毎日、生活を送る中で、「生きている意味がわからない」「目的もなく、ダラダラ過ごしてしまっている」と感じている人は多いと思います。
どうしても、「自分があとどれくらい生きるのか」がわからないと、生きている意味が見つけづらいですし、目的もなくダラダラ過ごしがちになります。
ただ、「自分の人生がいつ終わるのか」は誰にもわかりません。
90歳まで生きる可能性もありますが、明日、事故にあって死んでしまうこともあります。
多くの人は、「自分は、大体、80歳くらいまで生きるだろう」と思って生きています。
今現在、40歳の人でも、80歳になるまでには、あと40年もあります。
「あと40年も生きる」と思うと、一体何を目標にして生きていけばいいか、よくわからなくなります。
その結果、生きる意味がわからず、ダラダラした生活を送りがちになります。
自分も、そういう生活になりがちでした。
そこで、ある時、「もう少し、張りのある人生を送るには、どうすればいいか」ということを真剣に考えてみました。
色々と考えた結果、ふと、「自分の人生は、余命2年」と仮定して生きてみると良いのではないかと思いつきました。
余命を「2年」にしたのには、理由があります。
まず、「1年」にすると、「あまりにも短い」と思ってしまうからです。
日々、生活をしていると「1年」はあっという間です。
ついこの間、正月だったと思ったら、もう大晦日になっていて「1年は早いな」と感じる人も多いでしょう。
そのため、「1年」にしてしまうと、「わずか1年しかない」という焦りが出てきてしまうので、「1年」という設定はあまり良くないと考えました。
そして、「3年」にしてしまうと、「3年なら、まだもうちょっとあるな」という気持ちが出てきてしまい、気持ちが緩みすぎてしまうと感じました。
そういう意味では、「2年」というのは、「短いけれど、あまりに短すぎるという程でもない」絶妙な年数ではないかと思いました。
それで、あえて「2年」という設定にしました。
「自分の余命はあと2年」と仮定して生活を送ってみると、だいぶ、自分の中の意識は変わりました。
「あと2年しか生きられない」と思うと、「好きなこと」「興味があること」「面白いこと」を優先して行うようになりました。
「80歳くらいまで生きるだろう」と思うと、今、目の前に面白そうなことがあっても、「後でもいいか」と思いがちです。
しかし、「あと2年しか生きられない」と思うと、「今やらなければ」という意識が働き、面白そうなことをすぐにやるようになります。
面白そうなことをすぐにやるようにすると、生活の中で面白いことが増えていくので、生活の満足感は増した気がします。
また、「あと2年しか生きられない」と思うと、「嫌いなこと」「面白くないこと」「余計なこと」はなるべくしなくなります。
人生があと2年しかないのに、そんなことをしていたら、時間がもったいないからです。
生活の中では、「どうしても避けることのできない嫌いなこと」もあります。
そういうことは、仕方ないので、嫌いなことでも行います。
しかし、世の中には、「避けることのできる嫌いなこと」も沢山あります。
「自分の余命はあと2年」と仮定してからは、避けることのできる嫌いなことは、なるべく避けるようになりました。
そして、「そこまで面白くないけど、時間が潰せるもの」も、なるべくやらなくなりました。
そんなことをしていたら、時間がもったいないからです。
また、気が合わない友人とは、なるべく会わなくなり、連絡も取らないように心がけるようになりました。
気が合わない人に貴重な時間を使うのは、もったいないからです。
そうすると、生活の中で嫌いなことをする頻度は減り、気の合わない人に会うことも減ったので、以前に比べて生活が快適になりました。
軽い気持ちで、「自分の余命はあと2年」と仮定して生活するようにしてみましたが、実際にやってみると、かなりのメリットがありました。
そもそも、人間以外の動物は、「自分の好きなこと」ばかりやっていて、嫌いなことはやろうとしません。
自分から積極的に嫌いなことをやっている動物は、人間だけです。
嫌いなことを積極的にやっているから、精神が病んでくるのです。
動物のように、「好きなことをやって、嫌いなことをやらない」ようにすると、基本的に精神は病みません。
そして、「余命あと2年」と仮定して生活すると、好きなことを優先的に行って、嫌いなことを避けるようになるので、精神的に病みづらくなります。
「精神的に病みづらくなる」とうのは、かなり大きなメリットだと思います。
「将来のために、嫌なことを我慢してやれ」と言う人がいますが、それは果たして意味があるのでしょうか?
嫌なことを積極的にやっても、それが将来報われる保証はありません。
また、将来のために嫌なことを我慢してやっても、明日、事故にあって死んでしまう可能性だってあります。
そうなったら、わざわざ積極的に嫌なことをした意味はありません。
そう考えると、よくわからない将来のために嫌なことをやるより、今できる楽しいことを積極的にやる方が良い気がします。
その方が、生物として活き活きしてくるのではないでしょうか。
また、「自分の余命はあと2年」と仮定すると、「迷って決断がなかなか下せなかったこと」でも、きっぱりと決められるようになったりします。
人は、「現在VS将来」で迷って、決断を下せないことが多いです。
「今現在はこれがやりたいけれど、将来のことを考えると別の選択をした方が良いか」というパターンです。
こういう場合は、「現在の自分」と「将来の自分」が言い合いをして、なかなか結論が出せません。
それにより、「結論は後回し」になったり、「折衷案」を結論として出してしまう人が多いです。
ただ、それはあまり良いことではありません。
「結論を後回し」にすると、今ある楽しいことを楽しめる機会を逃してしまいます。
また、結論を後回しにすると、将来のための準備も遅くなります。
結論を後回しにすると、今現在のためにもなりませんし、将来のためにもあまり良くありません。
また、「折衷案」にすると、「今現在に対しても、将来に対してもイマイチな選択」をしてしまうことが多くなります。
これも、今現在に対しても、将来に対しても、あまり良いことではありません。
その点、「自分の余命はあと2年」と仮定していると、こういう決断の機会が来ても、あまり迷いません。
基本的に「今現在」を優先するようになるからです。
余命が2年だとしたら、「将来」というのは、最高でも2年後のことです。
そのため、2年以上先の将来については、考える必要がなくなります。
「2年以上先の将来を考えなくていい」となると、必然的に、「今ある楽しいことを優先しよう」という気分になります。
それにより、こういった決断の機会が生じても、パッと「今、楽しいことをやろう」と決断することができます。
ただ、こういうことを言うと、「今の楽しみを優先してしまうと、将来を捨てることになるのでは?」と思う人もいるでしょう。
しかし、単純にそうとは言い切れません。
結局、将来というのは、「今の積み重ね」だからです。
楽しいことをしていると、自然と、そのことに対するスキルが向上してきます。
また、楽しいこと優先的に行って、ポジティブに過ごしていると、「あの人、なんだか面白そう」と人が寄ってくることがあります。
そうすると、「今の楽しみを優先していたのに、それが将来のためになった」というパターンも結構あります。
逆に、「将来のため」と言って、今の楽しみを我慢していると、「あの人、なんだか性格がきつくて陰気だね」と思われて、人が寄ってこなくなったりします。
せっかく「将来のため」と思って努力していても、将来的に、たいしたものが残らない場合もあります。
そうなると、結構悲惨です。
結局、「将来のため」と思って行動していても、その行動が本当に将来のためになるかはわかりません。
将来のことは、誰にもわからないですから。
それならば、よくわからない将来のことよりも「今、目の前にある楽しいこと」を優先して生きた方が、良いのではないかと思います。
それが将来のためになるかはわかりませんが、「今現在の楽しみ」は、確実に得られるわけですから。
「自分の余命はあと2年」と仮定すると、「今現在の楽しみ」を優先しやすくなることは確かです。
人によって「合う・合わない」はあると思いますが、自分としては、「余命はあと2年」と仮定して生きてみることは、かなりメリットが多かったです。
そのため、「生きる意味がわからない」と思っている方や、「毎日をダラダラ過ごしてしまう」という方は、試しに「自分の余命はあと2年」と仮定して生きてみてはいかがでしょうか。
そうすることで、今まで見えなかったことが見えてくることもあります。
あえて、自分の余命を仮定して決めて生きることで、逆に活き活きと生きられる場合もあります。