しょうの雑記ブログ

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イースタンユース「矯正視力〇.六」(「何回だってやり直す」)

 自分が好きなバンドの一つに、「eastern youth(イースタンユース)」というバンドがいます。

 

 イースタンユースは、1988年に札幌で結成された、日本のロックバンドです。

 

 結成時のメンバーは、「ボーカルギター:吉野寿さん、ベース:三橋徹さん、ドラム:田森篤哉さん」というメンバーです。

 

 ベースの三橋徹さんは、バンドが上京するのに伴い、1991年に脱退します。そして、後任として、二宮友和さんが加入します。

 

 その後、イースタンユースは、2015年までの長きにわたって、「ボーカルギター:吉野寿さん、ベース:二宮友和さん、ドラム:田森篤哉さん」というメンバーで活動します。

 

 しかし、2015年に、二宮友和さんが脱退します。その後任として、村岡ゆかさんがベーシストとして加入します。村岡ゆかさんは、元々、イースタンユースのファンだったようです。

 

 現在は、「ボーカルギター:吉野寿さん、ベース:村岡ゆかさん、ドラム:田森篤哉さん」というメンバーで活動しています。

 

 イースタンユースの音楽性は、パンク・ハードコアをベースにした、激しい音楽です。ボーカルの吉野さんは、ライブで絶叫しています。イースタンユースの音楽は、「エモーショナル」と、よく言われます。

 

 そういった、激しい音楽に、文学的な、切ない歌詞が乗るのも特徴です。

 

 このバンドの音楽には、「激しさと切なさ」が共存しています。

 

 イースタンユースの歌詞は、吉野さんが手がけています。この歌詞は、昔から一貫して、「弱者の視点」から描かれています。

 

 吉野さん自身、昔から、「社会にうまく適応できない」という感覚があったようです。そして、社会にうまく適応できない悔しさや怒りを歌詞にして、激しい音楽に乗せて吐き出してきました。ある意味、吉野さんにとっては、「社会でなんとかやっていくための唯一の方法がバンド」だったようです。

 

 そのため、吉野さんの書く歌詞は、社会不適応者にとっては、「わかる!」と共感できる部分が多く、胸に刺さります。

 

「矯正視力〇.六」の歌詞

 イースタンユースの楽曲の中でも、自分が特に好きなのは、「矯正視力〇.六」という曲です。

 

 変わったタイトルですが、これはおそらく、「吉野さんが眼鏡をかけた時の視力」のことだと思われます。吉野さんの目から見た世界について、歌われています。

 

 この曲は、イースタンユースの音楽にしては珍しく、静かな曲です。サビ以外は、静かに、淡々と進んでいきます。

 

 しかし、静かな曲であっても、曲に込められた「熱量」は、激しい曲と変わりません。

 

 自分がこの曲で特に好きなのは、「歌詞」です。この曲の歌詞には、社会に適応しづらい人達の胸にグサグサと刺さるフレーズがいくつもあります。

 

 ここでは、この曲の歌詞について、詳しく見ていきます。

 

この曲の歌詞は、冒頭の部分から、グッときます。

 

何回だってやり直す 

悲しみなんて川に捨てる

本当は内ポケットに 

仕舞ったままだ

仕様が無いから連れて歩く

 

 

 文学的な美しさもありつつ、胸に刺さる歌詞です。

 

 失敗続きの人生だと、どうしても諦めの気持ちになりがちですが、そんな時でも「失敗したって、何回だってやり直す」と自分に言い聞かせています。

 

 そして「悲しみなんて川に捨てる」と、今まで経験した悲しみと決別しようとします。しかし、一度経験した悲しみは、心の中から、そう簡単に消えるものではありません。

 

 そこで、「本当は内ポケットに 仕舞ったままだ 仕様が無いから連れて歩く」と、悲しみを連れたまま今後も生きることを決意します。

 

 この、「本当は悲しみを捨てたいけれど、捨てることができない」という感情がリアルです。

 

 深い悲しみを経験した人は、その悲しい経験に引きずられます。その経験に足を引っ張られ、物事がうまくいかないこともあります。

 

 しかし、そういった厄介な「悲しい経験」であっても、捨てきれないのであれば、「仕方ないけれど、その悲しみを抱えたまま生きていく」という強い覚悟がこの歌詞からは読み取れます。

 

携帯電話を破壊して 

ようやく世界とつながった

 

 この歌詞を初めて聴いた時、なんだか、ハッとさせられました。

 

 この曲がリリースされたのは、2004年です。そのため、まだスマホはなく、「ガラケー」の時代です。

 

 しかし、この頃から「携帯依存」の人は沢山いました。携帯に依存している人というのは、電話やメールで人とつながっていないと安心できなくなります。

 

 携帯電話があると、確かに、「人や世界とつながっている感覚」を持てます。しかし、それはリアルなものではありません。携帯電話で人とつながっても、それはあくまで間接的なつながりであり、直接、人や世界とつながっているわけではありません。それは、ある意味「仮想現実」の世界でもあるわけです。携帯でつながっていても、直接のコミュニケーションをしているわけではないので、どこか空しさを感じることがあります。

 

 そして、今は、携帯電話はさらに進化し、スマホ一つでほとんどのことができる時代になりました。それにより、「リアルな、人とのやり取り」が、さらに少なくなってきています。

 

 そのため、スマホが普及しきった2019年の今、さらに切実に響いてくる歌詞だと思います。

 

 この、歌詞には、「携帯だけでつながるのではなく、実際に人と会って、もっと直接的な人とのつながりを持とう」というメッセージが込められています。

 

 やはり、「実際に人と会ってつながること」の大切さは、2004年であろうと、2019年であろうと、変わらないと思います。

 

何回だってやり直す 

何回だってやり直すんだ

静かに朝がやってきて

それを迎えて

涙をグッと飲み込んでる

ホームの一番電車には

わざと乗らずに

赤い空を見ていた

 

 

 この歌詞も、詩的で、とても好きな部分です。

 

 特に、「ホームの一番電車には わざと乗らずに 赤い空を見ていた」という部分にグッときます。

 

 電車が来ても、わざと乗らずに、朝焼けを見ながら、感傷にふける。その感じがとてもリアルで胸に響きます。

 

まとめ

 この曲の歌詞には、名フレーズが沢山出てきます。ただ、その中でも、「何回だってやり直す」というフレーズが何度も繰り返されているため、一番印象に残ります。

 

 社会不適応者にとっては、人生というのは「失敗の連続」かもしれません。残念ながら、成功することより、失敗の方が圧倒的に多いはずです。

 

 しかし、人生というのは、「一度や二度、失敗したら終わり」というものではありません。

 

 「人生終わった」と思ったとしても、そこからまた、人生は続いていったりします。

 

 そして、一度、「人生、終わった」と思ったとしても、後から振り返ると「まだ終わりじゃない」と思えることもあります。

 

 そういう意味では、案外、人生は、やり直しがきいたりするものです。

 

 ですから、何か失敗して、「人生、終わった」と思った時には、この曲を聴いてみるといいでしょう。

 

 この曲の『何回だってやり直す』という歌詞を繰り返し聴いていると、「人生終わった」と思っても、「失敗しても、またやり直せばいいや」と、きっと思えてくるはずです。

 

 


矯正視力〇・六

 

 


DON QUIJOTE(ドン・キホーテ)