ブルーハーツ「スクラップ」の歌詞の考察を行います。
「スクラップ」は、オリジナルアルバムでは、1987年にリリースされた「YOUNG AND PRETTY」に収録されています。
この曲は、ブルーハーツの曲の中では、そこまで有名な曲ではないかもしれません。
ただ、非常にメッセージ性が高く、歌詞が心に刺さってくるような曲です。
そこで、今回は、この曲の歌詞の考察を行い、歌詞に込められた意味を深堀りしていきます。
この曲の作詞・作曲者は、真島昌利(マーシー)です。
歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。
「スクラップ」の歌詞の考察
苦労をすれば 報われる そんな言葉は 空っぽだ
まずは、冒頭の歌詞を見ていきます。
誰かが言った“がまんするんだ”
俺は叫ぼう“がまんできない”
苦労をすれば 報われる そんな言葉は 空っぽだ
日本という国は、学生時代も、社会人になってからも、「我慢すること」を求められる場面が多いです。
学校では、先生から、「勉強が嫌でも、我慢して勉強して、テストで良い点を取りなさい」と言われます。
就職して、会社に入ってからも、上司から「嫌な仕事も、我慢してこなすのが社会人だ」と言われます。
日本では、学校の先生も、会社の上司も、「苦労をすれば報われる」とよく言います。
この言葉を、小さい頃から聞かされてきた人も多いかと思います。
これは、なんとなく、もっともらしい言葉に聞こえます。
しかし、よくよく考えてみると、「本当かな?」と疑ってしまう言葉でもあります。
確かに、世の中には、「苦労をして、報われた人」もいます。
ただ、周りを見渡すと、「せっかく苦労をしたのに、全然報われない人」も沢山いることに気づきます。
あなたの周りにも、そういう人は結構いるのではないでしょうか。
そういったことを考えると、一概に、「苦労をすれば必ず報われる」とは言い切れないことがわかります。
この歌詞では、日本でよく聞く「我慢しなさい。苦労をすれば報われるから」という言葉に対して、疑問を投げかけています。
しがみつく程 価値もない そんなモノなら いらないよ
続きの歌詞も見ていきます。
手にしたモノを よく見てみれば
望んだモノと 全然違う
しがみつく程 価値もない そんなモノなら いらないよ
日本には、子供の頃から、親や先生から「我慢して勉強をしなさい」を言われて、遊ぶのを我慢して勉強をし続けた優等生も多いでしょう。
そういった人は、大抵、一流大学に入り、一流企業に就職します。
一流企業に就職すれば、給料はいいでしょう。
ただ、一流企業に入ったとしても、やりたい仕事ができず、「企業の駒」のように使われてしまうこともあります。
また、「激務で、全く自分の時間が持てない」ということもあるでしょう。
そこでふと、「これは、本当に自分が望んだものなのか?」と疑問に思ってしまう人も結構います。
そうなると、「退職」が頭をよぎるようになります。
しかし、そこで、きっぱりと退職できる人は、なかなかいません。
なぜなら、「この会社に入るまでに努力してきた」「一流企業にいると世間体が良い」「給料が良い」「転職したら給料が下がるかもしれない」といったことが頭をよぎるからです。
そうすると、「仕事は面白くないし、自分の時間も持てないけど、この会社にしがみつこう」ということになります。
こういう人は、世の中に多いと思います。
しかし、マーシーは、そういう人に対して、「お前がしがみついているものは、本当に自分にとって価値のあるものなのか?」と疑問を投げかけています。
そして、「もし、自分にとって価値がないと判断したのなら、そんなものは捨ててしまえ」と言っています。
サビの歌詞
サビの部分の歌詞を見ていきます。
スクラップには なりたくない
スクラップには されたくない
ただ自分でいたいだけ
ここで言う『スクラップ』とは、「心が壊れた状態」のことだと思います。
日本社会では、学生の時は、先生から「学業に励んで、立派な生徒になれ」と言われます。
社会人になってからも、上司から「立派な社会人になれ」と言われ続けます。
しかし、それを鵜呑みにして、自分を捨てて「立派な生徒」や「立派な社会人」になろうとしていると、「自分は何がしたいんだろう?」と、自分の気持ちがわからなくなってきます。
それが続くと、段々と心が壊れていきます。
その状態を、『スクラップ』と呼んでいるのでしょう。
この歌詞では、「そんな状態にはなりたくない」と言っています。
その後に続く、『自分でいたいだけ』というのは、「自分の本当の気持ちに対して素直に生きていたい」という意味しょう。
未来の夢を 書いた作文
さらに歌詞を見ていきます。
未来の夢を 書いた作文
子供の頃に 書いた作文
そんな心を いつまでも
バカにされても 忘れないで
多くの子供は「夢」を持っています。
そして、その「夢」を、授業の中で作文にして書くこともあります。
しかし、大人になってからその作文を人に見せると、「現実がわかっていない」とか、「荒唐無稽な夢だ」といった感じで、バカにされることがあります。
ただ、子供の頃に書いた作文を見て、「確かに、これは、自分が本当にやりたいことだ」と気づく場合もあるでしょう。
そうったことを考えると、子供の頃に書いた作文というのは、「子供が書いたものだから」と安易にバカにしていいものではありせん。
子供というのは、「実現可能か」というは考えずに、素直に「将来、自分が本当にやりたいこと」を作文として書いたりします。
そのため、子供の頃の作文には、「自分の本当の夢」が書かれていることが多いです。
この歌詞では、そんな「自分の本当の夢」を、いつまでも忘れないでと言っています。
ドアを開いて 出ていくよ
曲の最後の部分の歌詞を見ていきます。
クヨクヨしても しょうがないから
ビクビクしても しょうがないから
とりあえず今日 笑いながら
ドアを開いて 出ていくよ
この曲の主人王は、きっと「学校や社会に対して疲れている」のでしょう。
そのため、『クヨクヨ』したり『ビクビク』したりしているのだと思います。
しかし、主人王は、ここで、「悲観的になっていたら、何も前に進まない」ということに気づきます。
そこで、「泣く」のではなく「笑う」ということを選択します。
この『笑い』というのは、ある意味では、空元気をふりしぼっているのでしょう。
しかし、「空元気であっても、元気を出していく」という気合いを感じます。
その後に続く、『ドアを開いて 出ていくよ』という歌詞は、「部屋でじっとしているのではなく、実際に行動に移していく」という意味だと思います。
「自分が、自分でいられるように、自分から働きかけを行っていく」ということでしょう。
まとめ
ブルーハーツ「スクラップ」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。
とてもシンプルですが、「自分のままでいたいという切実な気持ち」が胸に刺さってくるような歌詞になっています。
マーシーがこの曲を書いた時は、マーシーも若かったので、「若者に向けたメッセージ」として、この歌詞を書いたと思います。
しかし、この歌詞の凄いところは、「若者だけでなく、大人にもしっかりと響く」という点です。
ある程度年齢を重ねてから聴き直しても、非常に心に刺さる歌詞になっています。
大人になってから聴き返すと、この歌詞は、「管理教育」と「社畜として働かせるブラック企業」を批判している感じがします。
「管理教育」と「ブラック企業」というのは、全くの別物という訳ではなく、実は繋がっています。
「管理教育」は、生徒の気持ちを軽視し、学校や教師がしたいことを押し付けていく教育方法です。
こういった教育を受けた生徒は、「自分の気持ちを押し殺し、権力者に対して、無条件に従う」ようになります。
こういった生徒は、「ブラック企業」にとって、都合の良い存在です。
会社が酷い労働条件を突き付けても、文句を言わず、無条件にそれに従ってくれるのですから。
そのため、ブラック企業は、就職試験の際、「自分の意見をはっきり言う生徒」を落とし、「自分の意見を押し殺し、権力者の言うことに素直に従う生徒」を採用する傾向があります。
しかし、「管理教育を受け、ブラック企業で働く」ことを続けていると、うつ病になって精神を病んで、社会生活を送ることが困難となる場合もあります。
それはある意味、この歌詞に出てくる「スクラップにされた状態」でしょう。
こういった形で社会生活が困難となった人というのは、「管理教育やブラック企業にスクラップにされてしまった」と言えるでしょう。
「ブラック企業」という言葉は、2001年頃から言われ出した言葉です。
そのため、「スクラップ」がリリースされた1987年当時は、この言葉はまだありませんでした。
しかし、その当時も、社員を使い捨てのように働かせる「ブラック企業」のような企業は沢山ありました。
この歌詞は、今で言う「ブラック企業」のことも想定して書いた歌詞のように思えます。
そのため、今現在、「ブラック企業」で働いている人にとっては、非常に刺さる歌詞になっているのではないでしょうか。
また、「ブラック企業」と言うほど酷い会社でなくとも、「今やっている仕事は、意味あるのかな?」と思いながら働いている会社員には、刺さる歌詞になっていると思います。
この曲を「若者向けの歌でしょ?」と思って聴いていた方は、こういった視点で、改めてこの曲の歌詞をじっくり聴いてみてください。
そうすると、この曲の印象が、少し変わってくると思います。
日本社会では、「自分を殺すこと」が求められる場合が多いですが、そういった社会であるからこそ、余計に「自分でいること」を大切にして生きていきたいですね。