しょうの雑記ブログ

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ブルーハーツ「終わらない歌」の歌詞の考察

 ブルーハーツ「終わらない歌」の歌詞の考察を行います。

 

 この曲は、ブルーハーツの代表曲です。

 

 「ブルーハーツの曲」と言われた時に、「リンダリンダ」か「終わらない歌」を思い浮かべる人が多いはずです。

 

 それくらい、人気のある曲です。

 

 オリジナルアルバムでは、「THE BLUE HEARTS」に収録されています。

 

 

 また、多くのベスト盤にも収録されています。

 

 

 

 

 

 この曲は、メロディも素晴らしいですが、歌詞が本当に素晴らしい曲です。

 

 歌詞を聴いていると、歌詞が胸に刺さってくるような感じがします。

 

 この曲の歌詞は、基本的には分かりやすいですが、少し抽象的な部分もあります。

 

 特に、「終わらない歌」という言葉が何を意味するのかについては、様々な意見があります。

 

 そこで今回は、この曲の歌詞について、詳しく考察していきます。

 

 ちなみに、この曲の作詞・作曲は真島昌利(マーシー)です。

 

 歌詞の全文は、以下のサイトで見られます。

 

www.utamap.com

 

 

 

 

 

 

 

「もうだめだと思うことは 今まで何度でもあった」

 まずは、前半の部分の歌詞を見ていきましょう。

 

世の中に冷たくされて 

一人ボッチで泣いた夜

もうだめだと思うことは 

今まで何度でもあった

 

 この部分からもう、言葉が胸に刺さります。

 

 人間、誰しも、失敗することはあります。

 

 そのため、誰でも、このような気持ちになったことは、一度くらいはあるのではないでしょうか。

 

 そういう時の気持ちが蘇ってくるような歌詞です。

 

「ホントの瞬間はいつも 死ぬほど怖いものだから」

 次に、このような歌詞が続きます。

 

真実(ホント)の瞬間はいつも

死ぬ程こわいものだから

逃げだしたくなったことは

今まで何度でもあった

 

 この歌詞を聴くと、「確かにその通り」と納得します。

 

 生きていると、「ホントの瞬間」は何度も訪れます。

 

 例えば、「試験の合格発表」「好きな人に告白する」「会社の採用面接」などです。

 

 これらは、うまくいく可能性もありますが、失敗する可能性もあります。

 

 そして、失敗すると、一気に地獄に叩き落されたりします。

 

 そのため、「試験を受けるのが怖い」「告白するのが怖い」「採用面接が怖い」と思って、逃げ出したくなったりします。

 

 また、生きていると、「突然、会社をクビになる」、「親しい人が突然亡くなる」といった「ホントの瞬間」が訪れることもあります。

 

 急にそういう瞬間が来ることは、死ぬ程こわいものですし、そういう瞬間が急に来ると、「もうこの人生は嫌だ。逃げ出したい」という気分になったりします。

 

 そういう意味では、この歌詞は、人生のシビアな部分をうまく言い表しています。

 

サビの部分の歌詞

 サビ前はかなりネガティブな歌詞でしたが、サビの部分に入ると、一転して、「今は厳しい状況に置かれているけれど、その状況を跳ねのけてやろう」という強い意志が感じられます。

 

終わらない歌を歌おう

クソッタレの世界のため

終わらない歌を歌おう

全てのクズ共のために

終わらない歌を歌おう

僕や君や彼らのため

終わらない歌を歌おう

明日には笑えるように

 

 『終わらない歌』という言葉が連呼されますが、パッと聴いただけでは、その意味はよく分かりません。

 

 サビの部分では、『終わらない歌を歌おう』という歌詞に続く部分に注目してみましょう。

 

 この部分に「終わらない歌を歌う理由」が記されているからです。

 

「クソッタレの世界のため」

 まずは、『クソッタレの世界のため』に歌うと言っています。

 

 「クソッタレで酷い世界だけど、その世界をほんの少しでも変えるために、歌う」ということでしょうか。

 

「全てのクズ共のために」

 次に、『全てのクズ共のために』歌うと言っています。

 

 この歌の主人公は、世の中から「クズ扱い」されています。

 

 主人公の境遇は、「マーシー自身」と重なる部分もあるでしょう。

 

 マーシーも、バンドをやっていることで、世の中の人から散々、「クズ扱い」されてきたのでしょう。

 

 しかし、だからこそ、「クズ扱いされる辛さ」を人一倍わかっているのだと思います。

 

 そのため、「自分と同じように、世の中からクズ扱いされている人のために歌いたい」という気持ちが強いのでしょう。

 

「僕や君や彼らのため」

 さらに、『僕や君や彼らのため』に歌うとも言っています。

 

 ここでは、「終わらない歌を歌うのは、自分のためでもあるけれど、同時に人のためでもある」ということを宣言しています。

 

 この歌詞からは、「自分が何か行動することで、自分自身を変えるだけでなく、人にも影響を与えたい」という意志を感じます。

 

「明日には笑えるように」

 最後に、『明日には笑えるように』歌うと言っています。

 

 これは、「今は辛い状況にあるけれど、動かなければ何も変わらない。明日を少しでも良くするために、行動を起こす」ということだと思います。

 

「人との関係性」についての歌詞

 また、「人との関係性」について歌われた部分もあります。

 

 この部分も素晴らしいので、詳しく見てみましょう。

 

なれあいは好きじゃないから

誤解されてもしょうがない

それでも僕は君のことを

いつだって思い出すだろう

 

 ここで歌われている「君」というのは、恋人なのか、友人なのかは、はっきりわかりません。

 

 ただ、文脈を見ると、おそらく友人関係ではないかと思います。

 

 今回は、ここで出てくる「君」というのは、「友人」ということにして解説します。

 

 『なれあいは好きじゃないから 誤解されてもしょうがない』というのは、「親しい友人からの頼みだとしても、自分の納得のできないことはしない」ということでしょう。

 

 そこで友人から誤解されて、離れていっても、それはそれで仕方ないと割り切っているということでしょう。

 

 しかし、そこでバッサリ友人関係を切るのではなく、『それでも僕は君のことを いつだって思い出すだろう』と言っています。

 

 この考え方は素晴らしいです。

 

 つまり、「自分のことを誤解されたとしても、自分は相手の良い部分はわかっている。だから、その友人のことをバッサリ切らないし、その人のことを、いつでも思い出す」と言っているのです。

 

 最近は、「少しでも合わない部分があると、友人関係をバッサリ切ってしまう」人が多くなっています。

 

 それはそれで良い部分もあるので、そういう人を完全に否定はしません。

 

 しかし、そうなると、「相手の良い部分」を見逃してしまう危険があります。

 

 例えば、何か一つ気に食わないことがあって、「あいつは全てダメだ」と判断したとします。

 

 そうなると、よく見ると良い部分があるのに、その部分を無視して「全部ダメ」と決めつけてしまうことになります。

 

 それは、非常にもったいないことです。

 

 意見が合わない人でも、その人の中の良い部分に気づければ、それを自分に取り入れることができますが、ちょっと見ただけで「全部ダメ」と切り捨てると、そういう機会を逃します。

 

 また、一部分だけ見て「全部ダメ」と切り捨てる思考は、「差別」にも繋がります。

 

 そういう点でも、良くなかったりします。

 

 しかし、この歌詞の主人公は、自分が誤解されたとしても、きちんと相手の良い部分は見ようとしています。

 

 この姿勢は、本当に素晴らしいです。

 

 こういう部分に、「マーシーの優しさ」や「人としての懐の深さ」を感じます。

 

 この歌詞に出てくる「人との関係性のありかた」は、実生活でも非常に参考になります。

 

 

 

 

 

まとめ

 「終わらない歌」の歌詞を一通り見てきましたが、この歌の中で、「終わらない歌の意味」については、特に述べられていません。

 

 これは、「『終わらない歌』の意味の解釈については、各自に任せる」ということだと思います。

 

 自分としては、「終わらない歌」とは、「人生」という意味だと思いました。

 

 何かショックなことが起きた時、「人生、終わった」と思うことがあります。

 

 しかし、そう思ったとしても、実際に死なない限りは、人生は終わりません。

 

 「終わった」と思っても続いていくという意味では、人生というのは、「終わらない歌」と言うこともできるでしょう。

 

 自分は、この曲については、「終わりそうでなかなか終わらないこの人生を、しぶとく生きよう」ということだと解釈しました。

 

 この歌は、「人生はしんどいことが多いけれど、それでも、生きている限りは、しぶとく生きていこうぜ」というマーシーからのメッセージだと思います。