自分は、「イースタンユース」というバンドが好きで、このバンドの曲を、よく聴いています。
イースタンユースの魅力は色々ありますが、自分は特に、「歌詞」が好きです。
このバンドの歌詞は、ボーカル・ギターの吉野寿さんが手がけています。
そして、歌詞だけでなく、吉野さんが発する「インタビューで発する言葉」にもグッときます。
吉野さんのインタビュー記事を読んで感銘を受けることも多いのですが、自分が特にグッときたのは、このインタビュー記事です。
この記事は、音楽の情報をネットで探している時に、たまたま見つけた記事です。
タイトルの「死ぬほど辛かったら逃げ回ればいい」という言葉にひかれて読みましたが、読み終わった後、吉野さんの言葉が胸に刺さるような感じがありました。
そして、「まさにその通りだよな」と思い、感銘を受けました。
そして、この記事は「沢山の人に読まれるべき記事である」と感じました。
そのため、今回は、このインタビュー記事について紹介します。
この記事を作成し、吉野さんにインタビューをしたのは、宮崎敬太さんという方です。宮崎さんの経歴を、記事から引用します。
電通の過労死問題をきっかけに、個人と社会の関わり方が注目されるようになった。
私は前職でうつ病になった。
一番ひどいときは毎日死ぬことを考えていた。
4~5年間治療を続けたが結局会社を辞めた。
どうにか社会復帰はできたが、現在も抗うつ剤を飲んでいるし、夜は睡眠導入剤がないと眠れない。
だからこの過労死問題が他人事に思えなかった。
時に死を招くほどの労働を求める社会のあり方に疑問を感じていた。
ちょうどその頃だった。
2017年9月、イースタンユースがニューアルバム「SONGentoJIYU」を発表した。
個人と社会の関わり方について歌ったこの作品を聴いて、私は作詞作曲を担当している吉野寿に話を聞きたくなった。
彼の中に、先の疑問を解決するヒントがあるような気がしたからだ。
今の日本社会の中で、「生きづらさ」を感じている人は多いはずです。
そして、日本社会の「生きづらさ」の問題の中核は、「労働問題」でしょう。
今現在の日本の労働市場では、確かに求人数は増えています。
しかし、増えているのは非正規雇用ばかりで、安定した「正社員」の求人は増えていません。
そして、うまく正社員になれたとしても、なかなか状況は厳しいです。
確かに、正社員になれば、非正規雇用に比べると、給料は上がります。
しかし、過酷な労働環境に置かれている正社員が多いのも事実です。
その際立った例が、以前話題になった、「電通社員の過労死事件」です。
当時、電通に勤めていた高橋まつりさんは、上司のパワハラや過酷な労働状況により、心身が疲弊していきました。
そして、それが原因で、自殺をしてしまいました。
このことが、様々なメディアで報道されました。
それにより、「電通という会社の働かせ方」を疑問視する人が増えました。
そして、「時に死を招くほどの労働を求める社会のあり方」について、「おかしい」と感じる人も増えました。
世間的に見れば、電通という会社は、広告業界の大手であり、一流企業です。
そのため、「電通で正社員をしている」と人に言えば、うらやましがられたりするでしょう。
しかし、世間的には「一流企業」と思われている会社でも、このような非人道的な働かせ方をしている会社があるわけです。
ただ、これは「氷山の一角」だと思います。
電通ほど極端でなくても、正社員に「ひどい働かせ方」をしている会社は沢山あります。
そして、そういった実際の労働状況は、なかなか表には出ません。
今の日本社会で、パワハラや激務で疲弊している正社員は、腐るほどいるはずです。
そうなると、「ここまで激務は嫌だ」と思って、正社員を辞めて、非正規雇用にシフトする人もいるでしょう。
確かに、非正規社員になると、正社員と比べて、労働時間や業務量は減ることが多いです。
しかし、そうなると、「給与面の問題」が出てきます。
日本では、正社員に比べて、非正規社員の給料は、非常に低くなっています。
そうなると、「生活するのにギリギリの給与」しかもらえません。
また、非正規社員になると、「解雇されるリスク」にもおびえなくてはなりません。
日本では、正社員に比べて、非正規社員は、非常に解雇されやすくなっています。
そのため、「近いうちに解雇されるかもしれない」という不安を抱えながら仕事をすることになります。
そして、解雇されたら、また一から仕事を探さなくてはなりません。
このように、非正規雇用というのは、なかなか生活が安定しません。
そのため、正社員で長時間の過酷な労働に疲弊している人でも、生活のために「非正規雇用に移る」という決断ができない人が多くなっています。
しかし、そいった感じで、無理して正社員として働いていると、「うつ病」になってしまうこともあります。
ただ、そこから逃れて非正規社員になると、今度は生活ができるだけの十分なお金が得られなくなるということがあります。
そうなると、「正社員を続けるのも地獄、非正規社員として働くのも地獄」というようになってしまいます。
すると、「もう未来に希望がない」という気分になります。
うつ病までいかなくとも、そういった気分になっている人は多いと思います。
この記事を書いた宮崎さんは、そういった「社会の閉塞感」をリアルに感じているのだと思います。
そして、「うつ病の人」のような、社会的に弱い立場になってしまった人ほど、労働状況における閉塞感をさらに感じるのでしょう。
では、そういった閉塞感を感じていると思われる宮崎さんは、吉野さんの歌詞のどういった部分に魅かれたのでしょうか?
宮崎さんは、吉野さんの歌詞について、このように分析しています。
吉野の歌詞は、つねに弱者の視点から書かれているが、そこにナルシシズムやドラマはひとつもない。
世界とつながろうと必死にもがく不器用な人間がときに切実に、ときにユーモラスに描かれている。
吉野さんの歌詞が「弱者の視点」から書かれているのはなぜでしょうか?
それは、吉野さん自身が「社会にうまく適応できない」という感覚を持っているからだと思います。
吉野さん自身も、ある意味では、「社会不適応者」だと思うのです。
吉野さんは、自分の過去について、インタビューで、こう語っています。
「俺は小さい頃から暗黙の了解や、しきたり、しがらみが大嫌いで受け入れられなかったんですよ。
『そういうもんだから』と納得できなかった。
例えば、詰め襟の学生服を着なきゃいけないこととかね(笑)。
家というしがらみが嫌だから16歳で家を出たし、高校も1年で辞めた。
偏屈な人間なんですよ。協調性がないと通知表に書かれてましたね。
そんなんだから群れの中ではいつもつまはじきにされてました」
日本社会は「協調性」が重視される社会です。
学校や会社では、自分の意見を押し殺して、「暗黙の了解」「しきたり」「しがらみ」に合わせられる人が評価されます。
「暗黙の了解」「しきたり」「しがらみ」について、『おかしい』という人は、煙たがられ、排除されがちです。
吉野さんは、「自分がおかしいと思ったことは、おかしいと言いたい」と考えている人だと思います。
それは「自分の気持ちに正直である」と言えます。
しかし、そういう人というのは、学校や社会からつまはじきにされ、生きづらくなってしまいます。
そんな吉野さんが「生きている」という実感が一番持てるのは、バンドをやっている時なのでしょう。
バンドというのは、「自分の主張を、思い切り叫ぶことができる」のですから。
そして、「社会不適応」である吉野さんが書くからこそ、その歌詞はリアルで、説得力も出てきます。
「俺が興味あるのは、“自分がどんな存在なのか”ということだけなんです。
影響されたものを、すべて自分の中に突っ込んで攪拌(かくはん)してグチャグチャにする。
そうすると何かモヤみたいなものが出てくるんですよ。
そのよくわからないものを3人で突き詰められるだけ突き詰めて、形にしていく。
憧れも目標もないですね。俺には音楽しかできないし、生きてる実感が欲しくてやっているだけですよ」
こういった発言からも、吉野さんにとって、バンドというのは、「生きる実感を得られる、貴重な場」だということがわかります。
吉野さんは、客観的に見ると、「社会不適応者」だと思います。
昔から、集団の中で、うまく立ち振る舞うことができないのですから。
しかし、「社会不適応者」である吉野さんは、「バンド」という、生きる実感を得られる場を見つけられました。それは、なぜなのでしょうか?
「バンドという、生きる実感を得られる場を見つけられた理由」が、以下の部分で述べられています。
「死ぬほど辛かったら逃げ回ればいいんですよ。
自分を抑圧する全てのものから。
ホギャーと生まれてから死ぬまでの時間は、誰のものでもない。
自分のものなんです。
なりたいようになれるし、生きたいように生きられる。
だから自分の大切な価値観を見失ってしまったり、尊厳を奪われてしまったりした人は、それを取り戻すまで、逃げて逃げて逃げ回ればいい。
“自分”さえ取り戻せれば、ちょっとくらい腹が減っていても平気ですよ(笑)」
「俺は、脱走兵みたいなもんなんですよ。
若い頃から仕事が全く続かなくてね。
嫌なことから逃げ回ってたら、たまたま音楽でお金をもらえるようになった。
渡りに船でしたよ。
完全になりゆきで今に至るわけです。
イースタンユースは今年で結成して30年になるんですけど、コードなんて2つくらいしか知らないし、いまだに楽譜も読めません。
バンドで練習するときも音楽の専門用語は全然使わない。
『俺がここでジャーンってやるから、田森はドドッダド、ドドッダドってやってくれ』みたいな感じですよ」
この部分を読んで、ハッとされられました。
「逃げ回ってきたからこそ、生きる実感を得られる場を見つけられた」というのは、目から鱗でした。
自分の人生を振り返った時、「逃げてばかりだな」と思って、落ち込むことがよくありました。
しかし、これを読んで、「人生、どうしても辛い時は、逃げ回ってもいいんだな」と思えるようになりました。
それにより、少し気が楽になりました。
「逃げる」ということは、イメージの悪い行動です。
しかし、吉野さんのように、「逃げ回ったからこそ、生きる実感を得られる場を見つけられた」という人もいます。
それを考えると、「逃げるのも、そんなに悪いことではないのではないか」と思えてきました。
今、自分がついている仕事は、正直、あまり面白いとは思いません。
「これがやりたい」と思って今の仕事についたわけではなく、「これならまあできるかも」という感じで、今の仕事につきました。
結局、今の仕事をしているのも、「逃げた結果」です。
完全に「生活のために」、今の仕事をしています。
はたから見たら、これは、完全な「逃げ」です。
でも、吉野さんのインタビューを読むと、「逃げてもいいじゃん」と思うのです。
吉野さんの本当にやりたいことが「バンド」ならば、僕の場合は「ブログ」です。ブログを書いている時は、「生きている実感」があります。
今現在、仕事に関しては、「食っていくための最低限稼げればいい」と考えています。
そして、仕事の合間を縫って、本当にやりたいことである「ブログ」の記事を、コツコツ書いていきたいです。
吉野さんが、逃げ回った末に「バンド」を見つけたように、僕の場合は、逃げ回った末に「ブログ」を見つけました。
吉野さんは、バンドで稼ぐことができていますが、僕自身も、できれば「本当にやりたいことである、ブログで稼ぎたい」と思っています。
今現在、一応、ブログの収益化はしているものの、収益はほとんど出ていません。
ただ、ブログは、自分にとって、「本当にやりたいこと」なので、細々とでも続けていきたいです。
このインタビューを読んで、「逃げ回った末に見つけた、大切なもの」があったら、それを大事にしていきたいと思いました。
やはり人間、自分らしく生きる上ためには、「生きている実感が持てる時間」をどれだけ持てるかが、とても重要だと思います。
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