今の時代、「居場所がない」と感じている人が増えています。
「居場所」という言葉を聞いて思い浮かぶのは、どんな場所でしょうか?
おそらく、多くの人は、「家庭」「学校」「職場」あたりを思い浮かべるはずです。
これらは、「代表的な居場所」と言えるでしょう。
ただ、こういった場所にいても、「居場所がない」と感じる人は沢山います。
そう考えると、「居場所」という言葉は、わかっているようでよくわからない、曖昧な言葉だったりします。
そこで、今回は、「居場所」について考えていきます。
また、私はブログを運営していますが、ブログを運営する中で「ブログも、ある意味では居場所になる」と感じています。
そのため、「居場所としてのブログ」についても語っていきます。
居場所とは何なのか
まずは、「居場所」について考えてみます。
そもそも、「居場所」とは、どういった意味でしょうか?
文字通りに捉えると、居場所というのは、「居る場所」のことです。
ただ、居る場所があれば「居場所がある」と感じられるのかというと、そんなことはありません。
物理的に居る場所があっても「居場所がない」と感じてしまうことは多々あります。
そのため、「居場所がある」「居場所がない」という感覚は、場所があるかどうかということだけではなく、「その人の心理」に関わってきます。
では、どういう時に「居場所がある」と感じて、どういう時に「居場所がない」と感じてしまうのでしょうか?
詳しく考えていきます。
「居場所がある」と感じるのはどんな時か
まずは、どういう時に「居場所がある」と感じられるのか考えていきます。
「居場所がある」と感じられるかどうかは、「周囲の人との関係」が深く関わってきます。
周囲にいる人が「自分を認めてくれている」「自分を肯定的に受け入れてくれている」場合に、「居場所がある」と感じられるのだと思います。
「家庭」を例に挙げて見てみましょう。
もし、家族のみんなが自分を「家族の一員だ」と認めてくれていて、自分を肯定的に受け入れてくれるとします。
そういう状態であれば、おそらく、「家庭に居場所がある」と感じられるのではないでしょうか。
そして、「学校」や「職場」でも、周囲の人が自分のことをそう思ってくれていたら、「学校に居場所がある」とか「職場に居場所がある」と感じられるはずです。
ただ、「学校」や「職場」は、「家族」と比べると、周囲にいる人の人数が非常に多くなります。
そのため、「学校にいる全員が自分のこと認めてくれている」「職場にいる全員が自分のことを肯定的に受け入れてくれている」ということは、まずないでしょう。
どんなに魅力的な人でも、少数は「あの人は認めない」と考える人がいるはずです。
ただ、周囲にいる全員が認めてくれなければ、「居場所がある」と感じられないのかというと、そんなことはありません。
少数の人が認めてくれなかったとしても、多数の人が認めてくれて、自分を肯定的に受け入れてくれるのであれば「居場所がある」と感じることができます。
また、「居場所がある」と感じられるのは、現実世界の場だけではありません。
インターネット上の「仮想空間」であっても、場合によっては「居場所がある」と感じられる場合があります。
例えば、SNS上で「趣味のコミュニティ」があったとします。
そして、そのコミュニティのメンバーは、ネット上でやり取りするだけで、実際には会ったことがなかったとします。
実際に会ったことがなくても、そのメンバーが自分のことを認めてくれて、肯定的に受け入れてくれるのであれば、仮想空間であっても「居場所がある」と感じることができます。
ただ、仮想空間の場だと、いくらメンバーが認めてくれたとしても、現実世界の場と比べると、「居場所がある」という感覚は弱くなります。
やはり、現実世界の場だと、他者と直接的にやり取りをするので、「居場所がある」という感覚を強く持てるのだと思います。
「居場所がない」と感じるのはどんな時か
ここからは、逆に、「居場所がない」と感じるのはどんな時なのか考えていきます。
これは、「居場所がある」と感じられる時の逆を考えるとわかりやすいと思います。
周囲の人が「自分のことを認めてくれない」「自分のことを否定的に見て、受け入れてくれない」場合に、「居場所がない」と感じると思います。
ここでも、「家庭」を例に挙げてみます。
家族のみんなが、自分を「家族の一員」だと認めてくれず、否定的な目で見ていたらどうでしょうか。
おそらく、「家庭に居場所がない」と感じるはずです。
また、学校や会社の大多数の人が「あいつはこの学校にふさわしくない」「あいつはこの会社にふさわしくない」と考えていたら、「学校に居場所がない」「職場に居場所がない」と思うでしょう。
そして、学校や会社のメンバーの中で、少数の人が認めてくれていたとしても、大多数が認めてくれなかったとしたら、「居場所がない」と感じてしまうでしょう。
また、周囲にいる人が、自分に対して「無関心」な場合も、ほとんどの人は、「居場所がない」と感じると思います。
ただ、世の中には、「一人でいるのが大好きな人」もいます。
そういう人は、周囲の人が自分に無関心だと、「気楽でいいや。ここが自分の居場所だ」と考えられたりします。
しかし、こういった人は、ごく少数です。
ほとんどの人は、周囲の人が自分に無関心だと「居場所がない」と感じてしまうでしょう。
「居場所」の感覚は、「他者からどう思われているか」が非常に重要
こういったことを考えると、「居場所がある」「居場所がない」という感覚は、「他者が自分のことをどう捉えているか」という点に左右されるということがわかります。
居場所を作るための働きかけ
ここまで色々と考えてきて、居場所の感覚は、「他者が自分のことをどう捉えているか」という点に左右されることがわかりました。
そう考えると、「自分の居場所」を作るためには、他者から肯定的に見られる必要があります。
そのため、自分から、「他者から肯定的に見られるような働きかけ」を行っていくと、他者から肯定的に見られやすくなり、居場所を作りやすくなります。
具体的には、「こまめな挨拶をする」「他者に親切にする」「常に笑顔でいる」「他の人が面倒だと思っていることを引き受ける」といったことを積極的に行うようにすると、他者から肯定的に見られやすくなります。
ただ、難しいのは、「他人の気持ちはコントロールできない」ということです。
自分は親切のつもりでやったのに、ある人からは「おせっかいだ」と受け取られることがあります。
そうなると、せっかく親切心で何かやっても、他者から肯定的に見られなくなります。
他者から肯定的に見られなければ、「ここが居場所だ」という感覚は持てません。
ここで挙げたような方法を実践すれば、やらないよりも居場所を作れる確率は高くなりますが、だからといって、「確実に居場所を作れる」わけではありません。
また、「常に笑顔でいる」というのは、嫌なことがあっても笑っていなければいけないということなので、心理的に負担のかかる行為です。
そして、「他の人が面倒だと思っていることを引き受ける」ことも、「嫌なことを無理してやる」ということなので、心理的に負担のかかる行為です。
無理して、「常に笑顔でいる」「他の人が面倒だと思っていることを引き受ける」といったことを続けると、「居場所があるという感覚は持てたけれど、心が病んでしまった」ということにもなりかねません。
「居場所がある」という感覚が持てても、心が病んでしまっては、あまり意味がありません。
そのため、ここで挙げた方法は、「無理のない範囲でやる」ことが大切です。
無理のない範囲でやって、それでも周囲の人が肯定的に見てくれなかった場合は、「それはそれで仕方ない」と割り切りましょう。
ブログを「居場所」にする
このように、現実世界の場で、周囲の人が肯定的に見てくれるように働きかけても、うまくいかないことがあります。
そうなると、現実世界の中で「居場所がある」という感覚を得られないことになります。
これは、なかなかしんどい状況です。
しかし、現実世界で、どうしても「居場所がある」と感じられないのであれば、「インターネットの世界」で居場所を探すというのも一つの手です。
「ネットの中での居場所」と考えた時に、まず思い浮かぶのは「SNS」でしょう。
今の時代は、様々なSNSがあります。
手軽に始められますし、SNSを始めて、趣味や考え方が似ている人と繋がれば、そこが「居場所」となることもあります。
しかし、SNSでは、「素性を知らない人と、文字でのやり取りをする」というケースが多いと思います。
そうなると、些細なことですれ違いが起こります。
すれ違いが起こると、せっかくSNS上で繋がったのに、フォロワーが離れていってしまうということもあります。
そのため、「趣味の合う人と繋がれて、SNSが居場所だと思っていたのに、フォロワーが離れていって、居場所ではなくなってしまった」ということも起こります。
そういったことを考えると、SNSというのは、居場所としてはだいぶ不安定な部分があることがわかります。
「ネット上の居場所」という意味では、SNSだけでなく、「ブログ」も居場所にすることが可能です。
ブログはある程度の量の文章を書く必要があるので、SNSと比べると、始めるハードルは少し高いかもしれません。
しかし、始めようと思えば、すぐに始められるものでもあります。
自分は、このブログを運営して何年か経ちます。
そして、ブログを続けていると、「ブログも、ある意味では居場所になる」と実感しています。
また、ブログは、「ネット上の居場所」としては、SNSより強固な居場所になる可能性が高いと考えています。
ここからは、ブログを居場所にするメリットについて解説していきます。
ブログを居場所にするメリット
「自分の意見を素直に発信できる場」ができる
「居場所がない」と思っている人のほとんどは、常に、「自分の意見を素直に言えない」というストレスを抱えているはずです。
なぜなら、「居場所」というのは、基本的に、「自分の意見を素直に発信できる場」だからです。
それができないと、なかなか「ここが居場所だ」という感覚は持てません。
「居場所がない」と感じている人の多くは、自分の意見を素直に発信した時に、周囲から叩かれた経験があります。
自分の意見を言った時に、周囲から酷く叩かれると、「ここでは自分の意見は言わない方が良い」という考え方になります。
そうなると、その場では、自分の意見を言わずに、「他の人に受け入れてもらえそうな発言」ばかりするようになります。
これは、いわゆる「仮面をかぶった状態」です。
自分の意見を言わずに、「他の人に受け入れてもらえそうな発言」ばかりしていると、他者から叩かれることは減るでしょう。
しかし、そうなると、叩かれるストレスがなくなっても、「自分の意見を言えないストレス」が溜まっていくことになります。
「自分の意見を言えないストレス」というのは、最初のうちは我慢できるかもしれません。
しかし、それが続くと、どんどん心が病んで、我慢できなくなってきます。
そのうち、「どこか居場所を作って、自分の意見を素直に言いたい」という気持ちが抑えられなくなります。
そういう人にとって、ブログは、「自分の意見を素直に発信できる場」になります。
自分のブログであれば、誹謗中傷や公序良俗に反する内容でなければ、どんな内容を発信しても構いません。
自分の好きなように、自分の意見を発信できます。
しかし、そう言うと、「SNSでも、自分の意見を素直に発信できるじゃないか」と言う人もいます。
確かに、SNSでも、「自分の意見を素直に発信する」ことは可能です。
ただ、SNSというのは、「短文」を投稿するのが基本です。
そのため、「SNSで短文を投稿するだけでは、自分の意見をしっかり伝えられない」という不満が出てきます。
その点、ブログは「長文」で投稿するのが基本です。
そのため、言いたいことが沢山あっても、長文のブログ記事を書いて発信すれば、言いたいことをしっかりと伝えられます。
また、SNSで長文の投稿ばかりすると、「うっとおしい」と思われがちですが、ブログではそんなことはありません。
むしろ、長文の投稿を頻繫にしていると、「この人は、長文の文章が書けて凄いな」と感心されたりします。
そういう意味では、「自分の意見をしっかりと長文で発信できる場」としては、ブログは優秀です。
また、現実世界で自分の素直な意見を言えなかったとしても、ブログでしっかりと自分の意見を発信することができていれば、ストレスはだいぶ減らせます。
「自分と考え方が近い人」が集まってきたりする
「居場所がない」と感じている人の多くは、「周囲の人と考え方が合わない」というストレスも抱えています。
身近に、「自分と考え方が近い人」ばかりが集まる場があれば、そこを「自分の居場所だ」と思うことができます。
そういう場が近くになければ、どうしても「居場所がない」と感じてしまいます。
ただ、身近にいる人と考え方が合わなかった場合、「自分と考え方が近い人ばかりを集めた、現実世界の場」を作るのは難しかったりします。
しかし、ネット上であれば、そういう場を作ることは可能です。
ブログで自分の意見を発信し続けていると、「このブロガーの考え方は面白い」と思って、定期的にブログを訪れてくれる人も出てきます。
そして、自分の素直な意見を書いた記事に興味を持ってくれるということは、「自分と考え方が近い人」である可能性も高くなります。
そのため、現実世界で居場所を見つけられなくても、ブログ自体が、居場所になったりします。
SNSで発信しても、自分と考え方が近い人が集まってくれる場合もありますが、短文だと、「その人の考え方」がしっかり伝わらないことがあります。
そうなると、「人が集まってきたけれど、どうも自分と考え方が遠い人が多い」ということもありえます。
その点、ブログは、長文でしっかりと自分の意見を発信できるので、SNSよりも、自分と考え方が近い人が集まりやすい印象があります。
読者と交流ができる
ブログの読者の中には、記事に対するコメントを書いてくれる人もいます。
その記事に対して好意的なコメントをしてくれて、「この人は、自分と考え方が近いな」と思ったりすると、嬉しくなります。
こういった「読者との交流」があったりすると、「ブログも、自分の居場所の1つだな」と思ったりします。
ただ、ブログは、SNSと比べると、「読者と交流する頻度」は、あまり高くはありません。
しかし、ブログの読者は、記事をしっかり読んでからコメントしてくれるので、SNSよりも「より深い交流」ができる感じがします。
ブログを「より強固な居場所」にするための方法
ブログを居場所にするメリットについて語ってきましたが、残念ながら、ブログをなんとなく続けていても、「居場所」としての力は、それほど強くはなりません。
ブログを「より強固な居場所」にするためには、いくつかのことを意識しながら、ブログを運営していく必要があります。
そこで、ここからは、ブログを「より強固な居場所」にするための具体的な方法を紹介します。
アクセス数を増やす
世の中には、無数のブログがあります。
ブログの中には、ほとんど見られていないブログもあれば、沢山のアクセスがあるブログもあれば、ほとんど見られていないようなブログもあります。
アクセス数が少ないということは、人が来ないということなので、ブログはなかなか「場」にはなりません。
逆に、アクセス数が多いと、様々な人が集まってくるので、ブログが「場」になりやすくなります。
そのため、「ブログをより強固な居場所にしよう」と思ったら、アクセス数を増やした方が良いと思います。
ブログで自分の意見を書くことは大切ですが、ただ自分の言いたいことだけを書いていても、アクセス数はなかなか上がりません。
アクセス数を上げるためには、「他者の視点」を意識しながら書くことが重要です。
「こういう書き方をしたら、読者は面白がるかな?」ということを考えつつ、自分の意見を書いていくようにします。
そうした方が、ただ自分の意見を書くよりも、アクセス数は上がるはずです。
ブログ上での繋がりを増やす
ブログを続けていると、色んな人と繋がりを持てたりします。
そして、人との繋がりを沢山持ち、多くの人から肯定的に見られていると、「居場所」としての機能が強くなります。
そのため、ブログをより強固な居場所にしたいなら、ブログ上で人と接する機会があれば、積極的に交流してみましょう。
ブログを書いていると、読者がコメントしてくれて、そこで読者と交流できることがあります。
コメントを返さないブロガーもいますが、嫌なコメントでなければ、積極的に返信するようにしましょう。
返信をすると、コメントを書いた読者は「このブロガーの人は、よくコメントを返してくれる」と好意的に見てくれたりします。
また、自分と同じようにブログを運営している「ブロガー」が、自分の記事を読んでいる場合もあります。
ブロガーの人とも、交流する機会があれば、積極的に交流してみましょう。
そうすると、「このブロガーの人は良い感じだな」と思われて、その人のブログで、自分の記事を紹介してくれることもあります。
そうなると、自分のブログが、さらに多くの人に読まれたりします。
そして、商品レビューを書いていると、「企業」が興味を持ってくれる場合もあります。
企業の担当者が、自分の書いた商品レビューをネット検索で見つけてくれて、「商品を提供するので、ブログでレビューを書いてもらえませんか?」というオファーをくれることもあります。
興味がない企業のオファーは受ける必要はないですが、元々良い印象を持った企業からのオファーは、積極的に受けましょう。
そこで商品レビューを書くと、その企業のSNSなどで自分のブログ記事の紹介してもらえて、沢山の人に読まれる場合もあります。
このように、色んな人や企業との繋がりを持てるようになると、自分のブログを肯定的に捉えてくれる人が増えるため、「ブログが自分の居場所だ」という感覚は、より強くなります。
収益を増やす
ブログを続けていると、少しずつ、「ブログによる収益」が増えてきたりします。
そして、収益が増えるほど、ブログは、より強固な居場所になってきます。
ブログで収益を得る方法としては、「Googleアドセンス」や「アフィリエイト」が一般的でしょう。
ただ、Googleアドセンスやアフィリエイトに登録していても、あまり稼げていない人が多いと思います。
しかし、少しでもブログで収益が出ているのなら、もう少し「ブログで稼ぐ工夫」もしてみましょう。
少し工夫するだけでも、結構収益は変わってきたりします。
そして、収益が増えてくると、「ブログが自分の居場所だ」という感覚は強くなります。
ブログで収益を得られるということは、ある意味では、「他の人から、そのブログが必要とされている」という証明にもなります。
そして、収益が上がれば上がるほど、「多くの人に必要とされている」ということになります。
多くの人に必要とされているということは、自分のブログを肯定的に捉えてくれる人が多いということなので、「ここが居場所である」という感覚がより強くなります。
ただ、「収益が第一」という姿勢になると、ブログを書くのが嫌になってしまったりします。
そのため、収益のことばかり考えてブログに取り組むことは、おすすめしません。
嫌々取り組んでいると、収益が上がっても、「ここが居場所だ」という感覚が持てなくなるからです。
嫌々取り組むということは、「本当の自分を隠し、仮面をつけて取り組んでいる」ということになります。
そうなると、それで収益が上がっても、「評価されているのは、仮面をつけた自分だ」という感覚になるため、「ブログが居場所である」とは思えなくなったりします。
そのため、ブログに取り組む際は、あくまで、「自分の書きたいことを書く」ことを第一に考えて、その上で、収益を増やすことも工夫してみましょう。
ブログの知名度を上げる
ブログのアクセス数が増えて、「あのブログは面白い」という評判になると、ブログの知名度が上がってきたりします。
ブログの知名度が高くなるということは、「肯定的に見てくれる人が増える」ということにもなるので、「居場所としての力」が強くなります。
ただ、自分のブログを「有名なブログ」にするのは、非常に難しいことです。
世の中には数多くのブロガーがいますが、「有名ブログ」と呼ばれるブログは、ごくわずかです。
そういったごくわずかな有名ブログの中に入るのは、至難の業でしょう。
「自分のブログを有名ブログにしたい」と思って取り組んでも、なかなかうまくいきません。
そのため、「有名ブログにしたい」と思ってブログに取り組むより、まずは良い記事を書くことを心がけて、アクセス数を増やすことを考えましょう。
そういうことをコツコツ行っていると、いつの間にか知名度が上がって「有名ブログ」になる場合もあるかもしれません。
もし、自分のブログが「有名ブログ」と呼ばれるくらい知名度が上がれば、「非常に強固な居場所」になると思います。
まとめ
「居場所」と「居場所としてのブログ」について語ってきましたが、いかがでしたでしょうか。
改めて色々と考えてみると、ブログと言うのは、「ネット上の居場所」としては、なかなか優れた部分が多いような気がします。
ただ、注意してほしいのは、ブログというのは、あくまで、「ネット上の仮想空間の場」だということです。
ブログを居場所として確立しても、リアルな場に居場所がなければ、十分な満足感はなかなか得られません。
そのため、できれば、ブログ以外の「リアルな生活」の中にも、「居場所」がある方が望ましいと言えます。
ただ、色んな理由で「リアルな生活の中で居場所が持てない」という人もいるでしょう。
そういった場合は、「ブログの中だけに居場所がある」という状態でも構わないと思います。
たとえ仮想空間の場であっても、居場所が全くないよりは、あった方がはるかに良いからです。
ブログを続けるモチベーションというのは、人それぞれだと思います。
「とにかく自分の意見を言いたい」という人もいれば、「ブログを通じて人と繋がりたい」「ブログで沢山稼ぎたい」という人もいます。
ただ、「ブログを居場所にしたい」という気持ちも、ブログを続ける大きなモチベーションになったりします。
「現実に居場所がないから、ブログを居場所にしよう」と思ってブログを始めるのも、それはそれでありだと思います。
そして、どうせブログを始めたのであれば、コツコツ続けて、「居場所としての力」を少しずつ高めていくと面白いのではないでしょうか。