しょうの雑記ブログ

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ブルーハーツ「チェルノブイリ」の歌詞の考察

 ブルーハーツ「チェルノブイリ」の歌詞の考察を行います。

 

 「チェルノブイリ」は、1986年4月に起きた「チェルノブイリ原発事故」に影響を受けて作られた曲です。

 

 この曲は、1987年に自主制作シングルとしてリリースされました。

 

 なぜ自主制作盤になったのかというと、こんな理由があります。

 

 ブルーハーツが当時所属していたレコード会社は「メルダック」で、その親会社は三菱電機でした。

 

 三菱電機は原発の事業を行っている会社です。

 

 そのため、原発事故をテーマにしたこの曲を発売する許可が下りませんでした。

 

 それにより、所属事務所の自主レーベルから発売されるという形になりました。

 

 こういう経緯からも、少し、「原発の闇」が透けて見えてきます。

 

 また、オリジナルアルバムには収録されていませんが、シングルを集めたベストアルバムには収録されていたりします。

 

 

 「チェルノブイリ」の歌詞には「反原発」のメッセージが込められています。

 

 ただ、パッと聴いただけでは、歌詞の意味がわかりにくいところもあります。

 

 そこで今回は、ブルーハーツ「チェルノブイリ」の歌詞に込められた意味について、詳しく考察していきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は真島昌利(マーシー)です。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

誰かが線をひきやがる

 冒頭は、こんな歌詞から始まります。

誰かが線をひきやがる

騒ぎのドサクサにまぎれ

誰かがオレをみはってる

遠い空の彼方から

 

 この部分については、様々な解釈の仕方があると思います。

 

 「線をひく」ということはどういった意味なのでしょうか?

 

 自分としては、この「線をひく」というのは、政府やメディアが、「危険な地域・安全な地域に分ける」「被曝した人・していない人に分ける」という意味だと思います。

 

 原発事故が起きると、原発付近の土地は、放射能で汚染されます。

 

 そして、政府やメディアによって、「この地域は原発から近いので危険」「この地域は原発から遠いので安全」といったように、地域が区別されるようになったりします。

 

 こういったことを、『誰かが線をひきやがる』といった言葉で表現したのだと思います。

 

 ただ、政府やメディアは「ここから先の地域は安全」と言ったりしますが、実際は、そう言い切れるものではない訳ですが。

 

 また、『誰かがオレをみはってる』というのは、自分としては、「放射能を擬人化した歌詞」ではないかと思います。

 

 原発事故というのは、「原発の近くに住んでいなければ必ず安全である」とは言い切れません。

 

 水蒸気となった放射能が雲に交じり、雨となって遠くの地域に影響を及ぼすこともあります。

 

 また、放射能汚染された土地で作られた野菜を食べることで、内部被曝してしまうこともあります。

 

 そういう意味では、原発事故から離れた地域でも、何らかの影響を受けることもあります。

 

 マーシーは、「放射能の影響からは完全に逃れられない」という意味で、『誰かがオレをみはってる』と言っているのだと思います。

 

チェルノブイリには行きたくねぇ

 次はこんな歌詞です。

チェルノブイリには行きたくねぇ

あの娘を抱きしめていたい

どこへ行っても同じことなのか?

 

 これは、単純に、「チェルノブイリという土地には行きたくない」ということだけではなく、「被曝して死にたくない」「被曝して後遺症を残したくない」ということを言いたいのだと思います。

 

 そして、『あの娘を抱きしめていたい』というのは、「危険なところには行かず、大好きな人と一緒にいたい」ということでしょう。

 

 また、『どこへ行っても同じことなのか?』というのは、「原発から離れた地域に住んでいても、完全に放射能の影響からは逃れられないかもしれない」という気持ちを表しています。

 

雨が降る

 次は、「雨」についての歌詞です。

東の街に雨が降る

西の街にも雨が降る

北の海にも雨が降る

南の島にも雨が降る

 

 ここでは、「単に雨が降っている」ということを言いたいのではありません。

 

 この歌詞でいう雨というのは、「放射能の雨」のことです。

 

 原発事故が起こると、その影響で、放射能を含んだ雨が広範囲に降り注ぎます。

 

 そして、放射能の雨が降った土地が汚染されます。

 

 この歌詞では、そういったことを言いたいのだと思います。

 

 また、最初に「東」と「西」が来ているのは、「東西冷戦」を意識してのことだと思います。

 

 1986年当時、世界は、「東(社会主義)」と「西(資本主義)」の国に大きく分かれていました。

 

 しかし、原発事故が起こると、「放射能の雨」は、社会主義の国にも、資本主義の国にも降り注ぎます。

 

 ここでは、「社会主義の国だろうと、資本主義の国だろうと、原発事故が起こったら、どちらも影響を受けるよ」と言いたいのだと思います。

 

まあるい地球は誰のもの?

 そして、この後、また印象的な歌詞が出てきます。

まあるい地球は誰のもの?

砕けちる波は誰のもの?

吹きつける風は誰のもの?

美しい朝は誰のもの?

 

 これは、「原発事故による地球環境汚染」を嘆いた歌詞です。

 

 原発というのは「人間が作ったもの」です。

 

 自然にできたものではありません。

 

 しかし、原発事故が起きると、人間が作ったものによって、どんどん地球環境が汚染されていきます。

 

 この歌詞からは、「人間が作ったもので、本来は誰のものでもない自然をこんなに破壊していいのか?」という疑問が投げかけられています。

 

 そして、「こんなに自然を破壊してしまうのなら、原発なんかいらない」といった気持ちも透けて見えます。

 

 

 

 

まとめ

 ブルーハーツ「チェルノブイリ」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 この歌詞からは、「チェルノブイリ原発事故」に対する危機感が伝わってきます。

 

 チェルノブイリは、日本からは遠く離れた場所にあります。

 

 しかし、原発事故が広範囲に影響を及ぼしていることを知って、マーシーは、「他人事ではない」と感じたのでしょう。

 

 この歌詞からは、そうした切迫感が伝わってきます。

 

 この曲の歌詞には、「反原発」のメッセージが込められていますが、「原発反対」や「原発をやめろ」というストレートな歌詞は入っていません。

 

 しかし、聴き終わると、「反原発の歌だな」とはっきりわかります。

 

 そういう作詞のうまさは、「さすがマーシーだな」と思います。

 

 それに、「原発反対」「原発をやめろ」と歌われるより、この曲の歌詞のような言い方をした方が、多くの人の心にスッと入りやすい気もします。

 

 2022年2月、ロシア軍がチェルノブイリ原発を攻撃し、そこを占拠したことで、再びチェルノブイリ原発が世界の注目を集めることとなりました。

 

 「チェルノブイリ原発事故」は、ある意味、「遠い昔の出来事」になっています。

 

 しかし、チェルノブイリ原発が今なおそこにある限り、「原発事故の恐怖」や「被曝の恐怖」は、今なお残っています。

 

 世の中には、「電力供給の安定化のために原子力発電は必要だ」と言う人もいます。

 

 ただ、原発というのは、事故が起こった時に、取り返しのつかない事態になります。

 

 原発のメリットとデメリットを比べた時に、あまりにデメリットが大きすぎます。

 

 それを考えると、「そこまでのリスクを抱えてまで、原子力発電を続ける必要があるのか?」と思ってしまいます。

 

 この記事を読んでこの曲に興味を持った方は、この曲を聴いて、改めて、原発の問題点について考えてみるといいのではないでしょうか。