2022年の2月24日、ロシアのプーチン大統領がウクライナに宣戦布告し、ロシアとウクライナの間で戦争が始まりました。
このニュースを見た時は、できるだけ犠牲者が少なくなることを願っていましたが、残念ながら、多くの犠牲者が出ています。
ウクライナ情勢に関するニュースを見るたび、重い気分になります。
そして、「なんで、多くの人が忌み嫌っている戦争が起こるのだ?」という気持ちになります。
世の中のほとんどの人は、「戦争はしない方が良い」と思っています。
しかし、それにも関わらず、世界中で戦争が起きています。
戦争というのは、何も理由がなくて起こるようなものではありません。
何かしらの理由があるはずです。
そこで今回は、「なぜ戦争が起こるのか」「世界が平和になるためにはどうすればいいか」ということについて、自分なりに考えてみました。
- 戦争が起こる原因
- 戦争は、「他者(他国)を支配したい」という「支配欲」により起こる
- 支配された側には憎悪が生まれ、憎悪が戦争の連鎖を起こす
- 支配欲が無ければ、戦争はまず起こらない
- 「支配欲」を無くすためにはどうすればいいか
- 「他人は、自分の思い通りに動かなくて当たり前」という意識を持つ
- 「支配的になっていないかどうか」を常にチェックするとよい
- 「他者を支配すること以外の楽しみ」に集中する
- 「他者を支配すること以外の楽しみ」に集中する人だけになれば、世界は平和になる
- まとめ
戦争が起こる原因
戦争が起こる原因は様々です。
ただ、今まで起こってきた戦争を見ていくと、ある共通の原因が見えてきます。
戦争は、「他者(他国)を支配したい」という「支配欲」により起こる
戦争には様々なものがあります。
しかし、どの戦争も、元を辿れば「相手(他国)を支配したい」という気持ちが発端となっています。
例えば、A国とB国があったとします。
この両国は、考え方が異なり、度々、意見が対立していました。
最初はB国と交渉してきたA国ですが、「このままじゃ話が進まない。口で言ってもわからないなら、力ずくで言うことを聞かせてやろう」とB国に軍隊を送り込みます。
それにより、戦争が起こりました。
この例では、「力ずくでも、B国に言うことを聞かせてやりたい」という支配欲から、戦争が起こっています。
別の例を挙げます。
C国は、「自分の国は狭いし、資源も少ない。もう少し、土地や資源が欲しい」と考えました。
近くを見てみると、隣にD国があり、土地も広く、資源も潤沢でした。
そこでC国は、D国に対して、「少し土地や資源を分けてくれないか」と交渉しました。
しかし、「そんなことをしても、うちの国が損をするだけだ」と、要求を聞き入れません。
怒ったC国は、「だったら力ずくで手に入れてやる」と戦争を仕掛けます。
これは侵略戦争のパターンですが、これも「D国を支配して、土地や資源を手に入れたいという支配欲が原因となっています。
これ以外にも、戦争に至るには様々なパターンがありますが、元を辿れば、「支配欲」が原因となっている場合がほとんどです。
「人を支配すること」には、確かに快感が伴います。
人を支配すると、その人は、自分の意のままに動いてくれます。
それは、ある意味、非常に気持ちのいいことです。
人間には、支配欲がない人もいますが、「支配欲」を持った人もいます。
そして、国の指導者になる人は、支配欲が強い場合が多くなっています。
特に、独裁制の国で指導者になりたがる人は、指導者の中でも支配欲が特に強い人でしょう。
しかし、そういった独裁的な指導者がいる国は、戦争を引き起こしやすくなります。
一方、民主主義の国では、指導者の決定だけでは「戦争を行う」という決定はできません。
しかし、「他国を支配したい」という国民が多いと、投票により「戦争を行う」という決定が下されます。
そうなった場合も、戦争が起こります。
やはり、戦争を引き起こす大元は、「人が持つ支配欲」と言うことができるでしょう。
支配された側には憎悪が生まれ、憎悪が戦争の連鎖を起こす
戦争を仕掛けて、どちらかの国が勝つと、勝った国が負けた国を支配します。
しかし、これが、新たな戦争の火種を生みます。
例えば、A国がB国に戦争を仕掛けて、A国が勝ったとします。
そうなると、B国は、A国の支配下に置かれます。
A国の支配下に置かれると、B国の指導者や国民は、A国の支配にとりあえず従うようになります。
そこで反抗すると、投獄されたり、処刑されたりする恐れがあるため、「とりあえず」従うのです。
しかし、支配下に置かれているB国の国民の心の中は、はらわたが煮えくり返っていたりします。
基本的に、「他者から支配される」というのは、不快なことだからです。
しかも、戦争によって無理矢理、支配されることになれば、余計に不快感が増し、怒りが込み上げてきたりします。
しかし、自分の身の安全を確保するため、B国の国民は、その怒りをとりあえず心の中にしまっておきます。
ただ、しばらく経った後、A国の力が弱まってきたとします。
そうなると、B国の人は「A国に仕返しするチャンス」と捉えます。
「今の時点では、B国の方がA国よりも軍事力が上だ」と判断したら、B国はA国に戦争を仕掛けるでしょう。
そこでB国が勝てば、今度は逆に、B国がA国を支配します。
しかし、そうなると、A国の国民は、B国に対して恨みを持ちます。
そして、B国の軍事力が弱まったタイミングで、またB国に戦争を仕掛けてきたりします。
こういった「憎悪による戦争の連鎖」が世界各国で起こっています。
そして、一度、「支配されたことによる憎悪」が生じてしまうと、戦争の連鎖を断ち切ることは非常に困難です。
このような、「支配された側による憎悪」も、戦争を引き起こす一つの原因となっています。
しかし、その憎悪も、支配欲が引き起こしたものです。
支配欲が無ければ、戦争はまず起こらない
ほとんどの戦争は「支配欲」により引き起こされますが、逆に支配欲が無ければ、戦争はまず起こりません。
「指導者や国民に、全く支配欲が無い国」があったとします。
そうなると、その国は、まず他国に戦争は仕掛けません。
しかし、そういった国でも、「他国から戦争を仕掛けられて、やむなく戦争に応じる」ことはあります。
そういった場合には、戦争が起こる可能性はあります。
ただ、その国だけでなく、周囲の国も、支配欲が無かったら、どうなるでしょうか。
それだと、どの国も戦争を仕掛けないので、まず戦争は起こらなくなります。
「支配欲」を無くすためにはどうすればいいか
「他人(他国)を支配すること」は、ある意味、気持ちのいいものです。
そのため、一度他人を支配した経験を持つと、「もっと多くの人を支配したい」という欲求が出てきます。
一度その気持ちよさを味わってしまうと、「支配欲」は、なかなか捨てづらかったりします。
では、そんな支配欲を無くすためには、どうすればいいのでしょうか。
「他人は、自分の思い通りに動かなくて当たり前」という意識を持つ
生きている中で、他人が自分の思い通りに動いてくれないことは沢山あると思います。
そんな時、「なんでこいつは、自分の思う通りに動いてくれないんだ」「こいつを思い通りに動かしたい」と思ったりするでしょう。
その気持ちが、まさに「支配欲」です。
そう思った人は、少し考え方を変えてみて下さい。
あなたとその人は、「別の人間」です。
別の人間であれば、自分の思った通りに動いてくれないのが当たり前です。
支配欲を捨てるためには、「他人は、自分の思い通りに動いてくれないのが当たり前」という意識を持つようにしましょう。
そうすれば、他人が自分の思い通りに動いてくれなくても、特にイライラしません。
そして逆に、自分の思い通りに動いてくれた時は、「思い通りに動いてくれてありがとう」と相手に感謝の気持ちが湧いてきます。
このような状態は、「支配欲が無い状態」と言えます。
「支配的になっていないかどうか」を常にチェックするとよい
ただ、「自分にはもう支配欲はない」と思っても、自分が意識しないうちに、人に対して支配的になってしまうことがあります。
そういった、「自分で意識していない支配欲」もあるので、注意が必要です。
このような支配欲は、なかなか厄介です。
自分では、「相手を支配していない」と思っていても、自分で意識していない支配欲が出てきてしまうと、相手は、「支配されている」と感じるからです。
そのため、自分が気づかないうちに、相手に憎悪が溜まっていったりします。
それを防ぐためには、常に「人に対して支配的になっていないか」ということを、自分でチェックしていく必要があります。
支配的にならないためには、「言葉遣い」にも気を付ける必要があります。
例えば、人に何かを頼む場合、「〜して」という命令口調だと、支配的になり、相手に憎悪が生まれやすくなります。
それに対して、「~してほしい」と頼むと、相手は「支配されている」と感じにくくなるので、憎悪は溜まりにくくなります。
人間、つい、無意識的に支配的な言葉を使ってしまうこともあるので、言葉遣いには注意しましょう。
また、「言い方」も大事です。
丁寧な言葉を選んでも、大声で冷たい言い方をしてしまうと、相手は「支配されている」と感じます。
しかし、適切な音量で、落ち着いた言い方をすれば、相手は「支配されている」とは思いません。
相手に「支配されている」という印象を与えないためには、言葉遣いや言い方は非常に大事です。
そして、「自分は、支配欲はないから大丈夫」と思っている人に限って、いつの間にか、自分が気づかないうちに、支配的になっていたりします。
そのため、「自分は大丈夫」とは思わず、常に、支配的になっていないかチェックするクセをつけましょう。
その方が、支配的になりにくくなります。
「他者を支配すること以外の楽しみ」に集中する
「他人を支配すること」は確かに楽しいですが、世の中には、それ以外に楽しいことも沢山あります。
「他人を支配すること」は、楽しいことではありますが、争いを引き起こしてしまう大きなデメリットを抱えています。
そして、その争いが大きくなると、国同士の戦争となってしまいます。
そんな大きなデメリットがあるのであれば、「他人を支配すること」で楽しむのはやめて、他の楽しみを見つけましょう。
例えば、「絵を描く」「本を読む」「文章を書く」「音楽を聴く」といった一人でできる楽しみならば、他者を支配せずに楽しむことができます。
また、自分一人ではなく、人と一緒に楽しむ場合でも、「対等な関係を作って楽しむ」ように心がけましょう。
対等な関係を築けていれば、他者を支配しないので、争いは起きにくくなります。
「他者を支配すること以外の楽しみ」に集中する人だけになれば、世界は平和になる
そして、世の中が「他者を支配する以外の楽しみ」に集中する人だけになったらどうなるでしょうか。
そうなると、争いは減って、戦争も起きなくなると思います。
ただ、対等な関係であっても、人が集まれば、不和が生じることもあります。
そんな時でも、対等な関係であれば、相手に対する不満点を素直に言うことができます。
お互いに、素直に不満点を言い合える関係であれば、不満点を言い合っても、そこまでしこりは残りません。
そういう関係であれば、「憎悪」は生まれにくくなります。
そして、みんなが対等に話し合えるのであれば、「妥協点」も見つけやすくなり、話し合いによって問題も解決しやすくなるはずです。
自分としては、もし、こういう世界になれば、戦争がなくなって平和になると思っています。
まとめ
今回は、ロシアとウクライナの戦争をきっかけに、「戦争の原因」や「世界が平和になる方法」を自分なりに考えてみました。
この文章を読んで、「そんなのは理想論だ」「できる訳がない」という人も沢山いると思います。
そういう感想を持つのも、無理はないでしょう。
自分自身も、「これはあくまで理想で、実際にこうなることは難しいだろうな」と思っています。
人間の持つ「支配欲」は強烈なので、全ての人が支配欲をなくすことは、なかなかできません。
「支配欲を持たないようにしましょう」と言っても、どうしても持ちたくなる人は出てきます。
しかし、実現が非常に難しかったとしても、「理想」を持つことは重要だと思います。
世の中には、理想を掲げる人に対して、「そんなことは実現不可能だ」「もっと実現可能なことを言え」と批判する人がいます。
しかし、自分としては、そういう批判を見ると、「理想を掲げて何が悪いの?」と思ったりします。
理想を提示すると「それに近づこう」と思う人が増えて、少し世界が変わることもあります。
それだけで、理想を掲げた価値は十分にあると思っています。
その理想が実現できなかったとしても、「そういう世界を作りたい」と思ってくれる人が少しでもいれば、理想を掲げた意味はあります。
「実現できなければ無意味」という訳ではありません。
ミュージシャンのジョン・レノンは、1971年に、「イマジン」という曲を発表しました。
この曲には、「国も、宗教も無くなって、みんなが平和に生きている姿を想像してごらん」といった内容の歌詞が出てきます。
この歌を聴いて「国や宗教が無くせる訳がない」「非現実的だ」「もっと現実的なことを言え」と批判する人が沢山います。
確かに、国や宗教が無くすことは、現実的には非常に難しいです。
2022年現在、国や宗教は無くなってはいません。
そして、相変わらず、戦争も度々起こっています。
そういう意味では、ジョン・レノンがイマジンで提示した理想は、実現していません。
そして、この先も、国や宗教が無くなる雰囲気はありません。
しかし、この曲で掲げた理想は実現していなくても、この歌詞を聴いて「その通りだ」と思った人は、世界中に沢山います。
そして、「国や宗教があるから、対立が生まれるんだ。それならば、そんなのは無い方がいいな」と気付いた人も数多くいます。
この曲の歌詞に影響を受けた人が、「国や宗教以外の、支配的ではない繋がり」を少しずつ作っていったりしています。
その事実を見ると、「理想が実現できなくても、理想を提示したことに意味がある」と思ってしまうのです。
実際、ジョン・レノンが「イマジン」を歌ったからこそ、「こういう世界にしたい」と思った人が増えたはずです。
彼がこの曲を発表しなかったら、そういうことを考えた人は、今より遥かに少なくなっていたはずです。
それを考えると、彼がこの曲を発表したことは、非常に大きな意味があると思っています。
自分がここで提示した、「世界が平和になる方法」も、ジョン・レノンのイマジンのように、「理想論」と言われるかもしれません。
しかし、「理想論」だったとしても、これを読んで「その通りだな」と思ってくれる人が一人でもいれば、この記事を書いた意味はあると思っています。
そして、実際に、『「他者を支配すること以外の楽しみ」に集中する人』が世の中に増えていけば、今より争いごとは減っていくと思います。