しょうの雑記ブログ

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ブルーハーツ「青空」の歌詞の考察

 ブルーハーツ「青空」の歌詞の考察を行います。

 

 「青空」は、オリジナルアルバムでは、3枚目のアルバム「TRAIN-TRAIN」に収録されています。

 

 

 また、1989年に、アルバムからのリカットシングルとしてもリリースされています。

 

 そして、ベストアルバムにも収録されています。

 

 

 YouTubeのブルーハーツの公式サイトに、PVもアップされています。

 

 まだ聴いたことがない方は、こちらでまず聴いてみてください。

 

www.youtube.com

 

 

 ブルーハーツというと、「勢いがあって、激しい曲をやるバンド」というイメージがあると思います。

 

 そのイメージも、確かに間違っていません。

 

 ただ、ブルーハーツには、激しい曲だけではなく、「静かな曲」もあります。

 

 そして、その「静かな曲」にも名曲が沢山あります。

 

 「ブルーハーツの静かな曲」と聞いて、まず思いつくのが、この「青空」です。

 

 メロディ・歌詞ともに素晴らしく、「ブルーハーツの代表曲の一つ」となっています。

 

 特に、歌詞に込められたメッセージが心に刺さってきて、「時代を超える名曲」と言っていいでしょう。

 

 ただ、この曲については、「なんとなく聴いていたので、あまり歌詞の意味を深く考えていなかった」という人もいるかと思います。

 

 そこで、今回は、「青空」の歌詞について、深く考察していきます。

 

 この曲の作詞・作曲は真島昌利(マーシー)です。

 

 歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。

 

www.uta-net.com

 

 

 

 

 

 

テレビの中の「人種差別」を描写した歌詞

 曲の冒頭は、こんな歌詞から始まります。

ブラウン管の向う側 カッコつけた騎兵隊が

インディアンを撃ち倒した

ピカピカに光った銃で 出来れば僕の憂うつを

撃ち倒してくれればよかったのに

 

 改めて歌詞を見てみると、『ブラウン管の向う側』『インディアン』というという言葉から、時代を感じます。

 

 しかし、そういった言葉には時代を感じるものの、歌詞に込められたメッセージの本質は普遍的です。

 

 『ブラウン管』という言葉が出てくるのは、1980年当時は、テレビにはブラウン管が使われていたからです。

 

 『ブラウン管の向う側』というのは「テレビの中で」という意味でしょう。

 

 「テレビの中で」という言葉を、『ブラウン管の向う側』という言葉に置き換えているのは、マーシーならではの詩的な表現だと言えます。

 

 「インディアン」という言葉も、「アメリカ先住民は、インドとは関係ないので、おかしい」ということで、最近は、あまり使われなくなりました。

 

 そのかわり、「ネイティブ・アメリカン」という言葉が使われるようになりました。

 

 ただ、この当時は、アメリカ先住民のことを「インディアン」と呼ぶのが普通でした。

 

 この歌詞の中で主人公が見ているのは、おそらく「西部劇」です。

 

 「西部劇」を視聴する層は、主にアメリカの白人です。

 

 そのため、「白人が主役で、ネイティブ・アメリカンは悪役」という描かれ方をしたりします。

 

 西部劇で騎兵隊がネイティブ・アメリカンを撃ち倒した場面が流れるのも、おそらくそういう理由でしょう。

 

 しかし、この何気ない場面にも、「人種差別の意識」が透けて見えます。

 

 こういった西部劇の場面を見ただけでも、「製作者は、白人至上主義の考え方を持っている」と伝わってきます。

 

 この曲の主人公は、その場面を見て、そこに含まれる「人種差別の意識」を感じ取ってしまったのだと思います。

 

 それにより、憂うつな気分になったのでしょう。

 

 『ピカピカ光った銃で 出来れば僕の憂うつを 撃ち倒してくれればよかったのに』というのは、「せっかく気晴らしにテレビを見ていたのに、こんな場面を見せられて憂うつになってしまった。この気持ちをどうしてくれるんだ」ということでしょう。

 

「政治家の汚職」に対して疑問を投げかける歌詞

 次は、こんな歌詞が続きます。

神様にワイロを贈り 天国へのパスポートを

ねだるなんて 本気なのか?

誠実さのかけらもなく 笑っている奴がいるよ

隠している その手を見せてみろよ

 

 この歌詞からは、「政治家の汚職」に対する嫌悪感が伝わってきます。

 

 『神様にワイロを贈り 天国へのパスポートを ねだるなんて 本気なのか?』というのは、なかなか強烈な歌詞です。

 

 しかし、日本の政治を見てみると、これに近いことが、ずっと行われています。

 

 この曲が作られたのは1980年代ですが、2020年代になっても、相変わらず、政治家は汚職を繰り返しています。

 

 「権力を持った政治家の腐った体質」は、ずっと変わっていません。

 

 2020年代の日本にも、過去に汚職が発覚したのに、その責任を取らずに、議員を続けている人がいます。

 

 そんな議員には、まさに、この歌詞のように、『隠している その手を見せてみろよ』と言いたくなります。

 

「差別」に対して疑問を投げかける歌詞

 次に、この曲のキーとなるような、非常に重要なフレーズが出てきます。

生まれた所や 皮膚や目の色で

いったいこの僕の 何がわかるというのだろう

 

 この歌詞は、非常に優れた歌詞だと思います。

 

 なぜなら、この短いフレーズの中に、「なぜ差別をしてはいけないのか」という問いに対する一つの明確な答えが含まれているからです。

 

 この世の中では、「生まれた場所」「皮膚の色」「目の色」などによって区別され、差別が行われたりします。

 

 しかし、「生まれた場所」「皮膚の色」「目の色」というのは、「その人の内面」を映すものではありません。

 

 「たまたま、この場所に生まれた」「たまたま、この人種に生まれた」ということで、本人の意図しないところで決まってしまうのです。

 

 そのため、「生まれた場所」「皮膚の色」「目の色」がわかったところで、その人がどういう人なのか、全くわかりません。

 

 その人がどういう性格で、どういったことが好きなのかについては、それらの情報だけでは何もわかりません。

 

 そのため、本人としっかり話をせず、「生まれた場所」「皮膚の色」「目の色」で人を判断するのは、全く意味のないことです。

 

 つまり、差別というのは、「意味のないことで人を区別し、傷つけている」と言えます。

 

 この曲では、『生まれた所や 皮膚や目の色で いったいこの僕の 何がわかるというのだろう』と歌うことで、「差別なんて、全く意味のないことだから、そんな意味のないことはやめよう」と言いたいのだと思います。

 

 また、この歌詞には、「見かけで人を判断するのではなく、ちゃんとその人の内面を見てから判断しよう」というメッセージも含まれている気がします。

 

「バス」「歴史」「青い空」という単語が出てくる歌詞

 この後の歌詞についても見ていきましょう。

運転手さんそのバスに 

僕も乗っけてくれないか

行き先なら どこでもいい

こんなはずじゃなかっただろ?

歴史が僕を問いつめる

まぶしいほど 青い空の真下で

 

 ここの歌詞には、「バス」という単語が出てきます。

 

 聴き流していると、「なんとなく、バスという単語を使ったのかな?」とも思えます。

 

 しかし、実際は、「なんとなくバスという単語を使った」という訳ではありません。

 

 明確な意図を持って、「バス」という単語が使われています。

 

 その意図について説明する前に、まずは「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」について説明します。

 

「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」とは

 「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」は、1955年12月1日に、アメリカのモンゴメリー州で起きた事件です。

 

 黒人女性のローザ・パークスは、市営バスに乗って、黒人優先席に座っていました。

 

 その後、バスが混んできたため、運転手が、白人に席を譲るよう指示しました。

 

 しかし、パークスは、これを拒否し、席に座り続けました。

 

 その後、運転手は、このことを警察に通報し、パークスは逮捕されてしまいました。

 

 ただ、この件を知ったキング牧師は、黒人たちに「市営バスを使わないように」と呼びかけました。

 

 黒人たちが一斉にバスを利用しなくなると、乗客が激減し、市のバス事業は大きな打撃を受けました。

 

 そういった活動が社会的に大きな影響を及ぼした結果、1956年11月13日、連邦最高裁判所は「モンゴメリー州の人種隔離政策は違憲である」と判決を下しました。

 

 つまり、連邦最高裁判所が「市営バスの中で、白人を優先して座らせるのは違憲である」と認めたということです。

 

 これは、アフリカ系アメリカ人の公民権運動のきっかけとなる大きな出来事でした。

 

「バス」の意味

 マーシーは、おそらく、「モンゴメリー・バス・ボイコット事件」を念頭に置いて、「バス」という単語を歌詞に入れたのだと思われます。

 

 『運転手さんそのバスに 僕も乗っけてくれないか』というのは、単に「バスに乗せてくれ」という意味ではありません。

 

 「人種差別をしないでくれ」という意志表明だと思います。

 

 「バス」というのは、過去に、人種差別が行われていた象徴的な場所です。

 

 だからこそ、この曲の主人公は、「もう、今は、人種差別をせずに、誰でもバスに乗っけてくれるよね?」と言っているのだと思います。

 

 そして、この主人公は、『行き先なら どこでもいい』とも言っています。

 

 これはつまり、「行きたい場所があるからバスに乗る」という訳ではないということです。

 

 「バスに乗ること自体が目的」と言えます。

 

 なぜなら、「どんな人でも、分け隔てなくバスに乗せてくれること」が、「ここで差別が行われていないこと」の証明になるからです。

 

 だから、この主人公は、行き先も決まっていないのに「バスに乗せてくれ」と言ったのです。

 

「歴史」の意味

 また、ここでは『歴史が僕を問いつめる』といった意味深な歌詞も出てきます。

 

 ここに出てくる「歴史」という言葉には、どのような意味があるのでしょうか?

 

 自分としては、ここで言う「歴史」とは、「人類が行ってきた差別の歴史」のことだと思います。

 

 人類は、これまでずっと、「差別」を行ってきました。

 

 昔に比べれば、「差別」は少なくなってきましたが、それでもなお、差別はなかなかなくなりません。

 

 この曲の主人公は、そういった歴史をふまえて、「今後、差別をなくしていくにはどうすればいいのか」ということを考えているのだと思います。

 

 また、自分自身に対しても、「知らぬ間に、差別を行っていないか」と自問自答しているような気もします。

 

 歌詞の中で、『こんなはずじゃなかっただろう?』と言っているのは、「差別のない世界でみんな楽しく暮らせる可能性もあったはずなのに、なんでこんなに差別の多い世界になってしまったんだ?」ということだと思います。

 

「青い空」の意味

 この後、「青い空」という歌詞が出てきますが、これもおそらく、「青い空」という単語をなんとなく使った訳ではないと思います。

 

 マーシーなりの意図があるはずです。

 

 自分としては、おそらく、「平等の象徴」として「青い空」という単語を使ったのではないかと思います。

 

 世界には、様々な人種の人々がいます。

 

 しかし、どんな人種の人であっても、晴れた日に空を見上げると、そこには同じ青空が広がっています。

 

 『青い空』という歌詞には、「世の中にはいろんな人がいるけれど、空を見上げれば、見ている景色は一緒だよ」というメッセージが含まれている気がします。

 

 そして、「見ている景色は同じなのだから、例え人種が違っても、差別などせずに、仲良くやっていこう」と言われているような感じがします。

 

 

 

 

まとめ

 ブルーハーツ「青空」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 この曲には、「差別」や「汚職」といった事柄に対して、「NO」を突き付けるような歌詞となっています。

 

 ただ、面白いことに、この曲の歌詞には、「差別反対」「汚職反対」といったような、直接的なメッセージは入っていません。

 

 しかし、それでも、この曲を聴くと、「この曲は、差別や汚職に反対する歌だ」とはっきりわかります。

 

 逆に、「差別反対」「汚職反対」という直接的な言葉を歌詞に入れないことで、心にスッと入ってくる感じがします。

 

 そういう点が、ブルーハーツの素晴らしさだと思います。

 

 歌詞に「差別反対」「汚職反対」と入っていると、「社会的主張が強すぎて重い」と感じて、聴くのをやめてしまう人も一定数いると思います。

 

 しかし、直接的な言葉を歌詞に入れないことで、そういった層にも「差別や汚職には反対」というメッセージが伝わりやすくなっています。

 

 このあたりに、「作詞家・マーシーのうまさ」を感じてしまいます。

 

 この曲は、1980年代にリリースされた曲ですが、2020年から盛り上がりを見せた「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)」ともリンクするような歌詞です。

 

 そういう意味では、「青空」の歌詞に込められたメッセージは、2020年代になっても、全く古びていません。

 

 そして、今後も、この曲に込められたメッセージは、おそらく古びないでしょう。

 

 本当に素晴らしい曲なので、この記事を見てこの曲が気になった方は、歌詞の意味を噛みしめながら、じっくりと聴いてみてください。