ブルーハーツは、昔から大好きなバンドですが、代表曲の一つに「終わらない歌」があります。
僕自身も、この曲には非常に思い入れがあり、大好きな曲です。
この曲の作詞・作曲者は、真島昌利(マーシー)です。
シンプルで速いパンクロックの演奏に、ストレートな言葉が乗ります。それにより、「言葉が胸に刺さってくる」ような感覚があります。
歌詞を聴いていると、まさに、「名フレーズのオンパレード」といった感じです。聴いていて、言葉が胸にグサグサ刺さります。
そういった素晴らしい歌詞の世界を、詳しく見ていきます。
「終わらない歌」の歌詞の解説
まずは、この部分からいってみましょう。
世の中に冷たくされて
一人ボッチで泣いた夜
もうだめだと思うことは
今まで何度でもあった
僕自身も含めて、自分のことを、「社会不適応者」と思っている人は、「わかる!」という気持ちになる歌詞でしょう。
仕事につけなかったり、仕事になじめなかったりすると、「もうだめだ」と思って、泣きたくなる夜もあります。
真実(ホント)の瞬間はいつも
死ぬ程こわいものだから
逃げだしたくなったことは
今まで何度でもあった
これも、社会不適応者にとっては、「わかる!」となる歌詞でしょう。
「ホントの瞬間はいつも 死ぬ程こわい」というのは、まさにその通りです。
例えば、仕事の「採用面接」や、「仕事について、仕事をこなすこと」は、「ホントの瞬間」と言えるでしょう。
「採用面接」では、今までの自分の過去の経歴について、聞かれたくない部分まで、容赦なく突っ込まれます。
そして、採用されて、仕事につくと、仕事をこなさなくてはなりません。仕事につくと、自分の能力や成果を、上司から評価されます。また、仕事にはトラブルがつきものですから、トラブルにうまく対処しなければなりません。また、仕事の人間関係では、自分のことを責めてくる人もいますから、そういう人にも対処していかなければなりません。
そういった、仕事に関わる「ホントの瞬間」というのは、まさに「死ぬ程こわい」と言えるでしょう。
実際、仕事をしすぎて過労死する人や、仕事が原因でうつ病になって自殺してしまう人もいます。ですから、仕事という「ホントの瞬間」が「死ぬ程こわい」というのは、大げさな表現ではありません。仕事というのは、一歩間違えると、死んでしまうおそれがあるからです。
そのため、仕事の場面で、死ぬ程こわい「ホントの瞬間」が来た時には、逃げ出したくなる人もいます。
しかし、仕事となると、なかなかすぐに逃げだせないのが辛いところです。なかなか逃げ出せないと、精神的に病んで、うつ病になってしまったりします。
そういった、仕事における「ホントの瞬間」が怖くて、ニートになってしまい、なかなか働きだせない人もいます。
ニートのことを責める人もいますが、仕事には、「死ぬ程こわい、ホントの瞬間」があることを思うと、そうなる人がいるのも、納得できることだと思います。
そして、この曲のサビの部分では、こう歌われます。
終わらない歌を歌おう
クソッタレの世界のため
終わらない歌を歌おう
全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう
僕や君や彼等のため
終わらない歌を歌おう
明日には笑えるように
社会不適応者は、「自分はクズで、この世の中はクソッタレだ」と思っているでしょう。
しかし、そんなクソッタレな世の中だったとしても、なんとか生きていかなくてはなりません。それには、「勇気」が必要です。
このサビを聴いていると、「クソッタレな世の中と戦う勇気」を少しもらえるような気がします。
「クソッタレな世の中と戦う勇気」を出さないと、「明日の笑い」は出てきません。このサビの部分を聴いていると、「勇気を出せよ」と、勇気づけられているような気がしてきます。
また、「人間関係」について歌われた、こちらの部分も、すごく好きな歌詞です。
なれあいは好きじゃないから
誤解されてもしょうがない
それでも僕は君のことを
いつだって思い出すだろう
この歌詞を聴いて、「これこそが、本当の信頼関係だよな」と思いました。
「なれあいは好きじゃないから 誤解されてもしょうがない」というのは、相手が落ち込んでいる時でも、「心にもない慰めの言葉はかけない」ということでしょう。
心にもない慰めの言葉をかけるのではなく、本当に自分が思っていることを伝えるということです。
それは、時に厳しい言葉になってしまい、相手が誤解して、自分から離れてしまうこともあるかもしれません。
ただ、自分が思っていることを素直に伝えて、相手が離れてしまっても、心のどこかで、相手のことを心配しているということです。
これはまさに、相手に対して「本当の信頼」があるからこそ、できることです。この歌詞を聴いて、「こういう信頼関係を持てる人を見つけたい」と思いました。
そして、「相手から誤解されたとしても、本当に思っていることを伝える勇気」を持てる人は、素晴らしいと思いました。
また、この曲の終盤には、楽器の音量を上げて、ボーカルの音量を下げることで、わざと歌詞を聴こえなくしている箇所があります。
・・・・あつかいされた日々
この個所は、本当は、「きちがいあつかいされた日々」と歌っています。
これは、「きちがい」という言葉が、CDとしてリリースするのには問題だということで、わざと聴き取れないようにしています。
しかし、この曲にとって、「きちがい」という言葉は、非常に重要だと思うのです。
「きちがい」というのは、「あいつは、普通と違う」と差別する言葉です。そのため、言われた方は、とても傷つきます。そして、「社会から排除されている」ような気持ちになります。
そういった、「差別的な言葉を言われ、社会から排除された悔しさと、深い悲しみ」が、この「きちがいあつかい」という歌詞に込められているような気がするのです。
まとめ
この曲を聴いて、「終わらない歌って、いったい何のことだろうな?」と少し考えました。
そこで、「終わらない歌」というのは、「人生」のことかもしれないと気づきました。人生というのは、なかなか終わらずに、続いていったりするものだからです。
ですから、「終わらない歌を歌う」というのは、「ずっと続いていく、うんざりするような人生でも、自分のやりたいことをしぶとく続ける」ということかもしれません。
自分自身がクズで、クソッタレな世の中だったとしても、やりたいことをしぶとく地道に続ける。そうすることで、「明日には笑える」ことがあるかもしれません。
やりたいことを地道に続けたとしても、必ず笑えるという保証はありません。
しかし、やりたいことを諦めて辞めてしまったら、「明日に笑える」可能性はなくなってしまいます。
「明日の笑い」が欲しいと思うなら、毎日の生活にうんざりしながらも、やりたいことを地道に続けるしかないのです。
この曲を聴いて、そんなことを思いました。