スピッツ「運命の人」の歌詞の考察を行います。
「運命の人」は、1997年にリリースされた、スピッツ17枚目のシングルです。
オリジナルアルバムでは、「フェイクファー」に収録されています。
また、ベストアルバムにも収録されています。
この曲は、パッと聴いた感じだと、「ポップなラブソング」といった印象です。
ただ、歌詞を見てみると、結構抽象的で、意味がわかりづらかったりします。
そこで今回は、この曲の歌詞を考察して、隠された意味を探っていきます。
この曲の作詞・作曲者は、草野マサムネです。
歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。
「運命の人」の歌詞の考察
バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日
まずは、冒頭の歌詞を見ていきます。
バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日
でもさ 君は運命の人だから強く手を握るよ
ここにいるのは 優しいだけじゃなく 偉大な獣
冒頭から、なかなかインパクトのある歌詞が出てきます。
『バスの揺れ方で人生の意味が 解かった日曜日』というのは、どういう意味でしょうか?
これは、「ふとした瞬間、ひらめいた」という意味だと思います。
人は、日々生活をしながら、頭の中では何か考えています。
何気ない日常の中で、ふと、「これだ」とひらめく瞬間は、たまにあります。
この主人公も、日曜日にバスに乗っている中で、「あ、あの人が、自分にとって運命の人だ!」とひらめいたのだと思います。
そして、『でもさ 君は運命の人だから強く手を握るよ』とあるので、その人は、一緒にバスに乗っていて、隣にいるのかもしれません。
ただ、ここで気になるのは、『でもさ』と、否定的な言葉から始まっているところです。
「運命の人を見つけたのに、なぜ、『でも』と言っているんだろう?」と不思議になりますが、この先の歌詞も見ていくと、なんとなくその意味がわかってきます。
その次の、『ここにいるのは 優しいだけじゃなく 偉大な獣』というのは、どういう意味でしょうか?
主人公自身が、「自分は普段は優しいけれど、獣のような男らしい部分もあるんだぜ」と言っているのでしょうか?
または、『君』のことを『偉大な獣』と言っている可能性もあります。
普通は、歌詞で、女性のことを『獣』とは言いませんが、草野さんの歌詞なので、女性のことを言っている可能性も十分にあります。
「しっかりと芯があって、獣のような強さのある、偉大な女性」と言っているのかもしれません。
ただ、この部分は、主人公自身のことを言っているのか、『君』について言っているのか、手掛かりが少なく、はっきりわかりません。
愛はコンビニでも買えるけれど もう少し探そうよ
さらに歌詞を見ていきます。
愛はコンビニでも買えるけれど もう少し探そうよ
変な下着に夢がはじけて たたきあって笑うよ
余計な事は しすぎるほどいいよ
扉開けたら
『愛はコンビニでも買えるけれど もう少し探そうよ』という歌詞は、なかなか意味深ですね。
これはどんな意味なのでしょうか?
『愛はコンビニでも買える』というのは、「寂しいから、とりあえず、そこまで好きでもない人と付き合うこと」を指しているのだと思います。
恋愛というのも、しようと思えば、手軽にすることもできます。
大好きな相手が見つからなくても、「まあ悪くないかな」という相手を見つけて、「付き合ってください」というと、付き合えたりします。
しかし、この歌詞では、そういう「手軽な恋愛」をしようとしている人に対して、『もう少し探そうよ』と言っているのだと思います。
手近な、そこまで好きではない人と付き合うより、「運命の人を探して、その人と付き合おう」と言っている気がします。
次の『変な下着に夢がはじけて たたきあって笑うよ』という歌詞も、どういう意味なのか、わかりにくかったりします。
自分は、この歌詞は、「運命の人と、一夜を共に過ごした時のこと」を言っているのだと思います。
「運命の人」と一夜を過ごすことになった時、主人公か『君』が変な下着を履いていたので、つい笑ってしまい、笑いながらたたきあったりしていたということでしょう。
それを考えると、この二人は、「一夜を共にする機会はあったが、最後まではいっていない」と考えることができます。
そして、『余計なことは しすぎるほどいいよ』というのも、非常にインパクトのある歌詞です。
普通、学校や社会では、「余計なことはなるべくするな」と教えられます。
しかし、ここでは、それとは真逆で、「しすぎるほどいい」と言っています。
こういう部分に、「常識から外れたことを言ってやろう」という、草野さんの隠れたパンク精神を感じます。
そして、よくよく考えると、「この言葉も、あながち間違いじゃないな」と感じます。
人生の中で、「色々と余計なことをしているうちに、自分にとって大切なものが見つかった」ということは、沢山あります。
例えば、「ロックバンドを組んで、バンドに熱中する」というのも、多くの大人からしたら、「余計なこと」になります。
「バンド活動なんて、余計なことをしていないで、真面目に勉強して、就職したら?」と言う大人は沢山います。
しかし、草野さん自身、ロックに出会って、バンド活動という「余計なこと」をしたからこそ、「音楽にずっと浸れる生活」を手に入れることができました。
そういったことを考えると、「余計なことをする」というのも人生の中では、実は重要なのだと思います。
この歌詞には、「余計なことをするからこそ、運命の人や、運命的な出来事に出会うことができる」という草野さんからのメッセージが含まれていると思っています。
そして、『扉開けたら』という歌詞は、「余計なことをしているうちに、運命の扉が開くこともあるよ」ということではないでしょうか。
1回目のサビの歌詞
1回目のサビの歌詞も見ていきます。
走る 遥か この地球(ほし)の果てまで
悪あがきでも 呼吸しながら 君を乗せて行く
アイニージュー あえて 無料(タダ)のユートピアも
汚れた靴で 通り過ぎるのさ
自力で見つけよう 神様
『走る 遥か この地球(ほし)の果てまで』というのは、「全力で、自分のやりたいことをやる」といった意味でしょうか。
ただ、『悪あがきでも』という歌詞もあるので、この主人公は、「この世の中で、自分のやりたいことをやり続けるのは難しい」とわかっているようです。
『呼吸しながら』というのは、「厳しい世の中でも、なんとか生きる」ということだと思います。
そして、『君を乗せて行く』というのは、「運命の人である『君』と一緒に生きる」ということでしょう。
次に、『あえて 無料(タダ)のユートピアも 汚れた靴で 通り過ぎるのさ』というインパクトのあるフレーズが来ます。
これは、どういう意味でしょうか?
「ユートピア」は、日本語に直すと「理想郷」です。
もっと砕けた言い方をすると、「理想的な世界」のことです。
『無料(タダ)のユートピア』というのは、「誰かから、理想的な世界が提示されること」という意味だと思います。
この曲に当てはめると、「誰かから、理想的な人を無料で紹介される」という感じでしょうか。
それは、「凄くおいしい話」だと思います。
しかし、この主人公は、『汚れた靴で 通り過ぎる』と言っています。
それはつまり、「誰かからおいしい話を提示されても、それに乗らない」ということです。
なぜなのでしょうか?
その先の歌詞を見ると、なんとなくわかってきます。
次の歌詞には、『自力で見つけよう』とあります。
これはつまり、「どんな素敵な人でも、自力で見つけないとダメ。他人から提示されても意味がないよ」ということです。
このあたりに、草野さんの「隠れたパンク精神」を感じます。
どんな素敵な人との出会いでも、「他人から紹介されると、いまいち心が盛り上がらない」ということがあります。
例えば、お見合いで、素敵な相手と出会ったとします。
ただ、せっかくお見合いで素敵な相手と出会えても、「なんとなく心が盛り上がらない」と感じる人が多いです。
なぜ心が盛り上がらないのかというと、おそらくそれは、「自分で見つけていないから」です。
やはり、恋愛において特に心が盛り上がるのは、「自分で素敵な人を見つけた時」です。
人間、自分で素敵な人を選んだ時、心は非常にときめきます。
そのため、草野さんは、この歌詞で「自分で選んで、その心のときめきを感じよう」と言っているのだと思います。
そして、『神様』という歌詞は、運命の人と、この先、うまくいくように、神様に願っているのでしょう。
悲しい話は 消えないけれど もっと 輝く明日!!
さらに歌詞を見ていきましょう。
晴れて 望み通り投げたボールが 向う岸に届いた
いつも もらいあくびした後で 涙目 茜空
悲しい話は 消えないけれど もっと 輝く明日!!
『晴れて 望み通り投げたボールが 向う岸に届いた』というのは、「いつもはなかなか届かなかったのに、今日は届いた」ということでしょう。
この部分からは、「何か、今後、うまくいきそうな予感」が漂います。
そして、『いつも もらいあくびした後で 涙目 茜空』というのは、「もらいあくびして、涙が出て、目を開けたら茜空が見えた」ということでしょう。
この部分は、「あくび」ののんきな感じと、「茜空」のセンチメンタルな感じが同居しています。
次の、『悲しい話は 消えないけれど もっと 輝く明日!!』というのは、「悲しいことは沢山あるけど、それでも、輝く明日に向かって進む」という前向きな姿勢を感じます。
なんとなく、主人公は、「運命の人を見つけたことで、前向きになっている」という印象を受けます。
2回目のサビの歌詞
2回目のサビの歌詞も見ていきます。
走る 遥か この地球(ほし)の果てまで
恥ずかしくても まるでダメでも かっこつけて行く
アイニージュー いつか つまづいた時には
横にいるから ふらつきながら
二人で見つけよう 神様
『恥ずかしくても まるでダメでも かっこつけて行く』という歌詞からは、「好きな人の前では、かっこつけたい」という主人公の気持ちが見えます。
『つまづいた時には 横にいるから』という歌詞から、「『君』が大変な時でも、側にいるよ」と主人公が思っていることがわかります。
『ふらつきながら 二人で見つけよう』というのは、「二人で頑張って試行錯誤して、解決策を見つけよう」ということだと思います。
ここでも、「誰かに解決策を教えてもらうのではなく、二人の力を使って、自力で見つけようとしている」のでしょう。
やはり、誰かから、「こうした方がいいよ」と解決策を教えてもらっても、そのまま自分達に当てはめると、どうもしっくりこなかったりします。
また、他人のやり方というのは、どうも自分と合わないということもあります。
それならば、「大変かもしれないけど、自分達で解決策を見つけた方がいい。その方が納得できる」と、この主人公は思っているのでしょう。
ブリッジの部分の歌詞
ブリッジの部分の歌詞も見ていきます。
神様 神様 神様 君となら...
このまま このまま このまま 君となら...
この部分は、「『君』と、この先もうまくいくこと」を神様に祈っています。
これを見ると、「せっかく運命の人を見つけたのだから、なんとかうまくいってほしい」という主人公の強い気持ちを感じます。
まとめ
スピッツ「運命の人」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。
歌詞を一通り見ると、「運命の人を見つけたこと」に対する、主人公の高揚感を強く感じます。
ただ、注目したい点は、この歌詞には、「『君』の気持ち」が全く出てきていないことです。
また、「『君』の反応」も、ほとんど歌詞に出てきません。
そのため、相手がどう思っているのか、はっきりわからないままです。
ただ、この歌詞の情報から推測すると、『君』は、主人公のことを「友達以上、恋人未満」くらいに思っていそうな感じがします。
多少の好感は持っていそうですが、「悪くはないけど、付き合う程ではないかな」という感じかもしれません。
そう考えると、この曲は、「主人公が、勝手に相手のことを『運命の人だ』と思い込んで、暴走しているラブソング」のような気がします。
そうなると、一歩間違うとストーカーになりそうな感じもして、「大丈夫かな?」と少し不安になる部分もありますね。
そして、冒頭の歌詞に出てきた、『でもさ』という部分を見ると、主人公は、「『君』は、僕のことを、そこまで好きになってくれてはいない」と薄々勘づいているのかもしれません。
この、『でもさ』は、「君は僕のことを運命の人だとは思っていない。でもさ、君は僕の運命の人だから」という意味かもしれません。
そうなると、「もっと僕のことを好きにさせてやる」と強引な手段に出そうな雰囲気もあって、ちょっと怖さもあります。
ただ、これはあくまで、私自身の解釈です。
歌詞の解釈の仕方によっては、「運命の人と過ごす、幸せなラブソング」と受け取ることも可能です。
歌詞を見て、「これは、運命の人と過ごす、幸せなラブソングだ」と思った人は、そう解釈して楽しめばいいと思います。
無理に、「主人公が暴走しているラブソング」と思う必要はありません。
なんとなく、草野さんは、「運命の人と過ごす、幸せなラブソング」という解釈と、「主人公一人が勝手に盛り上がって暴走しているラブソング」という両方の解釈ができるように作っている気がします。
もしそうだとしたら、「さすが草野さん、歌詞の作り方がうまいな」と感心してしますね。
そして、じっくりこの歌詞を見ていると、「運命の人というのは、見つけるだけで物凄いパワーが出てくるものだな」ということを改めて感じます。
運命の人というのは、ある意味、「見つけられただけで幸せ」なのかもしれません。
もちろん、その人と付き合えたら、さらに幸せになれると思います。
しかし、うまくいかなかったとしても、運命の人を見つけただけでも幸せな気分になりますし、前向きなパワーも出てきます。
そういう意味では、運命の人というのは、「見つけることができれば、仮にうまくいかなかったとしても、十分に価値がある」と言えるのかもしれません。