スピッツ「楓」の歌詞の考察を行います。
「楓」は、1998年にリリースされた、スピッツ19枚目のシングルです。
オリジナルアルバムでは、1998年にリリースされた「フェイクファー」に収録されています。
また、ベストアルバムにも収録されています。
この曲に対して、「切ないラブソング」という印象を持っている人は多いと思います。
それは、間違っていません。
しかし、歌詞をよく見てみると、単なる「切ないラブソング」という言葉では片づけられない、深い意味が隠されています。
そこで今回は、この曲の歌詞について、じっくりと考察を行っていきます。
この曲の作詞・作曲者は、草野マサムネです。
歌詞の全文は、下記のサイトで見ることができます。
「楓」の歌詞の考察
1番のAメロの歌詞
忘れはしないよ 時が流れても
いたずらなやりとりや
心のトゲさえも 君が笑えばもう
小さく丸くなっていたこと
最初に、『忘れはしないよ』という歌詞が来ているので、「これは、過去のことを歌っている」ということがわかります。
この曲の主人公には、『君』という大切な人がいたようです。
その人と、『いたずらなやりとり』をしていました。
そして、主人公の心の中には『トゲ』があったようですが、その人とやりとりをする中で、そのトゲがまるくなっていくような感覚を覚えたようです。
1番のBメロの歌詞
かわるがわるのぞいた穴から
何を見てたかなぁ?
一人きりじゃ叶えられない
夢もあったけれど
この部分は、抽象的で、少しわかりにくい歌詞です。
そのため、自分なりの解釈を加えていきます。
『かわるがわるのぞいた穴から 何を見てたかなぁ?』という歌詞がありますが、一体何を見ていたのでしょうか?
これは、そこから「二人の将来」を見ていたのではないかと思います。
主人公と君は、恋人同士だったのでしょう。
そして、二人で未来を想像して、「将来、こうなれたらいいね」ということを言い合っていたのではないでしょうか。
その中には、『一人きりじゃ叶えられない夢』もあったようです。
これは、どういうことでしょうか?
おそらく、「結婚したら、こんな家に住みたいね」とか、「将来、一緒にこういうお店をやりたいね」といった話をしていたのではないでしょうか。
1番のサビの歌詞
さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
ああ 僕のままで どこまで届くだろう
『さよなら』という歌詞があるので、おそらく、「君」との恋は終わってしまったのでしょう。
ただ、『君の声を 抱いてあるいていく』という歌詞もあるので、恋が終わったとしても、「君」への気持ちは、まだ心のどこかに残っているようです。
その後の、『僕のままで どこまで届くだろう』とは、果たしてどんな意味なのでしょうか?
この時点では、まだはっきりわかりません。
しかし、この後、じっくり歌詞を聴いていくと、この意味が少しずつわかってきます。
2番のAメロの歌詞
探していたのさ 君と会う日まで
今じゃ懐かしい言葉
ガラスの向こうには 水玉の雲が
散らかっていたあの日まで
この部分も、抽象的で、なかなか解釈が難しいところです。
ただ、自分なりに解釈してみます。
『探していたのさ 君と会う日まで』とありますが、一体何を探していたのでしょうか?
歌詞には書かれていないので、はっきりわかりません。
その後に、『今じゃ懐かしい言葉』という歌詞が続きますので、何らかの言葉を探していたと思われます。
自分が思うに、おそらく、「運命の人」といったような言葉を探していたのではないかと思います。
「君」と出会った時に、おそらく主人公は、「この人は運命の人だ」と思ったのでしょう。
しかし、もう恋は終わってしまったので、今は、「『運命の人』という言葉が懐かしい」と感じているのかもしれません。
『ガラスの向こうには 水玉の雲が 散らかっていた』という歌詞は、草野さんらしい表現だと思います。
『水玉の雲』というのは、おそらく、「点々になっている雲」のことでしょう。
それを、『水玉の雲』というかわいい言葉に変換できるのは、草野さんならではのセンスだと感じます。
また、『散らかっていた』という表現も独特です。
これは、「雲が広がっていた」という意味だと思います。
ただ、『散らかっていた』という歌詞にしたのは、失恋した主人公の気持ちを反映したものではないでしょうか。
感傷的な歌なので、あえて、『散らかっていた』というネガティブな言葉にしたのだと思います。
『あの日』というのは、「君と別れた日」ということでしょうか?
おそらく、君と別れることが決まった日、空には水玉模様の雲が広がっていたのでしょう。
2番のBメロの歌詞
風が吹いて飛ばされそうな
軽いタマシイで
他人と同じような幸せを
信じていたのに
『風が吹いて飛ばされそうな 軽いタマシイ』というのは、面白い表現ですね。
これは、「失恋して、心がからっぽになっている」という意味でしょう。
「心が空っぽになって、軽くなってしまったので、風が吹いたら飛んでいきそうだ」ということだと思います。
「魂」ではなく『タマシイ』という表記になっているのは、カタカナにすることで「軽さ」を表現しているのかもしれません。
あえて、「心」ではなく、「タマシイ」という言葉にしたところに、草野さんのセンスを感じます。
『他人と同じような幸せ』というのは、どのような幸せのことでしょうか?
「誰もが夢見る幸せ」という意味で、『「君」と結婚して、家庭を持って、子供も持つ」ということではないかと思います。
しかし、「君」とは別れてしまったので、『信じていた』けれど、それは叶わなかったということでしょう。
2番のサビの歌詞
これから 傷ついたり
誰か傷つけても
ああ 僕のままで どこまで届くだろう
ここでも、1番のサビに出てきた『僕のままで どこまで届くだろう』という歌詞が出てきます。
これは一体、どういう意味なのでしょうか?
ここまで聴くと、この歌詞の意味が、なんとなくわかってきます。
おそらく、この主人公が『君』と別れてしまったのは、「自分を曲げなかった」からではないかと思います。
自分を曲げることができなかったため、相手を傷つけて、自分も傷ついてしまったのではないでしょうか。
その結果、別れることになったような感じがします。
きっと、『君』は、「ありのままの自分」を受け入れてくれなかったのでしょう。
そして、主人公は、「自分を取り繕って関係を続けるくらいなら、別れる」という決断を下したように思います。
しかし、この主人公は、『君』への思いは残っているものの、「自分を曲げなかったこと」に対しては、後悔はないようです。
『君』と別れてなお、『僕のままで どこまで届くだろう』と言っているからです。
これは、「今後も自分を曲げるつもりはない」という決意表明のように思います。
この歌詞を見ると、主人公は、自分を曲げずにぶつかっていって、それでも「ありのままの自分を受け入れてくれる人」を探そうとしているような印象を受けます。
ブリッジの部分の歌詞
瞬きするほど長い季節が来て
呼び合う名前がこだまし始める
聴こえる?
この部分の『瞬きするほど長い季節』という言葉は、本当に凄い表現だなと思いました。
普通は、「瞬きするほど短い」という表現になると思います。
しかし、ここでは、その逆の「長い」という言葉になっています。
これは単に、「普通とは逆の言葉を選んで驚かそう」という意図なのでしょうか?
自分としては、単純にそれだけで「長い」という言葉を選んでいるのではないと思います。
『瞬きするほど長い季節』と言うことで、主人公の「時間の感覚がわからなくなっている感じ」を表現しているのではないかと思います。
今まで過ごしていた『君』はもういないので、これからの季節は、二人で過ごすのではなく、一人で過ごさなくてはなりません。
そうなると、今までと時間の感覚が変わって、「短いのか、長いのか、時間の感覚がよくわからなくなる」と感じる人もいるでしょう。
『瞬きするほど長い季節』というのは、そういった感覚のことを表現しているような気がします。
『呼び合う名前がこだまし始める』というのは、「どこかで『君』が読んでいるような気がして、自分も心の中で『君』の名前を呼んだ」ということだと思います。
そして、心の中で呼んだので、『君』に届いていないことはわかっていながらも、つい、『聴こえる?』と言ってしまったのでしょう。
最後のサビの歌詞
さよなら 君の声を 抱いて歩いていく
ああ 僕のままで どこまで届くだろう
ここでも、『僕のままで どこまで届くだろう』という歌詞が出てきます。
この言葉が繰り返されることで、余計に、「自分を貫くぞ」という主人公の強い意志を感じます。
まとめ
スピッツ「楓」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。
この曲は、失恋について歌った曲ですが、「単純な失恋ソング」とは言えません。
失恋を経験した主人公の微妙な心理状態を、草野さんなりの表現で、細かく描写しています。
こういった微妙な感情をうまく表現できるのは、さすが草野さんだなと感じます。
そして、この曲の主人公は、「新たな一歩」を踏み出そうとしているところも、歌詞から感じ取れます。
『僕のままで どこまで届くだろう』という歌詞に、主人公の強い意志を感じます。
失恋をして落ち込んでいるとは思いますが、それでも、「自分を貫いて、相手としっかり向き合っていく」という覚悟を決めているように感じます。
この曲に使われている単語は、小学生でもわかるような、単純な言葉ばかりです。
しかし、それにも関わらず、非常に深い意味が込められていることに感心します。
「簡単な言葉を使って、奥深い表現をすること」は、非常に難しいことです。
ただ、草野さんはこういうことができているので、そういったところに、突出した作詞の才能を感じます。
ちなみに、この曲のタイトルは「楓」ですが、歌詞には、「楓」という単語は、一切出てきません。
それなのに、タイトルが「楓」になっているのは、不思議ですね。
これは、あくまで自分の想像ですが、この曲の感傷的な雰囲気が、「楓」の雰囲気と重なったので、「楓」というタイトルになったのだと思います。
「楓」と聞くと、「紅葉」を思い浮かべる人は多いと思います。
そして、紅葉の季節は当然「秋」です。
この曲は、メロディと歌詞ともに、感傷的な雰囲気なので、どことなく、「秋」のイメージが漂っています。
そのため、秋から連想して、「楓」というタイトルにしたのではないかと思います。
そして、もしこの曲が「秋の曲」だとしたら、歌詞に出てくる『瞬きするほど長い季節』というのは、冬のことを指しているのかもしれませんね。
冬というのは、実際に体験している時は長く感じますが、終わってみると、「あれ、意外と今年の冬は短かった?」と思う時があります。
もしかしたら、冬が来るイメージで『瞬きするほど長い季節が来て』という言葉を選んだのかもしれません。
色々と推測してきましたが、これはあくまで自分の想像なので、なぜ「楓」というタイトルにしたのか、真相は草野さんに聞かなければわかりません。
ただ、自分としては、なんとなく、「秋から連想して、楓というタイトルをつけた」というような気がします。
「楓」は、素晴らしい名曲なので、あまり歌詞を気にして聴いていなかった方は、歌詞に注意を向けて聴いてみてください。
そうすると、この曲が、さらに魅力的に感じると思います。