場面緘黙症だった僕の、その後の人生

小学校時代に場面緘黙症を経験。社会に出た後も、仕事になじめずに苦しむ。社会にうまく適応できないという悩みあり。このブログが、同じような悩みを持っている方の参考になれば幸いです。

「本能的な楽しみ」と「知的な楽しみ」をバランスよく取り入れる

 このブログを読んでいる方には、何か、「これをやっていると楽しい」ということはあるでしょうか? 人生、楽しいことは沢山やった方がいいと思います。しかし、楽しいことを沢山していても、「楽しいけれど、どこか物足りない」と感じてしまうこともあります。楽しいことを闇雲に行っていると、どうしてもそういう状態に陥りがちです。そのため、人生を充実させるためには、楽しいことを、うまく選んでバランスよく取り入れていった方がいいでしょう。

 

 「楽しみ」は、大きく分けると、「動物としての、本能的な楽しみ」「人間特有の知的な楽しみ」があります。

 

 「本能的な楽しみ」というのは、生存に必要な原始的な楽しみです。例えば、「おいしいものを食べる」「ぐっすり寝る」「恋をする」などがこれにあてはまります。これらの楽しみは、生存に関わる分、行うと強烈な快感を得ることができます。ただしこれらは、「一時的な快楽」で終わってしまい、それを繰り返し行っても、自分の中に積み重なっていかない傾向があります。だから、「本能的な楽しみ」ばかり行っていると、「楽しいけれど、一時の楽しさだけで、自分が成長していく実感がない」と感じます。

 

 それに対して、「人間特有の知的な楽しみ」というのは、複雑な思考を使うことにより達成感を得る楽しみ方です。例えば、「数学の問題を解く」「小説を書く」「芸術作品を作り上げる」といった行動がこれに当てはまります。これらの楽しみは、「やればやるほど、上達していく」傾向があります。「数学の問題を解く」ということを楽しみにしている人の場合、最初は簡単な問題しか解けなかったとしても、沢山の問題を解いているうちに解き方を覚えて、難しい問題も解けるようになります。そうなると、問題を解けた楽しさに加え、「自分は成長している」と実感できて、またそこで「成長したこと」を楽しむことができます。ただ、「知的な楽しみ」というのは、「本能的な楽しみ」に比べると、快感の度合いはそれほど強烈ではありません。だから、「知的な楽しみ」ばかりして、「本能的な楽しみ」をあまりしていないと、「楽しいことは楽しいけれど、もっと強烈な楽しみが欲しい」とつい思ってしまいます。

 

 人間というのは、楽しいことをしていても、「本能的な楽しみ」だけでは物足りなくなるし、「知的な楽しみ」だけでも物足りなくなる生き物です。

 

 だから、「本能的な楽しみ」と「知的な楽しみ」をバランスよく取り入れていくのがベストでしょう。

 

 例えば、「おいしいものを食べるのが大好き」という人は、「おいしいものを食べる」ことと「料理を作る」ことを両方するようにしましょう。「おいしいものを食べる」というのは本能的な楽しみだが、「料理を作る」作るということは、色々と頭の中で細かく考えないとできないので、「知的な楽しみ」になります。もし料理を沢山して、徐々に腕前が上がっておいしいものが作れるようになれば、料理を作る過程も楽しいし、自分の作った料理を食べて楽しむこともできるので、一石二鳥です。

 

 そして、「本能的な楽しみ」と「知的な楽しみ」というのは、これ以外にも様々な組み合わせがあります。

 

 「おいしいものを食べるのは大好きだけど、料理は嫌い」という人は、無理に料理をすることをしなくてもいいでしょう。その人がもし小説を書くのが好きだとしたら、本能的な楽しみとして「おいしいお店巡り」をして、知的な楽しみとして「小説を書く」ことをしましょう。

 

 もしあなたが、今、日常生活で楽しいことを色々と取り入れているなら、どれが「本能的な楽しみ」で、どれが「知的な楽しみ」になるのか分類してみましょう。

 

 あなたが、現在、「本能的な楽しみばかりになっている」と気づいたのなら、今後は「知的な楽しみ」を新たに取り入れましょう。逆に、「知的な楽しみばかりになっている」と気づいた人は、「本能的な楽しみ」を意識的に取り入れてみましょう。

 

 そのようにして、「本能的な楽しみ」と「知的な楽しみ」をバランスよく取り入れることができれば、日常生活の満足度は格段に上がるはずです。