場面緘黙症だった僕の、その後の人生

小学校時代に場面緘黙症を経験。社会に出た後も、仕事になじめずに苦しむ。社会にうまく適応できないという悩みあり。このブログが、同じような悩みを持っている方の参考になれば幸いです。

「生きていて良かった」と思えることがあったら、多少無理してでもやろう

 あなたには、何かをしていて、「生きてて良かった」と思えることはあるでしょうか。どういう瞬間にそう思うかは、人によって違うでしょう。好きな人と一緒にいたり、自分の子供を抱いていたりする時に、「生きていて良かった」と思う人は沢山います。また、音楽が好きで、好きな音楽を聴いている時にそう思う人もいます。また、スポーツ好きな人は、スポーツをしている時にそう思うかもしれません。

 

 「生きていて良かった」と思えることというのは、それがその人にとって非常に重要なものである証です。「生きがい」と言っていいのかもしれません。人生というのは、辛いことが沢山あります。しかし、逆に、楽しいことも沢山あります。「生きていて良かった」と思える瞬間というのは、楽しいことの中でも、最上級でしょう。生きていて、その瞬間を味わえることは、とても幸せです。

 

 ただ、何をしている時に「生きていて良かった」と思えるかは、人それぞれです。そのため、自分がそう思えても、他の人にとっては、「つまらない」と感じたりします。

 

 例えば、「昆虫採集をしている時に、『生きていて良かった』と感じる人」がいたとしましょう。しかし、その人に対して、「大人になってそんなことを夢中でやってるのはバカらしい」と批判されたりします。そうすると、「そんなに夢中になってやらない方がいいのかな?」と疑問になり、夢中でそれをすることを辞めてしまう人がいます。しかし、それは非常にもったいないことです。

 

 「生きていて良かった」と思えることがあるなら、人からいくら批判されようと、それを思い切りやりましょう。なぜなら、それがその人の生きがいなのですから。そして、「多少無理してでも、それをやりたい」と思うなら、無理してでもやりましょう。「寝る時間を多少削ってでもやりたい」と思うのなら、寝る時間を削ってやりましょう。そのことについて批判する人がいても、気にしないでください。自分の人生なのですから、やりたいことは思い切り楽しみましょう。

 

 気をつけてほしいのは、やっていて「生きていて良かった」とまで思えないことであれば、無理してそれをする必要はありません。たまに、「これはめちゃくちゃ面白いから、無理してでもやった方がいい」と勧めてくる人がいます。しかし、そう勧められても、「そんなに楽しいか?」と疑問に思う時があります。そういう時は、無理にはやらず、「暇があったらやる」くらいでいいでしょう。何をしている時に、「楽しい」と思えるかは人ぞれぞれなので、人からそう思えなければ、無理にする必要はありません。

 

 ただ、やっていて、「生きていて楽しい」と思えることがあったら、それには徹底的にこだわっていきましょう。そうしていった方が、たとえ人から批判されたとしても、「生きている実感」を持つことができるはずです。