2019年の3月21日、イチロー選手が、野球選手を引退すると発表しました。この引退のニュースを見て、色々と、複雑な気持ちになった人も多いのではないでしょうか。
「今まですごいプレーを見せてくれてありがとう」と思う人もいれば、「もっと現役生活を見たかった」と思う人もいるでしょう。
自分の年齢は、現在、30代後半です。世代的に、イチロー選手が頭角を現して、活躍し続けている姿を、ずっとリアルタイムで見てきました。そのため、色々と思うところもあります。
そこで今回は、イチロー選手が引退するということで、イチロー選手について、ブログ記事を書いてみました。
イチロー選手の経歴
まずは、イチロー選手の経歴を振り返ってみます。
イチローは、高校は「愛工大名電」に通っていました。高校時代から、その野球センスは注目されていたようです。
1991年のドラフト4位でオリックス・ブルーウェーブに指名され、オリックスに入団します。高卒での入団です。
プロ入りから2年目までは、2軍の試合に出ることが多かったようです。
転機が訪れるのは、プロ3年目の、1994年です。まず、開幕直前に、登録名を本名の「鈴木一朗」から「イチロー」に変更します。こういった登録名は、当時としては、非常に珍しいことで、話題になりました。
最初は登録名で注目されたイチローですが、徐々に実力で注目され始めます。1994年に大ブレイクを果たし、この年の打撃成績は「打率.385」という高打率で、パ・リーグの首位打者に輝いています。またシーズンで「210安打」を放ちました。ちなみに、日本プロ野球界で、シーズン200本安打を超えたのは、イチロー選手が初めてです。また、打率も、4割には届きませんでしたが、シーズンの途中は、「前人未到の4割に届くのではないか?」とも言われていました。
1994年のブレイクにより、イチローは、一気にスターの階段を上っていくことになります。当時のイチローは、バッティングの際に、右足を振り子のように動かす打法でした。これが、「振り子打法」と呼ばれ、子供はその「振り子打法」をよく真似していた記憶があります。
1994年以降も、イチローの活躍は続きます。なんと、1994年以降、「7年連続首位打者」という偉業を達成します。1994年から、2000年までは、打率は3割4分を下回ったシーズンはありません。それにより、「ヒットといえばイチロー」というイメージが、日本プロ野球界には定着します。
日本球界でやることがなくなってしまったイチローは、2001年に、シアトル・マリナーズに移籍し、メジャーリーグに挑戦します。日本人野手として、初めてのメジャーリーガーが、イチローです。
イチローがメジャーリーグ挑戦を発表した際は、アメリカで通用するのかは未知数でした。しかし、メジャーリーグに挑戦した1年目は、蓋を開けてみると、大方の予想をはるかに上回る成績を残します。「打率.350」「242安打」「56盗塁」という成績です。その年の、「242安打」は、メジャーリーグの新人では、最も多く安打を打ったことになります。そして、その年の「盗塁王」「首位打者」「MVP」「新人王」「ゴールドクラブ賞」に輝きます。
「盗塁王」「首位打者」「ゴールドクラブ賞」の3つのタイトルを取ったということは、「走攻守の能力が、メジャーリーガーの中でもトップクラスにある」ということの証明となります。イチローのメジャーリーグ挑戦の1年目は、まさに「日米の野球ファンに、大きな衝撃を与えたデビュー」となりました。
華々しくデビューしたイチローですが、その活躍から、2年目以降は相手チームにより研究され、より警戒されることとなります。
しかし、相手に警戒されるようになっても、安定した活躍を続けます。
そして、2004年のシーズンでは、「年間262安打」という、メジャーリーグ記録を樹立します。ちなみに、この記録は、いまだに破られていません。野球評論家やファンの間では、「今後も、おそらくこの記録は、破られることはないのではないか」と言われています。
2010年には、「10年連続200本安打」を達成しています。10度の200本安打は、ピート・ローズと並ぶ、メジャーリーグ1位ダイ記録です。
そして、メジャーリーグで最初に入団したマリナーズには、2012年の途中まで、約11年間在籍していました。
2012年の途中からは、ニューヨーク・ヤンキースに移籍します。ヤンキースは言わずと知れた、メジャーリーグでも屈指の名門チームです。ここでも、主力として、ゲームに出場します。ヤンキースには、2014年まで在籍していました。2013年と2014年は、打率3割を切り、2割台となっています。この頃から、少しずつ年齢による衰えも見え始めています。
2015年からは、マイアミ・マーリンズに移籍します。マーリンズには、2017年まで在籍していました。
マーリンズ在籍時の2016年、イチロー選手は、史上30人目のメジャーリーグ通算3000本安打を達成します。これは、アジア人としては初の快挙です。
2018年には、シアトル・マリナーズに復帰します。しかし、この時の年齢は、もう44歳で、年齢による衰えがはっきりと見えるようになります。そして、この年の5月3日、マリナーズと「スペシャル・アシスタント・アドバイザー」として契約を結び、選手としては、残りのシーズンを出場しないことになりました。
そして、2019年、マリナーズは、3月20日と21日に、東京ドームで開幕2連戦を行うことになりました。そこで、イチローは、再び選手として出場することになります。しかし、加齢による衰えと、ブランクもあったせいで、思うような結果が残せませんでした。
そこで、選手としての限界を感じたためか、3月21日に、イチロー選手自身から、「選手を引退する」ことが発表されました。
イチロー選手に関する、個人的な思い出について
イチロー選手は、非常に輝かしい活躍をして、皆の記憶に残る選手だったと思います。もちろん、自分の記憶の中にも強烈に残っています。そして、「個人的な思い出」も沢山あります。そこで今回は、イチロー選手に関する「個人的な思い出」をまとめてみました。
「イチロー」という登録名で、初めてイチロー選手を認識する
自分が初めてイチロー選手を認識したのは、1994年のシーズン開幕前に、『登録名を「イチロー」にした選手がいる』というニュースを見た時です。
当時のプロ野球界では、本名以外の名前で登録することは、非常に珍しいことだったと記憶しています。
イチロー選手の本名である、「鈴木一朗」という名前は、あまりに普通で、インパクトに欠けます。そのため、多くの人に覚えてもらいやすいよう、カタカナで「イチロー」という登録名にしたのだと思います。
そして、イチロー選手が「イチロー」という登録名に変更するタイミングで、佐藤和弘選手も、「パンチ」に登録名を変更していました。
当時の、「登録名に関する報道」では、「パンチ」の方がメインで、「イチロー」の方はオマケといった感じだったと思います。その選手が、まさか、ここまで華々しい活躍をするとは、夢にも思いませんでした。
仮に登録名が「鈴木一朗」のままだったとしても、ここまで華々しい活躍をしたら、誰もその名前を忘れないでしょう。
千葉マリンスタジアムで見た、「伊良部対イチロー」
自分は、昔から、千葉ロッテマリーンズのファンです。今でこそ、ロッテには熱狂的なファンがついていますが、90年代のロッテは、いまいち人気がないチームでした。
しかし、そのロッテに、華のある選手が出てきました。それが「伊良部秀輝投手」です。伊良部投手は、最速158kmの速球と、鋭く落ちるフォークボールを武器に、ロッテのエースとして活躍していました。そのため、ロッテの中では、とても人気の高い選手でした。
自分も、伊良部投手の投球に魅了されていたため、「実際に球場で見たい」と思い、伊良部投手が先発する試合を、千葉マリンスタジアムに見に行ったことがあります。その試合は、ロッテ対オリックス戦です。当時のオリックスにはイチロー選手が在籍していました。
普段、ロッテの試合は、客が少ないのですが、この日は満員でした。おそらく、多くの人が、「伊良部対イチローの対決が見たい」と思って球場にかけつけたのでしょう。イチロー選手の打席がまわってくると、大歓声が聞こえて、とても盛り上がっていました。
やはり、「本格派の速球投手」と「天才打者」の対決は、自分だけではなく、多くの人が「生で見たい」と思うのだなと、実感しました。
今までの野球選手にはない、私服のスタイリッシュさ
イチロー選手は、プレーで鮮烈な印象を残しましたが、「私服のスタイリッシュさ」も魅力の一つでした。
当時の野球選手の私服といえば、「まるでヤクザみたいなファッション」が主流でした。そのため、世間では、「野球選手の私服はダサい」というイメージが強かったと思います。そういったイメージを変えたのが、イチロー選手です。
イチロー選手は、オリックスで活躍し始めた時は、ルーズなヒップ・ホップ系のファッションをしていました。「DJホンダ」のキャップをよくかぶっていた印象があります。
当時は、ルーズなヒップ・ホップ系のファッションが若者の間で流行っており、イチローもそれを取り入れていました。
私服でヒップ・ホップ系のファッションをしている野球選手を初めて見たので、「こんな野球選手もいるんだ」と衝撃を受けました。
現在のイチロー選手のファッションは、「変なプリントのTシャツばかり着ている」というイメージが強いかもしれません(笑)。
しかし、イチロー選手が20代前半だった頃のファッションは、うまく流行を取り入れていて、非常にスタイリッシュに映りました。
日本プロ野球のオールスターでの「投手イチロー」
イチロー選手は、高校時代は投手をやっていました。
日本のプロ野球には、野手として入団したので、公式戦で投手として登板したことはありません。
しかし、イチローが日本プロ野球界にいた頃、一度だけ試合で投手として登板したことがあります。それは、「1996年のオールスターゲーム」でのことです。
オールスターの第2戦、9回裏、2アウトで松井秀喜選手に打席が回ってきた時です。パ・リーグの監督だった仰木監督は、投手としてイチローを登板させます。
しかし、本職が野手のイチロー選手に打ち取られてしまったら、松井選手の面目が立ちません。そのため、それを気にしたセ・リーグの野村克也監督は、ピッチャーである高津投手を代打に送ります。その結果、投手として登板したイチロー選手は、高津投手をショートゴロに打ち取りました。
しかし、さすが強肩と評判のイチロー選手だけあって、140kmを超える速球を投げ込んでいて、「さすが」と思いました。
オールスターでのイチロー選手の登板は、当時は、賛否両論ありました。しかし、自分としては、見ていて単純に楽しかったですし、今でも強く記憶に残っています。
試合前の練習での「背面キャッチ」
イチロー選手は、試合だけでなく練習でも絵になる選手です。
守備練習中、イチロー選手は、外野フライをあえて背中側で取る「背面キャッチ」をよくやっていました。そして、きれいに背面でキャッチしていました。これを見て、「よくこんなことができるな」と感心したものです。
マリナーズのユニフォームを着た時のかっこよさ
イチロー選手は、メジャーリーグで、様々な球団を渡り歩いています。しかし、自分の中では、イチロー選手は「シアトル・マリナーズ」のイメージが強いです。
シアトル・マリナーズは、球団ロゴもユニフォームも、洗練されたデザインで、とてもかっこいいです。
そして、細身でスタイルのいいイチロー選手がマリナーズのユニフォームを着ると、イチロー選手のかっこよさがさらに際立ちます。
これほど、マリナーズのユニフォームをかっこよく着こなせる選手は、他にはいないのではないかと思っています。
イチロー選手の凄さ
ここからは、自分が思う「イチロー選手の凄さ」についてまとめてみました。
「走攻守」の3つが、どれも「超一流」である
野球の野手というのは、プレーをする上では、「走攻守」の3つが求められます。このうちの「どれか一つが超一流」という選手も、それほど多くはありません。一つの領域でも「超一流」になるのは難しいからです。
それが、「走攻守の3つとも、超一流」という選手になると、驚くほど少なくなります。そして、イチロー選手というのは、まさに、「走攻守の3つとも、超一流」です。そういう選手は、本当に希少で、価値があるのです。
イチロー選手に足りないものを強いて上げるとすれば、「ホームラン」くらいでしょうか。しかし、イチロー選手は、ホームラン数が少ないことをカバーして余りあるくらい、ヒットを打ちまくっています。ですから、ホームラン数が少ないことも、全く気になりません。
大きなケガをしない
野球選手の多くが、ケガに悩まされています。しかし、イチロー選手は、現役生活中、大きなケガをしたことがありません。
イチロー選手は、「日本プロ野球で7年連続首位打者」、「メジャーリーグで10年連続200本安打」、「メジャーリーグで3000本安打」という偉業を達成しています。これらは、「何シーズンも積み重ねければ達成できない偉業」と言えるでしょう。ケガがちで離脱ばかりしていたら、こういった記録は達成できません。これらは、「ケガをしないで、試合に出続けたからこそ達成できた」とも言えます。
ケガをしないことにより、「毎年、安定して好成績を残す」という結果につながっています。
イチロー選手がケガをしないのは、「運が良かった」という側面も多少はあるでしょう。
しかし、ここまでケガが少ないのは、イチロー選手の「ケガをしないための対策」による部分が大きいと思います。
イチロー選手は、ケガを予防するため、試合前には入念なストレッチを行います。また、ケガをしないための様々な対策を考えて、実行しているといいます。
イチロー選手は、「ケガに対する危機管理能力」が非常に高いと言えます。その結果、大きなケガなく現役生活を終えることができました。これは、本当にすごいことです。
オリックスを人気球団にした、立役者
イチロー選手が入団する前は、オリックス・ブルーウェーブは、人気のない地味な球団でした。球団の成績も、なかなかふるいませんでした。
しかし、イチロー選手が頭角を現すと、それに引っ張られ、オリックスは強くなっていきました。そして、優勝もしました。それにより、オリックスの人気も上がっていきました。
オリックスは、イチロー選手がいなければ、おそらく優勝はできなかったでしょう。優勝できなかったとしたら、人気はそれほど上がらなかったと思います。
そういう意味では、「オリックスを人気入団にしたのはイチロー」と言っても、過言ではないでしょう。
「日本人野手はメジャーリーグで通用しない」という定説を覆す
イチロー選手がメジャーリーグに移籍する際は、野球ファンからは、「メジャーでは通用しないのではないか?」という声を結構聞きました。
「メジャーの野手はパワーが必要だから、パワーのないイチローは通用しない」と言う人が多かったように思います。
しかし、蓋を開けてみると、メジャー挑戦の1年目から大活躍します。
イチロー選手が大活躍したことで、「日本人野手でも、メジャーでやれる」という考えを持つ人が増えました。
その後、日本人野手も次々のメジャーに挑戦するようになりましたが、それは、イチロー選手が「日本人野手はメジャーで活躍できない」という定説を覆したことが大きかったと思います。
メジャーに、「スピード」で衝撃を与えた
イチロー選手が挑戦した当時のメジャーリーグは、「ホームラン全盛」の時代でした。ステロイドなどの薬物をやっていた選手も多かったはずです。そのため、ホームラン数は増加し、「ホームランこそが野球の花」と考えられていました。
しかし、そこに現れたのがイチロー選手です。イチロー選手は、ホームラン数は少ないバッターです。ただ、鋭い打球でヒットを量産し、俊足で素早く塁上を駆け抜け、盗塁も沢山しました。また、守備でも、俊足を使って、ヒットになりそうな打球を次々とアウトにしていきました。その「スピード感」に、観客の多くは衝撃を受けました。
イチロー選手の登場で、「ホームランだけが野球の花ではない」ということに改めて気づかされた観客も多かったはずです。
「レーザービーム」のような送球
イチロー選手というと、「強肩」も売りの一つです。イチロー選手は、その強肩で、ランナーを次々とアウトにして、観客を魅了しました。
そして、メジャーリーグの試合で、強肩で走者を刺した時、実況が「この送球は、まるでレーザービームだ!」と叫びました。そのため、その後は、イチロー選手の送球は「レーザービーム」と呼ばれるようになりました。
日本にも「矢のような送球」という言葉があります。しかし、イチロー選手の、きれいにまっすぐ進んでいく送球を見ると、「レーザービーム」という例えが、本当にピッタリだなと感じます。
「細身の選手は活躍しない」というイメージを覆した
イチロー選手の体系は「細身」です。
イチロー選手がメジャーリーグに挑戦する際は、「あんな細い体では、屈強なメジャーリーガーの中ではやっていけない」という人も多かったです。
しかし、実際に挑戦してみると、屈強なメジャーリーガーにも負けずに、大活躍しました。
このイチロー選手の活躍により、「細身の選手でも、『スピード』という長所を活かせば、十分にメジャーリーグでもやれる」ということが証明されました。
野球に対する、ストイックな姿勢
イチロー選手の「野球に対するストイックさ」は、誰もが認めるところです。「野球がうまくなるにはどうすればいいか」を徹底的に突き詰めて考えて、練習を行っています。
プライベートの時間でも、「野球がうまくなるにはどうすればいいか」ということを常に頭に入れながら行動しているようです。こういった姿勢には、頭が下がります。
同じことを反復して続けられる
イチロー選手のすごいところは、「同じことをずっと続けられる」ことです。野球がうまくなるためには「同じことを反復して練習する」ことが大切です。同じことをずっと反復することができないと、体に覚えさせることができないからです。
しかし、「反復練習」というのは、ある意味で「退屈なこと」でもあります。同じことをずっとしていると、飽きてしまって続けられないという人は多いと思います。しかし、イチロー選手は、飽きずにずっと同じ反復練習を続けられます。
また、イチロー選手は、野球以外でも「同じことを続けること」が苦にならないようです。音楽でも、「1曲を、ずっとリピートで数時間聴く」ということをしても、飽きないようです。
食事では、「数年間、毎日カレーを食べる」ということをしていたようですが、カレーに飽きることはなかったようです。
イチロー選手を見ていると、「飽きずに同じことを続けられる」ということも、すごい才能なんだと気づかされます。
独自の野球理論を持っている
イチロー選手は、「独自のトレーニング理論」を持っています。
今の時代は「マシンを使って、高負荷の筋力トレーニングをする」ということが、野球界では常識となっています。
しかし、イチロー選手は、「マシンを使った高負荷の筋力トレーニングをしない」というこだわりを持っています。その理由は、「自分の体に合わないような大きすぎる筋肉をつけると、ケガをしやすくなるし、プレーにもキレがなくなるから」ということのようです。
体質やプレースタイルは人それぞれですから、「高負荷の筋力トレーニングをしない」ことが、全ての人にとって正解だとは思いません。しかし、イチロー選手の場合は、大きなケガなく現役生活を終えられているので、「高負荷の筋力トレーニングをしない」というポリシーは、イチロー選手の場合は正解だったのでしょう。
周囲の意見に惑わされず、「独自の野球理論」を構築するということは、なかなかできることではありません。しかし、イチロー選手は、それができたからこそ、これだけ長い間、第一線で活躍できたのだと思います。
28歳から挑戦して、メジャーで3000本安打を打つ
イチロー選手がメジャーリーグに挑戦したのは、28歳の時です。野球選手で、28歳というと、身体的にはピークの年齢でしょう。そこから先は、身体的には衰えてくるので、成績が下がりやすくなります。
普通であればピークを迎えるような時期からメジャーリーグに挑戦して、からメジャーリーグに挑戦して、3000本も安打を積み重ねるというのは、とんでもないことです。
20代前半でメジャーリーグに挑戦したとしても、通算で3000本も安打を打つのは、そうそうできることではありません。
しかし、イチロー選手は、20代も後半にさしかかる28歳から挑戦して、3000本安打をクリアしています。
これは「20代前半からメジャーリーグに挑戦した3000本打った選手」よりも、さらに価値が高い記録だと思います。
日米通算では、4367本の安打を打つ
2000本安打を打った選手は「一流」と呼ばれます。そして、3000本安打を打った打者というのは「超一流」と呼ばれます。それが、4000本打つとなると、もはや「超超一流」の選手と言ってもいいのではないでしょうか。
「4000本も安打を積み重ねる」というのは、とてつもなくすごいことです。
まとめ
イチロー選手についてまとめてみましたが、改めてまとめてみると、イチロー選手は、「記憶にも、記録にも残る選手」と言えるでしょう。
イチロー選手を見ていると、「人間離れしたスーパーマン」のように見えることもありました。まるでスーパーマンのように、野球界の常識を次々と覆した選手とも言えます。
そして、プレーだけではなく、そのストイックな「生き様」も尊敬される選手でした。
イチロー選手は、現役を引退するので、今後は、「イチロー選手」という呼び方は、ふさわしくないのかもしれません。「イチロー選手」ではなく、「イチローさん」と呼ぶ方がいいのかもしれません。
しかし、イチローが残した現役時代の輝かしい記録を見ていると、現役を引退してからも、敬意を込めて、「イチロー選手」と呼び続けたくなってしまいます。
自分とイチロー選手を比べてみると、「果たして同じ人間なのか?」と思ってしまったりします。
残念ながら、自分には、イチロー選手のような突出した才能はありません。しかし、そんな自分でも、イチロー選手を見ていると、「見習いたい」と思うことはあります。
それは「継続することの大切さ」です。イチロー選手は、野球の練習を、地道に継続して続けた結果、あそこまでのすごい選手になったのです。
イチロー選手を見ていると、「何かをずっと続けると、その結果、大きなものが身につくのだな」とわかるのです。
ですから、イチロー選手がずっと見せてくれていた、「継続することの大切さ」は、自分の中にも取り入れていきたいと思いました。
自分が現在、真剣に取り組んでいるのは、「ブログ」です。このブログも、イチロー選手の姿勢を見習って、コツコツと続けていきたいです。そうやって、地道に力をつけていけば、いつか花が咲く日が来るかもしれませんから。
今、僕から、イチロー選手には、「お疲れ様でした」という言葉と、「素晴らしいプレーや生き様を見せてくれてありがとうございました」と言いたいですね。
Number(ナンバー)951号 ICHIRO BACK TO MARINERS 2018 (Sports Graphic Number(スポーツ・グラフィック ナンバー))