場面緘黙症だった僕の、その後の人生

小学校時代に場面緘黙症を経験。社会に出た後も、仕事になじめずに苦しむ。社会にうまく適応できないという悩みあり。このブログが、同じような悩みを持っている方の参考になれば幸いです。

将来に絶望したら、「今、楽しいこと」や「今、楽にできること」をする。

 将来に希望が持てなくて、「将来のことを考えると、絶望的な気持ちになってしまう」という人は結構いるでしょう。そんな時に、周囲の人から、気休めで「そんなことない。希望はあるよ」と言われたりすることもあるでしょう。しかし、気休めにそのような言葉をかけられても、「希望はある」と切り替えて考えられる人はほとんどいないでしょう。

 

 「将来に希望がない」という思いに至るまでは、その人の様々な経験が積み重なっています。そういう思いに至る人は、きっと、うまくいかない経験を沢山してきたのでしょう。そういう経験が重なることで、「希望がない」という結論を出してしまうのです。

 

 個人の経験というのは、本質的な部分は、体験した人にしかわかりません。それなのに、気休めで「希望はあるよ」と言われると、「あ、この人、自分の気持ちを全然わかってくれないんだな」と思い、さらに気分が落ち込んでしまうことさえあります。

 

 だから、将来に希望が持てなくなった場合は、無理に希望を持とうとしない方がいいと思います。どうせなら、できるだけ将来のことを考えないようにしましょう。将来のことを考えないようにするには、「今」に集中することです。「今」に集中すれば、自然と将来のことについて考えなくなります。だから、将来に希望が持てなくなったら、「今、楽しいこと」や「今、楽にできること」をなるべくやっていくようにしましょう。

 

 そういうことをしていると、周囲で、「それは逃げだ」と説教してくる人もいるかもしれません。「逃げて、楽してないで、将来のための準備をしっかりしろ」というように。しかし、そういう人が現れても、あまり気にしないようにしましょう。そこであなたが、その人の言う通りにして、今を楽しむことを我慢して、将来のために何かをしたとします。そして、それが将来うまくいかなかったり、精神的・肉体的につぶれてしまったとしても、その人は責任を取ってくれません。うまくいかなかったら、「何であの時、自分の気持ちを無視して、あの人の意見を聞いてしまったのだろう」と、後悔だけが残ります。

 

 真正面から立ち向かってつぶれてしまうくらいなら、逃げた方がマシです。将来に希望が持てないのなら、逃げでもいいから、「今、楽しいこと」や「今、楽にできること」をしましょう。

 

 それに、そういったことをしていくことは、必ずしも悪いことばかりではありません。最初は、「今、楽しいこと」や「今、楽なこと」をしているだけだったはずが、ひょんなことから、それが仕事になったりして、将来につながることだってあります。

 

 人間、嫌なことばかりやっていたら、どんどん考えが悲観的になってきます。逆に、「今、楽しいこと」や「今、楽なこと」をしていると、段々と気分は楽観的になってきます。

 

 悲観的になっているより、「楽観的な気分」でいた方が、幸運も寄ってきやすくなるはずです。