しょうの雑記ブログ

ファッション、音楽、物事の考え方、おすすめの商品、食べ物、プロ野球などについて書いたブログです。

スピッツ「楓」の歌詞の考察

 スピッツ「楓」の歌詞の考察を行います。

 

 「楓」は、1998年にリリースされた、スピッツ19枚目のシングルです。

 

 オリジナルアルバムでは、1998年にリリースされた「フェイクファー」に収録されています。

 

 

 また、ベストアルバムにも収録されています。

 

 

 この曲に対して、「切ないラブソング」という印象を持っている人は多いと思います。

 

 それは、間違っていません。

 

 しかし、歌詞をよく見てみると、単なる「切ないラブソング」という言葉では片づけられない、深い意味が隠されています。

 

 そこで今回は、この曲の歌詞について、じっくりと考察を行っていきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、草野マサムネです。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見ることができます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

「楓」の歌詞の考察

1番のAメロの歌詞

忘れはしないよ 時が流れても

いたずらなやりとりや

心のトゲさえも 君が笑えばもう

小さく丸くなっていたこと

 

 最初に、『忘れはしないよ』という歌詞が来ているので、「これは、過去のことを歌っている」ということがわかります。

 

 この曲の主人公には、『君』という大切な人がいたようです。

 

 その人と、『いたずらなやりとり』をしていました。

 

 そして、主人公の心の中には『トゲ』があったようですが、その人とやりとりをする中で、そのトゲがまるくなっていくような感覚を覚えたようです。

 

1番のBメロの歌詞

かわるがわるのぞいた穴から

何を見てたかなぁ?

一人きりじゃ叶えられない

夢もあったけれど

 

 この部分は、抽象的で、少しわかりにくい歌詞です。

 

 そのため、自分なりの解釈を加えていきます。

 

 『かわるがわるのぞいた穴から 何を見てたかなぁ?』という歌詞がありますが、一体何を見ていたのでしょうか?

 

 これは、そこから「二人の将来」を見ていたのではないかと思います。

 

 主人公と君は、恋人同士だったのでしょう。

 

 そして、二人で未来を想像して、「将来、こうなれたらいいね」ということを言い合っていたのではないでしょうか。

 

 その中には、『一人きりじゃ叶えられない夢』もあったようです。

 

 これは、どういうことでしょうか?

 

 おそらく、「結婚したら、こんな家に住みたいね」とか、「将来、一緒にこういうお店をやりたいね」といった話をしていたのではないでしょうか。

 

1番のサビの歌詞

さよなら 君の声を 抱いて歩いていく

ああ 僕のままで どこまで届くだろう

 

 『さよなら』という歌詞があるので、おそらく、「君」との恋は終わってしまったのでしょう。

 

 ただ、『君の声を 抱いてあるいていく』という歌詞もあるので、恋が終わったとしても、「君」への気持ちは、まだ心のどこかに残っているようです。

 

 その後の、『僕のままで どこまで届くだろう』とは、果たしてどんな意味なのでしょうか?

 

 この時点では、まだはっきりわかりません。

 

 しかし、この後、じっくり歌詞を聴いていくと、この意味が少しずつわかってきます。

 

2番のAメロの歌詞

探していたのさ 君と会う日まで

今じゃ懐かしい言葉

ガラスの向こうには 水玉の雲が

散らかっていたあの日まで

 

 この部分も、抽象的で、なかなか解釈が難しいところです。

 

 ただ、自分なりに解釈してみます。

 

 『探していたのさ 君と会う日まで』とありますが、一体何を探していたのでしょうか?

 

 歌詞には書かれていないので、はっきりわかりません。

 

 その後に、『今じゃ懐かしい言葉』という歌詞が続きますので、何らかの言葉を探していたと思われます。

 

 自分が思うに、おそらく、「運命の人」といったような言葉を探していたのではないかと思います。

 

 「君」と出会った時に、おそらく主人公は、「この人は運命の人だ」と思ったのでしょう。

 

 しかし、もう恋は終わってしまったので、今は、「『運命の人』という言葉が懐かしい」と感じているのかもしれません。

 

 『ガラスの向こうには 水玉の雲が 散らかっていた』という歌詞は、草野さんらしい表現だと思います。

 

 『水玉の雲』というのは、おそらく、「点々になっている雲」のことでしょう。

 

 それを、『水玉の雲』というかわいい言葉に変換できるのは、草野さんならではのセンスだと感じます。

 

 また、『散らかっていた』という表現も独特です。

 

 これは、「雲が広がっていた」という意味だと思います。

 

 ただ、『散らかっていた』という歌詞にしたのは、失恋した主人公の気持ちを反映したものではないでしょうか。

 

 感傷的な歌なので、あえて、『散らかっていた』というネガティブな言葉にしたのだと思います。

 

 『あの日』というのは、「君と別れた日」ということでしょうか?

 

 おそらく、君と別れることが決まった日、空には水玉模様の雲が広がっていたのでしょう。

 

2番のBメロの歌詞

風が吹いて飛ばされそうな

軽いタマシイで

他人と同じような幸せを

信じていたのに

 

 『風が吹いて飛ばされそうな 軽いタマシイ』というのは、面白い表現ですね。

 

 これは、「失恋して、心がからっぽになっている」という意味でしょう。

 

 「心が空っぽになって、軽くなってしまったので、風が吹いたら飛んでいきそうだ」ということだと思います。

 

 「魂」ではなく『タマシイ』という表記になっているのは、カタカナにすることで「軽さ」を表現しているのかもしれません。

 

 あえて、「心」ではなく、「タマシイ」という言葉にしたところに、草野さんのセンスを感じます。

 

 『他人と同じような幸せ』というのは、どのような幸せのことでしょうか?

 

 「誰もが夢見る幸せ」という意味で、『「君」と結婚して、家庭を持って、子供も持つ」ということではないかと思います。

 

 しかし、「君」とは別れてしまったので、『信じていた』けれど、それは叶わなかったということでしょう。

 

2番のサビの歌詞

これから 傷ついたり

誰か傷つけても

ああ 僕のままで どこまで届くだろう

 

 ここでも、1番のサビに出てきた『僕のままで どこまで届くだろう』という歌詞が出てきます。

 

 これは一体、どういう意味なのでしょうか?

 

 ここまで聴くと、この歌詞の意味が、なんとなくわかってきます。

 

 おそらく、この主人公が『君』と別れてしまったのは、「自分を曲げなかった」からではないかと思います。

 

 自分を曲げることができなかったため、相手を傷つけて、自分も傷ついてしまったのではないでしょうか。

 

 その結果、別れることになったような感じがします。

 

 きっと、『君』は、「ありのままの自分」を受け入れてくれなかったのでしょう。

 

 そして、主人公は、「自分を取り繕って関係を続けるくらいなら、別れる」という決断を下したように思います。

 

 しかし、この主人公は、『君』への思いは残っているものの、「自分を曲げなかったこと」に対しては、後悔はないようです。

 

 『君』と別れてなお、『僕のままで どこまで届くだろう』と言っているからです。

 

 これは、「今後も自分を曲げるつもりはない」という決意表明のように思います。

 

 この歌詞を見ると、主人公は、自分を曲げずにぶつかっていって、それでも「ありのままの自分を受け入れてくれる人」を探そうとしているような印象を受けます。

 

ブリッジの部分の歌詞

瞬きするほど長い季節が来て

呼び合う名前がこだまし始める

聴こえる?

 

 この部分の『瞬きするほど長い季節』という言葉は、本当に凄い表現だなと思いました。

 

 普通は、「瞬きするほど短い」という表現になると思います。

 

 しかし、ここでは、その逆の「長い」という言葉になっています。

 

 これは単に、「普通とは逆の言葉を選んで驚かそう」という意図なのでしょうか?

 

 自分としては、単純にそれだけで「長い」という言葉を選んでいるのではないと思います。

 

 『瞬きするほど長い季節』と言うことで、主人公の「時間の感覚がわからなくなっている感じ」を表現しているのではないかと思います。

 

 今まで過ごしていた『君』はもういないので、これからの季節は、二人で過ごすのではなく、一人で過ごさなくてはなりません。

 

 そうなると、今までと時間の感覚が変わって、「短いのか、長いのか、時間の感覚がよくわからなくなる」と感じる人もいるでしょう。

 

 『瞬きするほど長い季節』というのは、そういった感覚のことを表現しているような気がします。

 

 『呼び合う名前がこだまし始める』というのは、「どこかで『君』が読んでいるような気がして、自分も心の中で『君』の名前を呼んだ」ということだと思います。

 

 そして、心の中で呼んだので、『君』に届いていないことはわかっていながらも、つい、『聴こえる?』と言ってしまったのでしょう。

 

最後のサビの歌詞

さよなら 君の声を 抱いて歩いていく

ああ 僕のままで どこまで届くだろう

 

 ここでも、『僕のままで どこまで届くだろう』という歌詞が出てきます。

 

 この言葉が繰り返されることで、余計に、「自分を貫くぞ」という主人公の強い意志を感じます。

 

 

 

 

 

まとめ

 スピッツ「楓」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 この曲は、失恋について歌った曲ですが、「単純な失恋ソング」とは言えません。

 

 失恋を経験した主人公の微妙な心理状態を、草野さんなりの表現で、細かく描写しています。

 

 こういった微妙な感情をうまく表現できるのは、さすが草野さんだなと感じます。

 

 そして、この曲の主人公は、「新たな一歩」を踏み出そうとしているところも、歌詞から感じ取れます。

 

『僕のままで どこまで届くだろう』という歌詞に、主人公の強い意志を感じます。

 

 失恋をして落ち込んでいるとは思いますが、それでも、「自分を貫いて、相手としっかり向き合っていく」という覚悟を決めているように感じます。

 

 この曲に使われている単語は、小学生でもわかるような、単純な言葉ばかりです。

 

 しかし、それにも関わらず、非常に深い意味が込められていることに感心します。

 

 「簡単な言葉を使って、奥深い表現をすること」は、非常に難しいことです。

 

 ただ、草野さんはこういうことができているので、そういったところに、突出した作詞の才能を感じます。

 

 ちなみに、この曲のタイトルは「楓」ですが、歌詞には、「楓」という単語は、一切出てきません。

 

 それなのに、タイトルが「楓」になっているのは、不思議ですね。

 

 これは、あくまで自分の想像ですが、この曲の感傷的な雰囲気が、「楓」の雰囲気と重なったので、「楓」というタイトルになったのだと思います。

 

 「楓」と聞くと、「紅葉」を思い浮かべる人は多いと思います。

 

 そして、紅葉の季節は当然「秋」です。

 

 この曲は、メロディと歌詞ともに、感傷的な雰囲気なので、どことなく、「秋」のイメージが漂っています。

 

 そのため、秋から連想して、「楓」というタイトルにしたのではないかと思います。

 

 そして、もしこの曲が「秋の曲」だとしたら、歌詞に出てくる『瞬きするほど長い季節』というのは、冬のことを指しているのかもしれませんね。

 

 冬というのは、実際に体験している時は長く感じますが、終わってみると、「あれ、意外と今年の冬は短かった?」と思う時があります。

 

 もしかしたら、冬が来るイメージで『瞬きするほど長い季節が来て』という言葉を選んだのかもしれません。

 

 色々と推測してきましたが、これはあくまで自分の想像なので、なぜ「楓」というタイトルにしたのか、真相は草野さんに聞かなければわかりません。

 

 ただ、自分としては、なんとなく、「秋から連想して、楓というタイトルをつけた」というような気がします。

 

 「楓」は、素晴らしい名曲なので、あまり歌詞を気にして聴いていなかった方は、歌詞に注意を向けて聴いてみてください。

 

 そうすると、この曲が、さらに魅力的に感じると思います。

 

 

曽我部恵一「なにもかもがうまくいかない日の歌」

 誰にでも、たまに、「今日は、なにもかもが、うまくいかないな」という日があると思います。

 

 そういう日があると、「音楽でも聴いて、なんとか気分を上げよう」と考えたりするでしょう。

 

 今回は、そんな時に聴くのに、ぴったりな曲を紹介します。

 

 それが、曽我部恵一さんの「なにもかもがうまくいかない日の歌」です。

 

 

 この曲は、2011年に発売された「PINK」というアルバムに収録されています。

 

 

 この曲は、メロディーやボーカルも秀逸ですが、なんといっても「歌詞」が特に面白いと感じています。

 

 単純ですが、ユーモアに富んでいて、聴いているうちにクスっとしてきます。

 

 そして、それと同時に、「確かに、誰にでもうまくいかない日はあるよな」と思い、少し元気が出てきます。

 

 うまくいかない日に聴くと、さりげなく励ましてくれるような曲です。

 

 知名度はそれほど高くないかもしれませんが、とても良い曲だと思うので、このブログで取り上げてみました。

 

 ここからは、この曲の歌詞の魅力について、詳しく解説していきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、曽我部恵一さんです。

 

 

 

 

 

 

 

この曲の歌詞について

有名人の名前を羅列する

 この曲の歌詞は非常に単純です。

 

 人の名前(主に有名人)を羅列して、「こんな偉大な人にも、うまくいかない日はあったんだよ」と言っています。

 

 冒頭の歌詞を少し見てみましょう

なにもかもがうまくいかない日があるのさ

なにをやっても最低の一日があるのさ

でもボブディランにだって そんな日が あったのさ

聖徳太子にだって そんな日が あったのさ

だから だから大丈夫なのさ

なにもかもがうまくいかない日の歌

 

 最初に『ボブディラン』が出てきて、次に『聖徳太子』が出てきます。

 

 この振り幅は、なかなか凄いですね。

 

 ただ、ボブディランにも、聖徳太子にも、きっとうまくいかない日はあったでしょう。

 

 もう少し、歌詞を見ていきます。

なにもかもがうまくいかない日があるのさ

良かれと思ってやっても全部裏目に出る そんな日があるのさ

でもミッキーマウスにだって ドナルドダックにだって あったのさ

ミックジャガーにだって 隣りのお姉さんにだって あったのさ

だから だから大丈夫なのさ

 

 そして、実在の人物だけでなく、「ミッキーマウス」や「ドナルドダック」といったアニメのキャラクターの名前も出てきたりします。

 

 こういうところも、非常に面白いですね。

 

 さらに、有名人だけでなく、『隣りのお姉さん』も出てくるところも面白いです。

 

 『ミックジャガー』の次に『隣りのお姉さん』が出てくるのは、相当振り幅が大きいですね。

 

『ダリにだって 誰にだってあったのさ』という歌詞

 この曲の歌詞で自分が特に好きな部分は、曲の最後の方に出てくる、『ダリにだって 誰にだってあったのさ』という歌詞です。

 

 ここに、曽我部さんのユーモアのセンスが凝縮されている感じがします。

 

 では、その部分の歌詞を見ていきます。

ピカソにだって ウォーホールにだって

ダリにだって 誰にだってあったのさ

だから だから大丈夫なのさ

なにもかもがうまくいかない日の歌

 

 ここのパートには、『ピカソ』『(アンディ)ウォーホール』『ダリ』といった、美術界の大物が3人出てきます。

 

 この3人の並び順は、パッと聴いた感じだと、「適当に並べたのかな?」と思うでしょう。

 

 しかし、よくよく見てみると、これは適当に並べた訳ではないことがわかります。

 

 あえて狙って、最後に『ダリ』を持ってきています。

 

 なぜなら、ダリを最後に持ってくることで、『ダリにだって 誰にだって』という言葉遊びをしたかったからです。

 

 適当に名前を羅列しているようで、『ダリにだって 誰にだって』になるように、あえて芸術家の名前を最後の方に配置して、その中でも、最後に『ダリ』を持ってくるように調整しています。

 

 この細かい配慮と、遊び心は、「さすが曽我部さんだな」と感心してしまいます。

 

 適当に作っているようで、より面白くなるように計算して名前を配置しているところが最高ですね。

 

 この部分を見ると、「曽我部さんは、本当に素晴らしい作詞家だな」と唸らされます。

 

 何も考えずに聴いても楽しい曲ですが、そういった隠れた仕掛けに気づくと、ニヤッとして、より楽しくなったりします。

 

 本当に、遊び心に富んだ曲だなと感じます。

 

まとめ

 曽我部恵一さんの「なにもかもがうまくいかない日の歌」を紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 この曲の歌詞は、一見適当に作っているように感じますが、よくよく見てみると、実は細かい工夫が施されていることがわかります。

 

 そういった工夫により、曲のユーモアが、さらに増している感じがします。

 

 落ち込んでいる人に対して、ユーモアを交えながら、「誰にでもそんな日はあるから、元気を出しなよ」と励ましてくれるような曲です。

 

 なにもかもがうまくいかなくて、「もうだめだ」と思った日は、ぜひこの曲を聴いてみてください。

 

 きっと、うまくいかなくて落ち込んでいる日でも、聴いているうちにクスっとして、少し元気が出てくると思います。

 

 

 

 

くるり「ばらの花」の歌詞の考察

 くるり「ばらの花」の歌詞の考察を行います。

 

 「ばらの花」は、2001年に発売された、くるり7枚目のシングルです。

 

 オリジナルアルバムでは、2001年に発売された「TEAM ROCK」に収録されています。

 

 

 また、くるりを代表するような曲なので、ベストアルバムにも収録されています。

 

 

 YouTubeにMVがアップされていますので、また聴いたことがない方は、まずはこのMVを見てみてください。

 

www.youtube.com

 

 「ばらの花」は、数あるくるりの楽曲の中でも、特に人気が高い曲で、「名曲」と言われています。

 

 自分も、非常に好きな曲で、今まで数えきれないくらい沢山聴いてきました。

 

 この曲は「メロディ、ボーカル、演奏、アレンジ」がどれも素晴らしいです。

 

 それに加えて、文学的で抒情的な歌詞も本当に素晴らしいです。

 

 この歌詞は、どこか曖昧さがあり、聴く人によって、様々な解釈ができる歌詞です。

 

 そのため、今回は、この歌詞について、「自分なりの解釈」を加えていこうと思います。

 

 歌詞を詳しく見ていき、隠された意味を考察していきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、岸田繫です。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトに載っています。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

「ばらの花」の歌詞の考察

雨降りの朝で 今日も会えないや

 まずは、冒頭の歌詞を見ていきましょう

雨降りの朝で 今日も会えないや

何となく でも少しほっとして

飲み干したジンジャーエール

気が抜けて

 

 まず、この歌の主人公は、『今日も会えないや』と言っています。

 

 この主人公にとって大切な人がいて、その人と会えないということでしょうか?

 

 ただ、少し気になるのが、『でも少しほっとして』というフレーズです。

 

 大切な人がいるならば、「会いたい」と思うのが普通です。

 

 でも、この主人公は、会えないことに少しほっとしています。

 

 これはどこか、違和感があります。

 

 もしかすると、「大切な人だけれど、会うと緊張してしまう人」なのかもしれません。

 

 その後、主人公は、ジンジャーエールを飲みます。

 

 『気が抜けて』という歌詞が出てきますが、これはおそらく、「ジンジャーエールの炭酸が抜けている」ということと、「ジンジャーエールを飲んで緊張がほぐれた」というダブルミーニングだと思います。

 

安心な僕らは旅に出ようぜ

 次の歌詞も見ていきます。

安心な僕らは 旅に出ようぜ

思い切り泣いたり笑ったりしようぜ

 

 『安心』という単語が出てきますが、なぜ急に『安心』という単語がでてくるのか、この時点では、よくわかりません。

 

 そして、なぜ急に『思い切り泣いたり笑ったりしようぜ』と言い出しているのか、この時点では、よくわかりません。

 

 ただ、この後、じっくり歌詞を見ていくと、この歌詞の意味が少しずつわかってきます。

 

 この部分の歌詞では、『僕ら』という言葉が出てきます。

 

 ここから、「この歌詞の主人公は男性である」ということがわかります。

 

相づち打つよ 君の弱さを 探すために

 さらに歌詞を見ていきます。

愛のばら掲げて

遠回りして また転んで

相づち打つよ 君の弱さを 探す為に

 

 ここも、様々な解釈ができるような歌詞です。

 

 『愛のばら掲げて』というのは、好きな人にアプローチしているということかもしれません。

 

 ただ、その後、『遠回りして また転んで』とあるので、そのアプローチは、なかなかうまくいっていないようです。

 

 そして、『相づち打つよ 君の弱さを 探す為に』というフレーズがなんとも意味深です。

 

 これは、好きな人と会話をしている時のことでしょうか?

 

 誰かと会話する場合、『相づち打つ』ことは沢山あります。

 

 ただ、『君の弱さを 探す為に』相づちを打つ人というのは、なかなかいないような気がします。

 

 しかし、よくよく考えてみると、誰かと会話して相づちを打っている時に、その人を観察して、「その人の弱い部分」がなんとなくわかる時も、たまにあったりします。

 

 ここでは、そういったことを言いたいのではないかと思います。

 

 この歌詞を見ると、「この主人公は、好きな人の弱い部分も知りたいと思っている」ということがわかります。

 

踏み込めないまま朝を迎える

 続きの歌詞も見ていきます。

安心な僕らは 旅に出ようぜ

思い切り泣いたり笑ったりしようぜ

僕らお互い弱虫すぎて

踏み込めないまま朝を迎える

 

 ここの歌詞を見ると、主人公と相手の関係性が、なんとなくわかります。

 

 二人は、「お互いになんとなく気があるのはわかっているけれど、恋人にはなっていない」という微妙な関係だと推測できます。

 

 その二人が、どこかで一緒に一晩過ごすことがあったようです。

 

 しかし、お互いに弱虫で踏み込むことができなかったため、特に何もなく、朝を迎えてしまったようです。

 

 この歌詞を見ると、「お互いに好きな気持ちはあるんだろうけれど、うまくいかないもどかしさ」を感じます。

 

でもいない 君も僕も

 曲のブリッジの部分の歌詞を見ていきます。

暗がりを走る 君が見てるから

でもいない 君も僕も

 

 『暗がりを走る 君が見てるから』というのは、何もできないまま朝を迎えてしまったという気まずさによるものでしょうか?

 

 『でもいない 君も僕も』というのは、「お互い好きなのに、うまく結ばれることができず、心がからっぽになっている」ということかもしれせん。

 

何の花に例えられましょう

 さらに歌詞を見ていきます。

最終バス乗り過ごしてもう君に会えない

あんなに近づいたのに遠くなってゆく

だけどこんなに胸が痛むのは

何の花に例えられましょう

 

 ここでは、『最終バス乗り過ごしてもう君に会えない』というフレーズが気になります。

 

 相手の人は、もしかすると、「最終バスに乗って、遠い所へ引っ越してしまう」ということになっていたのかもしれません。

 

 最終バスに主人公も乗るつもりだったようですが、乗り過ごしてしまったようです。

 

 それにより、相手の人と、もう会えなくなってしまったようです。

 

 『あんなに近づいたのに遠くなってゆく』というのは、相手の人と一晩過ごした夜のことを想い出しているのでしょうか?

 

 そこでは、相手と近づいたのに、今では、バスを乗り過ごして、もうその人と会えなくなってしまいました。

 

 主人公は、それにより、胸を痛めているようです。

 

 そしてここで、曲のタイトルである「ばらの花」と関係したフレーズが出てきます。

 

 それが、『何の花に例えられましょう』という部分です。

 

 この主人公は、ここでおそらく、「ばらの花」を思い浮かべています。

 

 そして、「ばらの花のトゲが刺さる傷み」も想像しています。

 

 おそらく、「この胸の痛みは、ばらの花のトゲの痛みと似ている」といったことを考えているのでしょう。

 

 この部分を見ると、「作詞家としての岸田繫の凄さ」を感じます。

 

 ここでは、「ばらの花」という単語は、出てきません。

 

 しかし、それにも関わらず、この部分の歌詞を見ると、聴き手が「主人公は、きっと、ばらの花を思い浮かべているんだろうな」と推測することができます。

 

 こういった歌詞の作り方は、本当に巧みだなと感心します。

 

曲の最後の部分の歌詞

 曲の最後の部分の歌詞を見ていきます。

ジンジャーエール買って飲んだ こんな味だったっけな

ジンジャーエール買って飲んだ こんな味だったっけな

安心な僕らは旅に出ようぜ

思い切り泣いたり笑ったりしようぜ

 

 ここでジンジャーエールを飲んでいるのは、おそらく、曲の冒頭で主人公がジンジャーエールを飲んでいたことと関係しています。

 

 雨降りの朝に、好きな人に会えなかった時、主人公はジンジャーエールを飲んでいました。

 

 もしかすると、主人公は、それ以来、ジンジャーエールを飲んでいなかったのかもしれません。

 

 「好きな人に会えなかった雨降りの朝、ジンジャーエールを飲んだな」ということを想い出して、久々にジンジャーエールを飲んでみたのでしょう。

 

 おそらく、久々に飲んだので、『こんな味だったっけな』と思ったのでしょう。

 

 そしてこの後、また、『安心な僕らは旅に出ようぜ』『思い切り泣いたり笑ったりしようぜ』というフレーズが出てきます。

 

 最初にこのフレーズが出てきた時は、よく意味がわかりませんでした。

 

 しかし、ここまでじっくり歌詞を聴くと、なんとなくその意味が分かるような気がします。

 

 この主人公は、おそらく、元々、「不安」が強いタイプの人間だと思います。

 

 ただ、「不安」が強いせいで、好きな人に対して踏み込めず、その人ともう会えなくなってしまいました。

 

 そのことに対して、「このままじゃいけない」と思っているのではないでしょうか。

 

 『安心』というのは、「もう自分は安心なんだ」と自分に言い聞かせているように感じます。

 

 そして、『旅に出ようぜ』というのは、「不安を捨てて、新しい世界に飛び込もう」という決意表明のように感じます。

 

 この主人公は、不安が強いせいで、今まで、「感情をはっきりと表に出す」ことが苦手だったように感じます。

 

 ただ、感情をはっきり表に出せなかったせいで、好きな人とも別れることになってしまいました。

 

 そのことを反省して、「これからは、感情をはっきりと表にだすようにしよう」と言う意味で、『思い切り泣いたり笑ったりしようぜ』と言っているのではないでしょうか。

 

 この部分の歌詞からは、「自分を変えて、新しい世界に踏みだそう」という主人公の意志が伝わってきます。

 

 

 

 

 

まとめ

 くるりの「ばらの花」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 この歌詞では、「好き同士だけれど、恋人にはなれなかった男女の別れ」が歌われているように思います。

 

 そして、主人公は、その辛い別れを乗り越えて、一歩踏み出そうとしているように感じました。

 

 ただ、注意してほしいのは、これはあくまで、自分の解釈だということです。

 

 作詞をした岸田繁さんの意図と、だいぶすれている可能性もあります。

 

 また、別の人がこの曲を聴いたら、全く別の歌詞の解釈をするかもしれません。

 

 この曲の歌詞は曖昧な表現が多いので、多種多様な解釈の仕方があると思います。

 

 このように、「様々な解釈ができる」という点も、この歌詞の大きな魅力です。

 

 この記事を読んで、「そういう歌詞の解釈もあったのか」と思った方は、歌詞に注意して、改めてこの曲をじっくり聴いてみてください。

 

 そして、できれば、「自分なりの歌詞の解釈」をしてみてください。

 

 そうすると、自分の中で、この曲の魅力が、さらに広がっていくと思います。

 

 

 

ホフディラン「スマイル」の歌詞の考察

 ホフディラン「スマイル」の歌詞の考察を行います。

 

 「スマイル」は、1996年にリリースされた、ホフディランのファーストシングルです。

 

 オリジナルアルバムでは、1996年にリリースされた「多摩川レコード」に収録されています。

 

 ちなみに、ここで紹介するのは、リマスターされたバージョンになります。

 

 

 また、ホフディランの代表曲の一つなので、ベストアルバムにも収録されています。

 

 

 

 「ダウンロードで曲を購入したい」という方は、Amazonミュージックで、曲をダウンロードすることもできます。

 

 

 2020年には、女優の森七菜さんがカバーしたことでも話題となりました。

 

 

 ホフディランの「スマイル」は、パッと聴いた印象では、非常に明るいポップソングのように思えます。

 

 しかし、じっくり歌詞を見ていくと、色んなところに「毒」が散りばめられていることがわかります。

 

 これは、皮肉屋のワタナベイビーならではの歌詞だと思います。

 

 YouTubeにMVがアップされていますので、まだ聴いたことがない方は、まずはこのMVを見てみてください。

 

www.youtube.com

 

 ここからは、「スマイル」の歌詞を深く掘り下げて、この歌詞に隠されている意味について解説していきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、渡辺慎(ワタナベイビー)です。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

「スマイル」の歌詞の考察

いつでもスマイルしようね

 この曲は、サビから始まります。

 

 冒頭のサビの部分の歌詞を見ていきます。

いつでもスマイルしようね

とんでもないことが起きてもさぁ

可愛くスマイルしててね

なんでもない顔して出かけりゃいいのさ

ねぇ笑ってくれよ キミは悪くないよ

ねぇ笑ってくれよ さっきまでの調子で yeah

 

 この部分を見ると、「彼氏が、彼女に語りかけている様子」が目に浮かびます。

 

 彼女は、何か落ち込む出来事があったのか、表情が曇っているようです。

 

 そんな彼女に対して、彼氏は「笑って」となぐさめているように思えます。

 

 この部分からは、まだ「毒」の要素は感じられません。

 

深刻ぶった女はキレイじゃないから

 さらに続きの歌詞を見ていきましょう。

 

 ここから、徐々に「毒」が顔を出してきます。

いつでもスマイルしててね

深刻ぶった女はキレイじゃないから

すぐスマイルするべきだ

子供じゃないならね

 

 ここでは、『深刻ぶった女はキレイじゃないから』という毒のある言葉が出てきます。

 

 かなり強烈な言葉ではありますが、ある意味で、「世の中の世知辛さ」をうまく表現した言葉でもあります。

 

 世間の多くの人は、「若い女性は、ニコニコ笑っていてほしい」と思っています。

 

 やはり、眉間にしわを寄せている女性より、ニコニコ笑っている女性と接したいと思っている人が世間には多いということです。

 

 そして、暗い顔をしている女性よりも、いつもニコニコしている女性の方が「得」をする場面が多いです。

 

 ニコニコしている女性の方が、人から、「きれい」や「かわいい」とほめられやすくなります。

 

 また、色んな人から誘われやすくなったり、おごってもらいやすくなったりもします。

 

 この彼氏は、彼女に対して、かなり厳しいことを言っているように思えます。

 

 しかし、それと同時に、「世間の厳しさ」を教えているとも言うことができます。

 

 「笑っていないと、例え顔立ちが整っていても、人からきれいとほめられない」というのはある意味では事実ですから。

 

 そして、この後に続く『子供じゃないならね』という言葉も、かなり毒があります。

 

 確かに、大人というのは「作り笑顔」をしている人が多いです。

 

 「作り笑顔」というのは、「心の中では楽しいと思っていないのに、顔では笑う」ということです。

 

 なぜそのようなことをするのかというと、「笑顔でいた方が得をする場面が多いから」です。

 

 一般的に、暗い顔をした人と笑顔の人がいたら、多くの人は、笑顔の人の方に好感を持ちます。

 

 そして、人から好感を持たれた方が、何かと得をする場面が増えます。

 

 「得をしたい」と思うがゆえに、大人は作り笑顔をするのです。

 

 そのため、この彼氏は、「ほとんどの大人は、得をするために作り笑顔をしている。だから君も得をしたいなら、表面だけでも笑っておいた方がいいよ」と言っているのではないかと思います。

 

 これも、一見冷たい言葉に思えますが、実は「世間の厳しさ」を彼女に教えていると解釈することもできます。

 

上手にスマイルできるね

 次は、こんな歌詞が続きます。

上手にスマイルできるね

こんな時は努力が必要さ

可愛くスマイルしててね

町中にキミを見せびらかすから

ねぇ笑ってくれよ 心配はいらないよ

ねぇ笑ってくれよ さっきまでの調子で 

yeah yeah yeah

 

 ここで、『こんな時は努力が必要さ』という歌詞が出てきます。

 

 これを見ると、彼氏は、彼女に対して、「努力して笑う練習をしておかないとダメだよ」と言っていることがわかります。

 

 当然ですが、笑いたくない時に笑うのは、苦痛を伴います。

 

 ある程度、無理をしなくてはなりません。

 

 多少無理をしてでも笑うことを、ここでは『努力』と言っているような感じがします。

 

完璧なんかでいられる訳がないだろう

 さらに歌詞を見てみましょう

いつでもスマイルしててね

完璧なんかでいられる訳がないだろう

すぐスマイルするべきだ

子供じゃないならね

 

 ここでは、『完璧なんかでいられる訳がないだろう』という歌詞が印象に残ります。

 

 これまでは、『上手にスマイルしててね』と言っていた彼氏が、『完璧なんかでいられる訳がないだろう』と言い出すのは、少し不自然な感じがします。

 

 これは、彼氏の言葉というより、「ワタナベイビー自身の言葉」なのではないでしょうか。

 

 この部分に、「ワタナベイビーの本音」が出ているような気がします。

 

 世間というのは、大人に対して、「常に完璧な笑顔でいること」を求めます。

 

 「嫌な時でも、常に笑顔でいるのが大人だ」というセリフを聞いたことがある人も多いでしょう。

 

 しかし、実際に、「いつでも完璧な笑顔でいること」ができる大人は、なかなかいません。

 

 それなのに、「常に完璧な笑顔」が求められる求める社会に対して、ワタナベイビー自身が、「いつでも完璧な笑顔でいられる訳がないだろう」と毒づいているようにも思います。

 

その時の笑顔がすべてをチャラにするさ

 次は、こんな歌詞です。

もうすぐだね あと少しだね

その時の笑顔が全てをチャラにするさ

もうすぐだね 長かったね

早くスマイルの彼女をみせたい

 

 ここでは、『その時の笑顔が全てをチャラにするさ』というフレーズが気になります。

 

 これは、「都合が悪い時に、笑ってごまかす人」に対する皮肉なのではないかと思います。

 

 世の中には、都合が悪くなると、笑ってごまかそうとする人がいます。

 

 そして、時に、笑ってごまかせることもあります。

 

 そういう意味では、笑顔というのは、便利なものです。

 

 しかし、都合が悪くなるといつも笑ってごまかそうとする人を見ると、「果たしてこれでいいのだろうか?」と思ってしまうのも事実です。

 

人間なんかそれほどキレイじゃないから

 最後の部分の歌詞も見ていきましょう。

かわいくスマイルしててね

人間なんかそれ程キレイじゃないから

すぐスマイルするべきだ

子供じゃないならね

 

 ここでは、『人間なんかそれ程キレイじゃないから』というフレーズが強烈です。

 

 このフレーズに、「なぜ無理をして笑顔を作るのか」という理由が凝縮されている感じがします。

 

 人間というのは、良い面もありますが、悪い面も沢山ある生き物です。

 

 暗い顔をしている人を見ると、気に入らないと思い、攻撃的になったりするような人も沢山います。

 

 しかし、「常に笑顔でいる人」に対して攻撃的になる人は、あまりいません。

 

 そういう意味では、「常に笑顔でいること」は、自分を守るための防御手段になったりします。

 

 この歌詞では、「弱みに付け込むような汚い人間から自分を守るために、笑顔でいなさい」とアドバイスしています。

 

 なかなかインパクトのある歌詞ですが、ある意味、「物事の本質を突いた歌詞だ」と感心してしまいます。

 

 

 

 

 

まとめ

 ホフディランの「スマイル」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 パッと聴いた感じだと、毒のなさそうな無害な曲に思えますが、じっくり歌詞を見ていくと、かなり毒が含まれていることがわかったのではないでしょうか。

 

 この曲の歌詞は、「笑顔でいなければ、なにかと損をしてしまう社会」に対して、中指を立てているように感じます。

 

 ちなみに、自分としては、この曲は、マクドナルドの「スマイル0円」に対するアンチテーゼなのではないかと思っています。

 

 1990年代の後半には、テレビで、マクドナルドの「スマイル0円」というCMが流れていました。

 

 これは、「マクドナルドの店員は、常に笑顔でいます」というアピールです。

 

 そして実際、「スマイルください」と言う客がいた場合には、店員がタダで微笑んだりしていたようです。

 

 そういうのを見ると、「なんだかおかしい」と思わないでしょうか?

 

 もちろん、マクドナルドの店員は、楽しいことがあったから笑っているのではありません。

 

 仕事だから笑っているのです。

 

 客に「スマイルください」と言われて微笑むのも、会社から給料が出ているからです。

 

 給料が出ていなければ、「スマイルください」と言われても、誰も微笑まないでしょう。

 

 また、もし客が誰も商品を買わなくなって、「スマイルください」という客ばかりになれば、会社の経営が成り立たなくなります。

 

 その場合も、「スマイルください」と言われたところで、店員は微笑まなくなるでしょう。

 

 マクドナルドは、CMのキャッチコピーとして、「スマイル0円」を掲げていました。

 

 確かに、客から「スマイルください」と言われたら、店員が無料で微笑んでいたので、それは間違いではないように思ってしまいます。

 

 しかし、よくよく考えると、「実は、スマイルは0円ではない」ということがわかります。

 

 店員は、「客がハンバーガーや飲み物を買ってくれるから、0円で微笑んでいる」のです。

 

 それは、果たして「0円」と言えるのでしょうか?

 

 「スマイルください」と言われて微笑んでいる店員は、どんな気持ちだったのか想像してみてください。

 

 きっと、微妙なストレスを感じながら、微笑んでいたのではないかと思います。

 

 そういう微妙なストレスも、積り積もると、大きなストレスになったりします。

 

 それを思うと、「スマイル0円」というキャッチコピーは、かなり店員のストレスになっていたのではないかと思います。

 

 マクドナルドの「スマイル0円」というキャッチコピーは、ある意味で、「常に笑顔を求められる社会」の象徴のようなものでした。

 

 そのため、ワタナベイビーもマクドナルドの「スマイル0円」というキャッチコピーには、違和感を覚えていたのではないかと想像します。

 

 そして、自分としては、そういった違和感を曲として落とし込んだのが、「スマイル」ではないかと勝手に推測しています。

 

 それが事実かわかりませんが、「スマイル0円」というキャッチコピーと、ホフディランの「スマイル」の歌詞は、かなりリンクする部分がある気がしています。

 

 ちなみに、この曲の歌詞について「モラハラだ」と憤っている人もいるようです。

 

 確かに、そう言う人の気持ちもわかります。

 

 この歌詞を素直に受け止めると、「彼氏が、彼女に対してモラハラしている」と思ってしまいます。

 

 しかし、ホフディランが好きな人にとっては、「ワタナベイビーは皮肉屋だ」ということがわかっています。

 

 それを考慮して聴くと、「モラハラだ」とは思わずに、「ワタナベイビーが、皮肉っぽいことを言っているな」とニヤッとしてしまいます。

 

 自分としては、こういった皮肉や毒が入っているワタナベイビーの歌詞は、結構好きだったりします。

 

 自分以外のホフディラン好きな方も、こういう感じで聴いていた方が多かったのではないのでしょうか。

 

 ただ、2020年に女優の森七菜さんがこの曲をカバーしましたが、プロデューサーがオリジナルの歌詞で歌わせてしまったことについては、「ちょっとどうなのかな?」と思う部分があります。

 

 できれば、歌詞の毒っ気のある部分をソフトな表現に変えて、歌わせた方が良かったと思います。

 

 森七菜さんは、「清純派」と呼ばれるような女優です。

 

 皮肉を言うようなキャラではありません。

 

 そういった女優さんがこういう皮肉っぽいことを歌うと、かなり違和感があります。

 

 そして、ワタナベイビーがこういうことを歌うよりも、嫌な印象を受けてしまう場合もあるはずです。

 

 実際に、森七菜さんがこの曲を歌っているのを聴いて、「笑顔を強要する嫌な女」と感じた人もいると思います。

 

 ただ、本人は、この歌詞に込められた皮肉の部分をしっかりと理解せずに歌っている感じがします。

 

 おそらく、「プロデューサーから歌えと言われたから、そのまま歌っている」という感じでしょう。

 

 それにも関わらず、聴いた人から「嫌な女」という印象を持たれてしまうのは、少しかわいそうな感じがします。

 

 プロデューサーは、その辺を考慮して、もっとソフトな歌詞に変えてカバーすればよかったのにと思います。

 

 その点は、ちょっと残念ですね。

 

 YouTubeにMVがアップされていますので、興味のある方は、MVを見てみてください。

 

www.youtube.com

 

 森七菜さんの話が長くなってしまったので、本題に戻ります。

 

 この曲を聴いたことがあっても、「歌詞にそんな毒が含まれていることは知らなかった」という人は結構いると思います。

 

 もし、この記事を読んで、そういった毒や皮肉に気づいた方は、改めてこの曲を聴き直してみてください。

 

 そうすると、ガラッと曲の印象が変わって、なかなか面白いと思います。

 

 

 

 

The Birthday「LOVE ROCKETS」の歌詞の考察

 今回は、The Birthday(ザ・バースディ)の「LOVE ROCKETS」の歌詞についてです。

 

 この曲は、2022年の12月に公開された映画「THE FIRST SLAMDUNK(ザ・ファースト・スラムダンク)」のオープニング主題歌となっています。

 

 「ザ・ファースト・スラムダンク」は、「井上雄彦氏が監督・脚本という形で全面的に関わって、スラムダンクが映画化される」ということで、公開前から非常に話題になりました。

 

 そして、「オープニング主題歌をザ・バースディが担当する」というニュースを見た時、非常に驚きました。

 

 「スラムダンク」と「ザ・バースディ」に全く接点が無いように感じたので。

 

 実際、チバユウスケ氏のコメントを見ると、オファーをもらうまで、スラムダンクの漫画は読んだことがなかったようです。

 

 どういう経緯でバースディが主題歌を担当することになったのか、気になるところです。

 

 ただ、どうやら、井上雄彦氏は、元々、ミッシェル・ガン・エレファントや、ザ・バースディが好きで聴いていたようです。

 

 もしかすると、井上先生が、「自分の好きなバースディを主題歌にしたい」とオファーしたのかもしれません。

 

 真相は謎ですが、その可能性は十分にありそうです。

 

 自分は、映画館にスラムダンクを観に行って、そこで初めてこの曲を聴きました。

 

 そうしたら、この曲が「バスケの試合が始まる高揚感」と非常にマッチしていて、「とてもかっこいい」と思いました。

 

 どことなく、ミッシェル・ガン・エレファントっぽさもある曲だなと感じました。

 

 そして、バースディの持つ「不良っぽさ」と、湘北のメンバーの持つ「悪そうな感じ」が、ばっちりハマっている感じがしました。

 

 そして、「この曲をオープニングに起用したのは正解だな」と思いました。

 

 ただ、歌詞を聴いてみると、『ツバメ』『大統領』『ラタトゥーユ』といった単語が使われていて、バスケやスラムダンクとはあまり関係がないようでした。

 

 映画館でこの曲を聴いた後、ネットで詳しく歌詞を調べてみると、全くバスケやスラムダンクと関係がない歌詞になっていました。

 

 しかし、歌詞をじっくり見ていると、ふと、この曲には重大なメッセージが込められていることに気づきました。

 

 そこで今回は、この曲の歌詞の考察を行っていきます。

 

 ちなみに、ザ・バースディの公式YouTubeサイトに動画がアップされているので、まだ聴いたことがない方は、まずは、こちらで聴いてみて下さい。

 

www.youtube.com

 

 Amazonミュージックで、ダウンロードすることもできます。

 

 

 また、この曲は、「月夜の残響ep.」というCDに収録されているので、「CDが欲しい」という方は、こちらをチェックしてみてください。

 

 

 

 それでは、ここからは、この曲の歌詞を詳しく分析して、歌詞に隠された意味を探っていきます。

 

 この曲の作詞者は、チバユウスケです。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトに載っています。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

歌詞の考察

どこぞの大統領に喰らわせるんだ

 まずは、冒頭の歌詞を見ていきます。

ツバメ とんがって 愛を撒き散らすロケットになって

ステイション 波止場 どこぞの大統領に喰らわせるんだ

 

 パッと見た感じでは、よく意味が分からない歌詞です。

 

 急に『ツバメ』という歌詞が出てきて、「どういう意味だろう?」と思ったりします。

 

 ただ、その後の歌詞を見てみると、「ツバメが飛んでいる姿をロケットに例えているのかな?」と、なんとなく推測できます。

 

 『ステイション 波止場』というのは、駅や波止場にロケットが撃ち込まれるという意味でしょうか。

 

 『どこぞの大統領に喰らわせるんだ』というのは、「大統領にロケットを打ち込む」という意味でしょうが、この時点では、どの大統領なのか、謎のままです。

 

この銀河ごと愛を撒き散らす

 次の歌詞も見ていきます。

ワルツ 乗っかって ラタトゥーユぶち撒けたみたいに

お前 急降下 この銀河ごと 愛を撒き散らす

 

 このあたりも、よく意味がわからない歌詞です。

 

 『ワルツ』『ラタトゥーユ』といった単語については、あまり深い意味はなく、語感で選んでいそうな気がします。

 

 『お前 急降下』というのは、ロケットを積んだ爆撃機が急降下しているイメージでしょうか。

 

 その次の、『この銀河ごと 愛を撒き散らす』というのも、なかなか面白い表現です。

 

 これは、「世界を愛で埋め尽くす」みたいな意味なのかなと思います。

 

NO WAY

 さらに、こんな歌詞が続きます。

PAST TIME

NO WAY

FUTURE

 

 これは、和訳すると、「過去のこと」「信じられない」「未来」といった意味です。

 

 「過去に、信じられないようなことがあって、未来に続く」といったことなのでしょうか?

 

 ただ、はっきりとした意味はわかりません。

 

サビの歌詞①

 次は、最初のサビの部分の歌詞です。

LOVE ROCKETS!  LOVE ROCKETS!

ジェリーの魂を宿って

LOVE ROCKETS!  LOVE ROCKETS!

喰らったら最後 愛まみれ

NO FUTURE

 

 ここで、『ジェリー』という名前が出てきますが、これも語感で決めている感じで、あんまり意味はさそうな気がします。

 

 『LOVE ROCKETS』というのは、日本語に訳すと、「愛のロケット」という意味でしょうか。

 

 このロケットを打ち込まれると、「愛まみれ」になるようです。

 

 なんだか、普通のロケットとは逆ですね。

 

 そして、最後に、『NO FUTURE』という歌詞が出てきます。

 

 これはなんとなく、今の混迷した時代を表しているような気がします。

 

 未来に対する希望が持ちづらい時代なので、『NO FUTURE』と言っているのではないでしょうか。

 

最後のサビの歌詞

 最後のサビの歌詞についても見ていきます。

LOVE ROCKETS!  LOVE ROCKETS!

喰らったら最後 愛まみれ

FUTURE

 

 最初のサビと同じ部分が多いですが、最初のサビで『NO FUTURE』となっていた部分が、『FUTURE』に変わっています。

 

 ここまでじっくりと聴くと、冒頭に出てきた『どこかの大統領』が誰なのか、なんとなくわかってきます。

 

 ここに出てくる『どこかの大統領』というのは、おそらく、プーチン大統領のことを指していると思われます。

 

 プーチン大統領は、2023年の1月現在でも、ロケットを打ち込んで、それにより多くの人が犠牲になっています。

 

 そして、ロシアとウクライナとの戦争は、2023年の1月現在、終わりが見えていません。

 

 チバさんは、この歌詞を通じて、プーチン大統領に対して、「ロケットを打ち込んで、多くの犠牲者を出すな」というメッセージを出しているのでしょう。

 

 そして、「ロケットを打ち込むなら、人が亡くなるようなロケットではなく、愛のロケットを打ち込め」と言っているのでしょう。

 

 「喰らったら愛で満たされるロケットならば打ち込んでもいいけど、人が亡くなるようなロケットならば、もうたくさんだ」ということでしょう。

 

 このメッセージに気づいた時、「深い曲だな」と感心しました。

 

 そして、世界平和を願っているチバさんのピュアな部分が垣間見えた気がしました。

 

 また、最後の部分が『NO FUTURE』ではなく、『FUTURE』になっているのは、「明るい未来が想像しづらい世の中だけど、それでも、良い未来が来てほしい」という希望が含まれているように感じます。

 

 

 

 

まとめ

 ザ・バースディ「LOVE ROCKETS」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 この曲は、パッと聴いた感じではそう聴こえないですが、歌詞をじっくり聴くと、実は、「世界平和」への願いが込められた曲だと言えます。

 

 多くの人が聴くであろうスラムダンクの主題歌にこの歌詞をもってきたところは、「さすがチバさんだな」と思ってしまいます。

 

 多くの人にこの曲を聴いてもらって、「隠された意味に気づかない人がいてもいいけど、気づく人は気づいてくれ」といったことなのでしょう。

 

 沢山の人が注目していた曲に、さりげなく「世界平和」のメッセージ盛り込むというところに、ロックミュージシャンとしてのチバユウスケの気概を感じます。

 

 「世界平和」と言うと、「そんなの理想だ」と言う人もいます。

 

 確かに、「世界平和」というのは、理想論になってしまうかもしれません。

 

 しかし、ロックミュージシャンというのは、代々、「理想」を歌ってきた人が多いです。

 

 「理想」を歌に込めるからこそ、聴いている人は感動するのです。

 

 理想を全く歌わなくなったら、ロックの良さが失われてしまうような気がします。

 

 この、「LOVE ROCETS」は、さりげない形ではありますが、歌詞で「世界平和」について歌っています。

 

 それを聴くと、「やっぱりチバユウスケは、ロックミュージシャンとして素晴らしいな」と改めて思います。

 

 この歌詞に隠された意味に気づいていなかった方は、この記事の内容をふまえて、改めてこの曲を聴いてみてください。

 

 そうすると、この曲の聴こえ方が、また少し変わってくると思います。

 

 

オウガ・ユー・アスホールのワンマンライブに行きました(2022年12月17日)

 2022年の12月17日(土)に、恵比寿のリキッドルームでOGRE YOU ASSHOLE(オウガ・ユー・アスホール)のライブを観てきました。

 

 

 この日は、1日2回公演になっていて、自分は、16時開始の早い時間の回を見に行きました。

 

 客入りは、そこまでパンパンという感じではなく、割とスペースに余裕があって見やすい感じでした。

 

 

 

 

 

 1曲目は、新曲でした。

 

 あまり歌が入っておらず、ほぼインストのような感じでした。

 

 最近のオウガにしては珍しく、かなりロック色の強い曲でした。

 

 2曲目は、『ムダがないって素晴らしい』でした。

 

 ミニマルな曲なので、1曲目とはだいぶ雰囲気が変わりました。

 

 3曲目は『素敵な予感』でした。

 

 ダークな雰囲気が満載で、低音もバリバリに効いています。

 

 リキッドルームは、かなり低音が出るので、こういう曲は映えますね。

 

 低音で、体が振動しているのがわかりました。

 

 4曲目は、『タニシ』でした。

 

 ライブでそこまでやっている印象がない曲なので、聴けたのはちょっと嬉しかったです。

 

 5曲目は、『頭の体操』でした。

 

 この曲も、ライブで聴くと素晴らしいです。

 

 6曲目は『フラッグ』でした。

 

 ミニマルな曲で、後半、一気に盛り上がります。

 

 ライブでの定番曲なので、やはりライブで聴くといいですね。

 

 7曲目は、『朝』でした。

 

 こちらもミニマルな曲で、聴いているうちに、段々と現実感が薄れてきます。

 

 8曲目は、『見えないルール』でした。

 

 イントロがだいぶ変わっていて、最初は、『見えないルール』だとは気づきませんでした。

 

 また、歌のパートもだいぶ少なくなっていました。

 

 どこか「人力テクノ」みたいな感じもありました。

 

 原曲とはだいぶ違いましたが、これはこれでかっこいいと思いました。

 

 この曲が終わったところで、出戸さんが「どうもありがとうございました。オウガ・ユー・アスホールでした」とMCをして、メンバーがステージから去りました。

 

 その時点で腕時計を見ると、17時15分でした。

 

 1時間15分ほど演奏していたことになります。

 

 会場からは、アンコールの手拍子が鳴り響いています。

 

 しかし、結局、アンコールは行われず、ライブ終了となりました。

 

 ここで、「え、アンコールがないの?」と驚きました。

 

 自分は、今まで、オウガのワンマンライブに何回も行っています。

 

 ワンマンライブで、アンコールがなかったのは、これが初めてだったので、拍子抜けしました。

 

 しかも、オウガのワンマンライブは、今までは、大体1時間30分以上やってくれていたと記憶しています。

 

 それが、今回は、1時間15分と短く、その上、アンコールもありませんでした。

 

 ライブ自体は良かったのですが、「ライブ時間が短く、アンコールもない」ということで、なんだか消化不良な気分で会場を後にしました。

 

 こうなったのは、おそらく、「1日2公演の1公演目だったから」だと思います。

 

 2公演目の開始時間が遅れるのを避けるために、短めの演奏時間にして、アンコールも削ったのでしょう。

 

 ただ、残念ながら、自分としては、ライブの良かった点よりも「演奏時間が短く、アンコールもなかった」というマイナス点が強く印象に残ってしまいました。

 

 例えるなら、「フルコースのディナーを食べに、好きなレストランに行ったのに、品数が少なく、デザートもなかった」時のような気分です。

 

 それだと、いくら美味しい料理が出ても、十分な満足感は得られないでしょう。

 

 今回のライブも、そんな感じでした。

 

 ライブに行く客は、安くないチケット代を払って、ライブを観ています。

 

 安くないチケット代を払うのは、「ライブを観て、十分な満足感を得たいから」です。

 

 しかし、今回のライブは、「いつもより抜いているな」というのがわかったため、ライブを観た後、満足する気持ちになれませんでした。

 

 さらに、ネットでライブの感想を見てみると、2公演目の方は、演奏時間が1公演目よりも長く、アンコールもやったようでした。

 

 そうなると、「チケット代は同じなのに、なんで1公演目は時間が短くて、アンコールもないの?」と余計にモヤモヤした気持ちになりました。

 

 もちろん、バンドにとって、1日2公演をやるのが大変なのはわかっています。

 

 「体力や気力を温存するために、1公演目は少し抜こう」といった考えになるのも理解できます。

 

 ただ、「抜いている」ことが伝わると、ファンとしては冷めます。

 

 自分が今まで、オウガのライブに何回も行っていたのは、「期待を上回る満足感を得られていたから」です。

 

 期待を上回るような満足感を得られると、「安くないチケット代を払ってでも、また見たい」と思います。

 

 しかし、残念ながら、今回のライブは、期待を下回ってしまいました。

 

 これだと、「またオウガのライブに行きたい」という気持ちは、正直薄れます。

 

 1公演目を「抜いた」感じにするのであれば、できれば、1日2公演はやらないでほしかったです。

 

 1日1公演に絞って、時間もたっぷり取って、アンコールも入れてほしかったです。

 

 その方が、多くの人が満足できるライブになったのではないでしょうか。

 

 ただ、今回のライブは、個人的には残念な気持ちになってしまいましたが、「オウガが素晴らしいライブバンド」であるという認識は変わっていません。

 

 ライブを観て、「やっぱり凄いバンドだな」と思いました。

 

 しかし、せっかく素晴らしいライブバンドであるならば、「抜いたな」と客に悟らせないようなライブ構成にしてほしかったと思いました。

 

セットリスト(1公演目)

1.新曲

2.ムダがないって素晴らしい

3.素敵な予感

4.タニシ

5.頭の体操

6.フラッグ

7.朝

8.見えないルール

 

 

 

スピッツ「あじさい通り」の歌詞の考察

 スピッツ「あじさい通り」の歌詞の考察を行います。

 

 「あじさい通り」は、1995年にリリースされたアルバム「ハチミツ」に収録されている曲です。

 

 

 この曲は、シングル曲ではないので、そこまで有名な曲という訳ではありません。

 

 ただ、とても良い曲なので、根強い人気のある曲です。

 

 パッと聴いた印象だと、「梅雨の時期で、雨が続いて憂うつなので、雨が上がってほしい」という曲に聴こえます。

 

 ただ、じっくり歌詞を見てみると、それだけではない意味が含まれていることに気づきます。

 

 そこで今回は、「あじさい通り」の歌詞について、深く考察していきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、草野マサムネです。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

1番の冒頭の歌詞

 まずは、1番の冒頭の歌詞を見てみます。

雨 降り続くよ あじさい通りを

カサささずに 上向いて 走ってく

全部 ごちゃ混ぜにする 水しぶき

 

 この部分の歌詞を見ると、「梅雨の時期で、雨が降っている」ことがわかります。

 

 ただ、ここで注目すべきなのは、この曲の主人公が、「傘をささず、上を向いて走っている」点です。

 

 雨の日に、傘をささずに走っている人は、たまに見ます。

 

 しかし、その状態で「上を向いている」というのは、ちょっと異様な感じがします。

 

 人間、普通は、雨の日には「顔を濡らしたくない」と思うものです。

 

 そのため、傘を差さない場合、普通は、うつむき加減の姿勢になるはずです。

 

 ただ、この主人公は、あえて顔を濡らすように、上を向いています。

 

 これは、この主人公が「もうどうにでもなれ」という心情だからだと思います。

 

 なぜ、そんな心情になっているのかについては、この後の歌詞を見るとわかります。

 

さえない毎日

 さらに歌詞を見ていきます。

いつも 笑われてるさえない毎日

でも あの娘だけは光の粒を

ちょっと わけてくれた 明日の窓で

 

 この歌詞を見ると、この曲の主人公は、周囲の人からバカにされて、さえない毎日を送っているようです。

 

 雨の日に、傘をささずに、上を向いてずぶ濡れになっていたのは、そういう毎日に嫌気がさして、「もうどうにでもなれ」と思ったからでしょう。

 

 この曲の主人公はおそらく男性ですが、彼には、好きな娘がいるようです。

 

 そして、その娘は、『光の粒』をわけてくれたようです。

 

 これは、どういった意味でしょうか?

 

 この主人公から見ると、その娘は、「キラキラして光っているように見える」のだと思います。

 

 それが、『光の粒』という言葉の意味です。

 

 そして、『光の粒をちょっとわけてくれた』というのは、おそらく、「笑顔で自分に話しかけてくれた」ということでしょう。

 

 そのキラキラした笑顔の娘と話すと、「まるで自分に光の粒をわけてくれたように感じた」ということだと思います。

 

 この後、『明日の窓』という歌詞が出てきますが、これも独特な表現です。

 

 おそらく、この二人は、窓際で話していたのでしょう。

 

 そして、この主人公は、その娘と話すことで、前向きな気分になったのだと思います。

 

 前向きな気分になって、昨日のことより、明日のことを考えたくなったのでしょう。

 

 それが、『明日の窓』という言葉の意味だと思います。

 

 この部分の歌詞を見ていると、「この主人公と、その娘は、果たしてどういった関係なのか?」という疑問が湧いてきます。

 

 自分としては、この二人は、恋人関係ではなく、主人公の片想いだと思います。

 

 なぜなら、そんな素敵な恋人がいるなら、毎日が充実しているはずなので、『さえない毎日』とは思わないはずだからです。

 

 『さえない毎日』と思ってしまうということは、主人公の片想いである可能性が非常に高いと思います。

 

1番のサビの歌詞

 1番のサビの歌詞も見ていきましょう。

だから この雨あがれ あの娘の頬を照らせ ほら

涙の数など 忘れて

変わらぬ時の流れ はみ出すために切り裂いて

今を手に入れる

 

 ここに出てくる『この雨あがれ』というのは、単に「雨があがってほしい」という意味ではないと思います。

 

 この部分の『雨』というのは、『さえない毎日』の例えではないでしょうか。

 

 そして、『この雨あがれ』というのは、「さえない毎日を脱却したい」ということだと思います。

 

 ここには、「自分の人生に、もっと楽しいことが起こってほしい」という意味が込められている気がします。

 

 この後の『あの子の頬を照らせ』という部分は、パッと見た感じだと、ちょっとわかりづらい表現です。

 

 ただ、これはおそらく、「もっとかっこいい男になって、あの娘をときめかせたい」ということだと思います。

 

 人は、恋をしている時は、頬が赤くなることがあります。

 

 「頬を照らす」というのは、そういうことを言っているのだと思います。

 

 そして、おそらく、この主人公は、「自分と話している時に、あの娘がときめいて、あの娘の頬が赤くなってほしい」と願っています。

 

 『涙の数など 忘れて』という部分の『涙』というのは、主人公が日常生活で流した涙です。

 

 主人公は、さえない生活を送っているので、辛くて泣くことも何度もあったのでしょう。

 

 しかし、その娘と話している時は、そういった辛いことも忘れられるようです。

 

 そして、『変わらぬ時の流れ』というのは、「うんざりするような日常生活」のことだと思います。

 

 この主人公は、学生かもしれませんし、社会人かもしれません。

 

 その辺は、はっきりわかりません。

 

 ただ、学生であったとしても、みんなからバカにされて、クラスの端っこにいるようなタイプでしょう。

 

 また、社会人であったとしても、周囲の人から「あいつ、仕事できないね」と笑われているような立場でしょう。

 

 そういう人は、会社や学校で居場所がなく、「この状況が変わらないかな」と願っています。

 

 ただ、残念ながら、そういった状況は、なかなか変わりません。

 

 しかし、この主人公は、好きな娘と出会ったことで、「この嫌な流れを変えたい」という気持ちになっています。

 

 これは、恋愛の持つ大きなパワーだと思います。

 

 『はみ出す』というのは、「いまのうんざりするような立場からはみだしてやる」ということです。

 

 そして、『切り裂く』というのは、「今の立場を変えるために行動をする」ということでしょう。

 

 この主人公は、さえない毎日を送っているため、「今」を楽しむことができていません。

 

 そういう意味では、この主人公は、ずっと、「今を生きていなかった」と言えます。

 

 しかし、好きな娘に出会ったことで、「この状況を打破して、今を楽しみたい」という気持ちが芽生えてきています。

 

 『今を手に入れる』というのは、「これから楽しいことを沢山して、失っていた今を取り戻したい」という気持ちの表れだと思います。

 

 そして、「今を楽しむために、あの娘も手に入れたい」という気持ちも入っています。

 

2番の冒頭の歌詞

 2番の冒頭の歌詞も見ていきます。

愛と言うより ずっとまじめなジョークで

もっと 軽々と渡って行けたなら

嘘 重ねた記憶を巻き戻す

 

 この主人公は、恋愛を重く考えてしまって、なかなか好きな娘と気楽に話せないのでしょう。

 

 この部分の歌詞には、「『まじめなジョーク』くらいの感覚で、好きな娘と話したい」という主人公の願望が出ています。

 

 そして、「好きな娘に対して、もっと軽々と接したい」とも思っています。

 

 『嘘』というのは、おそらく、「見栄を張ってついた嘘」のことだと思います。

 

 好きな娘に気に入られたくて、見栄を張って、何度も嘘をついてきたのでしょう。

 

 それを、少し後悔している様子も伺えます。

 

信じることは間抜けなゲーム

 続きの歌詞も見ていきます。

だって 信じることは間抜けなゲームと

何度 言い聞かせたか 迷いの中で

ただ 重い扉 押し続けてた

 

 『信じることは間抜けなゲーム』という部分を見ると、この主人公は、「今まで、信じてきた人に何度も裏切られた」ということがわかります。

 

 ただ、『迷いの中で』という部分を見ると、盲目的に信じてきた訳ではないようです。

 

 「信じるべきか、信じないべきか迷って、結局信じて、裏切られる」といった感じでしょう。

 

 きっと、好きな娘を信じてきたけれど、裏切られたりして、うまくいかなかったのでしょう。

 

 そのように、恋愛がなかなかうまくいかない感じが、『重い扉』という言葉に表れています。

 

2番のサビの歌詞

 2番のサビの歌詞も見ていきます。

だから この雨あがれ あの娘の頬を照らせ ほら

寄せ集めた花 抱えて

名も無い街で一人 初めて夢を探すのさ

今を手に入れる

 

 1番のサビと共通する歌詞が多いですが、所々、違いもあります。

 

 『寄せ集めた花 抱えて』という部分と、『名もない街で一人 初めて夢を探すのさ』という部分が違います。

 

 『寄せ集めた花』というのは、「自分の魅力」という意味だと思います。

 

 主人公は、女性に花束を渡すように、自分の魅力をその娘にアピールして、自分を好きになってほしいと考えているのでしょう。

 

 また、この後に出てくる『夢』というのは、「好きな娘と一緒に見る夢」のことでしょう。

 

 この部分には、「あの娘と両想いになって、一緒に見られるような夢を探したい」という気持ちが反映されている気がします。

 

 

 

 

 

まとめ

 スピッツ「あじさい通り」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 パッと聴くと、単純な梅雨時の歌に聴こえますが、実は、隠された意味が含まれていることがわかったと思います。

 

 この曲は、「梅雨の雨降り」と「さえない毎日を送る男性の心情」を重ね合わせた構造になっています。

 

 そして、そこに「片想い」という恋愛の要素も絡んできます。

 

 そのため、この曲は、「さえない毎日を送っている男性」や「片想いしている人がいる男性」が共感できる内容となっています。

 

 ただ、男性目線の曲ではありますが、「さえない毎日を送っている女性」や「片想いしている人がいる女性」にも響く内容なのではないでしょうか。

 

 この記事を見て、「この曲の歌詞には、そんな意味が含まれていたのか」と初めて気付いた方は、改めてこの曲をじっくり聴き直してみてください。

 

ザ・ブーム「島唄」の歌詞に込められた意味について

 今回は、THE BOOM(ザ・ブーム)「島唄」の歌詞について取り上げます。

 

 「島唄」は、ブームを代表する曲なので、どこかで一度は聴いたことがあるという人が多いと思います。

 

 オリジナルアルバムでは、1992年にリリースされた「思春期」に収録されています。

 

 

 1993年にはシングルもリリースされ、大ヒットします。

 

 また、ベストアルバムにも収録されています。

 

 

 ソニーミュージックの公式YouTubeチャンネルに「島唄」のMVがアップされているので、この曲をちゃんと聴いたことがない方は、まずはこのMVを見てみてください。

 

www.youtube.com

 

 「島唄」がブームの代表曲になってしまったため、「ブームの宮沢和史さんは沖縄県出身である」と思っている人も結構いる気がします。

 

 しかし、宮沢さんは、沖縄県出身ではありません。山梨県出身です。

 

 小さい頃から沖縄音楽に触れていた訳ではないようです。

 

 ただ、色んな音楽を聴く中で沖縄音楽の素晴らしさに気づいたようです。

 

 そして、自身の音楽にも、「三線」や「沖縄音階」といった沖縄民謡の要素を入れてみたようです。

 

 その結果生まれたのが、「島唄」という曲です。

 

 この曲の歌詞は、実は、「沖縄戦」がモチーフになっていることをご存知でしょうか?

 

 これは、作詞した宮沢和史さん自身も語っていることなので、沖縄戦がモチーフになっていることは間違いありません。

 

 ただ、この曲の歌詞を見てみると、「戦争」を想起させるような直接的な言葉は使われていません。

 

 そのため、「島唄は知っているけれど、沖縄戦がモチーフになっていることを知らなかった」という人も多いかと思います。

 

 しかし、歌詞をじっくり見ていくと、歌詞の裏側に「沖縄戦」が透けて見えます。

 

 そこで今回は、「島唄の歌詞に込められた意味」について、詳しく解説していきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、宮沢和史です。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

沖縄戦とは

 「島唄」の歌詞を解説する前に、まずは沖縄戦について簡単に解説します。

 

 沖縄戦は、第二次世界大戦末期の1945年に、沖縄を舞台にして行われた、米軍と日本軍の戦闘のことです。

 

 1945年の3月から9月にかけて行われました。

 

 沖縄戦では、トータルで、約20万人の人が亡くなったと言われています。

 

 その中で、一般住民の死者は9万人以上と言われています。

 

 一般人の死者が非常に多かった点が沖縄戦の特徴です。

 

 亡くなった人の中には、「集団自決」をした人も含まれます。

 

 「県民の4人に1人が亡くなった」とも言われています。

 

 こういった死者数を見るだけでも、どれだけ酷い戦闘だったか想像できると思います。

 

 沖縄戦は、「消したくても消せない悲しみの記憶」として、沖縄の人々の心に刻まれています。

 

 沖縄戦についてさらに詳しく知りたい方は、琉球新報が沖縄戦についてまとめたネット記事があるので、そちらも読んでみてください。

 

ryukyushimpo.jp

 

島唄の歌詞の考察

 ここからは、「島唄」の歌詞の考察に移ります。

 

嵐が来た

 冒頭は、こんな歌詞から始まります。

でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た

 

 「でいご」というのは、沖縄の県花になっている赤い花です。

 

okinawaclip.com

 

 沖縄では、「でいごの花が見事に咲く年は、嵐が多い」とされています。

 

 歌詞を見てみると、「でいごが咲いて、咲き乱れていたので、予想通り嵐が来た」ということが歌われています。

 

 ただ、この『嵐が来た』という歌詞は、単に嵐が来たという意味ではありません。

 

 「米軍が沖縄に上陸してきて、戦闘が始まった」という意味です。

 

 この歌詞には、「でいごが咲き乱れて、何か良くないことが起こりそうだと思ったら、戦争が始まってしまった」という意味が込められています。

 

くり返す悲しみ

 さらに歌詞を見ていきます。

くり返す悲しみは 島渡る波のよう

 

 ここでの「悲しみ」というのは、「戦争による悲しみ」のことです。

 

 戦争が始まると、「人が亡くなる」という悲しみがあります。

 

 さらに、「家・建物・自然」が壊されてしまうという悲しみもあります。

 

 戦争によって、様々な悲しみがくり返されます。

 

 そういった悲しみがくり返される様子が、「まるで島を渡る波のようだ」と言っているのです。

 

千代にさよなら

 次は、こんな歌詞です。

ウージの森で あなたと出会い

ウージの下で 千代にさよなら

 

 「ウージ」は、沖縄の方言で、サトウキビのことです。

 

 「ウージの森」というのは、サトウキビ畑のことでしょう。

 

 「サトウキビ畑であなたと出会って、サトウキビ畑の下であなたと別れた」ということを言っています。

 

 ここだけ見ると、「恋人と別れた」という意味のようにも思えます。

 

 しかし、これは、単に「恋人と別れた」ということではありません。

 

 沖縄戦の中で行われた「集団自決」について歌っています。

 

 「ウージの下」というのは、「ガマ」のことです。

 

 沖縄戦の中では、米軍からの攻撃を避けるため、住民は「ガマ」と呼ばれる自然洞窟に身を隠していました。

 

 しかし、米軍の攻撃からもう逃れられない状況になると、ガマの中で集団自決が行われていました。

 

 「恋人と出会ったサトウキビ畑の下にあるガマで、恋人と一緒に自決する」というのは、なんとも悲しいことです。

 

 ただ、沖縄戦では、こういった集団自決が、様々な場所で行われていました。

 

 このような地獄のような状況になるのが、戦争です。

 

 この部分の歌詞に関しては、こちらの記事で宮沢さん自身も言及しています。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

サビの歌詞①

 1番のサビの歌詞も見ていきます。

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ

島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の涙

 

 ここで歌われている『私の涙』というのは、「戦争によって流した涙」のことです。

 

 そして、『届けておくれ』というのは、「本土の方に、沖縄戦の悲しみを届けてくれ」ということだと思います。

 

ささやかな幸せ

 2番の歌詞も見ていきます。

でいごの花も散り さざ波が揺れるだけ

ささやかな幸せは うたかたの波の花

 

 『でいごの花も散り』というのは、「激しい戦闘により、でいごの花も散ってしまった」ということではないかと思います。

 

 そして、この後出てくる『うたかた』という言葉は、「水面に浮かぶ泡」という意味です。

 

 『ささやかな幸せは うたかたの波の花』という歌詞は、「幸せだった日々は、戦争により泡のように消えてしまった」ということだと思われます。

 

八千代の別れ

 さらに歌詞を見ていきましょう。

ウージの森で 歌った友よ

ウージの下で 八千代の別れ

 

 ここでは「友達」が出てきます。

 

 『ウージの森で 歌った友よ』というのは、「サトウキビ畑で一緒に歌って遊んだ友達」ということだと思います。

 

 サトウキビ畑で一緒に遊んだということは、おそらく子供の頃からの友達です。

 

 しかし、その友達と、サトウキビ畑の下で「八千代の別れ」が来てしまうと言っています。

 

 ここでも、「サトウキビ畑の下のガマでの自決」について歌われています。

 

 沖縄戦では、時として、「恋人や親友とも一緒に自決せざるを得なかった」という悲しい現実がありました。

  

サビの歌詞②

 2番のサビの歌詞も見ていきます。

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ

島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を

 

 この部分は、1番のサビの歌詞と、ほとんど一緒です。

 

 ただ一点、最後の『私の愛を』という部分だけが違います。

 

 これは、恋人同士が自決を決めた時、「自分達はこの後、この世からいなくなるが、この人を愛したという気持ちだけでも、どこかに届いてほしい」ということかもしれません。

 

このまま永遠に夕凪を

 後半の、曲のブリッジ部分の歌詞を見ていきます。

 自分としては、宮沢さんがこの曲の歌詞で一番伝えたい部分は、ここだと思っています。

海よ 宇宙よ 神よ いのちよ

このまま永遠に夕凪を

 

 「夕凪」というのは、「夕方、無風になって、海が穏やかな状態になること」です。

 

 ここでは、「夕凪」という言葉を「平和の象徴」として使っています。

 

 「嵐」が戦争の例えだとしたら、「夕凪」は平和の例えになります。

 

 そのため、『このまま永遠に夕凪を』というのは、「このまま平和な時が永遠に続いてほしい」と言いたいのだと思います。

 

 この部分の歌詞には、「反戦」や「平和への願い」といったメッセージが込められていることがわかります。

 

 

 

 

 

まとめ

 ザ・ブームの「島唄」に隠された意味について解説してきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 パッと聴いただけだと、この歌詞に含まれたメッセージに気付きづらいかもしれません。

 

 しかし、詳しく歌詞を見ていくと、この歌詞は沖縄戦のことを歌っていて、「反戦」のメッセージも込められていることがわかったと思います。

 

 2022年の5月15日に、沖縄が本土に復帰してから50年となります。

 

 そのため、あえて、2022年の5月15日に、この記事をアップしてみました。

 

 「沖縄本土復帰50周年」ということで、様々なメディアが、沖縄についての特集を組むと思います。

 

 そして、沖縄の本土復帰について振り返る時、「沖縄戦」を欠かすことはできません。

 

 「沖縄戦」というのは、様々な過ちが重なった結果起こってしまった、非常に重い「負の歴史」です。

 

 できればなかったことにしたくなるような悲惨な出来事ですが、過去に起こったことはもう変えられません。

 

 ただ、「沖縄戦」をなかったことにはできませんが、「負の歴史」を振り返り、過去の綾過ちを反省することで、過ちを繰り返すことは防げます。

 

 そのため、「沖縄戦」という「負の歴史」を振り返って、「なぜあのような過ちが起こったのか」ということは、今後同じような戦争を起こさないためには、非常に重要です。

 

 「負の歴史」について学んで、過去の失敗を反省する人が多いほど、今後、日本があのような戦争を起こす可能性を低くすることができるからです。

 

 そのため、今現在、あまり沖縄と関りがない人であっても、「沖縄戦」を振り返ってみることは大切です。

 

 そのため、メディアが沖縄戦について取り上げた際は、「今の自分と関係ない」と思わず、沖縄戦のことを振り返って、改めて「沖縄戦の問題点」について考えてみてください。

 

 そして、沖縄戦の歴史を振り返った後で、歌詞に注意しながら「島唄」を聴いてみてください。

 

 そうすると、「戦争の悲惨さ」や「平和の大切さ」が、心の奥にすっと染み込んでくると思います。

 

 そういう意味でも、この「島唄」は、「今後も聴き続けられるべき名曲」と言えます。

 

 

 

スピッツ「魔法のコトバ」の歌詞の考察

 スピッツ「魔法のコトバ」の歌詞の考察を行います。

 

 「魔法のコトバ」は、2006年にリリースされたスピッツ31枚目のシングルです。

 

 オリジナルアルバムでは、2007年にリリースされた「さざなみCD」に収録されています。

 

 

 また、ベストアルバムにも収録されています。

 

 

 映画「ハチミツとクローバー」の主題歌にもなっていたので、映画を見てこの曲を知った方も多いと思います。

 

 この曲は、スピッツの曲の中でも、かなり有名な曲だと思います。

 

 メロディがとても良く、個人的に凄く好きな曲です。

 

 歌詞については、サビをパッと聴くと、両想いのラブソングに聴こえます。

 

 サビの歌詞は、「付き合っている二人だけにしかわからない魔法の言葉」について歌っているように思えます。

 

 しかし、じっくり歌詞を聴き込むと、「あれ、ちょっと違うぞ」という風になってきます。

 

 そこで今回は、この歌詞について深く考察していきます。

 

 この歌詞に隠された意味についても探っていきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は草野マサムネです。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

1番のAメロとBメロの歌詞

 まずは、1番のAメロとBメロの歌詞を見ていきましょう。

あふれそうな気持ち 無理やりかくして

今日もまた 遠くばっかり見ていた

君と語り合った 下らないアレコレ

抱きしめて どうにか生きてるけど

 

 『あふれそうな気持ち 無理やりかくして 今日もまた遠くばっかり見ていた』と言う部分を見ると、自分の気持ちを相手にうまく伝えられていない感じがします。

 

 『君と語り合った 下らないアレコレ 抱きしめて どうにか生きてるけど』という部分からは、「昔は『君』と一緒にいたけれど、今現在、『君』は目の前にいない」ことがわかります。

 

 この冒頭の歌詞を見ると、「この曲の主人公は、今現在、『君』とは付き合ってない」ということがわかります。

 

1番のサビの歌詞

 次に、1一番のサビの歌詞を見てみます。

魔法のコトバ 二人だけにはわかる

夢見るとか そんな暇もない この頃

思い出して おかしくてうれしくて

また会えるよ 約束しなくても

 

 『魔法のコトバ 二人だけにはわかる』というのは、「他の人にはわからないけれど、二人だけの間でわかる言葉がある」ということでしょうか。

 

 『夢見るとか そんな暇もない この頃』という部分を見ると、この主人公が「生活に追われ、忙しい毎日を送っている」ことがわかります。

 

 『思い出して おかしくてうれしくて』というのは、『君』と一緒に過ごした日々を思い出しているのでしょうか。

 

 『また会えるよ 約束しなくても』という部分を見ると、「『君』は目の前にいなくて、会う約束をすることもできない」ということがわかります。

 

 このサビの部分をまとめると、「大好きな人がいるけど、日々生活に追われているし、その人と会う約束もできない」といった感じでしょうか。

 

 このサビの歌詞は、サラッと聴き流すと、両想いのラブソングのようにも思えますが、じっくり聴くと、「あれ、なんか違う」ということに気づきます。

 

2番のAメロとBメロの歌詞

 2番のAメロとBメロの歌詞も見ていきます。

倒れるように寝て 泣きながら目覚めて

人混みの中でボソボソ歌う

君は何してる? 笑顔が見たいぞ

振りかぶって わがまま空に投げた

 

 『倒れるように寝て 泣きながら目覚めて 人ごみの中でボソボソ歌う』という歌詞を見ると、この曲の主人公は「売れない歌手」なのではないかと思います。

 

 歌で生計を立てられないため、アルバイトもして、忙しい毎日を送っていると思われます。

 

 そして、おそらく、街中でストリートミュージシャンとしても歌っています。

 

 この歌詞からは、そんな姿が浮かび上がってきます。

 

 『君は何してる? 笑顔が見たいぞ』という歌詞からは、「君の笑顔が見たいのに、見られない」というもどかしさが伝わってきます。

 

 そして、『振りかぶって わがまま空に投げた』という歌詞は、「君の笑顔が見たいなんて、そんなわがままを言ってはダメだ」と自分に言い聞かせている感じがします。

 

 この部分から、この主人公は、「今現在、満たされない生活を送っている」ことがわかります。

 

2番のサビの歌詞

 2番のサビの歌詞も見ていきます。

魔法のコトバ 口にすれば短く

だけど効果は 凄いものがあるってことで

誰も知らない バレても色あせない

その後のストーリー 分け合える日まで

 

 『魔法のコトバ 口にすれば短く だけど効果は 凄いものがあるってことで』という部分を見ると、『魔法のコトバ』というのは、短いフレーズのようです。

 

 しかし、短いフレーズであっても、その言葉が出ると、主人公の気持ちは高ぶるようです。

 

 『誰も知らない バレても色あせない』というのは、「他の人は知らないし、万が一、他の人にバレても、その言葉の持つ魅力は色あせない」ということでしょう。

 

 「誰かにバレて、ひやかされたとしても平気だよ」といった感じでしょうか。

 

 『その後のストーリー 分け合える日まで』という部分を見ると、今現在、この主人公と『君』は別の道を行っていることがわかります。

 

 ただ、別の道を行っていても、この主人王には、「また君と巡り合って、別々に過ごしていた時間を分かち合いたい」という気持ちがあるようです。

 

Cメロの歌詞

 Cメロの歌詞も見てみます。

花は美しく トゲも美しく

根っこも美しいはずさ

 

 ここは、なかなか意味深な歌詞で、様々な解釈ができると思います。

 

 自分としては、ここに出てくる『花』というのは、『君』のことではないかと思っています。

 

 『君』を『花』に例えているのです。

 

 そして『トゲ』というのは、「その人の欠点」のことだと思います。

 

 人は誰でも欠点がありますが、この主人公は、「その欠点さえも美しい」と言っています。

 

 また、『根っこ』というのは、「表に出ていない部分」のことだと思います。

 

 この主人公は、「君は、外見も美しいけど、中身も美しい」と言っています。

 

 これを見ると、「この主人公は、『君』の外見だけでなく、全てが好きなんだな」ということが伝わってきます。

 

最後のサビの歌詞

 最後のサビの歌詞も見ていきましょう。

魔法のコトバ 二人だけにはわかる

夢見るとか そんな暇もない この頃

思い出して おかしくてうれしくて

また会えるよ 約束しなくても

会えるよ 会えるよ

 

 この部分は、基本的には1番のサビの歌詞と同じです。

 

 ただ、一番最後に『会えるよ 会えるよ』と繰り返している部分が違います。

 

 これはおそらく、この主人公が、自分自身に言い聞かせているのでしょう。

 

 冷静に考えると、君と会う約束も出来ないので、今後、君に会える確率は非常に低いです。

 

 しかし、それでもなお、「絶対会える」と自分自身に言い聞かせているように感じます。

 

 

 

 

 

まとめ

 ここまで、スピッツ「魔法のコトバ」の歌詞を詳しく見てきました。

 

 じっくり歌詞を見ていくと、この曲は、「単純な両想いのラブソングではない」ということがわかったと思います。

 

 「大好きな人に会えない」という点で、非常に切ないラブソングです。

 

 そして、注目すべきなのは、「抱き合った」「キスした」といったような「過去に二人が恋人だったことを証明する歌詞がない」点です。

 

 また、「相手の気持ち」も、全く歌詞に出てきません。

 

 主人公が、一方的に自分の気持ちを述べているだけです。

 

 この曲に関しては、「この二人は、過去に恋人だったのだろうな」と思って聴いている人が多い気がしますが、こういった点をふまえると、この二人は、恋人ではなかった可能性があります。

 

 単なる友達で、主人公の一方的な片想いだったかもしれません。

 

 もしくは、この二人は、友達ですらなく、さらに関係の薄い「単なる知り合い」だった可能性もあります。

 

 この曲に出てくる二人が過去に恋人だったとしたら、「過去の恋人のことを一途に想う、純粋なラブソング」といった感じで、胸がキュンとしてきます。

 

 しかし、この二人が「友達でもない、単なる知り合い」だとしたらどうでしょうか。

 

 そうなると、「一方的に片想いしているストーカーの歌」になって、キュンとするどころか、ゾッとしてきます。

 

 歌詞に出てくる「魔法のコトバ」というのも、「主人公が勝手に思ってるだけ」かもしれません。

 

 主人公が、「これが二人だけの魔法のコトバだ」と思っていたとしても、相手からすると「え、そんなこと言ったっけ?」という感じかもしれません。

 

 その状態で、主人公だけが「これが二人だけの魔法のコトバだ!」と思い込んでいたとしたら、なかなか恐怖です。

 

 そして、『君』と会えなくなっているのも、「『君』から気持ち悪がられて、絶交された」からかもしれません。

 

 その状態でも「会えるよ」と願っているのだとしたら、背筋が凍ります。

 

 もちろんこれは、かなり極端な解釈です。

 

 この曲の歌詞は、はっきりしたことをあまり言っていないので、「二人は過去に恋人だった」と解釈することも、もちろん可能です。

 

 そう思いたい人は、そう思って聴けばいいでしょう。

 

 しかし、この歌詞をじっくり見ていくと、「一方的に片想いしているストーカーの歌」という解釈もできるところが非常に面白いです。

 

 これはおそらく、草野さんなりの遊び心のような気がします。

 

 あえて狙って、「過去に付き合っていた恋人同士の歌」とも「一方的に片想いしているストーカーの歌」ともとれるような歌詞を書いている気がします。

 

 この辺は、さすが草野さんだなと感じます。

 

 また、ここで述べた以外にも、様々な解釈ができる歌詞だと思います。

 

 そのため、この記事を見てこの曲が気になった方は、歌詞の意味に注意して、改めてじっくり聴いてみてください。

 

 

ブルーハーツ「TRAIN-TRAIN」の歌詞の考察

 ブルーハーツ「TRAIN-TRAIN(トレイン・トレイン)」の歌詞の考察を行います。

 

 「トレイン・トレイン」は、オリジナルアルバムでは、1988年にリリースされた「TRAIN-TRAIN」に収録されています。

 

 

 また、ベストアルバムにも収録されています。

 

 

 YouTubeのブルーハーツの公式サイトでMVが見れるので、まだ聴いたことがない方は、まずはこのMVを見てみてください。

 

www.youtube.com

 

 この曲は、ブルーハーツの曲の中でも、非常に人気も知名度も高い曲です。

 

 メロディ良いですが、歌詞も本当に素晴らしいです。

 

 そこで今回は、「トレイン・トレイン」の歌詞について、深く考察していきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、真島昌利(マーシー)です。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.utamap.com

 

 

 

 

 

 

「TRAIN-TRAIN」という曲名について

 歌詞の考察をする前に、まずは、「TRAIN-TRAIN」という曲名について考察してみたいと思います。

 

 タイトルに使われている「TRAIN(トレイン)」というのは、電車のことではないと思います。

 

 マーシーは、おそらく、「トレイン」という単語は、「汽車」という意味で使っているのだと思います。

 

 その証拠に、MVでも、汽車の映像が使われています。

 

栄光に向かって走る汽車

 ここからは、歌詞の考察をしていきます。

 この曲は、こんな歌詞から始まります。

栄光に向かって走る あの列車に乗って行こう

はだしのままで飛び出して あの列車に乗って行こう

 

 この部分の歌詞は、おそらく、「アメリカのゴールドラッシュ時代の汽車」というイメージではないかと思います。

 

 「貧しい街で育った若者が、一攫千金を夢見て、汽車に飛び乗る」といった感じではないでしょうか。

 

弱い者達がさらに弱い者をたたく

 次に出てくる歌詞は、胸に刺さるものがあります。

弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく

その音が響きわたれば ブルースは加速していく

 

 「弱い者」は、日々、強い者にたたかれているので、うっぷんが溜まっていたりします。

 

 そのため、弱い者は、さらに弱い者をたたいて、憂さ晴らしをする場合があります。

 

 これはとても悲しいことですが、世の中では、こういったことが沢山起こっています。

 

 『弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく』という歌詞は、そんな厳しい現実をうまく描写しています。

 

 本当は、弱い者達が団結して強い者を叩けばいいですが、なかなかそうはならず、「弱い者がさらに弱い者を叩く」という負の連鎖が世界中で起こっています。

 

 また、この部分では『ブルースは加速していく』という歌詞も印象的です。

 

 ブルースというのは、アメリカの黒人が作った音楽です。

 

 ブルースが生まれた当時のアメリカの黒人の状況は、今よりもずっと厳しいものでした。

 

 そのため、ブルースの曲には、「日々の悲しみ」を歌ったものも多いです。

 

 ただ、それはある意味、当時のアメリカの黒人が、「ブルースの曲を作り出すことで、日々の悲しみを紛らわしていた」ということでもあります。

 

 マーシーは、そんな背景を知っていたため、ここであえて『ブルース』という言葉を入れたのだと思います。

 

 この歌詞に出てくる『ブルースは加速していく』というのは、「ブルースのミュージシャンの演奏や歌が熱を帯びてくる」という意味だと思います。

 

 皮肉なことではありますが、「ミュージシャンの経験した悲しみが深いほど、音楽も深みを帯びてより良いものになる」場合があります。

 

 ただ、それはある意味、音楽の面白さでもあります。

 

 やはり、音楽は、「自身の悲しみを昇華して、良い曲を作れる」ところが大きな魅力です。

 

 マーシー自身も、ミュージシャンとして、そういった音楽の良さを分かっているはずです。

 

 そのため、この歌詞には、「弱い者がさらに弱いものを叩いている場面を見せられるのは辛いけれど、ミュージシャンとしては、それを音楽として昇華していこう」というマーシーの気持ちが込められているように思えます。

 

見えない自由がほしくて 見えない銃を撃ちまくる

 さらに歌詞を見ていくと、その後も素晴らしいフレーズが出てきます。

見えない自由がほしくて

見えない銃を撃ちまくる

本当の声を聞かせておくれよ

 

 『見えない自由がほしくて 見えない銃を撃ちまくる』というのは、「自由になりたいけれど、どうしたら自由になれるかわからないから、手当たり次第にやれることをやっている」ということでしょう。

 

 「社会」というのは、色々と制約があるため、なかなか自由にふるまえない部分があります。

 

 しかし、人間というのは、それでもなお、自由を求めます。

 

 ただ、「自由になるための方法」を分かって人はあまりいません。

 

 それがわからないとなると、とりあえず「自分が考えた、自由になるための方法」を手あたり次第、試すことになります。

 

 しかし、「今自分がやっている方法が合っているのかわからないまま試す」というのは、なかなかしんどいことです。

 

 頑張って何かを行っても、それが無駄になってしまうこともあるのですから。

 

 ただ、それでもなお、「自由になるために、やれることはなんでもやってやる」という必死さが、この歌詞から伝わってきます。

 

 そして、『本当の声を聞かせておくれよ』というのは、他人に言っているのではなく、「自分自身に問いかけている言葉」ではないかと思います。

 

 自分自身のことであっても、自分自身でつかめていないことは沢山あります。

 

 特に、「自分の本当の気持ち」をつかむことは、非常に難しかったりします。

 

 「自分の本当の気持ち」をはっきりとつかむためには、「自分は、本当は何がしたいんだ?」ということを、自問自答する必要があります。

 

 そのため、『本当の声を聞かせておくれよ』というのは、自分自身に対して、「自分は、本当は何がしたいんだ? 本音を聞かせてくれ」と自問自答しているのではないでしょうか。

 

 自分自身でも「どんな自由が欲しいのかという答え」が出ていないので、自問自答して、それを必死で探しているような感じがします。

 

ここは天国じゃないんだ かといって地獄でもない

 この後の歌詞も、素晴らしいフレーズが出てきます。

ここは天国じゃないんだ かといって地獄でもない

いい奴ばかりじゃないけど 悪い奴ばかりでもない

ロマンチックな星空に あなたを抱きしめていたい

南風に吹かれながら シュールな夢を見ていたい

 

 『ここは天国じゃないんだ かといって地獄でもない いい奴ばかりじゃないけど 悪い奴ばかりでもない』という歌詞は、この世の中のことを、うまく言い表している気がします。

 

 自分たちが住んでいる社会というのは、良いことばかりは起きません。

 

 そういう意味では、「天国」ではありません。

 

 しかし、悪いことばかり起きるのかというと、意外とそうではありません。

 

 確かに悪いことは沢山起きますが、良いことも時々起こります。

 

 そういう意味では、この社会は、「地獄」とも言い切れません。

 

 そして、この社会に住む人々も、いい人ばかりではありませんが、かといって悪い人ばかりということもありません。

 

 この社会には、「良い事と悪い事」「善と悪」がごちゃ混ぜになって存在しています。

 

 多くの人は、「できれば、良い事ばかり起きてほしい」と願っています。

 

 しかし、そう都合よくはいきません。

 

 生きていく中では、「悪い事」が起こっても、それをうまく受け入れて、乗り越えていかなければなりません。

 

 そういったことを考えると、この歌詞には、「人生、良い事ばかりではなく、悪い事が起こる時があるかもしれないけど、悪い事が起こっても、うまく受け入れてやっていこう」というメッセージが込められている気がします。

 

 そして、『ロマンチックな星空に あなたを抱きしめていたい 南風に吹かれながら シュールな夢を見ていたい』という歌詞には、「嫌な事が起こった時は、好きな人と一緒に過ごして気を紛らわそう。そして、今後起こりそうな楽しい事を夢見ながら生きて行こう」というメッセージが込められている感じがします。

 

サビの歌詞

 次に、サビの歌詞も見ていきます。

TRAIN-TRAIN 走って行け

TRAIN-TRAIN どこまでも

TRAIN-TRAIN 走って行け

TRAIN-TRAIN どこまでも

 

 このサビの歌詞では「列車(トレイン)よ、どこまでも走れ」と言っています。

 

 ただ、この部分は、そのままの意味で受け取ってよいものでしょうか?

 

 何か、言葉の裏に、別の意味が隠されている感じもします。

 

 ただ、ここではまだ答えは出さず、記事の「まとめ」のところで、「トレイン」の意味について考えてみたいと思います。

 

あなたが生きている今日は どんなに素晴らしいだろう

 この後にも、素晴らしい歌詞が続きます。

世界中にさだめられた どんな記念日なんかより

あなたが生きている今日は どんなにすばらしいだろう

世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより

あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろう

 

 マーシーは、常に「過去よりも今」ということを強調していますが、この歌詞にも、そういったポリシーがはっきりと表れています。

 

 世界中で、様々な「記念日」が定められていますが、記念日というのは、あくまで、「過去の出来事」です。

 

 そのため、ここでは、「過去に起こったことを記念する日より、今の方が素晴らしい」と言っています。

 

 そして、記念碑も、あくまで「過去に起こったことを記念して建てられているもの」です。

 

 ここでは、「過去に起こったことを称える記念碑より、今の方が、意味がある」とはっきり言っています。

 

 人間は、どうしても、過去にとらわれがちな生き物です。

 

 しかし、過去にとらわれていると、「今、目の前にある楽しいこと」にも気づけなくなったりします。

 

 それは、非常にもったいないことです。

 

 やはり、「人生を活き活きと過ごす」ためには、過去を重視せず、「今」を重視することが大切です。

 

 この歌詞を見ると、改めてそういったことに気づかされます。

 

聖者になんてなれないよ だけど生きている方がいい

 曲の後半部分にも素晴らしい歌詞が出てくるので、それも見ていきましょう。

栄光に向かって走る あの列車に乗って行こう

はだしのままで飛び出して あの列車に乗って行こう

土砂降りの痛みのなかを 傘もささず走って行く

いやらしさも汚らしさも むきだしにして走ってく

聖者になんてなれないよ だけど生きてる方がいい

だから僕は歌うんだよ 精一杯でかい声で

 

 『土砂降りの痛みのなかを 傘もささず走って行く』というのは、「人生の中で厳しい状況に置かれた時」のことを言っているのだと思います。

 

 そんな時は、立ち止まって、走るのをやめたくなることもあるでしょう。

 

 しかし、ここでは、「そんな時は、いやらしさも汚らしさも、むきだしにしていいから、立ち止まらずに走って行け」と言っています。

 

 これは、「辛い時でも、止まらず、自分のやりたいことをやっていけ」ということだと思います。

 

 そして、『聖者になんてなれないよ だけど生きてる方がいい』というのは、「自分の中の嫌な部分や汚い部分が見えても、それを受け入れて生きていけ」ということでしょう。

 

 確かに、世の中では、多くの人が、「聖者のように、誰に対しても善良に生きたい」と思っています。

 

 世の中には、例外的に、そういう生き方ができる人もいます。

 

 しかし、ほとんどの人は、そういう生き方を目指しても、実際にはできません。

 

 「誰に対しても善良でいる生き方」を目指しても、自分の中の嫌らしい部分や汚い部分が出てきて、それを捨てることができません。

 

 その事実に直面すると、自分に対して失望して、生きる気力が失われてしまう時もあります。

 

 しかし、ここでは、「自分の中の嫌らしい部分や汚い部分が見えても、生きる気力を持って、しぶとく生きていこう」と言っています。

 

 そして、その後には、『だから僕は歌うんだよ 精一杯でかい声で』という歌詞が出てきます。

 

 これは、マーシー自身がミュージシャンなので、こういう歌詞になったのだと思います。

 

 ミュージシャンがやりたいことは、「演奏することや歌うこと」です。

 

 そして、実際に「演奏することや歌うこと」ができます。

 

 だから、マーシーは、ここで「自分はミュージシャンだから、精一杯でかい声で歌うよ」と宣言しているような感じがします。

 

 そして、リスナーに対しても、「自分は精一杯歌っていくから、君たちも、自分のやりたいことを精一杯やっていけ」と言っているような気がします。

 

 

 

まとめ

 ブルーハーツ「トレイン・トレイン」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 この曲の歌詞を見ていくと、「この曲のサビの歌詞に出てくるトレインとは、何のことを指しているのか?」という疑問も湧いてくるでしょう。

 

 自分としては、この歌詞に出てくる「トレイン」というのは「人生」のことではないかと思います。

 

 「トレイン」の意味については、様々な解釈があると思いますが、「人生」と解釈すると、色々とつじつまが合う感じがします。

 

 「トレイン」を「人生」と解釈すると、この曲には、「人生、悲しい事や嫌な事も沢山あるけれど、それでも、自分の信じた道をまっすぐ進め」というメッセージが込められていることがわかります。

 

 シンプルではありますが、非常に深いメッセージです。

 

 人生の中では、「土砂降りの痛みのなかを 傘もささず走っていかなければならない」ような瞬間もあります。

 

 しかし、この曲の歌詞では、「そういう辛い時ほど、自分のやりたいことを貫け」と言っています。

 

 そういう意味では、辛い時に聴くと、とても勇気づけられる曲です。

 

 この記事を見て、この曲が気になった方は、歌詞に注意しながら、改めて聴き直してみてください。

 

 そうすると、新たな発見があって、非常に面白いと思います。

 

 使われている言葉はシンプルですが、シンプルな言葉の中に、とても重みのあるメッセージが入っています。

 

 

 また、ベストアルバムにも収録されています。