しょうの雑記ブログ

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スピッツ「青い車」の歌詞の考察

 スピッツ「青い車」の歌詞の考察を行います。

 

 「青い車」は、1994年にリリースされた、スピッツ9枚目のシングルです。

 

 オリジナルアルバムアルバムでは、1994年にリリースされた5枚目のアルバム「空の飛び方」に収録されています。

 

 

 また、ベストアルバムにも収録されています。

 

 

 「青い車」は、「スピッツ初期の名曲」と言えます。

 

 爽やかな雰囲気で、とても聴きやすい曲です。

 

 タイトルに「車」が入っていることもあり、ドライブ時に聴いても、非常に合います。

 

 この曲の歌詞については、「恋人と海にドライブに行く歌」と認識している人が多いかと思います。

 

 確かに、そういう解釈もできる歌詞です。

 

 しかし、歌詞をよくよく見てみると、実は「不穏な意味」が隠されていることに気づきます。

 

 そこで今回は、スピッツ「青い車」の歌詞に隠された意味について、深く考察していきます。

 

 この曲の作詞・作曲者は、草野マサムネです。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

 

1番の冒頭の歌詞

 曲の最初は、こんな風に始まります。

冷えた僕の手が 君の首すじに

咬みついてはじけた朝

永遠に続くような 掟に飽きたら

シャツを着替えて出かけよう

 

 曲の冒頭から、不穏な雰囲気が漂う歌詞がきます。

 

 『冷えた僕の手が 君の首すじに 咬みついてはじけた朝』という歌詞をみると、なんだか「今から首でも締めるのかな?」と思ってしまうような不穏さがあります。

 

 そして、『永遠に続くような 掟に飽きたら』という歌詞を見ると、この曲の主人公が「今の生活にうんざりしている様子」が伺えます。

 

 ここの歌詞を見ただけでも、「この曲の主人公は、毎日ハッピーに過ごしている訳ではなさそうだ」という感じが伝わってきます。

 

1番のサビの歌詞

 そして、1番のサビはこのような歌詞です。

君の青い車で海へ行こう

おいてきた何かを見に行こう

もう何も恐れないよ

そして輪廻の果てへ飛び下りよう

終わりなき夢に落ちて行こう

今 変わっていくよ

 

 『君』という歌詞が出てきますが、これはおそらく、恋人のことでしょう。

 

 恋人が青い車を持っていて、その車で海に行くようです。

 

 このサビの歌詞を見ると、この主人公は、『おいてきた何か』を見に行くために海へ向かうようです。

 

 この歌詞を見ると、主人公は、「日常生活で、何か満たされたい思い」があるように感じます。

 

 しかし、『もう何も恐れないよ』という歌詞を見ると、この時点では、かなりふっきれた気持ちのようです。

 

 そして、このサビの中で一番気になるフレーズは、『輪廻の果てへ飛び下りよう』という部分です。

 

 ポップスの歌詞で、「輪廻」という歌詞が出てくるケースは、非常に珍しいです。

 

 というか、この曲以外に、「輪廻」という歌詞が出てくるポップスは、記憶にありません。

 

 「輪廻」は仏教用語ですが、「輪廻」と聞くと、パッと「輪廻転生」が思い浮かびます。

 

 「輪廻転生」は、「人が死んだ後、また生まれ変わる」ことを意味します。

 

 そのため、「輪廻」は、どこか「死」を連想させる言葉でもあります。

 

 「海」「輪廻」という言葉が出てきて、さらに『飛び下りよう』という歌詞が続くと、「もしかして、海で恋人と心中するのか?」といったイメージが湧いてきます。

 

 もちろん、これだけでは、「心中だ」とはっきり断定することはできません。

 

 ただ、かなり、「心中」の雰囲気が漂っている歌詞だと言えます。

 

2番の冒頭の歌詞

 2番の冒頭は、こんな歌詞になっています。

生きるということは 木々も水も火も

同じことだと気付いたよ

愛で汚された ちゃちな飾りほど

美しく見える光

 

 この歌詞を見ると、この曲の主人公は、「悟りの境地」に達しているように思えます。

 

 『生きるということは 木々も水も火も 同じことだと気付いたよ』という言葉は、何かを悟った人にしか言えない言葉でしょう。

 

 そして、この部分の歌詞を見ると、「今まで迷っていたけれど、覚悟を決めた」ようにも思えます。

 

 1番の冒頭の歌詞では、どこか迷った雰囲気が漂っていましたが、ここでは一転して、ふっきれています。

 

 そして、『愛で汚された ちゃちな飾りほど 美しく見える光』という歌詞も、非常に意味深で、どこか悟ったような雰囲気があります。

 

 この主人公は、『愛で汚された』と言っているので、「愛は、それほど良いものではない」と考えていることがわかります。

 

 そして、自分としては、『愛で汚された ちゃちな飾り』というのは、「指輪やネックレスなどの装飾品」のことだと解釈しました。

 

 この世の中では、多くの人が、「愛の証」として、恋人に指輪やネックレスのような装飾品を贈ります。

 

 恋人から贈られた装飾品には、当然ですが、「恋人の愛」も詰まっています。

 

 しかし、この主人公は、恋人に贈る装飾品に愛を込めることを『愛で汚された』と表現しています。

 

 これは、かなり皮肉が込められた表現です。

 

 そして、その装飾品についても『ちゃちな飾り』と切り捨てています。

 

 また、「恋愛になると、そのちゃちな装飾品も、美しく見えるんだよな」と、どこか俯瞰した目線で見ています。

 

 このことから、この主人公は、『愛に疲れている』ことがわかります。

 

 どこか、「もう愛はいいかな」とふっきれたような感じがします。

 

2番のサビの歌詞

 2番のサビは、このようになっています

君の青い車で海へ行こう

おいてきた何かを見に行こう

もう何も恐れないよ

つまらない宝物を眺めよう

偽物のかけらにキスしよう

今 変わっていくよ

 

 サビの後半部分の歌詞が、1番と変わっています。

 

 『つまらない宝物』というのは、「恋人との思い出の品」のことでしょうか。

 

 そういった品を「つまらない」と言ってしまうということは、かなり恋人に対して冷めている感じがします。

 

 また、『偽物のかけらにキスしよう』というのは、「恋人とキスしたとしても、もう愛は偽物だ」ということでしょうか。

 

 これも、かなり冷めた表現だと言えます。

 

 これらの部分を見ても、この主人公は、「愛に疲れている」雰囲気があります。

 

 しかし、その次の歌詞では、急に『今 変わっていくよ』と前向きになっています。

 

 この急な変わりようには、かなり違和感があります。

 

 ただ、主人公が「この愛には、もう疲れたから、海で恋人と心中しよう」と決意していたとしたら、この変わりようにも納得できます。

 

 この歌詞からも「心中の雰囲気」が漂っています。

 

曲のブリッジ部分の歌詞

 次に、曲のブリッジ部分の歌詞を見ていきます。

潮のにおいがしみこんだ

真夏の風を吸いこめば

心の落描きも踊り出すかもね

 

 この部分は、非常に前向きな歌詞になっています。

 

 そして、『心の落描きも踊り出す』という部分は、草野さんらしい独特な表現でいいと思います。

 

 「気持ちが前向きになって、ワクワクする」といった意味でしょうか。

 

 ただ、少し見方を変えると、「恋人と心中することを決めたので、気持ちが前向きになった」と捉えることもできます。

 

最後のサビの歌詞

 最後のサビの歌詞も見ていきましょう。

君の青い車で海へ行こう

おいてきた何かを見に行こう

もう何も恐れないよ

そして輪廻の果てへ飛び下りよう

終わりなき夢に落ちて行こう

今 変わっていくよ

今 変わっていくよ

 

 この部分は、基本的に1番の歌詞と同じです。

 

 ただ、最後に、『今 変わっていくよ』と2回繰り返している部分だけが違います。

 

 「変わっていく」とは、どういう意味なのでしょうか?

 

 ここまでの歌詞の流れを見ていくと、どうしても、「一度死んで、生まれ変わる」という意味が含まれているような気がしてなりません。

 

 

 

 

 

まとめ

 スピッツ「青い車」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 この曲は、あまり深く考えないで聴くと、「気晴らしに、恋人と海にドライブに行く曲」のように思えます。

 

 確かに、この歌詞は、そういう解釈もできます。

 

 ただ、それは、あくまで「この曲の表側の意味」に過ぎません。

 

 この曲の歌詞をじっくり見てみると、全体的に「不穏な雰囲気」が漂っていることがわかります。

 

 そして、歌詞を深く分析してみると、「恋人と海に心中しに行く」という裏の意味が隠されていることに気づきます。

 

 この曲には「心中を断定するような歌詞」は入っていません。

 

 しかし、この曲に散りばめられた重い言葉の数々をつなぎ合わせてみると、「恋人と海に心中しに行く歌ではないのか」と思えてしまいます。

 

 おそらく草野さんは、あえて狙って「恋人と海に心中しに行く」という裏の意味を入れたのだと思います。

 

 そのために、あえて歌詞に重い言葉を散りばめているような感じがします。

 

 また、この曲のタイトルを「赤い車」や「黄色い車」ではなく、「青い車」にしたことにも、草野さんなりの狙いがあると思います。

 

 別に、恋人と海にドライブに行くだけの歌ならば「赤い車」や「黄色い車」でも問題はないはずです。

 

 しかし、「赤」や「黄色」ではなく、あえて「青」にしたのには、はっきりと意味があると思っています。

 

 「青」は、英語だと「BLUE(ブルー)」です。

 

 そして、「BLUE」には、「青」という意味以外にも、「憂うつ」という意味もあります。

 

 そのため、草野さんは、「憂うつな気分で海に心中しに行く」という意味合いで「青い車」というタイトルを付けたのではないかと推測します。

 

 もちろん、「青い車」というタイトルには、「海の青」という意味合いも含まれていると思います。

 

 しかし、それは表向きの意味で、裏には「憂うつな車」という意味が隠されているような気がしてなりません。

 

 この曲の中に、「心中」や「憂うつな車」といった裏のメッセージが隠されているのは、草野さんの「遊び心」だと思います。

 

 この曲は、曲調が爽やかですし、じっくり歌詞を聴かないと、「恋人とドライブで海に行く爽やかな曲だな」と思う人が多いと思います。

 

 おそらく草野さんは「そういう人は、それでいい」と思っているはずです。

 

 しかし、歌詞をじっくり聴いて分析してみると、「あれ、この曲、実は、心中という裏テーマが隠されてないか?」と気付きます。

 

 そういった人に対しても、草野さんは、「一見、爽やかな曲だけど、実は重いテーマが隠されているんだ。気づいた? 面白いでしょ?」と思っているはずです。

 

 そういう意味では、この「青い車」は、「軽く聴き流す人」も「歌詞をじっくり聴き込む人」も両方楽しめる曲です。

 

 そして、「軽く聴き流す人」は「爽やかなラブソング」という印象になるのに対し、「歌詞をじっくり聴き込む人」は「非常に暗くて重いラブソング」といった印象になります。

 

 同じ曲でも、聴き方によって、全く違う印象になるのが、非常に面白いです。

 

 この曲の作り方は、本当に見事です。

 

 「さすが草野さん」と感心してしまいます。

 

 なんだか、この「青い車」という曲は、絵に例えると、「エッシャーのだまし絵」みたいだと思いました。

 

 エッシャーのだまし絵は、同じ絵でも、見方を変えると、全く違う見え方になります。そそれと同じように、「青い車」も、歌詞の聴き方を変えると、全く違う聴こえ方になります。

 

 この記事を見て、「青い車の歌詞に隠された裏の意味」に初めて気付いた方は、もう一度じっくり、この曲を聴いてみてください。

 

 そうすると、今までと全く曲の聴こえ方が変わって、とても面白いと思います。