このブログを読んでいる方の中には、何か、「自分には、才能があるな」と思えることはありますか?
「才能がある」といっても、大きなことでなくてかまいません。
「これは、まあまあうまくできる」と思えることを「才能がある」ということにすると、「才能があること」をいくつかは見つけられるでしょう。
もし、「才能がある」と思えることがいくつか見つかったら、その中から、「これが最も才能がある」と思えることを1つに絞りましょう。
それが1つ見つかったら、「これを伸ばしても何か意味があるのかな」とは考えず、ただひたすら才能を伸ばすように努力してみましょう。
人間は、ほとんどの人が、何かしらの才能を持って生まれています。
しかし、その才能をうまく伸ばしきれない人は多いです。
伸ばしきれない理由は様々です。
ただ、その中でも、「これを伸ばしても何か意味があるのかな」と考えてしまい、「意味がない」と判断したせいで伸ばせない人が沢山います。
「意味がない」と判断するのは、自分の意見だけではなく、他の人の意見も混じってきます。
自分では「意味がある」と思っていたとしても、周りの多くの人から「意味がない」と言われると、「そうか、意味がないのか」と思ってしまい、才能を伸ばすことを諦めてしまったりします。
しかし、せっかく「一番才能がある」と思ったことを、周りの人に言われたからといって伸ばすのを諦めてしまうのは、大きな損失です。
そもそも、「意味がある」というのは、どういう意味なのでしょうか。
周りの人が「意味がない」というのは、おそらく、「そんなことをやっても、社会的には評価されない」ということでしょう。
しかし、社会的に評価されようとされまいと、自分にとって「一番才能がある」と思ったことを継続して行って、その才能が伸びていくのはとても楽しいことです。
それを、「人から認められないから」という理由で切り捨てて、才能を伸ばさないのは、とてももったいないことです。
そして、例え、社会的に評価されなかったとしても、自分の才能が伸びていくことを自分が楽しめるのであれば、それははっきりと「意味のある」ことです。
有名な登山家に、「なぜ山に登るのですか?」と聞いたら、「そこに山があるからだ」と答えたという話があります。
おそらく、「別に理由などないけど、山に登っているのが楽しい」から、こういう答えになったのでしょう。
これと同じように、もしあなたに、「これは才能がある」と思うことがあるなら、その理由は問わず、伸ばしてみましょう。
そうすれば、自分の才能が素直に伸びていく過程を素直に楽しんでいけます。
それに、今現在、あなたの取り組んでいることが社会的に評価されていなかったとしても、将来ずっと評価されないのかはわかりません。
何かの拍子で、あなたが取り組んでいることが評価されることもありえます。
「そこに才能があるから、才能を伸ばしてみる」。
才能を伸ばす理由としては、それだけで十分です。