場面緘黙症だった僕の、その後の人生

小学校時代に場面緘黙症を経験。社会に出た後も、仕事になじめずに苦しむ。社会にうまく適応できないという悩みあり。このブログが、同じような悩みを持っている方の参考になれば幸いです。

「相手が喜んだか」より、「自分がやりたいようにできたか」が大事

 多くの人が、「他者から好かれたい」と思っています。そして、相手に好かれるために、色々なことをしています。

 

 しかし、「相手を喜ばせたい」と思ってやったことが裏目に出て、好かれるどころか嫌われてしまうということがあります。こっちは、「この人に好かれたい」と思ってやったことなのに、それをしたことにより嫌われてしまうというのは、がっかりしますし、落ち込みます。

 

 相手を喜ばせるためには、相手の好きなものや嫌いなものなどをしっかりと把握しておくことが重要です。それがわかったら、「こうしてあげた方がこの人が喜ぶだろう」ということを自分なりに考えて実践します。相手の好みをしっかりと把握して、相手が好きなことをやってあげればその人が喜んでくれる可能性は高くなります。しかし、人間は複雑な生き物なので、自分がよかれと思ってやったことがぴったりはまって、相手が喜んでくれるとは限りません。

 

 まず、「好きなもの」といっても、人間は変わっていく生き物なので、昔好きだったものをずっと好きだとは限りません。だから、「この人はこれが好きだろう」と思ったものが、その人にとって、今はもう好きではなくなっていることもあります。

 

 また、好きなものというのはこだわりが強くなりがちなので、ちょっとした違いが許せなくなる場合もあります。「あの人はこういう感じのものが好きだろう」と思ってプレゼントを送っても、「これは自分の好きなものと似ているけど、ちょっと違うんだよな」という感じで喜んでくれないこともあります。

 

 結局、人は一人一人違う生き物なので、違う人間である以上、相手の好みを完璧に把握することはできません。どんなに仲が良い人であっても、相手のことは完全にはわかりません。いくら相手に喜んでもらいたいと思って何かを行ったとしても、失敗することは必ずあります。

 

 しかし、そういう時にしてはいけないのは、「自分の意見をなくして、相手に合わせよう」と思うことです。相手が喜んでくれないと、「もっと相手の気持ちに合わせなきゃいけない」と思って、自分の気持ちを捨ててでも相手に合わせようとしてしまう人がいますが、これは良くありません。

 

 そうすると、「こいつ、相手に好かれることばかり考えて、自分がない薄っぺらいやつだな」と思われて、余計に嫌われてしまったりします。

 

 もしくは、「こいつは何でも自分の思い通りにやってくれる」と思われてうまく利用されてしまうこともあります。そうなると、その人と対等ないい関係を保つことはできません。

 

 だから、人のために何かをした時は、「相手が喜んだか」より、「自分が『こうした方がいい』と思うことがちゃんとできたか」を判断基準にしましょう。相手が喜んでくれなかったとしても、自分が『こうした方がいい』ということがしっかりとできていたのであれば、それでよしとしましょう。相手が喜んでくれなくても、「人間は一人一人違うのだから、仕方ない」と割り切ります。

 

 こういう風なスタンスで、人のために何かを行っていくと、その人と対等な関係が作りやすくなります。そして、それを続けていると、自分の中に軸ができてくるから、相手から見ても信頼感が出てきます。

 

 逆説的にはなりますが、他者から好かれるためには、「相手に過剰に合わせすぎないこと」も必要だったりします。ちゃんと自分のスタイルを持って、「自分と相手は違う人間なんだ」ということをしっかり頭に入れながら、対等に相手と接することが大切です。そういう風に、他者と接するようにしていると、その姿勢に対して好感を持ってくれる人がきっと増えてくるでしょう。