場面緘黙症だった僕の、その後の人生

小学校時代に場面緘黙症を経験。社会に出た後も、仕事になじめずに苦しむ。社会にうまく適応できないという悩みあり。このブログが、同じような悩みを持っている方の参考になれば幸いです。

高成長ではなく、「低成長」を目指す。(鶴見済さんのサインに添えられたメッセージを見て、考えたこと)

 2019年の3月16日に、鶴見済(つるみ わたる)さんが主催する、「不適応者の居場所」というイベントに行ってきました。

 

 このイベントに参加した際に、鶴見さんの著書「脱資本主義宣言」を持って行ってサインをお願いしたところ、快くサインしていただけました。そして、サインに添えて、「低成長でいこう!」というメッセージも書いてくれました。

 

 そして、イベントに参加した後、家で、このメッセージについて考えてみました。そうすると、「シンプルだけれど、実は非常に深い意味が込められている言葉だ」ということに気づきました。

 

 そこで、今回の記事では、「低成長でいこう!」という鶴見さんのメッセージについて、自分なりに考えたことを、書いていきたいと思います。

 

鶴見済さんについて

 このブログの読者の方で、鶴見済さんを知らない人のために、まずは鶴見済さんについて簡単に説明します。

 

 鶴見済さんは、フリーライターです。東大を卒業後、一般企業に就職したようですが、仕事が合わずに退職。その後はフリーライターとして活動しています。

 

 鶴見済さんは、一貫して、「日本社会での生きづらさ」について書いてきたライターの方です。鶴見さん自身も、精神を病んで精神科に通っていたり、企業組織にうまくなじめなかったりして、「日本社会での生きづらさ」をずっと感じていたようです。鶴見さんの文章は、「鶴見さん自身が感じている、日本社会での生きづらさ」がベースになっているような気がします。

 

 自分自身、小学校時代に場面緘黙症になり、学校での生きづらさを感じていました。そして、社会人になってからも、「組織の中での生きづらさ」をずっと感じていました。そのためか、鶴見さんの文章を読むと、「この感覚、すごくよくわかる」と共感してしまいます。

 

鶴見済さんの文章との出会い

 僕が鶴見さんの文章に最初に出会ったのは、大学生の頃です。「クイック・ジャパン」という雑誌で、初めて鶴見さんの文章を読みました。

 

 昔の「クイック・ジャパン」は、サブカルチャーやアンダーグラウンドのにおいが強い雑誌でした。そして、少し危険な香りも漂っていました。若さゆえに、そのクイック・ジャパンが放つ、「少し危険な香り」に、当時はひかれていました。

 

 そして、クイック・ジャパンを読むうちに、「初期のクイック・ジャパンの方が、よりディープだ」と思い、90年代のバックナンバーを探して読むようになりました。その中の一つに、鶴見さんの文章がありました。

 

 そこで鶴見さんは「レイブ・パーティー」について書いていました。「レイブ・パーティー」というのは、主に野外などで、音楽を聴きながら、沢山の人が踊り狂うパーティです。当時の自分は、こういうパーティに参加したことがなかったので、鶴見さんの文章を読んで、「こういう世界があるのか」と、新たな世界を見たような気がしました。しかし、その時は、鶴見さんの文章が、深く心に刺さったわけではありません。「鶴見済っていう、レイブ・パーティーに行きまくっているライターさんがいるんだ」くらいの印象でした。

 

 再び鶴見さんの文章に出会うのは、大学を卒業してからです。自分は、大学を卒業時に就職をせず、無職と派遣非社員との間を行き来するような生活をしていました。

 

 そういう生活をしていると、「社会的な居場所のなさ」を感じていました。そして、「この不安定な生活から、果たして抜けられるのか?」という強い不安がありました。

 

 そのため、当時は、非正規雇用の問題を取り上げていた、雨宮処凛さんの本や文章をよく読んでいました。そして、雨宮さんは、よく、鶴見さんと対談していたりしました。そこで、「あ、あの、レイブ・パーティーの記事を書いていた、鶴見済って人だ」と思いました。そこで、改めて鶴見さんの文章を探して読むようになり、再び出会うこととなりました。その当時は、鶴見済さんのブログをよく読んでいた記憶があります。

 

 その後、自分は、言語聴覚士の資格を取って、言語聴覚士として正規雇用で就職しました。しかし、働きはじめると、仕事が合わずに「適応障害」と診断されて休職したりしました。そして、復職してからも、「社会になじめない」という感覚がずっとありました。そういう時にも、度々、鶴見さんの本や文章を読んでいました。

 

 鶴見さんの著作の中で、特に心に刺さったものが、2012年に発行された「脱資本主義宣言」です。この本は、発行されてすぐに、購入して読みました。

 

 そして、読んでみて、「今までの鶴見さんの著作とは、作風が大きく変わった」と感じました。

 

 「脱資本主義宣言」以前の鶴見さんの著作は、「個人のメンタル面の問題」に焦点をあてているように感じました。鶴見さん自身も、精神科に通っていたようなので、「メンタル面の苦しさを楽にしたい」という思いがあったのでしょう。昔の鶴見さんの著作は、「メンタル面の苦しさを楽にする方法」を書いたものが多かった印象です。

 

 しかし、「脱資本主義宣言」以降は、「社会の仕組みの問題」に焦点をあてるようになった印象があります。

 

 これは、鶴見さん自身が、「心の苦しさは、社会の仕組みの問題によりもたらされている部分が大きい」と気づいたからではないでしょうか。それにより、「個人の心の問題」から、「社会の仕組みの問題」に興味が移っていったのだと思います。そこで、「資本主義の仕組み自体が、心の苦しさを増長させている」という結論に至ったのではないでしょうか。

 

 「脱資本主義宣言」では、「資本主義の仕組みの問題点」が、様々な角度から書かれています。

 

 例えば、消費者が、「できるだけ安い洋服を沢山買おう」とすると、「低賃金の過酷な労働」を強いられる労働者が出てきます。

 

 資本主義社会が大きく発展するにつれ、私たちの生活は、確かに便利になりました。しかし、それと引き換えに、「弱者がより生きづらくなってしまう」という、資本主義の影の部分があるのです。

 

 この本を読んで、そんなことを考えました。そして、自分自身も、「資本主義社会の仕組み自体が、どこかおかしい部分があるのではないか」と思うようになりました。

 

 そういう意味で、この本は、自分の中で、非常に感銘を受けた本の一つになりました。

 

「脱資本主義宣言」にサインとメッセージをもらう

 このように、鶴見さんの著作は、以前から好きで読んでいたので、「鶴見さんが「不適応者の居場所」というイベントをやる」と知った時は、「鶴見さんと話せるかも」とワクワクしていました。

 

 そして、2018年の11月に「不適応者の居場所」に行って、鶴見さんと少し話をすることができました。その時、鶴見さんの本を持ってきてサインしてもらっている人がいて、「いいな」と思いました。そして、「自分も持ってくれば良かった」と思いました。そのため、「次に参加した時は、本を持って行って、サインをお願いしよう」と考えました。そこで、「本にサインをしてもらうなら、自分が一番心に刺さった、脱資本主義宣言にサインをしてもらおう」と決めました。

 

 そして、2019年の3月16日に、再び「不適応者の居場所」に参加した際、本を持って行って、サインをしてもらえて、「低成長でいこう」というメッセージも書いてもらえたわけです。

 

 サインをもらえたことは、もちろん嬉しかったですが、今度は、サインとともに書かれた「低成長でいこう!」というメッセージに強くひかれるようになりました。この言葉は、「シンプルだけど深い言葉だな」と感じました。

 

 この、「低成長でいこう!」という言葉は、鶴見さん自身は、何気なく使った言葉なのかもしれません。しかし、何気なく使ったとしても、鶴見さんの考え方の本質が、この言葉の中に含まれているような気がするのです。

 

 

「低成長」を目指した方がいい理由

 今の日本社会は、少子高齢化が進み、経済も停滞しているので、「高成長」が望めない社会になっています。

 

 しかし、多くの人が、いまだに「高成長」を目指しながら生活しています。ただ、それが、より多くの人を苦しめているような気がします。労働者は、いまだに「高成長」を目指して長時間労働をしていたりしますが、そうやって努力しても、成長はなかなか実感できません。そして、多くの労働者が、「もう今後は、高成長はできない」ということに、薄々感づいています。

 

 しかし、資本主義社会というのは、「高成長を目指す」という建前で動いていますから、労働者が、「もう高成長しなくていい」と思ったとしても、なかなかそれを表に出せません。表向きは、「高成長を目指す」という姿勢を示さなければなりません。

 

 ただ、そうなると、本心と違うことを表向きでは示さないといけなくなりますから、精神的にはどんどん苦しくなってきます。今の時代は、そういった理由で、精神を病む人も多くなっている気がします。

 

 そういった状況の中で、あえて高成長を目指さずに、「低成長を目指す」というのは、とても良いことなのではないかと思いました。

 

 人は、高成長を目指しているばかりに、どんどん苦しくなっていく部分があると思います。それならば、いっそのこと、高成長を目指すのをやめて、「低成長」を目指すようにすると、だいぶ楽になる部分があると思うのです。

 

 今現在、自分が、一番力を入れて取り組んでいるのが、この「ブログ」です。鶴見さんの「低成長でいこう!」というメッセージを見て、このブログも、高成長ではなく、「低成長」を目指してやっていくことにしました。

 

ブログも、資本主義社会にならって「高成長」を目指すと、様々なところに歪みが出てきます。ブログでも、「高成長」を目指すと、「人気を得るために、書きたくもない記事を書く」必要が出てきます。しかし、そうすると、書きたいことを書けなくなって、「ブログを書く楽しさ」が失われるという歪みが出てきます。そうなってしまうのならば、ブログが高成長しても、あまり意味がないような気がします。

 

 その点、「低成長でいい」と割り切れば、「やりたいことをやって、その中で少し成長できればいい」という気持ちになるので、やりたくないことを無理にやる必要はなくなります。そうした方が、楽しみながら地道にブログを続けていける気がするのです。

 

 また、ブログ以外にも、「高成長ではなく、低成長」を目指した方が、長い目で見ると、うまくやっていきやすいのではないかと感じています。

 

 「低成長」と聞くと、「たいして成長してない」とバカにする人がいるかもしれません。しかし、「低成長」というのは、「少しは成長している」ということです。ですから、高成長ではなく「低成長」であっても、「成長する楽しさ」は感じられるのです。

 

 そして、みんなが高成長を目指す社会より、みんなが低成長を目指している社会の方が、社会の中で「居心地が良い」と感じる人が増える気がします。高成長を目指している人ばかりだと、人々の競争意識が強いために、ギスギスした雰囲気になりやすいです。それに対し、「低成長」を目指している人が多い社会というのは、人々の競争意識はそれほど高くはならないので、ゆとりのある社会になりやすくなります。そういったゆとりがある社会の方が、「人とのつながり」も作りやすくなるのではないでしょうか。

 

 ですから、今の社会の中で「居心地が悪い」と感じている人は、「低成長」を目指して、やっていきましょう。

 

 そういう人が増えると、社会の雰囲気も、少しずつ変わっていくのではないかと思います。