しょうの雑記ブログ

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新庄剛志さんの名言(プロ野球の存在意義について)

 自分は、昔から、プロ野球観戦が趣味です。数々のプロ野球選手を見てきましたが、プロ野球選手の中には、「プレーだけでなく、人として面白い選手」がいます。

 

 プロ野球選手の中で、「この人、面白い」と強く印象に残ったのが、新庄剛志さんです。

 

 新庄剛志さんは、2006年に現役を引退しましたが、本当に、「人々の記憶に残る選手」だったと思います。通算成績自体は、それほど突出したものではないですが、「人々の記憶に残る」という意味では、新庄さんは、プロ野球選手の中でもトップクラスの選手だったと思います。

 

 また、常識にとらわれない発言も面白く、数々の名言や迷言を残しています。考え方が、あまりに常識離れしているので、当時、阪神の監督だった野村克也さんから「宇宙人」と呼ばれていました。

 

 新庄剛志さんの引退から、結構時間が経っているので、新庄剛志さんについて、「よく知らない」という人もいるかと思うので、まずは、新庄剛志さんの経歴について説明していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

新庄剛志さんの経歴

阪神タイガースに入団(1990年)

 新庄剛志さんは、高校卒業時、阪神タイガースからドラフト5位で指名を受けました。そして、1990年に、阪神タイガースに入団しました。

 

 新庄さんは、阪神時代、「走・攻・守の3拍子揃った選手」という評価でした。その中でも、特に「外野の守備」に関しては、定評がありました。「肩」がめっぽう強く、外野からの矢のような返球で、本塁で走者をアウトにするシーンも多くみられました。

 

 また、打撃については、打率こそ高くないものの、チャンスの場面で打つ、「勝負強いバッター」でした。

 

 阪神時代の新庄さんの有名なエピソードに、「敬遠球を打って、サヨナラヒット」というものがあります。

 

 これは、1999年の6月12日、阪神対巨人戦の出来事です。12回裏、同点で、1アウト1、3塁の場面で、新庄さんに打席が回ってきました。そこで、巨人ベンチは「敬遠策」を取りました。新庄さんを敬遠して、歩かせて、次のバッターで勝負しようとしたのです。巨人の投手は、槙原さんでした。

 

 槙原さんが敬遠で投じた2球目が、外しが甘く、頑張ればバッターの手の届く位置にボールが来ました。それを「これなら打てる」と思った新庄さんは、そのボールを強引に打ちにいきました。それが野手の間を抜けて、サヨナラヒットになりました。

 

 普通は、敬遠球を打とうという発想は、なかなか出てきません。それを打ちにいって、ヒットにしてしまうのは、なかなかできることではありません。

 

 阪神時代、新庄さんは、まずまずの成績を残し、チームの中心選手になります。また、「甘いマスク」と、「勝負強い」ということもあり、新庄さんの人気はどんどん上がっていきました。

 

ニューヨーク・メッツに移籍(2001年)

 阪神で中心選手として活躍していた新庄さんでしたが、2000年になると「フリーエージェント権」を獲得します。そこで、「来シーズンは、阪神に残るのか、それとも他球団に移籍するのか」注目されました。

 

 阪神側としては、人気選手の新庄さんに移籍してほしくはありません。そのため、「5年契約で、12億円」という、破格の条件を出しました。

 

 しかし、新庄さんの出した結論は、皆の予想を裏切るものでした。なんと、メジャーリーグの「ニューヨーク・メッツ」に移籍することを発表しました。ニューヨーク・メッツから新庄さんには、「年俸2200万円+出来高5500万円」という条件が出ていました。

 

 お金のことだけを考えたら、阪神の方が、圧倒的に良い条件を出しています。しかし、新庄さんは、お金よりも、「メジャーリーグ挑戦」に興味をひかれ、ニューヨーク・メッツに移籍しました。

 

 そんな訳で、新庄さんは、2001年にニューヨーク・メッツに移籍し、メジャーリーグに挑戦します。

 

 メジャーリーグ挑戦が発表された頃、日本のメディアやファンの間では、「きっと成功しないだろう」という意見が大半を占めていました。阪神時代の新庄さんは、勝負強いバッターではあったものの、数字上は、そこまで突出した成績は残していません。そのため、「日本でたいした成績を残せていない選手が、メジャーリーグで活躍できるわけがない」と皆が思っていました。

 

 しかし、新庄さんは、メジャーリーグで、その予想を覆す活躍をします。

 

 開幕前は、「マイナーに落とされず、メジャーの枠内に入れるのか」が注目されましたが、無事にメジャーの枠内に入り、メジャーで開幕を迎えます。

 

 シーズンの序盤は、途中出場が多かったですが、徐々にレギュラーとして定着していきます。様々な打順での出場となりましたが、試合によっては、4番を打つこともありました。日本のほとんどのファンは、「新庄が、ニューヨーク・メッツで4番を打つ」ことは、全く予想できなかったでしょう。

 

 この年は、123試合に出場し、「打率.268」「本塁打10本」「打点56」という、まずまずの成績を残します。

 

サンフランシスコ・ジャイアンツに移籍(2002年)

 2001年のオフには、「サンフランシスコ・ジャイアンツ」にトレードされました。そのため、2002年のシーズンからは、このチームでプレーします。

 

 メジャーリーグは、日本のプロ野球に比べ、トレードが活発です。そのため、このトレードは、「活躍を見込まれてのトレード」と言えます。

 

 サンフランシスコ・ジャイアンツでは、あの「バリー・ボンズ」ともチームメイトになります。

 

 この年のジャイアンツは成績が良く、ワールドシリーズに進出します。ワールドシリーズには、新庄さんも出場しました。これは、日本人選手では、初めてのことです。ただ、残念ながら、ワールドシリーズでは、ジャイアンツは敗れてしまいました。

 

 この年の新庄さんは、118試合に出場し「打率.238」「本塁打9本」「打点37」という成績を残します。

 

再び、ニューヨーク・メッツに移籍(2003年)

 2003年には、また移籍をして、ニューヨーク・メッツに復帰します。

 

 しかし、成績はなかなかふるいませんでした。

 

 この年の成績は、124試合に出場して、「打率.193」「本塁打1本」「打点7」という成績に終わりました。

 

北海道日本ハムファイターズに移籍(2004年)

 ニューヨーク・メッツで思うような成績が残せなかったため、メジャーリーグではなく、日本プロ野球に復帰することになりました。

 

 2004年に、北海道日本ハムファイターズに移籍します。2004年は、日本ハムが北海道に本拠地を移した最初のシーズンになります。

 

 この年、「北海道にプロ野球チームが来る」ということで、北海道は盛り上がっていました。そこに、「あの新庄が日本プロ野球に復帰する」ということも相まって、さらなる盛り上がりを見せていました。

 

 日本ハムに移籍した新庄さんは、好成績を残します。そして、プレー以外でも、「パフォーマンス」に力を入れていました。試合前の練習中に、かぶりものを着用するパフォーマンスを行い、球場内を盛り上げていました。

 

 この年には、オールスターに選ばれ、「ホームスチール」を決めています。オールスターでホームスチールを決めたのは、新庄さんが初めてです。

 

 このように、好成績を残しつつ、パフォーマンスでも盛り上げていたため、新庄さんは「日本ハムの顔」と言える選手になっていきます。

 

現役を引退(2006年)

 日本ハムで活躍していた新庄さんでしたが、2006年の4月18日に、「今シーズン限りで現役を引退する」ことを発表します。シーズンが始まってすぐに、「今シーズン限りで現役を引退する」と発表することは、珍しいことで、なかなかインパクトがありました。

 

 「新庄さんの引退に華を添えたい」という気持ちがチームメイトにもあったのか、この年の日本ハムは、調子よく勝ち続けます。リーグ優勝して、日本シリーズに進みます。そして、日本シリーズにも勝ち、「日本一」になります。

 

 新庄さんが引退する年に、日本ハムも日本一となり、華々しい形で、現役を引退することとなりました。

 

 

 

 

 

新庄さんの、「プロ野球の存在意義」についての名言

 ここまで、新庄さんの経歴を振り返ってきましたが、改めて振り返ってみると、やはり、「記憶に残る選手だった」ということがはっきりわかります。

 

 そして、人々の記憶には、プレーだけでなく、「新庄さんの発言」も、しっかりと残っているはずです。新庄さんは「宇宙人」と呼ばれているように、常識では測れないものの考え方をする人です。そのため、時に、「迷言」とも言える、おかしな発言をすることもありました。

 

 しかし、その一方で、「名言」も数多く残しています。

 

 そんな新庄さんの名言の中から、自分が特に印象に残ったものを一つ紹介します。

 

 新庄さんの名言の中で、特にハッとさせられたのは、以下の名言です。

 

プロ野球の存在意義とは、その街の人々の暮らしが少しだけ彩られたり、単調な生活がちょっとだけ豊かになることに他ならない。

 

 この発言を聞いて、「まさにその通り!」と感心しました。

 

 自分はプロ野球ファンで、千葉ロッテマリーンズを応援しています。そのため、シーズン中に試合がある日は、「今日は勝つかな?」と、ワクワクしながら試合の中継を見たり、試合結果をチェックしています。そして、ロッテが勝った日は、「よし!」と、少しだけ幸せな気分になります。

 

 日々の生活というのは、単調だったり、嫌なことが沢山起こったりもします。そういう現実の生活が嫌になり、ゆううつな気分になることもあります。

 

 しかし、そんなゆううつな気分の時でも、「今日はロッテが勝った」ということを知ると、その瞬間は嬉しくなり、ゆううつな気分も少し和らぎます。

 

 ロッテが勝つことで、自分の抱えている日々の問題が解決するわけではありません。しかし、ロッテが勝ったという知らせを聞いて、その瞬間だけでも少し幸せな気分になるというのは、すごく良いことだなと思います。それがあるのとないのでは、日々の生活における満足度は、だいぶ変わってくるでしょう。

 

 この新庄さんの発言は、まさに、「プロ野球ファンの気持ちを代弁してくれている発言」だと思いました。そして、選手でありながら、ファンの心情をここまでわかっている新庄さんは、素晴らしいなと感じました。