自分は、昔から、「どうも社会にうまく適応できない」と思うことがよくありました。学生時代は、学校にもうまくなじめなかったですし、社会人になっても、職場になじめないことが多く、仕事もなかなか長続きしませんでした。
そんな自分を振り返ってみた時に、「社会不適応者だな」と落ち込むこともありました。しかし、そんな時に、ブルーハーツの「ロクデナシ」を聴くと、なんだか、少し救われたような気分になることがありました。
この曲は、真島昌利(マーシー)が作詞・作曲をした曲です。
メロディもいいのですが、何より、「歌詞」にグッときました。
この曲の歌詞を聴くと、「この感じ、すごくよくわかる」という気持ちになりました。そして、それと同時に、勇気づけられました。
そのため、今回は、「ロクデナシ」の歌詞について、詳しく見ていきます。
この曲の冒頭は、こんな歌詞から始まります。
役立たずと罵られて
最低と人に言われて
要領よく演技できず
愛想笑いも作れない
死んじまえと罵られて
このバカと人に言われて
うまい具合に世の中と
やって行くこともできない
この冒頭の歌詞を聴くと、「この感じ、よくわかるな」と思ってしまいます。
自分の人生を振り返ると、さすがにここまで直接的に罵倒されたことはあまりないですが、それに近いようなことは結構ありました。
自分自身、仕事の要領が悪く、それを上司や同僚から非難されることがよくありました。「使えない」といったようなことを言われることもありました。
そして、接客業をしても、自分では愛想よくふるまっているつもりでも、「もうちょっと明るくふるまえないの?」と言われたりもしました。
そして、自分は、「心にもないお世辞」を言うことが苦手です。
ただ、周囲を見渡してみると、上司に対して、心にもないお世辞をためらいなく言える人が沢山いました。当然ながら、そういうことをためらいなくできる人の方が、上司からは好かれます。
しかし、自分は、そういうことがうまくできないので、上司からの印象も悪くなり、どんどん職場にいずらくなるという経験を沢山してきました。
そのため、この冒頭の歌詞を聴くと、「ここで歌われている人の気持ちがよくわかる」と、共感してしまうのです。
そして、サビの部分では、こう歌われます。
全てのボクのような
ロクデナシのために
この星はグルグルとまわる
劣等生でじゅうぶんだ
はみだし者で構わない
この歌詞の感じも、すごくよくわかります。
ここで歌われているのは、「諦め」や「開き直り」の感情です。
この歌詞の主人公は、「自分は、他の人のように、要領よく立ち回っていくことはとてもできそうにない。それならもう、『はみだし者』として、開き直ってやっていこう」と考えています。
自分自身も、「他の人のように、要領よくできそうにない」と思って、こんな気持ちになることはよくあります。
そして、僕がこの曲の中で一番好きなのは、後半のサビ前に歌われる、この部分です。
生まれたからには生きてやる
自分は、時々、「自分は、何のために生きているのかな?」と思う時がありますが、そんな時に、この歌詞を聴いて、「まさにその通りだ!」と感銘を受けました。
人というのは、どうしても、「生きる理由」を探しがちです。
そして、社会に適応できず、思ったような生き方ができないと、「生きている意味はあるのかな?」という気持ちになることがあります。そうなると、生きる意味がわからなくなり落ち込んでしまいます。
しかし、この歌詞では、「生きる理由なんて、『生まれたから』ってことだけでいいじゃん。せっかくこの世に生まれたんだから、生きてこうぜ」と言っているのです。
これには、ハッとさせられました。これを聴いて、「明確な生きる理由が見つからなくても、生まれたっていうことだけで、生きてもいいのかもな」と、少し気が楽になりました。
そして、歌詞は、こう続いていきます。
誰かのサイズに合わせて
自分を変えることはない
自分を殺すことはない
ありのままでいいじゃないか
この歌詞も、「まさにその通りだ!」と思いました。
世の中には、自分を殺して、人に合わせることで、社会の中でうまく立ち回っている人がいます。
しかし、そういうことが、うまくできない人もいます。そういう人は、うまく立ち回れている人の真似をしようとすると、どんどん苦しくなっていきます。
ですから、そういうことが、うまくできない人は、「自分を殺さず、ありのままでいこう」と開き直った方がいいのかもしれません。
確かに、自分を殺して、相手に合わせていると、沢山の人に好かれます。
しかし、「自分を殺さず、ありのままでいく」からといって、全ての人に嫌われるとは限りません。沢山の人には好かれないかもしれませんが、中には、「その感じ、いいね」と言ってくれる人もいるはずです。
ですから、社会の中でうまく立ち回るのが苦手な人は、「沢山の人に好かれる」ことを目指すのではなく、「少数の、自分を認めてくれる人を大事にする」方がいいのではないでしょうか。その方が、その少数の人とのつながりも濃くなるはずです。
この歌詞を聴いて、そんなことを思いました。
このブログの読者の中にも、「うまく社会に適応できなくて、生きている意味がわからない」と悩んでいる人がいるはずです。
そういう人は、無理に生きる理由を探さなくてもいいと思います。生きる理由は「生まれたから」だけで十分です。
そして、せっかく生まれたからには、「自分らしくいられる、楽しいこと」をなるべく沢山するようにしましょう。
「生きている意味がわからない」と悩むような人は、日々の生活の中で、「楽しくないこと」をしている時間が多くなっているでしょう。
しかし、そんな生活の中でも、よくよく探せば、「楽しいこと」も見つかるはずです。
生活のために、つまらなくてやりがいのない仕事をしている人も、休みの日はあるはずです。そういう人は、休みの日には、仕事のことは忘れて、大好きな趣味に没頭してみましょう。そうすると、その趣味に没頭している時間は「生きている実感」が湧くと思います。その時間を大切にしましょう。
人生は、仕事をしている時間が長いですが、仕事が全てではありません。つまらない仕事につかざるをえない人でも、それだけで人生に絶望することはないと思います。そういう人は、仕事以外の時間で、「生きている実感」を持てる時間を探しましょう。それが見つかったら、その時間を多く持てるように工夫していきましょう。
この歌詞を聴いて、こんなことを考えました。やっぱり、せっかく生まれたからには、なるべく「楽しい」と思えることをしている時間を増やしたいものです。
人間、楽しいことをしている時間が、一番、「今、自分は生きている」と実感できるはずですから。