しょうの雑記ブログ

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スピッツ「チェリー」の歌詞の考察

 スピッツ「チェリー」の歌詞の考察を行います。

 

 「チェリー」は、1996年にリリースされた、スピッツ13枚目のシングルです。

 

 オリジナルアルバムでは、「インディゴ地平線」に収録されています。

 

 

 また、ベストアルバムにも収録されています。

 

 

 「チェリー」は、「スピッツの代表曲」と言える曲です。

 

 日本人であれば、ほとんどの人が、一度は聴いたことのある曲だと思います。

 

 この曲のイメージを聞くと、あまりじっくり聴いたことのない方は、「幸せなラブソング」と答えると思います。

 

 確かに、サビをパッと聴いた印象では、「幸せなラブソング」に聴こえます。

 

 そう思った方は、一度、歌詞の意味を考えながら、じっくり聴いてみてください。

 

 すると、「あれ、これはもしかして、幸せなラブソングではないかもしれない」と気付くでしょう。

 

 この歌詞は、よく聴くと、歌詞に深い意味が込められていることがわかります。

 

 そこで、ここからは、「チェリーの歌詞に込められた意味」について、じっくりと考察していきます。

 

 この曲の作詞・作曲は、草野マサムネです。

 

 歌詞の全文は、以下のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

一番のAメロとBメロの歌詞

 まずは、一番のAメロとBメロの歌詞を見てみましょう。

君を忘れない 曲がりくねった道を行く

産まれたての太陽と 夢を渡る黄色い砂

二度と戻れない くすぐり合って転げた日

きっと 想像した以上に 騒がしい未来が

僕を待ってる

 

 冒頭から、『君を忘れない』という意味深な歌詞が出てきます。

 

 このように言うということは、「今、目の前に、君はいない」ということがわかります。

 

 「君」とは、おそらく、恋人のことでしょう。

 

 そして、『曲がりくねった道』という言葉も気になります。

 

 幸せなラブソングであれば、このような言葉は使わず、「まっすぐな道」という歌詞を使うと思います。

 

 しかし、ここではあえて『曲がりくねった道』と言っていて、どこか不穏な空気を醸し出しています。

 

 また、『夢を渡る黄色い砂』という歌詞も、意味深です。

 

 これは、「夢の中で黄色い砂が出てきた」という意味なのでしょうか?

 

 もしくは、「死ぬ前に見る、三途の川」のような意味のようにも思えます。

 

 ただ、これだけではよくわかりません。

 

 そして、『二度と戻れない』という歌詞が出てきます。

 

 これは、「君にもう会えない」という意味なのか、「君と一緒に過ごした過去の日々はもう戻らない」という意味なのか、ここではよくわかりません。

 

 ただ、ネガティブな雰囲気は伝わってきます。

 

 『くすぐりあって転げた日』というのは、「恋人として一緒に過ごした日」という意味だと思います。

 

 そして、『想像した以上に 騒がしい未来が 僕を待っている』という歌詞から、「今後は、今までとはガラッと違う状況になる」ということを予感させます。

 

 この冒頭の部分の歌詞を聴いただけでも、「どうやら、幸せなラブソングという訳ではなさそうだぞ」という雰囲気がひしひしと漂ってきます。

 

一番のサビの歌詞

 次に、サビの部分に入ります

「愛してる」の響きだけで 強くなれる気がしたよ

ささやかな喜びを つぶれるほど抱きしめて

 

 このサビの部分は、「ラブソングの王道」のような歌詞です。

 

 サビの歌詞だけ聴くと、「幸せなラブソング」に思えます。

 

 この曲のイメージを聞かれて、「幸せなラブソング」と答える人は、おそらく、サビ以外の歌詞をあまりじっくり聴かず、サビのイメージだけで答えているのだと思います。

 

 ただ、このサビの歌詞も、よく聴くと少し引っかかる部分があります。

 

 まず、『強くなれる気がした』という部分です。

 

 普通、ラブソングでは、「君のおかげで強くなれた」と言い切ることが多いです。

 

 しかし、ここでは、そう言い切っていません。

 

 あくまで『気がした』だけです。

 

 そのため、本当に強くなったのかはわかりません。

 

 しかも、『した』と過去形になっている部分もひっかかります。

 

 過去形になっていることで、「あれ、過去のことなの?」という違和感が残ります。

 

 そして、『ささやかな喜び』という歌詞も、少し気になります。

 

 ラブソングというのは、一般的に「恋人と一緒に過ごすことの素晴らしさ」を歌っているものが多いです。

 

 そのため、この部分に関しては、『ささやかな喜び』と言わず、「大きな喜び」とか、「かけがえのない喜び」という歌詞にする場合が多いと思います。

 

 しかし、ここでは、あえて『ささやかな喜び』と言っているので、「なんだか控えめなラブソングだな」という印象を受けます。

 

 そして、『つぶれるほど抱きしめて』という部分も、ややひっかかります。

 

 「つぶれる」というのは、マイナスなイメージを持つ言葉です。

 

 そして、「つぶれるほど抱きしめる」ということは、「過度に力を入れて抱きしめる」ということになります。

 

 そうなると、なんでそこまで力を入れて抱きしめているんだ?」という疑問も湧いてきます。

 

 このように、サビの部分は、パッと聴いただけだと「王道のラブソングの歌詞」という気がしますが、じっくり聴くと、「あれ、なんかちょっと違うかも」という違和感が残ります。

 

二番のAメロとBメロの歌詞

 次に、二番の冒頭の歌詞を見てみます。

こぼれそうな思い 汚れた手で書き上げた

あの手紙はすぐにでも 捨てて欲しいと言ったのに

少しだけ眠い 冷たい水でこじあけて

今 せかされるように 飛ばされるように 

通り過ぎてく

 

 ここでも、所々、不穏な言葉が出てきます。

 

 まず気になるのは、『汚れた手』という言葉です。

 

 これは、「物理的に手が汚れている」ということでしょうか?

 

 もしくは、「何か酷いことをしてしまって、自分は汚い人間だ」というような意味でしょうか?

 

 どちらの意味かわからないですが、ネガティブな言葉であることは間違いありません。

 

 また、手紙について『捨ててほしいと言ったのに』と言っている箇所も気になります。

 

 恋人にあてた手紙であれば、「できるだけ長く取っておいてほしい」と思うのが普通です。

 

 しかし、ここでは、「捨ててほしいと言ったのに、なんでまだ取ってあるんだ」というニュアンスの言葉です。

 

 これは、ちょっと、普通ではない感じがします。

 

 『冷たい水でこじあけて』というのは、「冷たい水で顔を洗って、無理矢理、眠気を覚ます」という意味でしょうか。

 

 そして、『今 せかされるように 飛ばされるように 通り過ぎてく』という部分も気になります。

 

 この言葉を見ると、この曲の主人公には「余裕がない」ことがわかります。

 

 「自分は、もう少しゆっくりしたいのに、それに反して、周りは凄いスピードで動いている」といった感じです。

 

 この部分の歌詞を見ても、ネガティブな言葉が散りばめられていることがわかります。

 

二番のサビの歌詞

 次は、また、サビの歌詞が来ます。

 

 一番のサビの歌詞から、少し歌詞が変わっています。

「愛してる」の響きだけで 強くなれる気がしたよ

いつかまたこの場所で 君とめぐり会いたい

 

 ここでは、『いつかまたこの場所で 君とめぐり会いたい』という箇所が気になります。

 

 この部分を見ると、「この場所に、君はもういない」ということが、はっきりとわかります。

 

 そして、この場所に君はいないけれど、「また君とめぐり会いたい」という主人公の願望が歌われています。

 

Cメロの歌詞

 Cメロの歌詞も見てみましょう。

どんなに歩いても たどりつけない

心の雪でぬれた頬 

悪魔のふりして 切り裂いた歌を

春の風に舞う花びらに変えて

 

 Cメロの歌詞は、だいぶ抒情的ですが、ここでも、意味深なフレーズが出てきます。

 

 『どんなに歩いても たどりつけない』という歌詞からは、「頑張っても、思い通りにはならない」という絶望感があります。

 

 『心の雪でぬれた頬』という部分は、草野さんらしい詩的な表現ですが、もの悲しさがあります。

 

 『悪魔のふりして 切り裂いた歌』という部分には、「心の闇」を感じます。

 

 ここまでは、かなりネガティブな印象の歌詞です。

 

 ただ、これに『春の風に舞う花びらに変えて』という歌詞が来ることで、「完全に希望は捨てていない」ということがわかります。

 

 このフレーズがあることで、ネガティブな印象が少し和らぎます。

 

ラストのサビの歌詞

 ラストのサビの歌詞についても見てみましょう。

「愛してる」の響きだけで 強くなれる気がしたよ

ささやかな喜びを つぶれるほど抱きしめて

ズルしても真面目にも 生きてゆける気がしたよ

いつかまた この場所で

君とめぐり会いたい

 

 ここで注目すべきなのは、『ズルしても真面目にも 生きてゆける気がしたよ』という部分です。

 

 普通、ラブソングでは「君のために、まっすぐに生きる」といったようなフレーズを使いがちです。

 

 しかし、ここでは『ズルしても』というフレーズが入っているのがユニークです。

 

 こう言っているのは、「君がいない喪失感が強い」ということでしょうか。

 

 「君がいない」ので、「真面目に生きる」とはっきり言えないのかもしれません。

 

 心の支えがないので、「もしかすると、ズルして生きてしまうかも」と言っているような気がします。

 

 また、「生きていける」と言い切らずに、『生きていける気がしたよ』と言っています。

 

 これも、「君がいないので、と言い切れるほどの自信が持てない」ということかもしれません。

 

 そして最後は、『いつかまた この場所で 君とめぐり会いたい』という歌詞が来ます。

 

 目の前に「君」はいませんが、それでもなお、「君に会いたい」という強い願望で締めくくられます。

 

 このことから、「君」は、この歌の主人公にとって、「目の前にいなくなっても、凄く大切な存在」ということがわかります。

 

 

 

 

 

まとめ

 ここまで、スピッツ「チェリー」の歌詞について、詳しく見てきました。

 

 既に皆さん、お気づきのように、この曲は、幸せなラブソングではありません。

 

 歌詞をじっくり見ると、それがわかります。 

 

 どういった事情でいなくなったのかは、この歌詞には記されていません。どういった事情でいなくなったのかは、この歌詞には記されていません。

 

 ただ、自分としては、『「君」は、もう既に亡くなっている』と解釈しています。

 

 もちろん、解釈によっては、『「君」はまだ生きているけれど、何かの事情で会えない』ということも考えられます。

 

 しかし、この歌詞全体に漂う深い喪失感を考えると、『「君」は、もう既に亡くなっている』と考える方がしっくりきます。

 

 この曲は、サビの歌詞をパッと聴くと、「幸せなラブソング」にも聴こえます。

 

 しかし、歌詞をじっくり聴き込むと、「亡くなった恋人に向けたラブソング」に聴こえます。

 

 サビだけパッと聴いた場合と、歌詞をじっくり聴き込んだ場合に、真逆の印象になるのが非常に面白いです。

 

 これはおそらく、草野さんの狙いだと思います。

 

 「草野さん流の遊び心」でしょう。

 

 こういう歌詞の作り方は、「さすが草野さんだ。巧妙だな」と感心します。

 

 もし、この曲を「幸せなラブソング」と思っていた方がいたら、「亡くなった恋人に向けたラブソング」と思って再び聴いてみてください。

 

 そうすると、曲の印象がガラッと変わって、非常に面白いと思います。