しょうの雑記ブログ

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「自分の余命はあと2年」と仮定して生きてみる

 毎日、生活を送る中で、「生きている意味がわからない」「目的もなく、ダラダラ過ごしてしまっている」と感じている人は多いと思います。

 

 どうしても、「自分があとどれくらい生きるのか」がわからないと、生きている意味が見つけづらいですし、目的もなくダラダラ過ごしがちになります。

 

 ただ、「自分の人生がいつ終わるのか」は誰にもわかりません。

 

 90歳まで生きる可能性もありますが、明日、事故にあって死んでしまうこともあります。

 

 多くの人は、「自分は、大体、80歳くらいまで生きるだろう」と思って生きています。

 

 今現在、40歳の人でも、80歳になるまでには、あと40年もあります。

 

 「あと40年も生きる」と思うと、一体何を目標にして生きていけばいいか、よくわからなくなります。

 

 その結果、生きる意味がわからず、ダラダラした生活を送りがちになります。

 

 自分も、そういう生活になりがちでした。

 

 そこで、ある時、「もう少し、張りのある人生を送るには、どうすればいいか」ということを真剣に考えてみました。

 

 色々と考えた結果、ふと、「自分の人生は、余命2年」と仮定して生きてみると良いのではないかと思いつきました。

 

 余命を「2年」にしたのには、理由があります。

 

 まず、「1年」にすると、「あまりにも短い」と思ってしまうからです。

 

 日々、生活をしていると「1年」はあっという間です。

 

 ついこの間、正月だったと思ったら、もう大晦日になっていて「1年は早いな」と感じる人も多いでしょう。

 

 そのため、「1年」にしてしまうと、「わずか1年しかない」という焦りが出てきてしまうので、「1年」という設定はあまり良くないと考えました。

 

 そして、「3年」にしてしまうと、「3年なら、まだもうちょっとあるな」という気持ちが出てきてしまい、気持ちが緩みすぎてしまうと感じました。

 

 そういう意味では、「2年」というのは、「短いけれど、あまりに短すぎるという程でもない」絶妙な年数ではないかと思いました。

 

 それで、あえて「2年」という設定にしました。

 

 「自分の余命はあと2年」と仮定して生活を送ってみると、だいぶ、自分の中の意識は変わりました。

 

 「あと2年しか生きられない」と思うと、「好きなこと」「興味があること」「面白いこと」を優先して行うようになりました。

 

 「80歳くらいまで生きるだろう」と思うと、今、目の前に面白そうなことがあっても、「後でもいいか」と思いがちです。

 

 しかし、「あと2年しか生きられない」と思うと、「今やらなければ」という意識が働き、面白そうなことをすぐにやるようになります。

 

 面白そうなことをすぐにやるようにすると、生活の中で面白いことが増えていくので、生活の満足感は増した気がします。

 

 また、「あと2年しか生きられない」と思うと、「嫌いなこと」「面白くないこと」「余計なこと」はなるべくしなくなります

 

 人生があと2年しかないのに、そんなことをしていたら、時間がもったいないからです。

 

 生活の中では、「どうしても避けることのできない嫌いなこと」もあります。

 

 そういうことは、仕方ないので、嫌いなことでも行います。

 

 しかし、世の中には、「避けることのできる嫌いなこと」も沢山あります。

 

 「自分の余命はあと2年」と仮定してからは、避けることのできる嫌いなことは、なるべく避けるようになりました。

 

 そして、「そこまで面白くないけど、時間が潰せるもの」も、なるべくやらなくなりました。

 

 そんなことをしていたら、時間がもったいないからです。

 

 また、気が合わない友人とは、なるべく会わなくなり、連絡も取らないように心がけるようになりました。

 

 気が合わない人に貴重な時間を使うのは、もったいないからです。

 

 そうすると、生活の中で嫌いなことをする頻度は減り、気の合わない人に会うことも減ったので、以前に比べて生活が快適になりました。

 

 軽い気持ちで、「自分の余命はあと2年」と仮定して生活するようにしてみましたが、実際にやってみると、かなりのメリットがありました。

 

 そもそも、人間以外の動物は、「自分の好きなこと」ばかりやっていて、嫌いなことはやろうとしません。

 

 自分から積極的に嫌いなことをやっている動物は、人間だけです。

 

 嫌いなことを積極的にやっているから、精神が病んでくるのです。

 

 動物のように、「好きなことをやって、嫌いなことをやらない」ようにすると、基本的に精神は病みません。

 

 そして、「余命あと2年」と仮定して生活すると、好きなことを優先的に行って、嫌いなことを避けるようになるので、精神的に病みづらくなります。

 

 「精神的に病みづらくなる」とうのは、かなり大きなメリットだと思います。

 

 「将来のために、嫌なことを我慢してやれ」と言う人がいますが、それは果たして意味があるのでしょうか?

 

 嫌なことを積極的にやっても、それが将来報われる保証はありません。

 

 また、将来のために嫌なことを我慢してやっても、明日、事故にあって死んでしまう可能性だってあります。

 

 そうなったら、わざわざ積極的に嫌なことをした意味はありません。

 

 そう考えると、よくわからない将来のために嫌なことをやるより、今できる楽しいことを積極的にやる方が良い気がします。

 

 その方が、生物として活き活きしてくるのではないでしょうか。

 

 また、「自分の余命はあと2年」と仮定すると、「迷って決断がなかなか下せなかったこと」でも、きっぱりと決められるようになったりします。

 

 人は、「現在VS将来」で迷って、決断を下せないことが多いです。

 

 「今現在はこれがやりたいけれど、将来のことを考えると別の選択をした方が良いか」というパターンです。

 

 こういう場合は、「現在の自分」と「将来の自分」が言い合いをして、なかなか結論が出せません。

 

 それにより、「結論は後回し」になったり、「折衷案」を結論として出してしまう人が多いです。

 

 ただ、それはあまり良いことではありません。

 

 「結論を後回し」にすると、今ある楽しいことを楽しめる機会を逃してしまいます。

 

 また、結論を後回しにすると、将来のための準備も遅くなります。

 

 結論を後回しにすると、今現在のためにもなりませんし、将来のためにもあまり良くありません。

 

 また、「折衷案」にすると、「今現在に対しても、将来に対してもイマイチな選択」をしてしまうことが多くなります。

 

 これも、今現在に対しても、将来に対しても、あまり良いことではありません。

 

 その点、「自分の余命はあと2年」と仮定していると、こういう決断の機会が来ても、あまり迷いません。

 

 基本的に「今現在」を優先するようになるからです。

 

 余命が2年だとしたら、「将来」というのは、最高でも2年後のことです。

 

 そのため、2年以上先の将来については、考える必要がなくなります。

 

 「2年以上先の将来を考えなくていい」となると、必然的に、「今ある楽しいことを優先しよう」という気分になります。

 

 それにより、こういった決断の機会が生じても、パッと「今、楽しいことをやろう」と決断することができます。

 

 ただ、こういうことを言うと、「今の楽しみを優先してしまうと、将来を捨てることになるのでは?」と思う人もいるでしょう。

 

 しかし、単純にそうとは言い切れません。

 

 結局、将来というのは、「今の積み重ね」だからです。

 

 楽しいことをしていると、自然と、そのことに対するスキルが向上してきます。

 

 また、楽しいこと優先的に行って、ポジティブに過ごしていると、「あの人、なんだか面白そう」と人が寄ってくることがあります。

 

 そうすると、「今の楽しみを優先していたのに、それが将来のためになった」というパターンも結構あります。

 

 逆に、「将来のため」と言って、今の楽しみを我慢していると、「あの人、なんだか性格がきつくて陰気だね」と思われて、人が寄ってこなくなったりします。

 

 せっかく「将来のため」と思って努力していても、将来的に、たいしたものが残らない場合もあります。

 

 そうなると、結構悲惨です。

 

 結局、「将来のため」と思って行動していても、その行動が本当に将来のためになるかはわかりません。

 

 将来のことは、誰にもわからないですから。

 

 それならば、よくわからない将来のことよりも「今、目の前にある楽しいこと」を優先して生きた方が、良いのではないかと思います。

 

 それが将来のためになるかはわかりませんが、「今現在の楽しみ」は、確実に得られるわけですから。

 

 「自分の余命はあと2年」と仮定すると、「今現在の楽しみ」を優先しやすくなることは確かです。

 

 人によって「合う・合わない」はあると思いますが、自分としては、「余命はあと2年」と仮定して生きてみることは、かなりメリットが多かったです。

 

 そのため、「生きる意味がわからない」と思っている方や、「毎日をダラダラ過ごしてしまう」という方は、試しに「自分の余命はあと2年」と仮定して生きてみてはいかがでしょうか。

 

 そうすることで、今まで見えなかったことが見えてくることもあります。

 

 あえて、自分の余命を仮定して決めて生きることで、逆に活き活きと生きられる場合もあります。

 

 

 

「世界が平和になる方法」を考えてみました

 2022年の2月24日、ロシアのプーチン大統領がウクライナに宣戦布告し、ロシアとウクライナの間で戦争が始まりました。

 

 このニュースを見た時は、できるだけ犠牲者が少なくなることを願っていましたが、残念ながら、多くの犠牲者が出ています。

 

 ウクライナ情勢に関するニュースを見るたび、重い気分になります。

 

 そして、「なんで、多くの人が忌み嫌っている戦争が起こるのだ?」という気持ちになります。

 

 世の中のほとんどの人は、「戦争はしない方が良い」と思っています。

 

 しかし、それにも関わらず、世界中で戦争が起きています。

 

 戦争というのは、何も理由がなくて起こるようなものではありません。

 

 何かしらの理由があるはずです。

 

 そこで今回は、「なぜ戦争が起こるのか」「世界が平和になるためにはどうすればいいか」ということについて、自分なりに考えてみました。

 

 

 

 

 

 

 

戦争が起こる原因

 戦争が起こる原因は様々です。

 

 ただ、今まで起こってきた戦争を見ていくと、ある共通の原因が見えてきます。

 

戦争は、「他者(他国)を支配したい」という「支配欲」により起こる

 戦争には様々なものがあります。

 

 しかし、どの戦争も、元を辿れば「相手(他国)を支配したい」という気持ちが発端となっています。

 

 例えば、A国とB国があったとします。

 

 この両国は、考え方が異なり、度々、意見が対立していました。

 

 最初はB国と交渉してきたA国ですが、「このままじゃ話が進まない。口で言ってもわからないなら、力ずくで言うことを聞かせてやろう」とB国に軍隊を送り込みます。

 

 それにより、戦争が起こりました。

 

 この例では、「力ずくでも、B国に言うことを聞かせてやりたい」という支配欲から、戦争が起こっています。

 

 別の例を挙げます。

 

 Cは、「自分の国は狭いし、資源も少ない。もう少し、土地や資源が欲しい」と考えました。

 

 近くを見てみると、隣にD国があり、土地も広く、資源も潤沢でした。

 

 そこでC国は、D国に対して、「少し土地や資源を分けてくれないか」と交渉しました。

 

 しかし、「そんなことをしても、うちの国が損をするだけだ」と、要求を聞き入れません。

 

 怒ったC国は、「だったら力ずくで手に入れてやる」と戦争を仕掛けます。

 

 これは侵略戦争のパターンですが、これも「D国を支配して、土地や資源を手に入れたいという支配欲が原因となっています。

 

 これ以外にも、戦争に至るには様々なパターンがありますが、元を辿れば、「支配欲」が原因となっている場合がほとんどです。

 

 「人を支配すること」には、確かに快感が伴います。

 

 人を支配すると、その人は、自分の意のままに動いてくれます。

 

 それは、ある意味、非常に気持ちのいいことです。

 

 人間には、支配欲がない人もいますが、「支配欲」を持った人もいます。

 

 そして、国の指導者になる人は、支配欲が強い場合が多くなっています。

 

 特に、独裁制の国で指導者になりたがる人は、指導者の中でも支配欲が特に強い人でしょう。

 

 しかし、そういった独裁的な指導者がいる国は、戦争を引き起こしやすくなります。

 

 一方、民主主義の国では、指導者の決定だけでは「戦争を行う」という決定はできません。

 

 しかし、「他国を支配したい」という国民が多いと、投票により「戦争を行う」という決定が下されます。

 

 そうなった場合も、戦争が起こります。

 

 やはり、戦争を引き起こす大元は、「人が持つ支配欲」と言うことができるでしょう。

 

支配された側には憎悪が生まれ、憎悪が戦争の連鎖を起こす

 戦争を仕掛けて、どちらかの国が勝つと、勝った国が負けた国を支配します。

 

 しかし、これが、新たな戦争の火種を生みます。

 

 例えば、A国がB国に戦争を仕掛けて、A国が勝ったとします。

 

 そうなると、B国は、A国の支配下に置かれます。

 

 A国の支配下に置かれると、B国の指導者や国民は、A国の支配にとりあえず従うようになります。

 

 そこで反抗すると、投獄されたり、処刑されたりする恐れがあるため、「とりあえず」従うのです。

 

 しかし、支配下に置かれているB国の国民の心の中は、はらわたが煮えくり返っていたりします。

 

 基本的に、「他者から支配される」というのは、不快なことだからです。

 

 しかも、戦争によって無理矢理、支配されることになれば、余計に不快感が増し、怒りが込み上げてきたりします。

 

 しかし、自分の身の安全を確保するため、B国の国民は、その怒りをとりあえず心の中にしまっておきます。

 

 ただ、しばらく経った後、A国の力が弱まってきたとします。

 

 そうなると、B国の人は「A国に仕返しするチャンス」と捉えます。

 

 「今の時点では、B国の方がA国よりも軍事力が上だ」と判断したら、B国はA国に戦争を仕掛けるでしょう。

 

 そこでB国が勝てば、今度は逆に、B国がA国を支配します。

 

 しかし、そうなると、A国の国民は、B国に対して恨みを持ちます。

 

 そして、B国の軍事力が弱まったタイミングで、またB国に戦争を仕掛けてきたりします。

 

 こういった「憎悪による戦争の連鎖」が世界各国で起こっています。

 

 そして、一度、「支配されたことによる憎悪」が生じてしまうと、戦争の連鎖を断ち切ることは非常に困難です。

 

 このような、「支配された側による憎悪」も、戦争を引き起こす一つの原因となっています。

 

 しかし、その憎悪も、支配欲が引き起こしたものです。

 

支配欲が無ければ、戦争はまず起こらない

 ほとんどの戦争は「支配欲」により引き起こされますが、逆に支配欲が無ければ、戦争はまず起こりません。

 

 「指導者や国民に、全く支配欲が無い国」があったとします。

 

 そうなると、その国は、まず他国に戦争は仕掛けません。

 

 しかし、そういった国でも、「他国から戦争を仕掛けられて、やむなく戦争に応じる」ことはあります。

 

 そういった場合には、戦争が起こる可能性はあります。

 

 ただ、その国だけでなく、周囲の国も、支配欲が無かったら、どうなるでしょうか。

 

 それだと、どの国も戦争を仕掛けないので、まず戦争は起こらなくなります。

「支配欲」を無くすためにはどうすればいいか

 「他人(他国)を支配すること」は、ある意味、気持ちのいいものです。

 

 そのため、一度他人を支配した経験を持つと、「もっと多くの人を支配したい」という欲求が出てきます。

 

 一度その気持ちよさを味わってしまうと、「支配欲」は、なかなか捨てづらかったりします。

 

 では、そんな支配欲を無くすためには、どうすればいいのでしょうか。

 

「他人は、自分の思い通りに動かなくて当たり前」という意識を持つ

 生きている中で、他人が自分の思い通りに動いてくれないことは沢山あると思います。

 

 そんな時、「なんでこいつは、自分の思う通りに動いてくれないんだ」「こいつを思い通りに動かしたい」と思ったりするでしょう。

 

 その気持ちが、まさに「支配欲」です。

 

 そう思った人は、少し考え方を変えてみて下さい。

 

 あなたとその人は、「別の人間」です。

 

 別の人間であれば、自分の思った通りに動いてくれないのが当たり前です。

 

 支配欲を捨てるためには、「他人は、自分の思い通りに動いてくれないのが当たり前」という意識を持つようにしましょう。

 

 そうすれば、他人が自分の思い通りに動いてくれなくても、特にイライラしません。

 

 そして逆に、自分の思い通りに動いてくれた時は、「思い通りに動いてくれてありがとう」と相手に感謝の気持ちが湧いてきます。

 

 このような状態は、「支配欲が無い状態」と言えます。

 

「支配的になっていないかどうか」を常にチェックするとよい

 ただ、「自分にはもう支配欲はない」と思っても、自分が意識しないうちに、人に対して支配的になってしまうことがあります。

 

 そういった、「自分で意識していない支配欲」もあるので、注意が必要です。

 

 このような支配欲は、なかなか厄介です。

 

 自分では、「相手を支配していない」と思っていても、自分で意識していない支配欲が出てきてしまうと、相手は、「支配されている」と感じるからです。

 

 そのため、自分が気づかないうちに、相手に憎悪が溜まっていったりします。

 

 それを防ぐためには、常に「人に対して支配的になっていないか」ということを、自分でチェックしていく必要があります。

 

 支配的にならないためには、「言葉遣い」にも気を付ける必要があります。

 

 例えば、人に何かを頼む場合、「〜して」という命令口調だと、支配的になり、相手に憎悪が生まれやすくなります。

 

 それに対して、「~してほしい」と頼むと、相手は「支配されている」と感じにくくなるので、憎悪は溜まりにくくなります。

 

 人間、つい、無意識的に支配的な言葉を使ってしまうこともあるので、言葉遣いには注意しましょう。

 

 また、「言い方」も大事です。

 

 丁寧な言葉を選んでも、大声で冷たい言い方をしてしまうと、相手は「支配されている」と感じます。

 

 しかし、適切な音量で、落ち着いた言い方をすれば、相手は「支配されている」とは思いません。

 

 相手に「支配されている」という印象を与えないためには、言葉遣いや言い方は非常に大事です。

 

 そして、「自分は、支配欲はないから大丈夫」と思っている人に限って、いつの間にか、自分が気づかないうちに、支配的になっていたりします。

 

 そのため、「自分は大丈夫」とは思わず、常に、支配的になっていないかチェックするクセをつけましょう。

 

 その方が、支配的になりにくくなります。

 

「他者を支配すること以外の楽しみ」に集中する

 「他人を支配すること」は確かに楽しいですが、世の中には、それ以外に楽しいことも沢山あります。

 

 「他人を支配すること」は、楽しいことではありますが、争いを引き起こしてしまう大きなデメリットを抱えています。

 

 そして、その争いが大きくなると、国同士の戦争となってしまいます。

 

 そんな大きなデメリットがあるのであれば、「他人を支配すること」で楽しむのはやめて、他の楽しみを見つけましょう。

 

 例えば、「絵を描く」「本を読む」「文章を書く」「音楽を聴く」といった一人でできる楽しみならば、他者を支配せずに楽しむことができます。

 

 また、自分一人ではなく、人と一緒に楽しむ場合でも、「対等な関係を作って楽しむ」ように心がけましょう。

 

 対等な関係を築けていれば、他者を支配しないので、争いは起きにくくなります。

 

「他者を支配すること以外の楽しみ」に集中する人だけになれば、世界は平和になる

 そして、世の中が「他者を支配する以外の楽しみ」に集中する人だけになったらどうなるでしょうか。

 

 そうなると、争いは減って、戦争も起きなくなると思います。

 

 ただ、対等な関係であっても、人が集まれば、不和が生じることもあります。

 

 そんな時でも、対等な関係であれば、相手に対する不満点を素直に言うことができます。

 

 お互いに、素直に不満点を言い合える関係であれば、不満点を言い合っても、そこまでしこりは残りません。

 

 そういう関係であれば、「憎悪」は生まれにくくなります。

 

 そして、みんなが対等に話し合えるのであれば、「妥協点」も見つけやすくなり、話し合いによって問題も解決しやすくなるはずです。

 

 自分としては、もし、こういう世界になれば、戦争がなくなって平和になると思っています。

 

まとめ

 今回は、ロシアとウクライナの戦争をきっかけに、「戦争の原因」や「世界が平和になる方法」を自分なりに考えてみました。

 

 この文章を読んで、「そんなのは理想論だ」「できる訳がない」という人も沢山いると思います。

 

 そういう感想を持つのも、無理はないでしょう。

 

 自分自身も、「これはあくまで理想で、実際にこうなることは難しいだろうな」と思っています。

 

 人間の持つ「支配欲」は強烈なので、全ての人が支配欲をなくすことは、なかなかできません。

 

 「支配欲を持たないようにしましょう」と言っても、どうしても持ちたくなる人は出てきます。

 

 しかし、実現が非常に難しかったとしても、「理想」を持つことは重要だと思います。

 

 世の中には、理想を掲げる人に対して、「そんなことは実現不可能だ」「もっと実現可能なことを言え」と批判する人がいます。

 

 しかし、自分としては、そういう批判を見ると、「理想を掲げて何が悪いの?」と思ったりします。

 

 理想を提示すると「それに近づこう」と思う人が増えて、少し世界が変わることもあります。

 

 それだけで、理想を掲げた価値は十分にあると思っています。

 

 その理想が実現できなかったとしても、「そういう世界を作りたい」と思ってくれる人が少しでもいれば、理想を掲げた意味はあります。

 

 「実現できなければ無意味」という訳ではありません。

 

 ミュージシャンのジョン・レノンは、1971年に、「イマジン」という曲を発表しました。

 

 この曲には、「国も、宗教も無くなって、みんなが平和に生きている姿を想像してごらん」といった内容の歌詞が出てきます。

 

 この歌を聴いて「国や宗教が無くせる訳がない」「非現実的だ」「もっと現実的なことを言え」と批判する人が沢山います。

 

 確かに、国や宗教が無くすことは、現実的には非常に難しいです。

 

 2022年現在、国や宗教は無くなってはいません。

 

 そして、相変わらず、戦争も度々起こっています。

 

 そういう意味では、ジョン・レノンがイマジンで提示した理想は、実現していません。

 

 そして、この先も、国や宗教が無くなる雰囲気はありません。

 

 しかし、この曲で掲げた理想は実現していなくても、この歌詞を聴いて「その通りだ」と思った人は、世界中に沢山います。

 

 そして、「国や宗教があるから、対立が生まれるんだ。それならば、そんなのは無い方がいいな」と気付いた人も数多くいます。

 

 この曲の歌詞に影響を受けた人が、「国や宗教以外の、支配的ではない繋がり」を少しずつ作っていったりしています。

 

 その事実を見ると、「理想が実現できなくても、理想を提示したことに意味がある」と思ってしまうのです。

 

 実際、ジョン・レノンが「イマジン」を歌ったからこそ、「こういう世界にしたい」と思った人が増えたはずです。

 

 彼がこの曲を発表しなかったら、そういうことを考えた人は、今より遥かに少なくなっていたはずです。

 

 それを考えると、彼がこの曲を発表したことは、非常に大きな意味があると思っています。

 

 自分がここで提示した、「世界が平和になる方法」も、ジョン・レノンのイマジンのように、「理想論」と言われるかもしれません。

 

 しかし、「理想論」だったとしても、これを読んで「その通りだな」と思ってくれる人が一人でもいれば、この記事を書いた意味はあると思っています。

 

 そして、実際に、『「他者を支配すること以外の楽しみ」に集中する人』が世の中に増えていけば、今より争いごとは減っていくと思います。

 

 

 

ブルーハーツ「爆弾が落っこちる時」の歌詞の考察

 ブルーハーツ「爆弾が落っこちる時」の歌詞の考察を行います。

 

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 この曲は、オリジナルアルバムでは、「THE BLUE HEARTS」に収録されています。

 

 1987年にリリースされたアルバムです。

 

 

 2022年の2月24日、ロシアのプーチン大統領がウクライナに対して宣戦布告し、ロシアとウクライナとの間で戦争が始まりました。

 

 この戦争に関する報道を見ると、胸が痛みます。

 

 今回紹介する、ブルーハーツの「爆弾が落っこちる時」の歌詞は、「反戦」のメッセージが込められています。

 

 戦争に関する報道を見た後でこの曲を聴くと、歌詞が今まで以上に心に染みます。

 

 そして、この曲の歌詞の込められたメッセージは、戦争を考える上で、非常に重要だと感じました。

 

 この曲は1987年にリリースされた曲ですが、この歌に込められたメッセージは、今なお古びていません。

 

 そこで、今回は、「爆弾が落っこちる時」に込められたメッセージについて、詳しく考察していきます。

 

 ちなみに、この曲の作詞・作曲者は、真島昌利(マーシー)です。

 

 

 

 

 

 

 

「何も言わないってことは 全てを受け入れることだ」

 まずは冒頭の部分の歌詞を見ていきましょう。

誰一人 望んではいないのに

誰一人 喜んじゃいないのに

爆弾が落っこちる時 何も言わないってことは

爆弾が落っこちる時 全てを受け入れることだ

 

 爆弾を落とされることは、誰も望んでいません。

 

 そして、誰も喜んでいません。

 

 しかし、多くの場合、国の指導者の都合で、爆弾が落とされます。

 

 2022年の2月24日から、ウクライナの街には、ロシア軍から爆弾が落とされています。

 

 そういったニュースを見て、心を痛めている人は沢山います。

 

 しかし、そのニュースを見て、実際に「戦争反対」と言っている日本人は、ごくわずかです。

 

 多くの日本人は、「酷いことが行われている」と心の中で思いながらも、何も言いせん。

 

 ただ、何も言わないと、『全てを受け入れる』という意志表示になってしまいます。

 

 この歌詞は、そういったことを改めて気づかせてくれます。

 

 戦争が行われているのに、「戦争反対」と言わなければ、他の人から、「あの人は、戦争に賛成しているんだろうな」「戦争が起こっても仕方ないと考えているんだろうな」と思われてしまいます。

 

 「戦争反対」「戦争を今すぐやめてほしい」と思っているなら、そのことを口に出して言わなければなりません。

 

 そうしないと、「戦争に反対である」という気持ちは、他の人に伝わらないからです。

 

 「戦争反対」と言わなければ、戦争を仕掛けているロシアの大統領・プーチンの耳にも入りません。

 

 戦争反対の声が彼に入らなければ、「世論も自分の味方である」と思い、ウクライナへの侵攻をやめないでしょう。

 

 しかし、「戦争反対」の声が世界中で増えて、その声が彼の耳に入れば、彼も少しは考えるでしょう。

 

 その声があまりに大きくなれば、「世論を敵にまわすとまずい」と思い、ウクライナへの侵攻をやめる可能性もあります。

 

 そのため、「戦争は嫌だ」「罪のない人に爆弾が落とされるのは嫌だ」と思っているなら、その気持ちを発信しなければなりません。

 

 日本でも、ロシアとウクライナの戦争に関する反対デモが行われています。

 

 「戦争反対」と考えている人は、そのデモに参加するのもいいでしょう。

 

 また、デモに参加するのが難しい方は、Twitter・インスタグラム・フェイスブックなどのSNSで発信するのもいいでしょう。

 

 そういう場合、「日本語で戦争反対と言っても、意味ないのでは?」と思う人もいるでしょう。

 

 しかし、今の時代は、日本のTwitter上で戦争反対という意見が増えると、外国のメディアが「日本でも反戦の声が多くなっている」という風に報道してくれたりします。

 

 そのニュースを、プーチンやロシア政府の人間が目にする可能性もあります。

 

 また、最近のTwitterは「自動翻訳」の機能が付いていたりします。

 

 そのため、海外の人も、自動翻訳を使って、日本語のツイートの意味がわかったりします。

 

 海外の人が日本語の反戦のつぶやきを見て、「日本人も戦争に反対してくれている」と気づくこともあるでしょう。

 

 「多くの日本人も戦争に反対してくれている」と海外の人が気づくことにより、海外でさらに反戦の声が高まる可能性もあります。

 

 そのため、日本語で反戦を発信することには、しっかりと意味があります。

 

 この曲がリリースされた1987年と2022年では、社会の状況は変化しています。

 

 しかし、「戦争に反対ならば、その意見を発信しなければいけない」という点は、1980年代であろうと、2020年代であろうと、共通しています。

 

「僕の自由が殺される 全ての幸せが終わる」

 さらに、続きの歌詞を見ていきましょう

僕は自由に生きていたいのに

みんな幸せでいるべきなのに

爆弾が落っこちる時 僕の自由が殺される

爆弾が落っこちる時 全ての幸せが終わる

 

 この歌詞も、「まさにその通りだな」と感じます。

 

 爆弾を落とされたら、自由がなくなります。

 

 そして、その前まで幸せを感じていた人でも、爆弾を落とされた瞬間、その幸せは終わります。

 

 また、今後、手にいれられるはずだった幸せも奪われてしまいます。

 

「いらないものが多すぎる」①

 さらに、この曲のキーとなるフレーズが出てきます。

いらないものが多すぎる

 

 短いフレーズですが、このフレーズには、色んな意味が込められています。

 

 ここで言う「いらないもの」というのは、「戦争に関わる様々なこと」という意味だと思います。

 

 具体的には、「武器・兵器」「権力者の支配欲」「戦争による利権」などです。

 

 こういったものは、一部の権力者にとっては、必要なものかもしれません。

 

 しかし、一般庶民には、まったくいりません。

 

 こういうものがあると、一般庶民の命や生活が脅かされます。

 

 ただ、悲しいことに、世の中には、こういった「いらないもの」が溢れています。

 

「大人も子供も 左も右も関係ない」

 この後の歌詞も見ていきましょう。

大人も子供も関係ないよ 左も右も関係ないだろ

爆弾が落っこちる時 天使たちは歌わないよ

爆弾が落っこちる時 全ての未来が死ぬ時

 

 この歌詞に出てくる「左も右も」というのは、政治的な「左派」と「右派」という意味だと思います。

 

 爆弾が落とされる時というのは、ある意味ではみんな「平等」です。

 

 爆弾を落とされると、大人も子供も、左派の人も右派の人も、みんな怪我をしたり、死んでしまったりします。

 

 あらゆる人にとって「最悪の事態」と言えます。

 

 爆弾を落とされると、爆弾の下にいる人の未来は、全て死にます。

 

いらないものが多すぎる②

 そして曲の最後に、また、曲のキーとなるフレーズが連呼されます。

いらないものが多すぎる

 

 曲の最後にこのフレーズを連呼されると、本当に、「戦争はいらない」「戦争に関わる全てのことはいらない」と思わされます。

 

 

 

 

 

まとめ

 今回は、ブルーハーツ「爆弾が落っこちる時」の歌詞の考察を行ってきました。

 

 改めて歌詞をじっくり見てみると、「いつまで経っても古びない曲だな」と感じます。

 

 世の中から、戦争は、なかなかなくなりません。

 

 「戦争が起きた」というニュースを聞いてから、この曲を聴くと、「その通りだ」と改めて思います。

 

 「反戦ソング」として、普遍的な力を持った曲だと思います。

 

 この記事をみてこの曲が気になった方は、改めてじっくり聴いてみてください。

 

 そして、「戦争を起こさないためにはどうすればいいか」「戦争を止めるためには、自分達に何ができるか」ということについても、少し考えてみてください。

 

音楽データも、たまには「断捨離」しよう

 自分は、昔から音楽を聴くことが好きです。

 

 そして、最近、音楽は、音楽データで聴くことが多くなっています。

 

 音楽データは、主に、自宅のパソコンに入れています。

 

 しかし、改めてパソコン内の音楽データを見直すと、「最近、全然聴いていなくて、今後も聴かなそうな曲が多い」ということに気づきました。

 

 そこで、ふと、「聴いていない音楽データは捨てようかな」と思いました。

 

 しかし、その一方で、「捨てるのはもったいないな」という気持ちも湧いてきました。

 

 捨てるか取っておくかしばらく悩みましたが、思い切って、聴いていない音楽データは捨てることにしました。

 

 実際に捨ててみると、すっきりした気持ちになり、「思い切って捨てて良かった!」と思いました。

 

 音楽データというのは、物と違ってかさばらないので、聴いていない曲でも「とりあえず持っておくか」という気分になりがちです。

 

 しかし、よく考えてみると、聴いていない音楽データを持ち続けると、デメリットが多いものです。

 

 逆に、聴いていない音楽データを捨てると、メリットが沢山あります。

 

 そこで今回は、聴いていない音楽データを持ち続けるデメリットや、聴いていない音楽データを「断捨離」して捨てるメリットについて解説していきます。

 

 

 

 

 

 

 

聴いていない音楽データを持ち続けるデメリット

 まずは、聴いていない音楽データを持ち続けるデメリットについて説明していきます。

 

パソコンが重くなる

 パソコンというのは、中に入っているデータの量が多いほど、動きが重くなります。

 

 聴いていない曲が多少パソコンの中に入っていても、パソコンの動きはそれほど変わらないかもしれません。

 

 しかし、大量の曲がパソコンの中に入っていると、パソコンの動きは重くなります。

 

 そうなると、パソコンを使おうとした際に、いちいち動きが重くて、イライラします。

曲を探すのが面倒

 音楽データが沢山入っていると、曲を探すのが面倒になります。

 

 ただ、音楽データなので、「検索すればいいのでは?」と考える人もいるはずです。

 

 しかし、曲を探す際、いちいち検索ワードを打ち込むのも手間がかかります。

 

 「曲を探す際、必ず検索ワードを打ち込まなければならない」というのも、地味にストレスだったりします。

 

データ移行の際に面倒

 パソコンに音楽データを入れていると、度々、「データ移行」の作業が発生します。

 

 パソコンの動きが悪くなると、「初期化」をする人が多いです。

 

 ただ、初期化をすると、「データ移行」の作業をする必要が出てきます。

 

 また、パソコンを買い替えた場合にも「データ移行」の作業が発生します。

 

 保存している音楽データが多いと、データを移し替えるのにも長い時間がかかるので、ストレスです。

 

 そして、データ移行を行うと、「アーティスト名」や「アルバム名」が正しく反映されないことがあります。

 

 その際は、手打ちで「アーティスト名」や「アルバム名」を打ち込まなければなりません。

 

 データ量が多いと、かなりの数を手打ちで打ち込まなければならなくなったりするので、非常に面倒です。

 

 

 

 

 

聴いていない音楽データを捨てるメリット

 次に、聴いていない音楽データを捨てるメリットについて説明していきます。

 

すっきりした気持ちになる

 例えば、あなたが、「部屋の断捨離」をしたとします。

 

 使っていないものを全て捨てて、部屋が片付くと、すっきりした気持ちになるはずです。

 

 「部屋不要物を捨ててすっきりした経験」は誰しもがあると思います。

 

 不要な音楽データを捨てた後も、部屋の不要物を捨てた時と同じようなすっきり感を味わえます。

 

 このすっきり感を味わえるというのも、不要な音楽データを捨てる一つのメリットです。

 

パソコンの動きが軽くなる

 音楽データは、少しであれば、入れていてもパソコンの動きにはあまり影響しません。

 

 ただ、大量の曲が入っていると、パソコンの動きが重くなってイライラしたりします。

 

 それが、いつも聴いている曲ならば仕方ないですが、聴いていない曲のせいで動きが重くなってイライラするのは、無駄なイライラという感じがします。

 

 それならば、思い切って聴いていない曲は捨ててしまった方が、パソコンの動きも軽くなり、無駄なイライラを減らせます。

 

曲が探しやすくなる

 パソコンに入っている曲数が少なくなると、当然ながら、聴きたい曲をすぐに見つけられるようになります。

 

 曲数が少ないと、わざわざ検索をしなくても、「アーティスト一覧」や「アルバム一覧」から、パッと聴きたい曲を見つけ出せます。

 

 「今聴きたい曲を、すぐに聴ける」というのは、結構、気持ちいいものです。

 

お気に入りの曲ばかりになる

 「聴いていない曲」というのは、自分にとって「あまり気に入っていない曲」と言うことができます。

 

 つまり、聴いていない曲が沢山入っているということは、パソコンの音楽ライブラリの中に気に入っていない曲が沢山入っているということです。

 

 それだと、パソコンのライブラリで、曲名の一覧を見ても、「この曲も、あの曲も、あんまり好きじゃないんだよな」と思ってしまい、あまり気分が上がりません。

 

 しかし、聴いていない曲を捨てると、音楽ライブラリが「お気に入りの曲」ばかりになります。

 

 そのため、音楽ライブラリを見た時に、「この曲もいい曲だし、あの曲もいい曲だよな」と思い、気分が上がります。

 

 曲数が少なかったとしても、「お気に入りの曲だけに囲まれている状態」というのは、なかなか気分が良いものです。

 

聴いていない曲を断捨離しても、意外と後悔することは少ない

 「聴いていない音楽データを捨てよう」と決意したのに、なかなか思い切って捨てられない人も多いかと思います。

 

 そういう人は、「また聴きたくなった時に後悔しないか?」と考えて、なかなか捨てられないのでしょう。

 

 しかし、実際に捨てても、後悔することは、かなり少ないと思います。

 

 そもそも、今現在聴いていない曲というのは、「既に魅力を感じなくなった曲」です。

 

 そういった曲は、時間が経ったとしても、自分の中で魅力が再燃しないことが多いです。

 

 そのため、「あの曲を捨てなければよかった」と思うケースは、意外と少なかったりします。

 

また聴きたくなったとしても、大抵の音源はまた聴ける

 とはいっても、「あの捨ててしまった曲をまた聴きたいな」と思うことはたまにあります。

 

 しかし、そうなっても、心配する必要はありません。

 

 今の時代は、様々方法で、捨ててしまった曲をまた聴くことができるからです。

 

 そういった曲を、また再び聴くには、どういった方法があるか、詳しく解説します。

 

サブスクで聴ける

 最近は、音楽のサブスクリプション(サブスク)のサービスに加入している人も増えています。

 

 最近は、サブスクで聴ける曲も、かなり増えています。

 

 そして、サブスクに加入していれば、好きな曲が聴き放題です。

 

 そのため、サブスクに加入している方は、音楽データを消しても、サブスクで聴ける場合が多いです。

 

YouTubeで聴ける

 サブスクは便利ですが、サブスクを利用しようとすると、どうしても月額料金がかかります。

 

 そのため、お金がもったいなくてサブスクに加入していない方は、YouTubeで聴きたい曲タイトル名を検索してみましょう。

 

 そうすると、サブスクほどではないですが、かなりの曲がYouTubeでも聴けたりします。

 

 捨ててしまった曲も、YouTubeで聴けることがあります。

 

 YouTubeで音楽を聴く場合は、広告が入ったりするので、少し煩わしさもあります。

 

 しかし、そういう煩わしさがあったとしても、「無料で聴ける」というのは、メリットが大きいです。

 

レンタルで借りて聴ける

 音楽データを捨ててしまった後に、「もう一度、音楽データが欲しい」と思った際は、レンタルショップを利用するのも手です。

 

 レンタルショップに行けば、CDアルバムは、1枚あたり約300円で借りられます。

 

 そして、CDの音楽データをパソコンに取り込んでしまえば、再び音楽データを手に入れられます。

 

音楽データやCDを買い直すこともできる

 また、レンタルで借りる以外にも、「音楽データやCDを買い直す」という方法もあります。

 

 AmazonやiTunesストアなどに行くと、音楽をダウンロードで購入することができます。

 

 レンタルよりは割高ですが、1曲ずつ購入できるのは大きなメリットです。

 

 また、実物のCDを買うこともできます。

 

 新品のCDも買えますが、お金を節約したい人は「中古」を買うのがおすすめです。

 

 Amazonで検索すると、欲しいCDの中古商品をすぐに見つけられます。

 

 それ以外にも、メルカリなどのフリマサイトにも中古CDが沢山出品されています。

 

 フリマサイトの場合は、Amazonよりもさらに安い価格で買えたりします。

 

 ただ、ごく一部ではありますが、一度手放すと、買い直すことが難しい音源もあります。

 

 しかし、今の時代、ネットで検索すれば、大抵の音源は、聴いたり購入したりすることができます。

 

 確かに、「この音源を消したら、もう二度と聴けないかもしれない」と思うと、聴いていない曲でも手放すのが惜しくなりがちです。

 

 しかし、今のネット社会においては、そういった音源はほとんどありません。

 

 大半の音源は、再び聴けます。

 

 そのため、曲を処分する際に、「もう二度と聴けないのではないか?」と過度に心配する必要はありません。

 

まとめ

 「聴いていない音楽データを持ち続けるデメリット」や、「聴いていない音楽データを捨てるメリット」について解説してきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 今の世の中、「不用品の断捨離」を定期的に行う人が増えています。

 

 しかし、「音楽データ」は、部屋に置いておくようなものではないので、「聴いていないけれど、一応取っておこう」という感じで溜まり続けてしまうことが多いです。

 

 これは、あまり良いことではありません。

 

 音楽データというのは、場所を取らないように見えて、実は、「パソコン内のスペースを占領してしまうもの」です。

 

 パソコン内のスペースに、「不要な音楽データ」が陣取ってしまうと、色々と問題が生じてきたりします

 

 そのため、音楽データも、定期的に「断捨離」するようにしましょう。

 

 そうした方が、「お気に入りの曲」ばかりになって、音楽生活も充実するはずです。

 

 入っている音楽データの量が少ないと、自然と、お気に入りの曲を聴く頻度が増えます。

 

 そして、何度も聴いていると、今まで気づかなかったその曲の魅力を発見して、元々好きな曲がさらに好きになることもあります。

 

 

 

ポップソングの中で「ラブソング」の人気が異常に高い理由

 ポップソングのヒットチャートを見てみると、「ラブソングばっかりだな~」と思うことがあります。

 

 自分も、ラブソング自体は嫌いではないです。

 

 ポップソングの中で、好きなラブソングも沢山あります。

 

 しかし、これだけラブソングがずらっとヒットチャートに並んでいると、ちょっとうんざりします。

 

 そして、「もう少しラブソング以外の曲があってもいいのでは?」と思ったりします。

 

 ただ、そういうことを言うと、「恋愛は人間の本能だから、ラブソングの人気が高いのは当然だ」と言う人もいます。

 

 そう言われると、「確かにそうかも」と納得しそうになります。

 

 しかし、そう思った人は、少し冷静になって考えてみてください。

 

 恋愛というのは、多くの人にとって興味をひく要素ではあります。

 

 ただ、人間の生活というのは、恋愛だけをしている訳ではありません。

 

 そして、恋愛以外にも、人の興味をひくことは沢山あったりします。

 

 それにも関わらず、ヒットチャートがラブソングばかりになるのは、何か別の理由がある気がします。

 

 

 

 

 

 恋愛というのは、『今ここ』に非常に集中するという特徴があります。

 

 それが、現代社会において、ラブソングの人気が異常に高い大きな理由だと思います。

 

 ラブソングを聴いている人の多くは、ラブソングを聴くことで、『今ここ』の楽しさに浸りたいのでしょう。

 

 そして、ヒットチャートがラブソングだらけなのは、そういう人がそれだけ多いということです。

 

 「恋は盲目」とよく言いますが、恋愛に夢中になっている人は、あまり後先考えません。

 

 「将来の人生設計」よりも、「今、この人が好き」という気持ちで突き進みます。

 

 そういう姿は、はたから見ていると、「もうちょっと冷静に考えなよ」と思ったりします。

 

 しかし、恋愛に夢中になっている本人は、その瞬間が最高に楽しかったりします。

 

 そして、はたから冷静に見ている人も、心の底では「自分も、後先考えず、恋愛に夢中になりたい」と思っていたりします。

 

 恋愛に夢中になっている人を表面的にはバカにしつつも、心の底では、「ちょっとうらやましいな」と思っている場合があります。

 

 なぜ恋愛に夢中になっている人をうらやましく感じるかというと、今の資本主義社会のシステムの中では、『今ここ』に集中する機会が非常に少ないからだと思います。

 

 今の社会では、「過去」と「未来」が非常に重視されます。

 

 まず、「過去」が重視されている例について説明します。

 

 会社に入りたいと思っても、入社の際は過去の「学歴」が重視されていて、学歴のない人は、希望する会社になかなか入れません。

 

 そして、学歴以外にも「過去の実績」が重視されます。

 

 「過去の素晴らしい実績」がある人は、今現在、たいしたことをしていなかったとしても、評価される傾向にあります。

 

 逆に、今現在凄いことをしている人でも、過去の実績がないと、社会ではなかなか評価されません。

 

 

 

 

 

 次に、「未来」が重視されている例について説明します。

 

 学校に入ると、「将来に備えて、努力しなさい」と周りから言われます。

 

 そして、勉強をせずに遊んでばかりの生徒がいると、「遊んでばかりだと、将来、痛い目を見るぞ」と批判されます。

 

 逆に、今の楽しみを犠牲にして、学校の勉強に集中している生徒は、「偉い」とほめられます。

 

 この傾向は、学校を出て、社会人になっても変わりません。

 

 今の楽しみばかりを重視している社員がいると、上司に叱られます。

 

 逆に、今の楽しみを捨てて資格の勉強をしていたりすると、「偉い」とほめられます。

 

 こういった例を見ると、現代社会というのは、明らかに、「今」よりも「過去」や「未来」のを重視していると言えます。

 

 そういう意味では、現代社会というのは『今ここ』に集中する機会が非常に少ないと言えます。

 

 例えば、学生の場合は、友達と遊んでいても、「来週テストだから勉強しなきゃ」という思いが浮かんだりして、目の前にいる友達に集中できないことがあります。

 

 社会人の場合は、高級なレストランにディナーを食べに行っても、「明日は苦手なプレゼンがある。嫌だな」という気持ちが浮かぶと、ディナーに集中できないことがあります。

 

 この例で挙げた通りでなくとも、これと似たようなことは、誰しもが経験していると思います。

 

 それを考えると、現代社会においては、「今ここにある楽しさに集中すること」はなかなか難しかったりします。

 

 「今、目の前にある楽しさに集中したい」と思っても、「過去」や「未来」が邪魔をしてきて、なかなか集中できないのです。

 

 

 

 

 

 そんな現代社会において、「恋愛」というのは、「今ここの楽しさに集中する」という意味では、かなりパワーのあるものです。

 

 恋愛というのは、「今、この人が好き」とときめいている瞬間が一番楽しかったりします。

 

 そして、恋愛以外の楽しみでは「過去や未来を重視しよう」と思う人でも、恋愛に関することだけは、過去や未来を捨てて「今ここ」の楽しみに没頭しようとしたりします。

 

 勉強時間を削って彼女とデートしている学生や、翌日大事な仕事があっても彼女と夜遅くまで過ごしている会社員は山ほどいます。

 

 普段は「今」を軽視して「過去」や「未来」を重視している人でも、恋愛が絡むと、急に「今」が最優先になってしまう人はいくらでもいます。

 

 このように、「過去や未来」が非常に重視される現代社会でも、「恋愛」が絡むと、過去や未来を押しのけて、強制的に「今ここ」の楽しさに没頭させてしまうパワーがあります。

 

 そういうパワーがあるため、ポップソングの中では、ラブソングが異常な人気を博しているのだと思います。

 

 ハッピーなラブソングというのは、今現在楽しい恋愛をしている人が聴くと、その恋愛の楽しさが倍増します。

 

 また、今現在、恋愛をしてない人が聴いても、「いつか、『何もかも捨ててもいい』と思えるような恋人ができたらいいな」と思いながら聴けたりします。

 

 そういう意味では、ラブソングというのは、恋愛している人に対しても、していない人に対しても「今ここ」の楽しさに無理やり引き込むパワーがあります。

 

 それを考えると、ラブソングが人気なのも分かります。

 

 ただ、そういうことを踏まえても、「ヒットチャートのほとんどがラブソング」というのはちょっと異様な感じがします。

 

 これはある意味、現代社会において、「恋愛以外のシーンで、『今ここ』を楽しんでいる人が非常に少ない」ということを端的に表しています。

 

 恋愛は確かに素晴らしいものですが、恋愛をしている時以外は『今ここ』を楽しめていない人ばかりだとしたら、それはそれでなんだか寂しい感じがします。

 

 そして、そういう人ばかりの社会は、なんだか不自然な気もします。

 

 ラブソングばかりのヒットチャートに違和感を覚えたら、あえて、「ラブソング以外の曲」を集中して聴いてみることをおすすめします。

 

 ポップソングには、ラブソング以外にも、様々なことをテーマにした曲があります。

 

 「生き方をテーマにした曲」、「仕事をテーマにした曲」、「自然を描写した曲」、「政治的な曲」、「何気ない日常をテーマにした曲」など、様々です。

 

 そういう曲を聴いてみて、「あ、面白い」と思って集中して聴いていて楽しめるようになると、ラブソング以外でも『今ここ』を楽しめるようになります。

 

 そういう感じで、音楽をきっかけに興味の幅を広げて、恋愛以外でも『今ここ』を素直に楽しめるようになると、人生はより面白くなってくるはずです。

 

 恋愛は『今ここ』を楽しめるものですが、「恋愛でしか『今ここ』を楽しめない」のだとしたら、それはちょっと異常な状態です。

 

 しかし、今の資本主義社会では、その異常な状態が普通の状態になっていたりします。

 

 その異常性に気づいたら、意識的に恋愛以外の楽しみも見つけて、もう少し自然な状態にシフトチェンジしていきましょう。

 

 

 

インテリア用品は、「シンプルで、機能的で、デザインが良いもの」を選ぶ

 あなたは、インテリア用品を選ぶ際に、どのようなことを重視していますか?

 

 「珍しさ」「デザイン重視」「使い勝手重視」など、インテリア用品を選ぶ基準というのは、人によって様々です。

 

 また、特に何を重視しているという訳ではなく、「なんとなく良さそうなものを選んでいるという人も多いでしょう。

 

 しかし、「なんとなく」で選んでいると、どうしてもまとまりがなくなって、部屋の雰囲気に統一感が出せなくなったりします。

 

 珍しくて奇抜なものばかり選ぶと、単体で見た時はいいかもしれませんが、それが集まると、ごちゃごちゃしてまとまりがなくなります。

 

 そうなると、自然と、部屋の居心地は悪くなってきます。

 

 また、見た目重視で選んでしまうと、見た目は良くても、使い勝手が悪くてストレスが溜まったりします。

 

 逆に、使い勝手重視で選んでしまうと、使い勝手は良くても、見た目がダサくて、気分が上がらなくなったりします。

 

 こういったことに心当たりのある人も多いはずです。

 

 そいったことを考えると、インテリア用品を選ぶ際は、なんとなく選ぶのではなく、ある一定の基準を設けて選んだ方がいいと思います。

 

 そこで、自分としては、インテリア用品を買う際は、「シンプルで、機能的で、見た目が良い」という3点をすべて満たすものだけを選ぶ方法をおすすめします。

 

 

 

 

 

 

 

なぜ、「シンプルさ」「機能性」「デザインの良さ」の3点が重要なのか

 これを聞いた時に、『なぜ、「シンプルさ」「機能性」「デザインの良さ」の3点が重要なの?』と疑問に思う人もいるはずです。

 

 今から、その理由を詳しく説明します

 

「シンプルなもの」のメリット

 インテリア用品を選ぶ際は、「他の物との相性」が重要になってきます。

 

 世の中には、「派手で、単体で見るとかっこいいもの」が沢山あります。

 

 しかし、そういう商品を買って、いざ部屋に置いてみると、他の物と調和が取れず、浮いてしまうことが多いです。

 

 派手な物というのは、他の物と合わせるのが非常に難しいです。

 

 その点、「シンプルなもの」を選んでおけば、他の物との相性はそこまで気にしなくて済みます。

 

 なぜなら、「シンプルなもの」というのは、様々なものと相性がいいからです。

 

 また、シンプルなものというのは、使い方も単純だったりするので、使い勝手も良いものが多いです。

 

 そして、シンプルなものは、なかなか飽きが来ず、長く使えます。

 

 このように、「シンプルなもの」には、様々なメリットがあります。

 

 常に「シンプルなもの」を買うように心がけていると、購入した後に、「部屋に合わなかった」「すぐに飽きてしまった」となってしまうリスクを減らせます。

 

「機能的なもの」のメリット

 インテリア用品というのは、毎日使うものです。

 

 そのため、使い勝手が悪いと、ストレスが溜まります。

 

 何かを使って、「これ、使いづらいな」と感じるストレスは、1回だけなら大したことはないでしょう。

 

 しかし、それが何度も続くと、ボディーブローのようにストレスが溜まります。

 

 特に、仕事で疲れて帰ってきた時に部屋に使いずらいものがあると、「なんでこんなに使いづらいんだよ!」と大きなストレスになることがあります。

 

 逆に、機能的で使いやすいインテリア用品が揃っていると、そういったストレスが減らせます。

 

 毎日の細かいストレスが減らせるというのは、些細なことに思えて、実はとても大きなメリットなのです。

 

 そのため、インテリア用品を選ぶ際は、「機能性」も重視しましょう。

 

「デザインが良いもの」のメリット

 インテリア用品というのは、毎日必ず目にするものです。

 

 その時に、見た目がダサいものが目に入ると、「あ、これダサいな」と脳が判断します。

 

 そうなると、自動的に気分は下がります。

 

 しかし、逆にデザインが良いものが目に入ると、脳が「かっこいい」「美しい」などと判断して、自動的に気分が上がります。

 

 これは、実はとても大きなメリットです。

 

 朝、会社に行く時に、「今日は行きたくないな」と思う日もあるでしょう。

 

 そんな時に、ダサいインテリア用品が目に入ると、余計に気分が下がり、会社に行きたくない気持ちが強くなったりします。

 

 しかし、そこでおしゃれなインテリア用品が目に入ると、「やっぱりこれかっこいいな」と思って気分が少し上がり、「めんどくさいけど、会社に行って仕事を頑張るか」という気分になったりします。

 

 この違いは、非常に大きいと思います。

 

 「インテリア用品は、シンプルなものを選んだ方がいい」ということは既に述べました。

 

 しかし、インテリア用品を選ぶ際に注意してほしいのは、「シンプルだからといっておしゃれとは限らない」ということです。

 

 シンプルなものの中には、「味気なくてダサいもの」もあれば、「シンプルでかっこいいもの」もあります。

 

 そのため、「ただシンプルなものを選ぶ」のではなく、「シンプルで、なおかつデザインが良いもの」を選びましょう。

 

 ただ、あるものを見て「デザインが良い」と思うかどうかは、だいぶ個人差があります。

 

 お店に行って、自分はかっこいいと思うインテリア用品があったとしても、一緒に行った友人から「ダサい」と言われてしまうことがあります。

 

 そうなると、「どうすればいいんだ?」という気分になるでしょう。

 

 そういう時は、もう「自分の好み」で決めればいいと思います。

 

 なぜなら、自分の部屋で一番長く過ごすのは自分だからです。

 

 その友人が遊びに来たとしても、その友人がいる時間はほんのわずかです。

 

 それならば、その友人が「ダサい」と言っても、その人の好みに従う必要はありません。

 

 自分が見て「デザインが良い」と思うものを選びましょう。

 

 

 

 

 

2点満たしていたとしても、3点全て満たしていないものは、なるべく買わない

 これまで説明してきたように、インテリア用品を選ぶ際は、「シンプルさ」「機能性」「デザインの良さ」が重要です。

 

 ただ、その3点を満たす商品というのは、そう多くはありません。

 

 その3点を満たす商品を見つけるのには、結構、手間と時間がかかります。

 

 色々とインテリア用品を見ていく中で、「3点は満たしていないけれど、2点は満たしている商品」もあると思います。

 

 そういう商品を見つけると、妥協して「2点を満たしているから、これでもいいか」という気分になったりします。

 

 しかし、2点を満たしていたとしても、3点を満たさないものは、なるべく買わないようにした方がいいと思います。

 

 なぜなら、そういう商品は、いずれ使わなくなる可能性が高いからです。

 

 やはり、「長く使えるインテリア用品が欲しい」ということであれば、2点だけ満たす商品で妥協するのではなく、多少時間がかかっても、3点全て満たす商品を探した方がいいと思います。

 

「生活に必要な物」が急に必要になった場合は、3点を満たしていなくても良い

 ただ、インテリア用品の場合、「生活にどうしても必要な物」もあります。

 

 そうなると、その3点を満たすものをすぐに見つけられない場合があります。

 

 その場合は、例外的に、3点全て満たしていなくても購入してしまって構いません。

 

 例えば、椅子が急に壊れてしまって、すぐに新しいものが必要になることもあるでしょう。

 

 その際は、3点を満たしていなかったとしても、とりあえず近場で買えるものを買いましょう。

 

後で、「3点全て満たすもの」が見つかったら、それに買い換える

 ただ、3点全て満たしていないものをとりあえず買ったとしても、それをずっと使い続けることはおすすしません。

 

 なぜなら、3点全て満たしていないものというのは、使っていくうちに不満がどんどん溜まっていくからです。

 

 とりあえず買った椅子を使っていると、「余計な装飾が入っている」「座り心地が良くない」「デザインがイマイチ」など、不満が出てきたりします。

 

 そういう椅子をずっと使っていると、最初は小さなストレスだったとしても、それが段々大きなストレスになったりします。

 

 そのため、とりあえず、3点全て満たしていないものを買ってしまった時は、空いた時間にインテリアショップに行ったりして、「3点全て満たしているもの」を探しましょう。

 

 そして、その3点を満たすものを見つけて、値段的にも手が届きそうなら、その商品に買い替えましょう。

 

 ただ、「まだこの椅子は使えるのに、買い換えるのはもったいない」と考える人もいると思います。

 

 その気持ちも、よくわかります。

 

 しかし、まだ使えるからといって「気に入らない椅子」を使い続けるのは、大きなデメリットです。

 

 その椅子を見たり、座ったりするたびに、気分が落ちるのですから。

 

 それならば、まだ使えたとしても、気に入った椅子を見つけた時点ですぐ買い替えた方が、メリットは大きいです。

 

 気に入った椅子ならば、見たり座ったりするたびに、気分が良くなる訳ですから。

 

 それに、3点全て満たしている椅子なら、長く使うはずです。

 

 まだ使える椅子を捨てても、新しく買った椅子を長く使うなら、長い目で見たら、元は取れると思います。

 

 「もったいないから」という理由で、気に入らない椅子に座り続けて気分を害しているのは、それはそれでなんだかもったいない気がします。

 

 

 

 

 

「3点を満たすインテリア用品」を探す場合は、無印良品がおすすめ

 「シンプルさ」「機能性」「デザインの良さ」という3点を満たすインテリア用品には、色々とメリットがあることがわかったと思います。

 

 ただ、実際にそういう商品を見つけるとなると、「どこで探せばいいの?」と困ってしまう人もいると思います。

 

 この3点を満たすインテリア用品を欲しいと思ったら、一番手っ取り早いのは「無印良品」です。

 

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出典:MUJI SUPPORT 事例集 https://www.muji.com/jp/interior-advisor/case/

 

 無印良品の店舗に行くと、この3点を満たしたインテリア用品がたくさんあって驚きます。

 

 特に、無印良品の「収納用品」のシリーズは、価格も手ごろでおすすめです。

 

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出典:無印良品公式ネットストア https://www.muji.com/jp/ja/feature/interior/669416

 

www.muji.com

 

 また、無印良品の商品は、公式のオンラインストア以外にも、ヤフーショッピングでも買えます。

 

 Tポイントが貯まっている人は、ヤフーショッピングで購入するのもおすすめです。

 

ヤフーショッピング 無印良品 収納用品

 

 「インテリア用品にあまりお金はかけられない」という方は、まずは無印良品の収納用品から手を出してみましょう。

 

 それを使ってみて気に入ったら、お金に余裕のある時にもっと大物の家具に手を出してみてもいいでしょう。

 

まとめ

 インテリア用品を選ぶコツについて説明してきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 インテリア用品というのは、本来は、「人の生活を豊かにするため」に作られたものです。

 

 ただ、あまり考えずにインテリア用品を選んでしまうと、生活を豊かにするどころか「インテリア用品に足を引っ張られてしまう」場合もあります。

 

 変なインテリア用品に囲まれた部屋に住んでいると、気分が落ち込んでしまうこともあるので、インテリア用品というのは、実はとても重要なものです。

 

 逆に、良いインテリア用品に囲まれていると、それだけで気分が上がってきたりします。

 

 「シンプルさ」「機能性」「デザインの良さ」の3点を満たすインテリア用品に囲まれた部屋で過ごしていると、「QOL(生活の質)」が劇的に向上します。

 

 「今まで全然インテリア用品にこだわっていなかったから、この3点を満たすインテリア用品が欲しい」と思った方は、少しずつでいいので、この3点にこだわってインテリア用品を選んでみて下さい。

 

 この3点を満たすインテリア用品が周りに増えていくと、気分はだいぶ上がってくるはずです。

 

 

 

「冬季うつ」になるのは、生物としては自然なこと

 冬になると、「冬季うつ」の症状に悩まされる人も多いと思います。

 

 「冬季うつ」というのは、冬場に入って寒くなると、気分が落ち込み、うつ的になってしまうことを言います。

 

 冬季うつの症状としては、「やる気が出ない」「過食」「過眠」といったものがあります。

 

 また、普通のうつ病とは違い、春になって気温が高くなってくると、症状は改善します。

 

 暖かい時期はやる気があったのに、冬場に急にやる気が出なくなり、「なんでこんなにやる気が出ないのだろう?」と悩んでいる人も多いかと思います。

 

 ただ、冷静に考えると、「冬場に冬季うつの症状が出るのは、そんなにおかしいことなのか?」とも思ったりします。

 

 なぜなら、『「やる気が出ない」「過食」「過眠」』といった冬季うつの症状は、「生物として冬を乗り切るため」には、ごく自然なことだからです。

 

 これは、「あまり活動をせず、沢山食べて、沢山寝て、冬を乗り切ろう」ということですから。

 

 例えば、熊は、食べ物を沢山食べて、安全な場所に隠れて、冬眠します。

 

 これは、ある意味、「冬季うつ」の症状と似ている気がします。

 

 なぜ熊がそうするかというと、その方が厳しい冬を乗り切りやすいからです。

 

 冬場に活動的になると、体温や体力が奪われます。

 

 そうなると寒さに負けて命を落とす可能性もあるため、「活動しない」方が合理的です。

 

 また、熊が冬眠をする際に沢山食べるのは、脂肪を蓄えて、冬の寒さを乗り切るためです。

 

 そして、安全な場所に隠れて眠るのは、その方が体温や体力を温存できるからです。

 

 このように、熊が「冬場に冬眠をする」のは、冬を乗り切って生き延びるためには、非常に有効な手段と言えます。

 

 また、冬眠しない動物でも、冬場は活動はあまりせず、食べ物を沢山食べて、睡眠時間も増える動物が多いです。

 

 それを考えると、冬場になっても、暖かい時期と同じような活動をしている人間は、ある意味では、生物としては異常と言えます。

 

 冬季うつになるのは、実は、生物としては、ごく自然な反応なのです。

 

 「冬季うつ」の対策としては、「太陽の光を浴びる」「運動をする」といったことが有効とされています。

 

 確かに、こういったことを行うと、冬季うつの症状は改善する場合もあります。

 

 あまり無理をしない範囲で外出したり、運動したりできるならば、こういったことを行うのは良いことでしょう。

 

 しかし、本当はやりたくないのに、無理に外出をしたり、運動をしたりすると、その時は症状が改善しても、後々になって、余計に気分が落ち込んでしまうことがあります。

 

 そうなると、気分が回復するのに余計に時間がかかってしまいます。

 

 それを考えると、「無理に外出したり、運動したりする」というのは、冬季うつ対策としては、あまり有効ではない気がします。

 

 冬季うつの対策として一番有効なのは、「冬季うつは、生物として自然なことだ」と考えることではないかと思います。

 

 冬季うつになる人の多くは、「冬場にうつ状態になるのは異常なこと」と思いがちです。

 

 そして、「自分は異常な状態になっている」と考えることで、自己嫌悪になり、余計に落ち込んでしまったりします。

 

 そこから気分を上げるのは容易ではありません。

 

 しかし、「冬季うつは、生物として自然なことだ」と考えるようにすると、自分の現状を「異常な状態だ」とは思いません。

 

 むしろ、「冬季うつになることは、生物としては正常だ」とすら思えてきます。

 

 そうなると、自己嫌悪に陥ることを避けられます。

 

 「冬季うつは、生物として自然なことだ」と考えて過ごしていると、「寒い日は無理に外出をしないで家にいる」ようになります。

 

 このような感じで、自然に任せて過ごしていると、冬場でも晴れていて気温がちょっと高い日は、「今日は出かけてみようかな」という気分になります。

 

 そういう気分になった時に、外出して太陽の光を浴びて、運動すればいいのです。

 

 こうしていれば、「無理に外出したり、運動をして、嫌な気分になる」ことを避けられます。

 

 もし、冬季うつになって悩んでいる人がいたら、「冬季うつは、生物として自然なことだ」と考えるようにしてみて下さい。

 

 非常に単純なことではありますが、そう考えるだけで、気分がだいぶ楽になり、冬季うつとうまく付き合っていけたりします。

 

 

 

「雑記ブログ」の魅力について

 これからブログを始めようとしている方で、「特化ブログ」にするか「雑記ブログ」にするか迷っている人も多いと思います。

 

 ブログ運営に関することをネットで検索すると、「稼ぎたいなら、雑記ブログではなく、特化ブログにしなさい」と多くの人が書いています。

 

 そうなると、「ブログで稼ぎたいから、特化ブログにしよう」と考える人が多いです。

 

 しかし、特化ブログを運営するにあたって、最初にぶち当たる壁が、「ブログのテーマ決め」です。

 

 特化ブログのテーマには、「自分が好きで、なおかつ知識があるもの」を選ぶべきです。

 

 なぜなら、そういうものを選ばないと、継続して記事を書き続けられないからです。

 

 そして、色々考えて、「これなら好きだし、ある程度知識もある」というものが見つかって、特化ブログを始めたとします。

 

 好きで知識もあるテーマならば、最初は楽しく記事を書けると思います。

 

 しかし、ある程度ブログを続けていると、「ネタ切れ」の問題が出てきます。

 

 特化ブログというのは、書くテーマが決まっています。

 

 「何のテーマでもいいから記事を書けばいい」というものではありません。

 

 書くテーマが決まっていると、どうしても良いネタが思いつかなくなることがあります。

 

 その状態からテーマを絞り出すのは、非常に苦しいことです。

 

 自分も、一時期、「何か特化ブログを運営しようかな」と考えたことがありました。

 

 そして、あえて雑記ブログの中でテーマを絞って記事を書いてみたことがありました。

 

 しかし、テーマを絞って書くと、すぐにネタ切れになり、記事が書けなくなりました。

 

 「これはいかん」と思って、特化ブログの運営は諦めました。

 

 そのため、今までずっと、雑記ブログを続けています。

 

 

 

 

 

 世の中には、「雑記ブログは、テーマがないから、あまり読まれない」と言う人がいます。

 

 確かに、全くテーマ性のない雑記ブログは、あまり読まれないかもしれません。

 

 しかし、自分の経験上、雑記ブログであっても、長く続けていると、段々と「軸となるテーマ」が決まっていきます。

 

 自分のブログは、雑記ブログではありますが、2022年の1月現在、「ファッション」が主なテーマとなっています。

 

 ファッション関連の記事を中心に、それ以外にも自分の興味があることについての記事を散りばめている感じです。

 

 ファッションは昔から好きでしたが、このブログを始めた当初は、ファッションについての記事は全然書いていませんでした。

 

 「ファッションに特化したブロガーは沢山いるし、自分がわざわざ記事を書く必要があるかな?」と思ったからです。

 

 しかし、ブログを始めて少し経ったところで、書くネタが段々と尽きてきました。

 

 そこで、「試しにファッション関係の記事を書いてみよう」と思い、書いてみました。

 

 そうすると、思いの外、楽しく書けました。

 

 そのため、その後も、時々、ファッションの記事を書いていました。

 

 ファッションの記事を度々投稿するようになってから、自分のブログのアクセス傾向を調べてみると、ファッション関係の記事が多く読まれていることがわかりました。

 

 そこで初めて、「あ、自分の書くファッション関係の記事は、意外と需要があるんだ」と気づきました。

 

 それに気づいてからは、ファッション関係の記事のボリュームを増やしていきました。

 

 そして、いつの間にか、ファッションが、ブログの主なテーマになっていきました。

 

 

 

 

 

 ただ、ファッション関係の記事に手ごたえを感じていたものの、「ファッション特化ブログ」にシフトすることは考えませんでした。

 

 なぜなら、特化ブログにしてしまうと、ファッションについて書きたくない気分の時でもファッション関係の記事を書かなければならないからです。

 

 そうなると、どうしても「仕事感」が出てきてしまい、楽しくブログを書けなくなると思いました。

 

 記事を書くのが楽しくなくなれば、ブログを書くのがしんどくなり、長続きしなくなる可能性が高いです。

 

 そうなることは避けたかったので、特化ブログにはせず、雑記ブログのまま継続することにしました。

 

 今現在、ブログを楽しく続けられているので、この選択は間違いではなかったと思います。

 

 ただ、「心の底から大好きで、専門家と呼べるくらい知識もあること」が一つある人ならば、特化ブログを選択する方がいいと思います。

 

 その方が、読者も増えますし、稼ぎやすくもなります。

 

 しかし、そこまでのことがない人は、「雑記ブログ」にすることをおすすめします。

 

 「なんとなくブログを始めたい。そして、やるなら長く続けたい」という人は、特化ブログではなく、雑記ブログをやってみましょう。

 

 その方が、楽しみながら長くブログを続けやすくなると思います。

 

 そして、雑記ブログでも、長く続けていると、ブログの主なテーマがなんとなく決まってきて、「なんとなくの専門性」も出てきたりします。

 

 「なんとなくの専門性」が出てくると、アクセス数も上がってきて、収益も上がってきたりします。

 

 そうなると、余計にブログが楽しくなって「もっとブログを続けたい」という気持ちが出てきます。

 

 また、雑記ブログだと「一つのブログで、複数の専門性を持つことができる」という強みもあります。

 

 雑記ブログを続けていくと、「一番多いテーマはこれ」「次に多いテーマはこれ」といったように、いくつかのテーマに分かれていきます。

 

 そして、それぞれのテーマを掘り下げていると、一つのブログで「複数の専門性」を持つことができます。

 

 これは、特化ブログにはない強みです。

 

 「複数の専門性を持つ」ことで、自分なりの個性を強く出せます。

 

 また、「複数の専門性を組み合わせて、一つの記事を書く」ということもできます。

 

 例えば、「ファッション」と「スポーツ」に関するテーマを主に扱っている雑記ブログがあったとします。

 

 ファッションとスポーツに詳しいのならば「ファッションセンスの良いスポーツ選手ランキング」という記事が書けます。

 

 また、「ファッション性が高く、動きやすいスポーツウエアランキング」という記事も書けます。

 

 こういった記事は、「ファッションだけに詳しい人」や「スポーツだけに詳しい人」だと、なかなか説得力のある記事が書けません。

 

 「自分が持っている複数の専門性」をうまく組み合わせると、他の人にはなかなか書けないオリジナルな記事が書けたりします。

 

 このように、雑記ブログには、「長くつづけやすい」というメリット以外にも、「複数の専門性を持てて、個性が出しやすい」というメリットがあります。

 

 世の中には、「特化ブログの方が良い」という人が多いですが、実は、雑記ブログにも様々なメリットがあったりします。

 

 そのため、特化ブログを作ってすぐに挫折するくらいなら、雑記ブログを立ち上げて、なるべく長く続けましょう。

 

 その方が、面白いことが起こりやすいと思います。

 

 やはり、ブログというのは、長く続けていかないと、面白いことは起きません。

 

 雑記ブログであっても、長く続けていると、思いもよらない面白いことが起こったりします。

 

 「ブログをやってみたいけれど、自分にどんな記事が書けるかわからない」と思っている人は、とりあえず雑記ブログを立ち上げて、なるべく長く続けてみましょう。

 

 そして、長く続けていると、いつの間にか、「自分にしか出せない個性」が次第に出てくるはずです。

 

 

 

新年は、目標は決めず、「大まかな方針」を決める

 新年になると、「今年の目標」を決める人が多いと思います。

 

 やはり、年が変わると、新たな気分になるので、目標を決めたくなります。

 

 ただ、目標を決めても、年末にその目標を見返すと、「達成できなかった」となる場合が多いです。

 

 目標が達成できないと、「今年もダメだった」という気分になり、落ち込んだりします。

 

 また、「目標」というのは、「達成できなかった時に落ち込む」というデメリットに加え、「柔軟に変えづらい」というデメリットもあります。

 

 年の途中で、「今年の目標は、なんか違う気がするな」と思っても、「せっかく目標を決めたのだから、目標に従ってやらなければ」と思いがちです。

 

 しかし、そうなると、どんどん間違った方向に努力してしまうことがあります。

 

 それは、あまり良くありません。

 

それならば、いっそのこと、「今年の目標」は決めない方がいいのかもしれません。

 

 自分としては、「今年の目標」を決めるかわりに、「今年の大まかな方針」を決めることをおすすめします。

 

 例えば、仕事に関しても、「仕事で絶対これを達成する」と決めるのではなく「今年は、こんな方向性で仕事をしていこう」というように、大まかな方針を決めるのです。

 

 「方針」であれば、何らかの事情で、年の途中で方針が変わってしまっても、「あくまで方針だから、変わることもあるよね」と割り切れます。

 

 方針の場合は、目標と違って、変わってしまっても精神的なダメージはありません。

 

 その点は、大きなメリットです。

 

 また、方針であれば、その時々の気分で柔軟に変えていけるというメリットもあります。

 

 方針は、あくまで方針ですから、やってみて「ちょっと違うな」と思ったら、どんどん変えていけばいいのです。

 

 その方が、自分のその時々の気持ちにフィットした方向に行きやすくなります。

 

 そうした方が、うまくいく確率は上がると思います。

 

 「方針」も、「絶対この方針で行く」とかっちり決めるのではなく、「大体この方向」と、大まかに決めるのがポイントです。

 

 そうした方が、柔軟性が高くなるからです。

 

 ちなみに、このブログでは、「2022年は、ファッション系の記事をメインで書いていこう」という大まかな方針を決めました。

 

 このブログは雑記ブログなので、何を書いてもいいのですが、ファッション系の記事は、書いていて楽しいですし、今のところ、アクセス数も結構あるからです。

 

 ファッションにも様々な系統があるので、「○○系のファッションの記事を書く」といった具体的な方針を決めることもできます。

 

 しかし、そこはあえて「ファッション」という大まかなくくりに留めるようにしました。

 

 その方が、その時々に興味を持ったファッションの記事を自由に書けるからです。

 

 ただ、これはあくまで方針なので、その通りにいくかはわかりません。

 

 年の途中で、急にラーメン熱が高まったら、「ラーメン特化ブログ」みたいになっている可能性もあります。

 

 まあ、そうなったらそうなったでいいかなと思っています。

 

 この記事を読んで「なるほど」「確かにそうだな」と思った方は、ぜひ「今年の大まかな方針」を決めてみて下さい。

 

 そして、その方針を改めて年末に見返してみると、「意外と方針は変わらなかったな」とか「全く方針が変わったな」とか、新たな発見があって面白いと思います。

 

 

 

気が乗らなかったら、初詣には行かなくていい

 正月になると、「必ず初詣に行く」という人は多いのではないでしょうか。

 

 やはり、日本の正月といえば「初詣」が定番です。

 

 自分も、昔は、正月には必ず初詣に行っていました。

 

 しかし、最近は、「気が乗らないのなら、初詣に行かなくてもいいのでは?」と考えるようになりました。

 

 冷静に考えると、初詣にはデメリットが多いからです。

 

 

 

 

 

 

 

初詣に行くデメリット

 ここからは、初詣に行くことのデメリットをいくつか列挙していきます。

 

寒い

 正月というのは、1月ですから、当然ながら真冬です。

 

 しかも、神社というのは外です。

 

 人が沢山いると、お参りするまで待つことも多いです。

 

 「真冬の屋外で、長時間待つ」という時点で、行く気はだいぶ失せてしまいます。

 

人混みがうっとおしい

 正月は、みんな初詣に行きます。

 

 そのため、神社には、人が沢山押し寄せます。

 

 人がごった返している状態は、不快に感じる人が多いです。

 

 自分は人混みが嫌いなので、混んでいる時点で、行く気が失せます。

 

時間がかかる

 「自宅のすぐ近くに、初詣にちょうどいい神社がある」という人は少ないと思います。

 

 近くに小さい神社があったとしても、「どうせ初詣に行くなら、もう少し立派な神社に行こう」となります。

 

 そのため、初詣にちょうどいい神社に行くためには、電車や車で行くことが多くなります。

 

 そうなると、移動にも時間を取られます。

 

 また、初詣には多くの人が訪れるので、神社に到着してからも、参拝するまでに結構待ちます。

 

 そういったことを考えると、初詣というのは、結構時間を取られます。

 

 初詣に大して興味がなければ、この時間はもったいないと感じてしまいます。

 

神様にお願いしても、あまり効果を感じない

 自分は、特に信仰心はありません。

 

 日本人には、そういう人が多いと思います。

 

 初詣の際には、神様に何か願い事をする人が多いです。

 

 しかし、信仰心が薄いと、「信仰心が薄い人が神様にお願いしたところで、大して効果はないのではないか?」と思ってしまいます。

 

 そうなると、「神様にお願いすること」にあまり意味を見出せません。

 

 また、仮に神様に願いしたことが叶っても、信仰心が薄い人だと、「神様にお願いしたおかげだ」とは考えません。

 

 願いが叶った時は、「自分の努力のおかげ」「周りの人のおかげ」「運が良かったから」などと考えると思います。

 

 願いが叶っても神様に感謝しないのであれば、わざわざ初詣でお願いしに行かなくても良いのかなと思ったりします。

 

おみくじは「大吉」以外は嬉しくない

 初詣に行くと、大体の人がおみくじを引きます。

 

 しかし、このおみくじが曲者です。

 

 なぜなら、おみくじは、「大吉以外を引くと、あまり嬉しくない」からです。

 

 確かに、おみくじで大吉が出ると、「今年はいいことがありそうだな」という気分になり、嬉しくなります。

 

 しかし、「吉」「小吉」「末吉」の場合は、「今年はまあ普通なのかな」という気分になり、特に嬉しくはありません。

 

 ましてや、「凶」「大凶」が出ると、「悪い年になる」と思い、気分が悪くなります。

 

 そういったことを考えると、おみくじというのは、「大吉以外は外れ」とも言うことができます。

 

 大吉を引く確率はそこまで高くないので、おみくじというのは、実は「外れの多いくじ」とも言えます。

 

 おみくじを引くにはお金がかかりますが、せっかくお金を出したのに、良い気分になる確率が低いのならば、あまりメリットを感じません。

 

初詣に行くメリット

 いこれまで、初詣に行くことのデメリットを列挙してきました。

 

 ただ、初詣は、一応メリットもあります。

 

 ここからは、初詣に行くことのメリットも見ていきます。

 

「新年が始まった」という実感が湧く

 新年が始まり、初詣に行くと、「これから新年が始まる」という実感が湧いてきます。

 

 そういった実感をしっかりと得たい方は、初詣に行くのも悪くないかもしれません。

 

人と会うきっかけになる

 初詣には、日本人の大半が行きます。

 

 そして、正月は、多くの人が休みです。

 

 そのため、しばらく会っていない人に対して、「初詣に一緒に行かない?」と誘いやすかったりします。

 

 このように、「しばらく会っていない人と会う口実」に初詣を使うのはありだと思います。

 

 また、しばらく会っていなかった友人から初詣に誘われることもあるので、そういう誘いに乗ると、久しぶりに友人と会えたりします。

 

 「人と会うきっかけ」として使うのであれば、初詣に行くのも悪くないと思います。

 

願い事を神様に頼むと、気分が上がる場合がある

 人によっては、「今年、なんとしてでも叶えたい願い事」があったりします。

 

 そんな時は、藁にもすがる気持ちなので「神様の力も借りたい」と思ったりします。

 

 そういう場合に、初詣で神様にお願いすると、「この願いはきっと叶う!」と気分が上がったりします。

 

 神様にお願いして気分が上がるのであれば、初詣に行くのも悪くはありません。

 

おみくじのギャンブル性は、ある意味、楽しい

 おみくじは、「大凶が出る可能性もあるけど、大吉が出る可能性もある」という意味では、ギャンブル性があります。

 

 世の中には、そういったおみくじのギャンブル性が好きな人もいます。

 

 大凶が出る可能性もある中で大吉が出ると、嬉しさは倍増します。

 

 これが、全て大吉だと、大吉を引いても嬉しくはありません。

 

 そういった「おみくじのギャンブル性」を素直に楽しめる人ならば、初詣に行くのもいいでしょう。

 

まとめ

 新年になると、「みんな初詣に行っているけれど、自分は行くかどうか迷うな」と思っている人は結構いるはずです。

 

 もし、初詣に行くかどうか迷った時は、「初詣に行くメリット」と「初詣に行くデメリット」を比べてみましょう。

 

 そこで、メリットの方が大きければ行けばいいですし、デメリットの方が大きければ行かないようにしましょう。

 

 自分の場合は、「寒い」「人混みがうっとおしい」というデメリットが大きすぎるので、おそらく初詣には行きません。

 

 また、「メリットとデメリットを比べるのもめんどくさい」という人は、「気が乗るかどうか」で決めましょう。

 

 気が乗れば行けばいいですし、気が乗らないのならば、行かなくていいと思います。

 

 実際、自分は、去年の初詣も、気が乗らなかったので行っていません。

 

 しかし、今思い返しても、初詣に行かなかったことに対しては、全く後悔はありません。

 

 「やっぱり初詣に行っておけば良かった」などとは、一回も思いませんでした。

 

 今思い返しても、「あの時、自分の気持ちに素直になって、無理に初詣に行かなくて良かった」と思います。

 

 そのため、みなさんも、初詣に行くかどうかは、「みんなが行っているから」ということではなく、「自分が行きたいかどうか」で決めましょう。

 

 自分の気持ちに素直になれば、初詣に行くという選択をしても、行かないという選択をしても、後悔はしないと思います。