ブルーハーツ「ロクデナシ」の歌詞の考察を行います。
「ロクデナシ」は、ブルーハーツ初期の名曲です。
オリジナルアルバムでは、「YOUNG AND PRETTY(ヤング・アンド・プリティ)」に収録されています。
また、ベストアルバムにも収録されています。
この曲は、タイトル通り、「ロクデナシ」に向けられた曲です。
「世の中うまくやっていけないな」と感じる人にとっては、非常に刺さる歌詞となっています。
その歌詞が非常に深いので、詳しく考察していきます。
この曲の作詞・作曲は真島昌利(マーシー)です。
歌詞の全文は、下記のサイトで見られます。
https://j-lyric.net/artist/a00734c/l00656a.html
- 「要領よく演技できず 愛想笑いも作れない」
- 「うまい具合に世の中と やって行くこともできない」
- 「はみ出し者で構わない」
- 「世界」に対して開き直る
- 「痛み」に慣れるな
- 「生まれたからには生きてやる」
- 「ありのままでいいじゃないか」
- まとめ
「要領よく演技できず 愛想笑いも作れない」
この曲は、こんな歌詞から始まります。
役立たずと罵られて
最低と人に言われて
要領よく演技できず
愛想笑いも作れない
ブルーハーツの音楽について、「学生向けでしょ」と思っている人が沢山います。
確かに、「10代の憂鬱」を歌っているものが多いので、そう思う人の気持ちもわかります。
しかし、「学生向け」で片づけられるほど、単純な音楽ではありません。
学生にも響きますが、学生だけでなく、大人にも、十分響く歌詞になっています。
特に、「ロクデナシ」の中で歌われている「世の中になじめない感覚」は、学生の時よりも、社会人になってからの方が、より強く感じるのではないでしょうか。
学生時代は、勉強ができないからといって「役立たず」「最低だな」と罵倒されることはあまりありません。
しかし、社会人になって、仕事がうまくできないと、上司から「役立たず」「最低だな」と罵倒されることはありえます。
また、歌詞に出てくる「要領よく演技する」「愛想笑いをする」というスキルも、学生時代よりも、社会人になってからの方が求められます。
これらがうまくできないと、上司や同僚から「役立たずで、使えない」と罵られたりします。
社会人になって、こういう経験がある人には、非常に刺さる歌詞になっています。
「うまい具合に世の中と やって行くこともできない」
さらに歌詞は、こんな風に続きます。
死んじまえと罵られて
このバカと人に言われて
うまい具合に世の中と
やって行くことも出来ない
さすがに、「死んじまえ」とまで言うと、問題になるので、そこまで言う上司はあまりいません。
しかし、失敗した部下に対して、「このバカ」と言う上司は結構います。
仕事で失敗して、上司から「このバカ」と言われたりすると、「自分は、世の中とうまくやっていけないな」と思ったりします。
こういう経験がある社会人は、結構多いのではないでしょうか。
「はみ出し者で構わない」
ここまでの歌詞は、かなりネガティブな内容でした。
しかし、ここからは、徐々に開き直ってきます。
全てのボクのようなロクデナシのために
この星はグルグルと回る
劣等生でじゅうぶんだ
はみだし者でかまわない
学校や会社にうまくなじめないと、疎外感を感じてしまいます。
しかし、この歌詞の主人公は、疎外感を感じたままシュンとしているのではなく、「自分はロクデナシで、はみ出し者だけど、何が悪いんだ」と逆に開き直っています。
こういった姿勢は、「学校・会社・社会」ではみ出してしまっている人にとって、勇気を与えてくれます。
この歌詞は、「劣等生」となっているので、基本的には、学生に向けて書いているのだと思われます。
しかし、歌詞の本質を見ていくと、学校になじめない学生だけでなく、「会社になじめない会社員」や「社会になじめない大人」にもばっちり当てはまる内容です。
そのため、ブルーハーツの歌詞は、単に「学生向け」という言葉で切り捨てられないのです。
「世界」に対して開き直る
この「開き直り」の姿勢は、さらに続きます。
お前なんかどっちにしろ
いてもいなくても同じ
そんなこと言う世界なら
ボクはケリを入れてやるよ
学校や会社で、時には、「お前は、能力がないから、いてもいなくても変わらないよ」と言われることもあるでしょう。
しかし、この主人公は、そういわれ時に、自分を責めずに、「そんなこと言う世界の方が悪い」と開き直ります。
学校や会社でうまくいかなくなると、人はつい、「自分はダメな人間だ」と自分を責めがちです。
しかし、よくよく考えてみると、「自分よりも、自分を取り巻く世界の方が悪い」ということは結構あります。
そもそも、いくら部下の仕事ができなかったとしても、上司が、「お前なんかいてもいなくても同じ」と言ったら、それは人格否定です。
その場合は、明らかに言った上司の方に問題があります。
そう言われたところで、素直に「自分はいてもいなくても同じ存在なんだ」と自分を責める必要はありません。
もちろん、明らかに自分に非がある場合は、自分の行いを反省すべきです。
しかし、「自分を取り巻く世界や人に非がある場合」は、自分を責める必要はありません。
その場合は、この歌詞のように、「人にこんな酷いことを言う世界の方に問題があるんだ」と開き直っていきましょう。
「痛み」に慣れるな
また、「痛み」について述べている歌詞も出てきます。
痛みは初めのうちだけ
慣れてしまえば大丈夫
そんな事言えるアナタは
ヒットラーにもなれるだろう
世の中には、「違法ギリギリのグレーなこと」をして利益を上げている会社もあります。
そういう会社の社員になると、上司から「これをやっておいて」とグレーなことを頼まれたりします。
その時、躊躇していると、上司が、「みんなやっていることだし、心が痛むのは初めのうちだけだよ。慣れてしまえば大丈夫」と説得してきたりします。
そこで、会社内で浮いてしまったり、失職するのが怖くて、断りきれずグレーなことを行ってしまう人は多いです。
しかし、マーシーは「それは違うんじゃないか?」と問題提起しています。
この歌詞の中で、「『慣れてしまえば大丈夫だから』と言っておかしなことを勧めてくる人がいても、おかしいことはちゃんと『おかしい』と言おう」というメッセージを伝えています。
そして、『慣れてしまえば大丈夫』で済ましていくと、最終的には、ヒットラーが行ったような酷いことを行ってしまう可能性もあると警鐘を鳴らしています。
「生まれたからには生きてやる」
この後、この曲の中で、非常に重要なフレーズが飛び出します。
生まれたからには生きてやる
個人的には、この曲の歌詞で一番重要なのは、『生まれたからには生きてやる』という部分だと思います。
自分は、この歌詞を最初に聴いた時、ハッとさせられました。
世の中には、「生きる理由」を探している人が沢山います。
中には、明確な「生きる理由」を見つけられた人もいます。
しかし、「生きる理由」を見つけられない人の方が圧倒的に多いです。
「生きる理由」が見つからない人は、「パートナーのために生きるのか?」「子供のために生きるのか?」「お金のために生きるのか?」「良い仕事をするために生きるのか?」など、様々な生きる理由を探します。
しかし、様々な「生きる理由」を探しても、どれもしっくりこなくて、「生きる理由」を見つけられない人が沢山います。
そういう人は、「自分は何のために生きているのだろう?」という気分になり、毎日を活き活きと生きられなくなったりします。
それが進むと、うつ病になったりします。
「生きる理由がわからない」というのは、多くの現代人が抱える深い悩みです。
しかし、マーシーは、この曲で、「生きる理由なんてどうでもいい」とメッセージを伝えてきます。
マーシーは、この歌詞を通じて、「生きる理由なんて、『この世に生まれてきた』ということだけで十分だ」ということを言っています。
それは、「生きる理由」がわからなくなって悩んでいた人にとっては、衝撃的な発言です。
そして、「確かにそうかも」と納得させられました。
世の中には、「生きる理由が見つかった」と高らかに宣言している人もいます。
しかし、そういう「生きる理由」というのも、よくよく考えると、「結局は、後付けじゃないか?」と思ったりもします。
人間というのは、結局は「動物の一種」です。
人間以外の動物は、「生きる理由」なんか考えません。
特に理由もなく、「生まれてきたから生きる」といった感じで生きています。
人間も動物の一種ならば、「それくらいシンプルに生きてもいいんじゃない?」と思ったりします。
この歌詞を聴くと、なんだかそんな気分になってきます。
『生まれたからには生きてやる』という歌詞は、「生きる理由がわからない」と悩んでいる人を、「生きる理由なんかどうでもいいよ」と勇気づけてくれます。
「ありのままでいいじゃないか」
さらに、曲の最後の部分では、マーシーの言いたいことが凝縮された歌詞が出てきます。
誰かのサイズに合わせて
自分を変えることはない
自分を殺すことはない
ありのままでいいじゃないか
現代社会では、「場に応じて自分を変えること」や「自分を殺すこと」が求められたりします。
そして、それがうまくできない人は、除け者にされたり、場から追い出されたりします。
みんな、そうなるのが怖くて、場に合わせて無理に自分を変えたり、自分を殺したりします。
しかし、過度に自分を変えたり、自分を殺したりすると、精神的に、非常にストレスがかかります。
ただ、そのストレスが嫌で、ありのままで生きようとすると、除け者にされたり、追い出されてしまったりします。
今の社会では、「自分を変えたり、自分を殺したりするのが当然」とされている風潮があります。
そうなると、「うまく自分を変えたり、自分を殺したりできない自分は劣っているんだ」と自己嫌悪になってしまったりします。
しかし、そんな時に、「無理に自分を変えたり、自分を殺したりするのは不自然だ。ありのままで生きよう」と言ってくれる人がいるだけで、だいぶ心が救われたりします。
この歌詞は、そんな役割を担ってくれています。
まとめ
ブルーハーツ「ロクデナシ」の歌詞の考察を行ってきましたが、いかがでしたでしょうか。
「ロクデナシ」の歌詞は、サラッと聴いただけだと、「世間になじめないチンピラに向けた歌じゃないの?」と思ってしまう人もいます。
しかし、それは誤解です。
歌詞をじっくり聴いてみると、「そんな軽い言葉で片付けられる歌詞ではない」と言うことがわかります。
この歌詞には、「生きることの本質」が盛り込まれています。
そのため、非常に落ち込んだり、生きることの意味が分からなくなった時にこの曲を聴くと、大きなパワーを貰えます。
「生きることの本質」というのは、若者であっても、中年であっても、老人であっても、大きくは変わらなかったりします。
そのため、様々な年代の人に刺さる歌詞だと思います。
この記事を読んで「ロクデナシ」が気になった方は、歌詞の意味をよく考えながら、もう一度聴き込んでみて下さい。
簡単な言葉で構成された歌詞ですが、その簡単な言葉の奥には、非常に深い意味が潜んでいます。