難しい」とわかっているようです。

 

 『呼吸しながら』というのは、「厳しい世の中でも、なんとか生きる」ということだと思います。

 

 そして、『君を乗せて行く』というのは、「運命の人である『君』と一緒に生きる」ということでしょう。

 

 次に、『あえて 無料(タダ)のユートピアも 汚れた靴で 通り過ぎるのさ』というインパクトのあるフレーズが来ます。

 

 これは、どういう意味でしょうか?

 

 「ユートピア」は、日本語に直すと「理想郷」です。

 

 もっと砕けた言い方をすると、「理想的な世界」のことです。

 

 『無料(タダ)のユートピア』というのは、「誰かから、理想的な世界が提示されること」という意味だと思います。

 

 この曲に当てはめると、「誰かから、理想的な人を無料で紹介される」という感じでしょうか。

 

 それは、「凄くおいしい話」だと思います。

 

 しかし、この主人公は、『汚れた靴で 通り過ぎる』と言っています。

 

 それはつまり、「誰かからおいしい話を提示されても、それに乗らない」ということです。

 

 なぜなのでしょうか?

 

 その先の歌詞を見ると、なんとなくわかってきます。

 

 次の歌詞には、『自力で見つけよう』とあります。

 

 これはつまり、「どんな素敵な人でも、自力で見つけないとダメ。他人から提示されても意味がないよ」ということです。

 

 このあたりに、草野さんの「隠れたパンク精神」を感じます。

 

 どんな素敵な人との出会いでも、「他人から紹介されると、いまいち心が盛り上がらない」ということがあります。

 

 例えば、お見合いで、素敵な相手と出会ったとします。

 

 ただ、せっかくお見合いで素敵な相手と出会えても、「なんとなく心が盛り上がらない」と感じる人が多いです。

 

 なぜ心が盛り上がらないのかというと、おそらくそれは、「自分で見つけていないから」です。

 

 やはり、恋愛において特に心が盛り上がるのは、「自分で素敵な人を見つけた時」です。

 

 人間、自分で素敵な人を選んだ時、心は非常にときめきます。

 

 そのため、草野さんは、この歌詞で「自分で選んで、その心のときめきを感じよう」と言っているのだと思います。

 

 そして、『神様』という歌詞は、運命の人と、この先、うまくいくように、神様に願っているのでしょう。

 

悲しい話は 消えないけれど もっと 輝く明日!!

 さらに歌詞を見ていきましょう。

晴れて 望み通り投げたボールが 向う岸に届いた

いつも もらいあくびした後で 涙目 茜空

悲しい話は 消えないけれど もっと 輝く明日!!

 

 『晴れて 望み通り投げたボールが 向う岸に届いた』というのは、「いつもはなかなか届かなかったのに、今日は届いた」ということでしょう。

 

 この部分からは、「何か、今後、うまくいきそうな予感」が漂います。

 

 そして、『いつも もらいあくびした後で 涙目 茜空』というのは、「もらいあくびして、涙が出て、目を開けたら茜空が見えた」ということでしょう。

 

 この部分は、「あくび」ののんきな感じと、「茜空」のセンチメンタルな感じが同居しています。

 

 次の、『悲しい話は 消えないけれど もっと 輝く明日!!』というのは、「悲しいことは沢山あるけど、それでも、輝く明日に向かって進む」という前向きな姿勢を感じます。

 

 なんとなく、主人公は、「運命の人を見つけたことで、前向きになっている」という印象を受けます。

 

2回目のサビの歌詞

 2回目のサビの歌詞も見ていきます。

走る 遥か この地球(ほし)の果てまで

恥ずかしくても まるでダメでも かっこつけて行く

アイニージュー いつか つまづいた時には

横にいるから ふらつきながら

二人で見つけよう 神様

 

 『恥ずかしくても まるでダメでも かっこつけて行く』という歌詞からは、「好きな人の前では、かっこつけたい」という主人公の気持ちが見えます。

 

 『つまづいた時には 横にいるから』という歌詞から、「『君』が大変な時でも、側にいるよ」と主人公が思っていることがわかります。

 

 『ふらつきながら 二人で見つけよう』というのは、「二人で頑張って試行錯誤して、解決策を見つけよう」ということだと思います。

 

 ここでも、「誰かに解決策を教えてもらうのではなく、二人の力を使って、自力で見つけようとしている」のでしょう。

 

 やはり、誰かから、「こうした方がいいよ」と解決策を教えてもらっても、そのまま自分達に当てはめると、どうもしっくりこなかったりします。

 

 また、他人のやり方というのは、どうも自分と合わないということもあります。

 

 それならば、「大変かもしれないけど、自分達で解決策を見つけた方がいい。その方が納得できる」と、この主人公は思っているのでしょう。

 

ブリッジの部分の歌詞

 ブリッジの部分の歌詞も見ていきます。

神様 神様 神様 君となら...

このまま このまま このまま 君となら...

 

 この部分は、「『君』と、この先もうまくいくこと」を神様に祈っています。

 

 これを見ると、「せっかく運命の人を見つけたのだから、なんとかうまくいってほしい」という主人公の強い気持ちを感じます。

 

 

 

 

 

まとめ

 スピッツ「運命の人」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 歌詞を一通り見ると、「運命の人を見つけたこと」に対する、主人公の高揚感を強く感じます。

 

 ただ、注目したい点は、この歌詞には、「『君』の気持ち」が全く出てきていないことです。

 

 また、「『君』の反応」も、ほとんど歌詞に出てきません。

 

 そのため、相手がどう思っているのか、はっきりわからないままです。

 

 ただ、この歌詞の情報から推測すると、『君』は、主人公のことを「友達以上、恋人未満」くらいに思っていそうな感じがします。

 

 多少の好感は持っていそうですが、「悪くはないけど、付き合う程ではないかな」という感じかもしれません。

 

 そう考えると、この曲は、「主人公が、勝手に相手のことを『運命の人だ』と思い込んで、暴走しているラブソング」のような気がします。

 

 そうなると、一歩間違うとストーカーになりそうな感じもして、「大丈夫かな?」と少し不安になる部分もありますね。

 

 そして、冒頭の歌詞に出てきた、『でもさ』という部分を見ると、主人公は、「『君』は、僕のことを、そこまで好きになってくれてはいない」と薄々勘づいているのかもしれません。

 

 この、『でもさ』は、「君は僕のことを運命の人だとは思っていない。でもさ、君は僕の運命の人だから」という意味かもしれません。

 

 そうなると、「もっと僕のことを好きにさせてやる」と強引な手段に出そうな雰囲気もあって、ちょっと怖さもあります。

 

 ただ、これはあくまで、私自身の解釈です。

 

 歌詞の解釈の仕方によっては、「運命の人と過ごす、幸せなラブソング」と受け取ることも可能です。

 

 歌詞を見て、「これは、運命の人と過ごす、幸せなラブソングだ」と思った人は、そう解釈して楽しめばいいと思います。

 

 無理に、「主人公が暴走しているラブソング」と思う必要はありません。

 

 なんとなく、草野さんは、「運命の人と過ごす、幸せなラブソング」という解釈と、「主人公一人が勝手に盛り上がって暴走しているラブソング」という両方の解釈ができるように作っている気がします。

 

 もしそうだとしたら、「さすが草野さん、歌詞の作り方がうまいな」と感心してしますね。

 

 そして、じっくりこの歌詞を見ていると、「運命の人というのは、見つけるだけで物凄いパワーが出てくるものだな」ということを改めて感じます。

 

 運命の人というのは、ある意味、「見つけられただけで幸せ」なのかもしれません。

 

 もちろん、その人と付き合えたら、さらに幸せになれると思います。

 

 しかし、うまくいかなかったとしても、運命の人を見つけただけでも幸せな気分になりますし、前向きなパワーも出てきます。

 

 そういう意味では、運命の人というのは、「見つけることができれば、仮にうまくいかなかったとしても、十分に価値がある」と言えるのかもしれません。

 

 

スピッツ「君が思い出になる前に」の歌詞の考察

 スピッツ「君が思い出になる前に」の歌詞の考察を行います。

 

 この曲は、1993年に、アルバムからのリカットシングルとしてリリースされました。

 

 オリジナルアルバムでは、1993年にリリースされたアルバム「Crispy!(クリスピー)」に収録されています。

 

 

 また、ベストアルバムにも収録されています。

 

 

 「Crispy!」がリリースされた当時、スピッツは「売れたい」ともがいていました。

 

 そのため、「Crispy!」というアルバムはスピッツの中では、ポップでわかりやすい曲が多く収録されています。

 

 この、「君が思い出になる前に」も、スピッツとしては、かなりわかりやすい曲になっています。

 

 なんとなく、「売れ線を狙って作った曲」という印象があります。

 

 ただ、だからといって、「良くない曲か」と言われたら、全くそんなことはありません。

 

 とても完成度が高く、素晴らしい曲だと思います。

 

 歌詞も、スピッツの中では、だいぶわかりやすくなっています。

 

 ただ、よくよく見ていくと、「草野さんならではの表現」が散りばめられていて、わかりやすい中にも深みのある歌詞となっています。

 

 そこで今回は、一見わかりやすい歌詞の中に隠された意味を探っていきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、草野マサムネです。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

「君が思い出になる前に」の歌詞の考察

1番のAメロの歌詞

あの日もここで はみ出しそうな 君の笑顔を見た

水の色も風のにおいも 変わったね

明日の朝 僕は船に乗り 離ればなれになる

夢に見た君との旅路は かなわない

 

 最初の『はみ出しそうな 君の笑顔』というのは、なかなか面白い表現です。

 

 これは、「顔からはみ出してしまうくらいのインパクトがある、素敵な笑顔」という意味ではないかと思います。

 

 続く、『水の色も風のにおいも 変わったね』というのは、「今までと生活が変わって、物事の感じ方が変わってしまった」ということではないでしょうか。

 

 『明日の朝 僕は船に乗り 離ればなれになる』ということから、この主人公の男性は、明日、船に乗って、遠いところに行ってしまうようです。

 

 そして、『君』とも離ればなれになってしまうとのことです。

 

 『夢に見た君との旅路は かなわない』とは、どういう意味でしょうか?

 

 これは、「『君』と夢見た将来は、もう実現することができなくなった」ということではないかと思います。

 

 1番のAメロの歌詞を見ただけで、「男女の別れ」の雰囲気が強く漂ってきます。

 

1番のBメロの歌詞

きっと僕ら 導かれるままには

歩き続けられない 二度と これからは

 

 『導かれるまま』とありますが、これは、誰の導きのことを指しているのでしょうか?

 

 これはおそらく、「神の導き」だと思います。

 

 この主人公はきっと、「運命の人と会って、神に導かれるまま、その人と結ばれる」ことを願っていたのでしょう。

 

 しかし、別れが来て、「神の導くままに進むことができない」と強く感じたのでしょう。

 

1番のサビの歌詞

君が思い出になる前に もう一度笑ってみせて

優しいふりだっていいから 子供の目で僕を困らせて

 

 ここの部分も、なんとも切なくなる歌詞です。

 

 『君が思い出になる前に』というのは、「離れ離れになって、会えなくなる前に」ということでしょう。

 

 主人公は、直接会うことができるうちに、目の前で、笑ってほしいと願っています。

 

 『優しいふりだっていいから』というのも、なんとも胸をしめつけられるようなフレーズですね。

 

 この主人公は、もう『君』が、自分に対して恋愛感情が無くなっていることをよくわかっています。

 

 ただ、それでもなお、「優しく接してほしい」と思っています。

 

 それが本心ではなかったとしても、『君』が優しく接してくれるだけで嬉しいのでしょう。

 

 『子供の目で僕を困らせて』という歌詞を見ると、『君』は、きっと、無邪気で、純粋な心を持っているのでしょう。

 

 そして、主人公は、そういうところが好きだったのだと思います。

 

 『子供の目で僕を困らせて』というのは、「もう一度、自分の前で、無邪気な姿を見せてほしい」ということだと思います。

 

2番のAメロの歌詞

ふれあう度に嘘も言えず けんかばかりしてた

かたまりになって坂道を 転げてく

追い求めた影も光も 消え去り 今はただ

君の耳と鼻の形が 愛おしい

 

 この部分に、「二人がうまくいかなくなった原因」が書かれています。

 

 『ふれあう度に嘘も言えず けんかばかりしてた』ということなので、おそらく二人は、自分に素直で、「優しい嘘」を言うことが苦手だったのではないでしょうか。

 

 恋人同士でも、違う人間ですから、どうしても「合わない部分」も出てきます。

 

 例えば、彼女が料理を作って、彼女自身は「この味は凄くおいしい」と思っていたとします。

 

 しかし、彼は「あまりおいしくない」と思うこともあります。

 

 そんな時、「優しい嘘」をついて、「おいしいよ」と言える人もいます。

 

 ただ、この主人公と『君』は、それができなかったのだと思います。

 

 「優しい嘘」であっても、それは自分の本心を偽ることですから、苦しいことです。

 

 お互いに「優しい嘘」が言えずに、本音を言い合っていたため、けんかが絶えなかったのでしょう。

 

 『かたまりになって坂道を 転げてく』というのは、「二人の関係がどんどんうまくいかなくなる」ことの例えだと思います。

 

 『追い求めた影も光も 消え去り』というのは、「二人で夢見ていた将来の姿も、もう想像できなくなった」ということでしょう。

 

 そして、『君の耳と鼻の形が 愛おしい』という歌詞に、草野さんの持つ「変態性」や「フェチな部分」が垣間見えます。

 

 誰でも、「恋人の、ここが好き」という体の部分があると思います。

 

 ただ、「耳と鼻の形」と聞くと、「数ある体のパーツの中で、そこが好きなの?」と意外に感じてしまいます。

 

 こういう歌詞を見ると、「やっぱり草野さんは変態だな」と思ってしまいますね(笑)。

 

2番のBメロの歌詞

忘れないで 二人重ねた日々は

この世に生きた意味を 越えていたことを

 

 『二人重ねた日々』という歌詞がありますが、これはどういう意味でしょうか?

 

 ぱっと思いつくのは、「唇を重ねた」という意味と、「体を重ねた」という意味です。

 

 そう考えると、『二人重ねた日々』というのは、「恋人として、唇や体を重ねた日々」と言い換えることができます。

 

 ただ、こう言うと、生々しさが出てきてしまいます。

 

 それに対して、『二人重ねた日々』と言うと、だいぶ生々しさが薄れます。

 

 性的な内容が含まれた歌詞になっていますが、それを、生々しさのさないきれいな言葉で表現できるのは凄いと思います。

 

 また、『重ねた』という言葉には、体だけでなく、「心を重ねた」という意味も含まれているでしょう。

 

 多くの人が、恋人と体を重ねることで、「二人の心が通じ合った」という瞬間を体験していると思います。

 

 そういった瞬間のことも、きっとこの歌詞に入っているはずです。

 

 その証拠に、その後に、『この世に生きた意味を 越えていた』という歌詞が続きます。

 

 これは、「彼女と、体も心も通じ合って、この世に生きた意味を超えるような素晴らしい体験をした」ということです。

 

 「体だけの関係」では、なかなかここまでの気持ちにはなりません。

 

 そのため、きっと『重ねた』という歌詞には、体だけではなく、「心」も含まれています。

 

 この部分は、本当に深い歌詞ですね。

 

 改めて、草野さんは、本当に優れた作詞家だなと感心します。

 

2番のサビの歌詞

君が思い出になる前に もう一度笑ってみせて

冷たい風に吹かれながら 虹のように今日は逃げないで

 

 『冷たい風に吹かれながら』とありますが、冷たい風が吹いているところに、主人公の切ない心情が表現されているように思います。

 

 次の、『虹のように今日は逃げないで』という歌詞は、美しさとはかなさが両方あって、とても良い歌詞だと感じます。

 

 「虹」は、とても美しいものですが、つかむことはできません。

 

 そして、いつの間にか、消えていってしまうものです。

 

 この歌詞では、『君』のことを、「虹」に例えています。

 

 『君』を見て、主人公は、「虹のように美しいな」と感じています。

 

 しかし、残念ながら、二人が別れることは決まっています。

 

 そのため、『君』は、いずれ、虹のように、主人公の目の前から消えていってしまいます。

 

 主人公は、そのことを、よくわかっています。

 

 しかし、それがわかっていてもなお、『虹のように今日は逃げないで』と願っています。

 

 

 

 

 

まとめ

 スピッツ「君が思い出になる前に」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 この曲の歌詞は、スピッツの中では、だいぶわかりやすい歌詞となっています。

 

 ただ、それでも、「草野さんならではの表現」が所々に散りばめられていて、歌詞のクオリティの高さに驚かされます。

 

 「美しさと切なさが同居した歌詞」と言えます。

 

 『君が思い出になる前に』という言葉は、言い換えると、「君ともう会えなくなる前に」ということです。

 

 ただ、「君ともう会えなくなる前に」という歌詞にしてしまうと、凡庸で、あまり印象に残りません。

 

 しかし、それを『君が思い出になる前に』という表現にすることで、すごく詩的な表現になって、強く印象に残ります。

 

 こういった、言葉選びのセンスの良さは、「さすが草野さんだな」と感心してしまいます。

 

 自分としては、この曲は、「同棲を解消した恋人の歌」のように聴こえました。

 

 歌詞を見ると、別々に住んでいたのではなく、一緒に生活を共にしていたような印象を受けました。

 

 この辺の感じ方は人それぞれだと思いますが、自分としては、この二人は、「浅い関係の恋人」というよりも、「同棲をして、結婚も考えていたくらい深い関係」だったのではないかと思います。

 

 そこまで考えていたのに、うまくいかなかったという切なさを、この歌詞からは感じます。

 

 このように、素晴らしい歌詞の曲ですので、この曲の歌詞をじっくり聴いたことがなかったという方は、歌詞に注意して、聴き直してみてください。

 

 そうすると、この歌詞の深さに、改めて気づくと思います。