スピッツ「ロビンソン」の歌詞の考察を行います。
「ロビンソン」は、1995年にリリースされた、スピッツ11枚目のシングルです。
オリジナルアルバムでは、1995年にリリースされた「ハチミツ」に収録されています。
また、ベストアルバムにも収録されています。
この曲は、スピッツの「出世作」と言われる曲です。
シングルが出た時は、特に目立ったプロモーション活動はなかったようですが、じわじわと売れ続け、最終的には、160万枚を超える大ヒットシングルとなりました。
自分は、「ロビンソン」がヒットした時のことをよく覚えています。
スピッツの音楽については、友人にスピッツのファンがいたため、ロビンソンが出る前から聴いていました。
「ロビンソン」が出る前のスピッツは、そこまで売れておらず、「知る人ぞ知る」といった感じのバンドでした。
しかし、「ロビンソン」がじわじわと売れ続けていって、テレビの音楽チャート番組にも「スピッツ」の名前をよく見るようになりました。
それを見て、「何か凄いことになっているな」と思いました。
「ロビンソン」が大ヒットしたことで、今までは「知る人ぞ知る」という立ち位置だったスピッツが「誰もが知る国民的バンド」になりました。
そういう意味では、「ロビンソン」は、「スピッツの転換点となった1曲」です。
改めて思い返すと、あまりプロモーション活動を行っていなかったにも関わらず、あそこまで大ヒットしたのは凄いと感じます。
きっと、みんな純粋に「この楽曲の良さ」にひかれて、CDを購入したのでしょう。
この曲は、独特の浮遊感があり、心地よいメロディの曲となっています。
ただ、歌詞はとても抽象的で、「一体どんな意味なんだろう?」と疑問に思っている方も多いかと思います。
そこで、今回は、「ロビンソン」の歌詞をじっくり考察して、この歌詞に隠された意味を探っていきます。
この曲の作詞・作曲者は草野マサムネです。
歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。
「ロビンソン」の歌詞の考察
1番のAメロの歌詞
新しい季節は なぜかせつない日々で
河原の道を 自転車で 走る君を追いかけた
思い出のレコードと 大げさなエピソードを
疲れた肩にぶらさげて しかめつら まぶしそうに
曲の最初に、『新しい季節は なぜかせつない日々で』という歌詞が来ます。
『新しい季節』とは、何の季節のことでしょうか?
これはおそらく、「春」のことではないかと予想します。
ただ、新しい季節が来ているにも関わらず、この曲の主人公は、切ない気持ちを抱えているようです。
次に、『河原の道を 自転車で 走る君を追いかけた』という歌詞が続きます。
ここで、『君』が出てきます。
『君』はおそらく、主人公にとって大切な人なのではないかと思います。
『河原の道を 自転車で 走る君を追いかけた』という歌詞には、「君と過ごす何気ない日常」が描かれています。
その後には、『思い出のレコードと 大げさなエピソードを 疲れた肩にぶらさげて』という歌詞が来ます。
主人公は、思い出のレコードをバッグに入れて運んでいるのでしょう。
そして、そのレコードには「エピソード」があって、そのエピソードも一緒に運んでいるようです。
『しかめつら まぶしそうに』というのは、「光をまぶしがっている時のような、しかめつらをしていた」という意味ではないかと思います。
『疲れた肩』『しかめつら』という歌詞から、主人公は、日常生活に疲れていると推測できます。
1番のBメロの歌詞
同じセリフ 同じ時 思わず口にするような
ありふれたこの魔法で つくり上げたよ
1番のBメロでは、まず、『同じセリフ 同じ時 思わず口にするような』という歌詞が来ます。
これは、どういう意味でしょうか?
おそらく、「主人公と君が、たまたま同じ時に、同じ言葉を発した」ということでしょう。
たまにこういったことはあるので、同じような経験をしたという人もいると思います。
その現象に対して、主人公は、『ありふれたこの魔法』と言っています。
「たまたま同じ時に、同じ言葉を発すること」は、多くの場合、「偶然」起こることです。
しかし、この主人公は、「偶然」とは捉えていません。
「ありふれたことではあるけど、まるで魔法みたいだ」と言っています。
なぜこのように思うかというと、主人公にとって『君』は、非常に大切な人だからでしょう。
大切な人と「同じ時に、同じ言葉を発した」ことで、「心が通じ合った」と思って、嬉しくなったのでしょう。
その後、『つくり上げたよ』という歌詞が続きます。
一体、何をつくり上げたのでしょうか?
これは、次のサビの歌詞を見ればわかります。
1番のサビの歌詞
誰も触われない 二人だけの国
君の手を離さぬように
大きな力で 空に浮かべたら
ルララ 宇宙の風に乗る
『誰も触われない 二人だけの国』というのは、とても印象的な歌詞です。
これは、どういう意味なのでしょうか?
おそらく、「主人王と君だけしか入れない、二人だけの世界」ということだと思います。
「二人だけの世界」のことを『国』と言っているのだと思います。
1番のBメロの最後に『つくり上げたよ』という歌詞がありましたが、これは、「他の人が入ることのできない二人だけの世界」を作り上げたということでしょう。
そして、『君の手を離さぬように』という歌詞からは、「せっかく手に入れた大事な君を、絶対に手放したくない」という主人公の強い意志を感じます。
この歌詞を見ると、主人公は、君のことを本当に大切に思っているということがわかります。
次に、『大きな力で 空に浮かべたら』と来ますが、この歌詞もなかなか意味深です。
一体、何を浮かべたのでしょうか?
自分としては、「二人の愛」を浮かべたのではないかと思います。
その後には、『宇宙の風に乗る』という歌詞があります。
これもふまえると、主人公は、「二人の愛が、空に浮かんで、宇宙にまで飛んでいく」というようなイメージをしたのではないでしょうか。
サビの部分では、『ルララ』という耳慣れない言葉が出てきますが、これについて「何か意味があるのかな?」と思う人もいるでしょう。
ただ、自分としては「ルララには、特に意味はない」と思っています。
「“ラララ”だとありきたりだし、ちょっと変えて“ルララ”にするか」くらいのノリで決めたと予想します。
ただ、この部分が「ラララ」という歌詞だと全然印象に残らないので、『ルララ』にしたのは大正解だと思います。
あえて『ルララ』にすることで、この部分がとても印象深くなっています。
自分としては、「ロビンソン」がここまでヒットしたのは、サビに『ルララ』という歌詞を使ったこともポイントなのではないかと思っています。
これがあるかないかで、サビの部分の印象深さが全く変わってしまうので。
2番のAメロの歌詞
片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も
どこか似ている 抱き上げて 無理やりに頬よせるよ
いつもの交差点で 見上げた丸い窓は
うす汚れてる ぎりぎりの 三日月も僕を見てた
2番のAメロは、『片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も』という歌詞から始まります。
これは、「主人公が道端で捨て猫を見かけた」ということでしょう。
主人公は、それを見て、「自分と、どこか似ている」と思ったようです。
このことから、主人公は、「社会生活において、輝くことができていない」ということがわかります。
そして、「自分と似ている」と共感したからか、猫を抱き上げて、頬をよせたようです。
『いつもの交差点で 見上げた丸い窓』という部分は、「いつも通っている交差点の上を見上げたら、丸い窓がある建物を見つけた」ということでしょう。
そして、その丸い窓は、うす汚れていたようです。
ここの部分も、主人公は、「自分と似て、うす汚れているな」と思ったのかもしれません。
この後の『ぎりぎりの 三日月』という部分は、なかなか面白い歌詞です。
これはどういう意味なのでしょうか?
主人公が交差点を見上げた時間帯は、きっと夜だったのでしょう。
その際、空には三日月が出ていたのだと思います。
ただ、『ぎりぎりの 三日月』と言われても、「一体どんな三日月なんだ?」と思ってしまいます。
自分としては、『ぎりぎりの』というのは、主人公の精神状態が反映されている言葉ではないかと推測します。
主人公は、社会に疲れていて、ぎりぎりの状態だったので、三日月を見ても、「ぎりぎりで、しんどそうだな」と思ったのでしょう。
「自分の精神状態を三日月にも反映させてしまった」ということではないでしょうか。
2番のBメロの歌詞
待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳
そして僕ら今ここで 生まれ変わるよ
『待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳』というのは、「夢の中で君を待ちぶせして、気づいた君が驚いた」ということではないでしょうか。
主人公が見た夢の中の出来事を描いているようです。
『そして僕ら今ここで 生まれ変わるよ』というのは、「二人だけの世界を作って、新しい自分に生まれ変わる」という意味だと思います。
2番のサビの歌詞
誰も触われない 二人だけの国
終わらない歌ばらまいて
大きな力で 空に浮かべたら
ルララ 宇宙の風に乗る
ここでは、『終わらない歌ばらまいて』という歌詞が印象的です。
『終わらない歌』と聞くと、ブルーハーツの名曲、「終わらない歌」を思い浮かべる人も多いと思います。
自分としては、この『終わらない歌』という歌詞は、ブルーハーツを意識して書かれた歌詞だと推測します。
スピッツの草野さんは、「ブルーハーツが好き」ということを公言しています。
インディーズ時代、スピッツは、元々パンクバンドでした。
しかし、ブルーハーツを見て衝撃を受け、「スピッツがこのままパンクをやっていたら、絶対にブルーハーツに勝てない。もっと別の方法で勝負しないと。」と思ったそうです。
それがきっかけで、スピッツの音楽性は、ソフトなロックに変わっていったようです。
このように、ブルーハーツは、スピッツに大きな影響を与えたバンドです。
そのため、草野さんが全くブルーハーツのことを意識せず、『終わらない歌』という歌詞を書いたとは思えません。
『終わらない歌』という歌詞を書いたということは、どこか、ブルーハーツの「終わらない歌」とリンクする部分がありそうです。
ちなみに、ブルーハーツの「終わらない歌」は、「世の中に冷たくされても、自分の意志を貫いて生きていく」といった感じの歌詞になっています。
「終わらない歌を歌う」というのが、「自分の意志を貫く」ということの比喩になっている曲です。
そして、この「ロビンソン」の主人公も、ブルーハーツの「終わらない歌」の主人公のように、「世の中に冷たくされている」という点は共通しています。
そのため、ここに出てくる『終わらない歌』という歌詞にも、「自分の意志を貫くぞ」というメッセージが込められている気がします。
この歌詞に出てくる『終わらない歌ばらまいて』というのは、「世の中に冷たくされても、大好きな君とずっと一緒に過ごす」という主人公の意志表明だと私は解釈しました。
ちなみに、以前、ブルーハーツの「終わらない歌」の歌詞の考察も書いたことがあるので、興味のある方は、そちらの記事も読んでみてください。
「ロビンソン」という曲名について
歌詞を一通り見てきましたが、「なんでこの曲がロビンソンというタイトルなんだ?」と疑問に思う人もいるでしょう。
このタイトルは、草野さんいわく、「タイに旅行に行った時、『ロビンソン百貨店』というのを見かけて、曲名を決める時にそれを思い出して、『ロビンソン』という曲名にした」そうです。
どこかで、そう語っているのを見た記憶があります。
ただ、自分としては、なんとなく、このタイトルを付ける時、「ロビンソン・クルーソー」のイメージもあったのではないかと推測します。
なぜなら、この曲の歌詞をじっくり見ていくと、「ロビンソン・クルーソー」のイメージと重なる部分があるからです。
「ロビンソン・クルーソー」とは
ではここで、「ロビンソン・クルーソー」についても説明します。
「ロビンソン・クルーソー」は、イギリスの小説家のダニエル・デフォーの小説です。
「ロビンソン漂流記」と呼ばれることもあります。
主人公のロビンソン・クルーソーは、船乗りでした。
ある時、乗っていた船が難破して、無人島に漂着します。
そして、小説の中では、ロビンソン・クルーソーが28年に渡って無人島で生活する様子が詳しく描かれます。
「ロビンソン・クルーソー」と「ロビンソン」の歌詞の共通点
パッと見た感じでは、「ロビンソン・クルーソーとロビンソンの歌詞には、共通点がない」と思うかもしれません。
確かに、「ロビンソン」の歌詞には、「無人島」という歌詞は出てきません。
ただ、よくよく見ると「無人島」と近いニュアンスの言葉は出てきます。
それが、『誰も触われない 二人だけの国』という言葉です。
この言葉は、だいぶ「無人島」のイメージと近い気がします。
無人島は、誰も住んでいないため、基本的に外から誰も入ってきません。
そして、『二人だけの国』も、主人公と君以外は、誰も入ってきません。
「無人島」も『二人だけの国』も、「外部と繋がりがない」点では、共通しています。
そういう意味では、「無人島」と『二人だけの国』という言葉は、結構似ている感じがします。
草野さんがどこかで語っていた「ロビンソン百貨店からタイトルをつけた」という話は、たぶん嘘ではないでしょう。
ただ、この曲を作る際に、草野さんの頭の中に、なんとなく「無人島」のようなイメージがあったのではないでしょうか。
それで、「ロビンソン百貨店」を見た時に、「この曲はロビンソン・クルーソーっぽさもあるな。そうだ、ロビンソンにしよう」といった感じでタイトルをつけたのではないでしょうか。
真相はわかりませんが、自分としては、なんとなくそういうイメージでタイトルをつけていたのではないかと推測しています。
まとめ
スピッツ「ロビンソン」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。
歌詞に難しい言葉は使われていませんが、だいぶ抽象的で、色んな解釈ができる歌詞になっていると思います。
ただ、一つ気になるのは、歌詞に『君』は出てくるものの、「君の反応」だったり、「君の考え方」は、全く歌詞に出てこない点です。
この歌詞を見ても『君』が何を考えているのか、全くわかりません。
そのため、歌詞は、主に、「主人公の妄想の中で繰り広げられる世界」のことを描いている感じがします。
歌詞に『君』と出てきますが、これは、実際の君というより、「主人公の妄想の中の君」が描いているような気がします。
主人公には、「気になる人」はいるのだと思います。
その「気になる人」が『君』でしょう。
ただ、その人との実際の恋愛のことを描いているというより、「将来、こうなれたらいいな」という妄想を描いているのではないでしょうか。
主人公と『君』は、まだ恋人関係ではなく、ただの友達の可能性もあります。
なんとなく、主人公は、気になる人と『同じセリフ』を言ったことで舞い上がって、「これは運命だ。この人と一緒にいたい!」と思い、妄想の世界を繰り広げている感じがしますね。
という感じで、自分としては、こう解釈しましたが、これはあくまで私の解釈です。
この歌詞をじっくり見て、「これは、最愛の人との素敵なラブソングだ」と思った方は、そう解釈して楽しめばいいと思います。
この歌詞は、そのような解釈をすることも可能だからです。
抽象的で、色んな解釈ができる歌詞だからこそ、「自分なりの解釈」をして楽しめばよいと思います。
ただ、この記事を見て「そういう解釈もあったか」と思った方は、この記事の内容を頭に入れつつ、「ロビンソン」を聴き直してみてください。
そうすると、曲の印象がガラッと変わって、なかなか面白いと思います。