しょうの雑記ブログ

ファッション、音楽、物事の考え方、おすすめの商品、食べ物、プロ野球などについて書いたブログです。

人を無視することは、必ずしも悪いことではない

 誰かとコミュニケーションを取る場合、「絶対に無視をしてはいけない」と思っている人は多いと思います。

 

 確かに、「無視」というのは、されると、自分の存在を否定されたような気分になったりします。

 

 そうなると、非常に悲しい気分になります。

 

 そのため、「無視をしてはいけない」と考えている人が多いのだと思います。

 

 確かに、「良い関係を築きたい」と思っている相手がいたら、その人と関わる際は、無視をしない方がいいでしょう。

 

 無視をせずに、相手としっかりコミュニケーションを取った方が、相手と良い関係を築きやすくなるからです。

 

 ただ、無視というのは、果たして、「絶対にしてはいけないこと」なのでしょうか?

 

 私としては、「絶対にしてはいけないこと」だとは思いません。

 

 相手によっては、「無視」というコミュニケーション方法が、非常に有効な場合があるからです。

 

 世の中には、「非常に自分勝手で、こちらが何を言っても、まともに聞いてくれない人」というのも存在します。

 

 そういう人と真正面からコミュニケーションを取ると、非常に疲れて、エネルギーを奪われます。

 

 それにより、好きな人とコミュニケーションをとることすらおっくうになる場合もあります。

 

 しかし、そうなることは、非常にもったいないことです。

 

 好きな人とコミュニケーションを取ることは、非常に楽しいことなのに、その時間が奪われてしまう訳ですから。

 

 そのため、「この人は自分勝手で、何を言っても無駄だ」と思う人がいたら、「無視」をすることをおすすめします。

 

 無視をすることで、余計なエネルギーや時間を奪われないで済みます。

 

 余計なエネルギーや時間を奪われなければ、好きな人としっかりコミュニケーションをすることができます。

 

 世の中には、「絶対に人を無視してはいけない」と思い込んでいる人もいますが、そういう人は、大抵、自分勝手な人とのコミュニケーションに、エネルギーを奪われています。

 

 そして、いつも疲れています。

 

 

 

 そのため、「絶対に人を無視してはいけない」と思っていて、「いつも疲れている」という自覚がある方は、考え方を変えてみましょう。

 

 自分勝手で、「この人は、どうしようもないな」と思う人がいたら、意識的に、その人を「無視」をするように心がけましょう。

 

 そうすると、余計なエネルギーを使わずに済むので、「だいぶ疲れが減った」と実感できるはずです。

 

「無視」というのは、何もしていないように見えて、実は、明確なメッセージを発する行為です。

 

 無視をすることで、「私は、あなたとコミュニケーションしたくない」というメッセージを伝えられます。

 

 これは、コミュニケーションを取りたくない相手と距離を置くためには、非常に有効な手段と言えます。

 

 楽しい人生を過ごすためには、「好きな人となるべく多くのコミュニケーションを取る」ことが重要です。

 

 自分勝手でどうしようもない人とまともにコミュニケーションを取っていたら、好きな人とコミュニケーションを取る時間が奪われます。

 

 それは、人生において、大きな損失です。

 

 そのため、好きな人となるべく沢山コミュニケーションを取りたいのであれば、「無視」という方法も使ってみましょう。

 

 効果的に使うことができれば、余計な疲労も減らせますし、好きな人との時間も作りやすくなるので、メリットが多いと言えます。

 

 そして、「無視」をうまく使うためには、「絶対に人を無視してはいけない」という思い込みを捨てることが重要です。

 

 「無視」を「悪いこと」と考えるのではなく、「コミュニケーションの手段の一つ」と捉えましょう。

 

 そうした方が、「無視」を効果的に使えるようになります。

 

 無視をすると、「相手から嫌われる」というリスクもありますが、相手が非常に自分勝手で、「この人に嫌われても構わない」と思うような場合には、うまく「無視」を使っていきましょう。

 

 

 

暑くてやる気が出ない時は、無理に活動的にならなくていい

 温暖化が進んできた影響で、年々、夏は「猛暑」になっています。

 

 気温が35℃を超えるような日も、珍しくなくなってきました。

 

 暑くなると、人は、どうしても、「やる気」がなくなりがちです。

 

 何かやりたいことがあっても、「めんどくさいな」と思い、何もせずに、ダラダラと過ごしてしまったりします。

 

 夏といえば「夏休み」がある人も多いと思います。

 

 学生であれば、長期の夏休みがあります。

 

 また、社会人であっても、夏に長期の休みが取れる人が多いです。

 

 ただ、せっかく長期の夏休みに入ったのに、家で何もせずにゴロゴロしていると、「せっかくの長期の休みなのに、これじゃいかん」と思う人は沢山いるでしょう。

 

 しかし、やる気が出ないのに、無理に活動的になって活動すると、疲れがたまって、後で余計に活動できなくなってしまいます。

 

 そうなってしまうのは、あまり良いことではありません。

 

 そもそも、夏になるとやる気が出なくなるのは、なぜでしょうか?

 

 

 

 大抵の哺乳類は、基本的に、暑い中活動すると、体力を奪われます。

 

 そして、野生の動物の場合、体力が奪われて動けなくなってしまうことは「死」を意味します。

 

 そういったことを考えると、暑い時期にやる気がなくなるのは、「生物としての本能」が働いているのだと思います。

 

 夏にやる気が出なくなるのは、「この暑さで活動すると、体力がなくなって死が近くなるから、おとなしく休め」という体からのサインです。

 

 それをふまえると、「夏は、無理に活動的にならなくてもいいのではないか?」と思ったりします。

 

 もちろん、仕事をしていたりすると、暑くてやる気が出なくても、活動的にならざるをえない時もあります。

 

 そういった場合は、「仕方ない」と割り切って、最低限の仕事だけはこなしましょう。

 

 ただ、暑くてやる気が出ない場合、プライベートでは、無理に活動的になる必要はないと思います。

 

 暑くてやる気が出ない時は、「夏に何もしないのは、もったいない」と思うかもしれませんが、おとなしくクーラーの効いた部屋でゆっくり過ごしましょう。

 

 それに、家の中でゆっくり過ごしていたとしても、何もできない訳ではありません。

 

 家の中では、本を読んだり、映画を観たり、音楽を聴いたりすることができます。

 

 その程度の活動であれば、暑くてやる気が出ない時でも、できたりします。

 

 そのため、暑くてやる気が出ない時は、無理に外に出かけず、家の中で、「あまりやる気がなくてもできる活動」を行いましょう。

 

 そうすれば、余計な体力を消耗しなくて済みます。

 

 そして、季節が進んで、涼しくなってきたら、自然とやる気は回復するはずです。

 

 その時になって初めて、活動的になれば良いのです。

 

 暑くてやる気が出ない時というのは、あなたの本能が「今は休んだ方がいい」と言っています。

 

 それならば、無理に本能に抗わずに、本能に従うようにしましょう。

 

 そして、もし、何もせずに部屋でずっとダラダラしてしまったとしても、「本能に従っているのだから、これで良い」と思うようにしましょう。

 

 本能に従って、暑い時期にしっかりと休むことができれば、秋になって涼しくなった時に、より活動的になれるはずです。

 

 暑くてやる気が出ない時は、「今は活動的になる時期ではない」と割り切って、しっかりと休んで体力を温存しておきましょう。

 

 

失敗しても、「笑えればOK」と思うようにする

 「失敗をしたことがない人」というのは、世の中にいないでしょう。

 

 生きていると、数えきれないほど、「失敗」をします。

 

 どんなに注意深い人でも、細かく見ていくと、沢山の失敗をしています。

 

 世の中の多くの人が、「なるべく失敗しないようにしよう」と考えて、日々を過ごしています。

 

 しかし、いくら気をつけていても、どうしても「失敗」は起こってしまいます。

 

 そして、失敗をすると、非常に落ち込んでしまう人もいます。

 

 はたから見たらたいした失敗でないように思えるのに、「なんであんな失敗をしたんだ」と酷く落ち込んで、なかなか気分が回復しない人もいます。

 

 そういう人を見ると、「少し考え方を変えるだけで、だいぶ気分も変わるのにな」と思ったりもします。

 

 そこで今回は、「失敗をした後、気分を回復させる方法」について語っていきます。

 

 

 

 

 

 

 

自分の失敗をなるべく客観的に見るように心がける

 何か失敗をした後、「主観」で見たまま失敗について考え続けていると、なかなか気分は回復しません。

 

 そのため、何か失敗した時は、その失敗について、なるべく「客観的な視点」で見るように心がけましょう。

 

 自分の失敗を「客観的に見る」というのは、なかなか難しいことです。

 

 「客観的に見よう」と心がけても、どうしても主観が入り込んできてしまいます。

 

 ただ、何か失敗をした後、「客観的に見よう」と心がけていると、少しずつ、自分の失敗を客観的に見られるようになっていきます。

 

 自分の失敗について、なるべく「他人事」のように考えるのがコツです。

 

 そして、自分の失敗を「客観的」に見ることができるようになると、だいぶ失敗に対する見方は変わってきます。

 

失敗は、客観的に見ると、結構面白い

 自分の失敗を客観的に見ることができるようになると、「失敗は、冷静に考えると結構面白いな」ということに気づくと思います。

 

 「重大な失敗」をしてしまった場合は、完全に客観的な視点で見ることが難しいので、なかなか「面白い」という気持ちにはなれないでしょう。

 

 しかし、些細な失敗を改めて振り返ると、「あの失敗は、笑えるな」と思えたりします。

 

 失敗というのは、客観的に見ると、実はなかなか面白いことなのです。

 

 その証拠に、試しに、テレビのコント番組を見てみてください。

 

 すると、コントの中で「失敗した場面」ばかりが描かれていることがわかります。

 

 お笑い芸人は、本能的に「失敗は面白い」ということを理解しています。

 

 だから、コントを作る時に、「失敗した場面」ばかりを選んでいるのです。

 

 もし、自分の失敗を客観的に見た時に「面白いな」と思ったら、自分の失敗を素直に面白がってしまった方が良いと思います。

 

 そうした方が、気分も回復しやすくなります。

 

 

 

 

 

「失敗した時の面白さ」が、人生のスパイスになる

 世の中の多くの人は、「なるべく失敗しないようにしよう」と思って生きています。

 

 しかし、「全く失敗しない人生」というのは、果たして良い人生なのでしょうか?

 

 きっと、かなり「つまらない人生」になってしまうと思います。

 

 失敗というのは、ある意味では、面白いことです。

 

 そのため、失敗のない人生だと、人生の中の「面白い場面」がだいぶ削られてしまうことになります。

 

 そして、失敗があるからこそ、「成功した時の喜びが大きい」という側面もあります。

 

 そのため、全く失敗をせずに成功ばかりしていたら、成功してもたいして嬉しさを感じなくなるでしょう。

 

 成功ばかりして、「失敗した時の笑い」がない人生というのは、それはそれでつまらないはずです。

 

 人生における「失敗」というのは、料理における「スパイス」のような存在だと思います。

 

 料理で「スパイス」を適度にかけた方がおいしくなるように、人生の中で少し「失敗」が合った方が、面白くて味わい深い人生になります。

 

 失敗して、「うわ〜、バカなことやってしまったな」とゲラゲラ笑うのも、人生の中の楽しい瞬間だったりします。

 

 自分の失敗を振り返った時に「笑える」と思ったら、素直に笑ってしまいましょう。

 

 そうした方が、人生は楽しくなります。

 

 自分の失敗を笑うことができたら、気分は一気に上がって、前向きになります。

 

まとめ

 ここまで、「失敗した後、気分を回復させる方法」について語ってきました。

 

 失敗をした時は、自分の失敗を客観的に見ることが大事です。

 

 そして、自分の失敗を客観的に見て、「面白い」と思ったら、素直に笑ってしまいましょう。

 

 そうすると、自然と気分は上がります。

 

 失敗した直後に落ち込んでしまうことは、仕方のないことです。

 

 ただ、失敗した時は、「笑えたらOK」くらいの気持ちでいきましょう。

 

 そして実際に、「後で笑うことができる失敗」というのは、たいした失敗ではないことがほとんどです。

 

 人生というのは、ある意味、「楽しんだもん勝ち」という部分もあります。

 

 それならば、自分の失敗も、楽しめるものは楽しんでいきましょう。

 

 そう心がけていた方が、失敗した後に気分が回復しやすくなりますし、人生をより楽しめるようになるのではないでしょうか。

 

 

 

ブログも「居場所の1つ」になる

 今の時代、「居場所がない」と感じている人が増えています。

 

 「居場所」という言葉を聞いて思い浮かぶのは、どんな場所でしょうか?

 

 おそらく、多くの人は、「家庭」「学校」「職場」あたりを思い浮かべるはずです。

 

 これらは、「代表的な居場所」と言えるでしょう。

 

 ただ、こういった場所にいても、「居場所がない」と感じる人は沢山います。

 

 そう考えると、「居場所」という言葉は、わかっているようでよくわからない、曖昧な言葉だったりします。

 

 そこで、今回は、「居場所」について考えていきます。

 

 また、私はブログを運営していますが、ブログを運営する中で「ブログも、ある意味では居場所になる」と感じています。

 

 そのため、「居場所としてのブログ」についても語っていきます。

 

 

 

 

 

 

 

居場所とは何なのか

 まずは、「居場所」について考えてみます。

 

 そもそも、「居場所」とは、どういった意味でしょうか?

 

 文字通りに捉えると、居場所というのは、「居る場所」のことです。

 

 ただ、居る場所があれば「居場所がある」と感じられるのかというと、そんなことはありません。

 

 物理的に居る場所があっても「居場所がない」と感じてしまうことは多々あります。

 

 そのため、「居場所がある」「居場所がない」という感覚は、場所があるかどうかということだけではなく、「その人の心理」に関わってきます。

 

 では、どういう時に「居場所がある」と感じて、どういう時に「居場所がない」と感じてしまうのでしょうか?

 

 詳しく考えていきます。

 

「居場所がある」と感じるのはどんな時か

 まずは、どういう時に「居場所がある」と感じられるのか考えていきます。

 

 「居場所がある」と感じられるかどうかは、「周囲の人との関係」が深く関わってきます。

 

 周囲にいる人が「自分を認めてくれている」「自分を肯定的に受け入れてくれている」場合に、「居場所がある」と感じられるのだと思います。

 

 「家庭」を例に挙げて見てみましょう。

 

 もし、家族のみんなが自分を「家族の一員だ」と認めてくれていて、自分を肯定的に受け入れてくれるとします。

 

 そういう状態であれば、おそらく、「家庭に居場所がある」と感じられるのではないでしょうか。

 

 そして、「学校」や「職場」でも、周囲の人が自分のことをそう思ってくれていたら、「学校に居場所がある」とか「職場に居場所がある」と感じられるはずです。

 

 ただ、「学校」や「職場」は、「家族」と比べると、周囲にいる人の人数が非常に多くなります。

 

 そのため、「学校にいる全員が自分のこと認めてくれている」「職場にいる全員が自分のことを肯定的に受け入れてくれている」ということは、まずないでしょう。

 

 どんなに魅力的な人でも、少数は「あの人は認めない」と考える人がいるはずです。

 

 ただ、周囲にいる全員が認めてくれなければ、「居場所がある」と感じられないのかというと、そんなことはありません。

 

 少数の人が認めてくれなかったとしても、多数の人が認めてくれて、自分を肯定的に受け入れてくれるのであれば「居場所がある」と感じることができます。

 

 また、「居場所がある」と感じられるのは、現実世界の場だけではありません。

 

 インターネット上の「仮想空間」であっても、場合によっては「居場所がある」と感じられる場合があります。

 

 例えば、SNS上で「趣味のコミュニティ」があったとします。

 

 そして、そのコミュニティのメンバーは、ネット上でやり取りするだけで、実際には会ったことがなかったとします。

 

 実際に会ったことがなくても、そのメンバーが自分のことを認めてくれて、肯定的に受け入れてくれるのであれば、仮想空間であっても「居場所がある」と感じることができます。

 

 ただ、仮想空間の場だと、いくらメンバーが認めてくれたとしても、現実世界の場と比べると、「居場所がある」という感覚は弱くなります。

 

 やはり、現実世界の場だと、他者と直接的にやり取りをするので、「居場所がある」という感覚を強く持てるのだと思います。

 

「居場所がない」と感じるのはどんな時か

 ここからは、逆に、「居場所がない」と感じるのはどんな時なのか考えていきます。

 

 これは、「居場所がある」と感じられる時の逆を考えるとわかりやすいと思います。

 

 周囲の人が「自分のことを認めてくれない」「自分のことを否定的に見て、受け入れてくれない」場合に、「居場所がない」と感じると思います。

 

 ここでも、「家庭」を例に挙げてみます。

 

 家族のみんなが、自分を「家族の一員」だと認めてくれず、否定的な目で見ていたらどうでしょうか。

 

 おそらく、「家庭に居場所がない」と感じるはずです。

 

 また、学校や会社の大多数の人が「あいつはこの学校にふさわしくない」「あいつはこの会社にふさわしくない」と考えていたら、「学校に居場所がない」「職場に居場所がない」と思うでしょう。

 

 そして、学校や会社のメンバーの中で、少数の人が認めてくれていたとしても、大多数が認めてくれなかったとしたら、「居場所がない」と感じてしまうでしょう。

 

 また、周囲にいる人が、自分に対して「無関心」な場合も、ほとんどの人は、「居場所がない」と感じると思います。

 

 ただ、世の中には、「一人でいるのが大好きな人」もいます。

 

 そういう人は、周囲の人が自分に無関心だと、「気楽でいいや。ここが自分の居場所だ」と考えられたりします。

 

 しかし、こういった人は、ごく少数です。

 

 ほとんどの人は、周囲の人が自分に無関心だと「居場所がない」と感じてしまうでしょう。

 

「居場所」の感覚は、「他者からどう思われているか」が非常に重要

 こういったことを考えると、「居場所がある」「居場所がない」という感覚は、「他者が自分のことをどう捉えているか」という点に左右されるということがわかります。

 

居場所を作るための働きかけ

 ここまで色々と考えてきて、居場所の感覚は、「他者が自分のことをどう捉えているか」という点に左右されることがわかりました。

 

 そう考えると、「自分の居場所」を作るためには、他者から肯定的に見られる必要があります。

 

 そのため、自分から、「他者から肯定的に見られるような働きかけ」を行っていくと、他者から肯定的に見られやすくなり、居場所を作りやすくなります。

 

 具体的には、「こまめな挨拶をする」「他者に親切にする」「常に笑顔でいる」「他の人が面倒だと思っていることを引き受ける」といったことを積極的に行うようにすると、他者から肯定的に見られやすくなります。

 

 ただ、難しいのは、「他人の気持ちはコントロールできない」ということです。

 

 自分は親切のつもりでやったのに、ある人からは「おせっかいだ」と受け取られることがあります。

 

 そうなると、せっかく親切心で何かやっても、他者から肯定的に見られなくなります。

 

 他者から肯定的に見られなければ、「ここが居場所だ」という感覚は持てません。

 

 ここで挙げたような方法を実践すれば、やらないよりも居場所を作れる確率は高くなりますが、だからといって、「確実に居場所を作れる」わけではありません。

 

 また、「常に笑顔でいる」というのは、嫌なことがあっても笑っていなければいけないということなので、心理的に負担のかかる行為です。

 

 そして、「他の人が面倒だと思っていることを引き受ける」ことも、「嫌なことを無理してやる」ということなので、心理的に負担のかかる行為です。

 

 無理して、「常に笑顔でいる」「他の人が面倒だと思っていることを引き受ける」といったことを続けると、「居場所があるという感覚は持てたけれど、心が病んでしまった」ということにもなりかねません。

 

 「居場所がある」という感覚が持てても、心が病んでしまっては、あまり意味がありません。

 

 そのため、ここで挙げた方法は、「無理のない範囲でやる」ことが大切です。

 

 無理のない範囲でやって、それでも周囲の人が肯定的に見てくれなかった場合は、「それはそれで仕方ない」と割り切りましょう。

 

 

 

 

 

ブログを「居場所」にする

 このように、現実世界の場で、周囲の人が肯定的に見てくれるように働きかけても、うまくいかないことがあります。

 

 そうなると、現実世界の中で「居場所がある」という感覚を得られないことになります。

 

 これは、なかなかしんどい状況です。

 

 しかし、現実世界で、どうしても「居場所がある」と感じられないのであれば、「インターネットの世界」で居場所を探すというのも一つの手です。

 

 「ネットの中での居場所」と考えた時に、まず思い浮かぶのは「SNS」でしょう。

 

 今の時代は、様々なSNSがあります。

 

 手軽に始められますし、SNSを始めて、趣味や考え方が似ている人と繋がれば、そこが「居場所」となることもあります。

 

 しかし、SNSでは、「素性を知らない人と、文字でのやり取りをする」というケースが多いと思います。

 

 そうなると、些細なことですれ違いが起こります。

 

 すれ違いが起こると、せっかくSNS上で繋がったのに、フォロワーが離れていってしまうということもあります。

 

 そのため、「趣味の合う人と繋がれて、SNSが居場所だと思っていたのに、フォロワーが離れていって、居場所ではなくなってしまった」ということも起こります。

 

 そういったことを考えると、SNSというのは、居場所としてはだいぶ不安定な部分があることがわかります。

 

 「ネット上の居場所」という意味では、SNSだけでなく、「ブログ」も居場所にすることが可能です。

 

 ブログはある程度の量の文章を書く必要があるので、SNSと比べると、始めるハードルは少し高いかもしれません。

 

 しかし、始めようと思えば、すぐに始められるものでもあります。

 

 自分は、このブログを運営して何年か経ちます。

 

 そして、ブログを続けていると、「ブログも、ある意味では居場所になる」と実感しています。

 

 また、ブログは、「ネット上の居場所」としては、SNSより強固な居場所になる可能性が高いと考えています。

 

 ここからは、ブログを居場所にするメリットについて解説していきます。

 

ブログを居場所にするメリット

「自分の意見を素直に発信できる場」ができる

 「居場所がない」と思っている人のほとんどは、常に、「自分の意見を素直に言えない」というストレスを抱えているはずです。

 

 なぜなら、「居場所」というのは、基本的に、「自分の意見を素直に発信できる場」だからです。

 

 それができないと、なかなか「ここが居場所だ」という感覚は持てません。

 

 「居場所がない」と感じている人の多くは、自分の意見を素直に発信した時に、周囲から叩かれた経験があります。

 

 自分の意見を言った時に、周囲から酷く叩かれると、「ここでは自分の意見は言わない方が良い」という考え方になります。

 

 そうなると、その場では、自分の意見を言わずに、「他の人に受け入れてもらえそうな発言」ばかりするようになります。

 

 これは、いわゆる「仮面をかぶった状態」です。

 

 自分の意見を言わずに、「他の人に受け入れてもらえそうな発言」ばかりしていると、他者から叩かれることは減るでしょう。

 

 しかし、そうなると、叩かれるストレスがなくなっても、「自分の意見を言えないストレス」が溜まっていくことになります。

 

 「自分の意見を言えないストレス」というのは、最初のうちは我慢できるかもしれません。

 

 しかし、それが続くと、どんどん心が病んで、我慢できなくなってきます。

 

 そのうち、「どこか居場所を作って、自分の意見を素直に言いたい」という気持ちが抑えられなくなります。

 

 そういう人にとって、ブログは、「自分の意見を素直に発信できる場」になります。

 

 自分のブログであれば、誹謗中傷や公序良俗に反する内容でなければ、どんな内容を発信しても構いません。

 

 自分の好きなように、自分の意見を発信できます。

 

 しかし、そう言うと、「SNSでも、自分の意見を素直に発信できるじゃないか」と言う人もいます。

 

 確かに、SNSでも、「自分の意見を素直に発信する」ことは可能です。

 

 ただ、SNSというのは、「短文」を投稿するのが基本です。

 

 そのため、「SNSで短文を投稿するだけでは、自分の意見をしっかり伝えられない」という不満が出てきます。

 

 その点、ブログは「長文」で投稿するのが基本です。

 

 そのため、言いたいことが沢山あっても、長文のブログ記事を書いて発信すれば、言いたいことをしっかりと伝えられます。

 

 また、SNSで長文の投稿ばかりすると、「うっとおしい」と思われがちですが、ブログではそんなことはありません。

 

 むしろ、長文の投稿を頻繫にしていると、「この人は、長文の文章が書けて凄いな」と感心されたりします。

 

 そういう意味では、「自分の意見をしっかりと長文で発信できる場」としては、ブログは優秀です。

 

 また、現実世界で自分の素直な意見を言えなかったとしても、ブログでしっかりと自分の意見を発信することができていれば、ストレスはだいぶ減らせます。

 

「自分と考え方が近い人」が集まってきたりする

 「居場所がない」と感じている人の多くは、「周囲の人と考え方が合わない」というストレスも抱えています。

 

 身近に、「自分と考え方が近い人」ばかりが集まる場があれば、そこを「自分の居場所だ」と思うことができます。

 

 そういう場が近くになければ、どうしても「居場所がない」と感じてしまいます。

 

 ただ、身近にいる人と考え方が合わなかった場合、「自分と考え方が近い人ばかりを集めた、現実世界の場」を作るのは難しかったりします。

 

 しかし、ネット上であれば、そういう場を作ることは可能です。

 

 ブログで自分の意見を発信し続けていると、「このブロガーの考え方は面白い」と思って、定期的にブログを訪れてくれる人も出てきます。

 

 そして、自分の素直な意見を書いた記事に興味を持ってくれるということは、「自分と考え方が近い人」である可能性も高くなります。

 

 そのため、現実世界で居場所を見つけられなくても、ブログ自体が、居場所になったりします。

 

 SNSで発信しても、自分と考え方が近い人が集まってくれる場合もありますが、短文だと、「その人の考え方」がしっかり伝わらないことがあります。

 

 そうなると、「人が集まってきたけれど、どうも自分と考え方が遠い人が多い」ということもありえます。

 

 その点、ブログは、長文でしっかりと自分の意見を発信できるので、SNSよりも、自分と考え方が近い人が集まりやすい印象があります。

 

読者と交流ができる

 ブログの読者の中には、記事に対するコメントを書いてくれる人もいます。

 

 その記事に対して好意的なコメントをしてくれて、「この人は、自分と考え方が近いな」と思ったりすると、嬉しくなります。

 

 こういった「読者との交流」があったりすると、「ブログも、自分の居場所の1つだな」と思ったりします。

 

 ただ、ブログは、SNSと比べると、「読者と交流する頻度」は、あまり高くはありません。

 

 しかし、ブログの読者は、記事をしっかり読んでからコメントしてくれるので、SNSよりも「より深い交流」ができる感じがします。

 

 

 

 

 

ブログを「より強固な居場所」にするための方法

 ブログを居場所にするメリットについて語ってきましたが、残念ながら、ブログをなんとなく続けていても、「居場所」としての力は、それほど強くはなりません。

 

 ブログを「より強固な居場所」にするためには、いくつかのことを意識しながら、ブログを運営していく必要があります。

 

 そこで、ここからは、ブログを「より強固な居場所」にするための具体的な方法を紹介します。

 

アクセス数を増やす

 世の中には、無数のブログがあります。

 

 ブログの中には、ほとんど見られていないブログもあれば、沢山のアクセスがあるブログもあれば、ほとんど見られていないようなブログもあります。

 

 アクセス数が少ないということは、人が来ないということなので、ブログはなかなか「場」にはなりません。

 

 逆に、アクセス数が多いと、様々な人が集まってくるので、ブログが「場」になりやすくなります。

 

 そのため、「ブログをより強固な居場所にしよう」と思ったら、アクセス数を増やした方が良いと思います。

 

 ブログで自分の意見を書くことは大切ですが、ただ自分の言いたいことだけを書いていても、アクセス数はなかなか上がりません。

 

 アクセス数を上げるためには、「他者の視点」を意識しながら書くことが重要です。

 

 「こういう書き方をしたら、読者は面白がるかな?」ということを考えつつ、自分の意見を書いていくようにします。

 

 そうした方が、ただ自分の意見を書くよりも、アクセス数は上がるはずです。

 

ブログ上での繋がりを増やす

 ブログを続けていると、色んな人と繋がりを持てたりします。

 

 そして、人との繋がりを沢山持ち、多くの人から肯定的に見られていると、「居場所」としての機能が強くなります。

 

 そのため、ブログをより強固な居場所にしたいなら、ブログ上で人と接する機会があれば、積極的に交流してみましょう。

 

 ブログを書いていると、読者がコメントしてくれて、そこで読者と交流できることがあります。

 

 コメントを返さないブロガーもいますが、嫌なコメントでなければ、積極的に返信するようにしましょう。

 

 返信をすると、コメントを書いた読者は「このブロガーの人は、よくコメントを返してくれる」と好意的に見てくれたりします。

 

 また、自分と同じようにブログを運営している「ブロガー」が、自分の記事を読んでいる場合もあります。

 

 ブロガーの人とも、交流する機会があれば、積極的に交流してみましょう。

 

 そうすると、「このブロガーの人は良い感じだな」と思われて、その人のブログで、自分の記事を紹介してくれることもあります。

 

 そうなると、自分のブログが、さらに多くの人に読まれたりします。

 

 そして、商品レビューを書いていると、「企業」が興味を持ってくれる場合もあります。

 

 企業の担当者が、自分の書いた商品レビューをネット検索で見つけてくれて、「商品を提供するので、ブログでレビューを書いてもらえませんか?」というオファーをくれることもあります。

 

 興味がない企業のオファーは受ける必要はないですが、元々良い印象を持った企業からのオファーは、積極的に受けましょう。

 

 そこで商品レビューを書くと、その企業のSNSなどで自分のブログ記事の紹介してもらえて、沢山の人に読まれる場合もあります。

 

 このように、色んな人や企業との繋がりを持てるようになると、自分のブログを肯定的に捉えてくれる人が増えるため、「ブログが自分の居場所だ」という感覚は、より強くなります。

 

収益を増やす

 ブログを続けていると、少しずつ、「ブログによる収益」が増えてきたりします。

 

 そして、収益が増えるほど、ブログは、より強固な居場所になってきます。

 

 ブログで収益を得る方法としては、「Googleアドセンス」や「アフィリエイト」が一般的でしょう。

 

 ただ、Googleアドセンスやアフィリエイトに登録していても、あまり稼げていない人が多いと思います。

 

 しかし、少しでもブログで収益が出ているのなら、もう少し「ブログで稼ぐ工夫」もしてみましょう。

 

 少し工夫するだけでも、結構収益は変わってきたりします。

 

 そして、収益が増えてくると、「ブログが自分の居場所だ」という感覚は強くなります。

 

 ブログで収益を得られるということは、ある意味では、「他の人から、そのブログが必要とされている」という証明にもなります。

 

 そして、収益が上がれば上がるほど、「多くの人に必要とされている」ということになります。

 

 多くの人に必要とされているということは、自分のブログを肯定的に捉えてくれる人が多いということなので、「ここが居場所である」という感覚がより強くなります。

 

 ただ、「収益が第一」という姿勢になると、ブログを書くのが嫌になってしまったりします。

 

 そのため、収益のことばかり考えてブログに取り組むことは、おすすめしません。

 

 嫌々取り組んでいると、収益が上がっても、「ここが居場所だ」という感覚が持てなくなるからです。

 

 嫌々取り組むということは、「本当の自分を隠し、仮面をつけて取り組んでいる」ということになります。

 

 そうなると、それで収益が上がっても、「評価されているのは、仮面をつけた自分だ」という感覚になるため、「ブログが居場所である」とは思えなくなったりします。

 

 そのため、ブログに取り組む際は、あくまで、「自分の書きたいことを書く」ことを第一に考えて、その上で、収益を増やすことも工夫してみましょう。

 

ブログの知名度を上げる

 ブログのアクセス数が増えて、「あのブログは面白い」という評判になると、ブログの知名度が上がってきたりします。

 

 ブログの知名度が高くなるということは、「肯定的に見てくれる人が増える」ということにもなるので、「居場所としての力」が強くなります。

 

 ただ、自分のブログを「有名なブログ」にするのは、非常に難しいことです。

 

 世の中には数多くのブロガーがいますが、「有名ブログ」と呼ばれるブログは、ごくわずかです。

 

 そういったごくわずかな有名ブログの中に入るのは、至難の業でしょう。

 

 「自分のブログを有名ブログにしたい」と思って取り組んでも、なかなかうまくいきません。

 

 そのため、「有名ブログにしたい」と思ってブログに取り組むより、まずは良い記事を書くことを心がけて、アクセス数を増やすことを考えましょう。

 

 そういうことをコツコツ行っていると、いつの間にか知名度が上がって「有名ブログ」になる場合もあるかもしれません。

 

 もし、自分のブログが「有名ブログ」と呼ばれるくらい知名度が上がれば、「非常に強固な居場所」になると思います。

 

まとめ

 「居場所」と「居場所としてのブログ」について語ってきましたが、いかがでしたでしょうか。

 

 改めて色々と考えてみると、ブログと言うのは、「ネット上の居場所」としては、なかなか優れた部分が多いような気がします。

 

 ただ、注意してほしいのは、ブログというのは、あくまで、「ネット上の仮想空間の場」だということです。

 

 ブログを居場所として確立しても、リアルな場に居場所がなければ、十分な満足感はなかなか得られません。

 

 そのため、できれば、ブログ以外の「リアルな生活」の中にも、「居場所」がある方が望ましいと言えます。

 

 ただ、色んな理由で「リアルな生活の中で居場所が持てない」という人もいるでしょう。

 

 そういった場合は、「ブログの中だけに居場所がある」という状態でも構わないと思います。

 

 たとえ仮想空間の場であっても、居場所が全くないよりは、あった方がはるかに良いからです。

 

 ブログを続けるモチベーションというのは、人それぞれだと思います。

 

 「とにかく自分の意見を言いたい」という人もいれば、「ブログを通じて人と繋がりたい」「ブログで沢山稼ぎたい」という人もいます。

 

 ただ、「ブログを居場所にしたい」という気持ちも、ブログを続ける大きなモチベーションになったりします。

 

 「現実に居場所がないから、ブログを居場所にしよう」と思ってブログを始めるのも、それはそれでありだと思います。

 

 そして、どうせブログを始めたのであれば、コツコツ続けて、「居場所としての力」を少しずつ高めていくと面白いのではないでしょうか。

 

 

 

スポーツの「国別対抗戦」を見る時に注意すること

 2023年3月、日本では野球の「侍ジャパン」が盛り上がっています。

 

 「侍ジャパン」は、WBCでの日本代表の愛称です。

 

 今回の侍ジャパンには、初の日系人選手である「ヌートバー」が加わったことが話題になっています。

 

 そして、ヌートバーの「ペッパーミル」のポーズも、だいぶ流行っています。

 

 ちなみに、2022年にはサッカーのワールドカップが行われましたが、その時も、だいぶ日本国内で盛り上がりを見せました。

 

 ラグビーのワールドカップが行われた時も、普段ラグビーを見ない人も試合を見て、やたら盛り上がっていました。

 

 こういったことを見ると、スポーツの「国別対抗戦」となると、やたら盛り上がることがわかります。

 

 しかし、改めて考えると、「なんでスポーツの国別対抗戦は、ここまで盛り上がるのだろう?」と疑問に思いました。

 

 そこで今回は、自分なりに、「スポーツで国別対抗戦が人気の理由」を考えてみました。

 

 また、色々と考えた結果、「国別対抗戦」には、デメリットもあることが分かりました。

 

 そのデメリットについても解説し、「国別対抗戦を見る時に注意すること」についても述べていきます。

 

 

 

 

 

 

 

国別対抗戦が人気の理由

その国の人気選手が1つのチームに揃う

 国別対抗戦が盛り上がる理由として、最初に考えられるのは、「その国の人気選手が1つのチームに揃う」という点です。

 

 今回の侍ジャパンには、「大谷翔平」「ダルビッシュ」「村上宗隆」「吉田正尚」「山本由伸」「佐々木朗希」というスター選手が揃いました。

 

 これらの選手は、普段は別のチームに所属しています。

 

 しかし、「国別対抗戦」となると、1つのチームにこれらの素晴らしい選手が揃います。

 

 やはり、人気選手が1つのチームに揃うと、まるでオールスターを見ているような気分になりワクワクします。

 

 そういったワクワク感を得られるからこそ、盛り上がるのでしょう。

 

チームに対して愛着を持ちやすい

 国別対抗戦となると、「国」ごとにチームが構成されます。

 

 そうなると、「自国のチーム」に対して愛着を持ちやすくなります。

 

 例えば、プロ野球の場合、自分の住んでいる地域にチームがあると、「自分たちのチーム」と愛着が持ちやすくなります。

 

 「我が町のチーム」という感覚です。

 

 国別対抗戦でも、これに近い感覚を持ちやすいのだと思います。

 

 「我が町のチーム」ではなく、「我が国のチーム」という感じで、愛着を持って国の代表チームを応援している人は多いと思います。

 

 「日本代表」となると、日本中の人が「我が国のチーム」という感覚を持ちやすいので、国全体が盛り上がるのではないでしょうか。

 

自国が勝つと、自分がほめられているような気分になる

 日本代表に対して、「我が国のチーム」という感じで、愛着を持って応援している人が多いと思います。

 

 そして、日本代表が勝ったりすると、「日本代表は凄い」と、他の国からもほめられたりします。

 

 そうなると、日本人は、あたかも「自分自身がほめられている」ような気分になります。

 

 厳密に言えば、凄いのは「出場している選手」であって、別に日本人全体が凄いということではありません。

 

 しかし、「日本は凄い」と言われると、「自分も凄い」と言われているような感覚になる日本人は多いのではないでしょうか。

 

 そういった「自分がほめられているような気分」を味わいたくて、日本代表を応援している日本人も多いと思います。

 

メディアが煽る

 スポーツの国別対抗戦となると、「メディアがやたら煽る」という点も特徴です。

 

 国別対抗戦は、色んなスポーツの試合の中でも、興味を持つ人が多い試合と言えます。

 

 そのため、メディアは「ここでさらに煽ると、さらに注目が集まり、自分のメディアも注目される」と考え、国別対抗戦を煽ります。

 

 元々の注目度が高い上に、メディアがさらに煽るため、国別対抗戦はさらに盛り上がることになります。

 

 

 

 

 

国別対抗戦で盛り上がりすぎることのデメリット

 このような理由で、スポーツの国別対抗戦は、毎回、大きな盛り上がりを見せます。

 

 「国別対抗戦」での良いプレーを見て、純粋に盛り上がること自体は悪いことではないと思います。

 

 そこで盛り上がると、それをきっかけに、そのスポーツがどんどん発展していくこともあるからです。

 

 ただ、「国別対抗戦」で盛り上がりすぎることには、デメリットもあります。

 

 ここからは、そのデメリットについて説明していきます。

 

逆に、そのスポーツの発展に繋がらないことがある

 国別対抗戦が行われると、「にわかファン」が沢山出てきます。

 

 「にわかファン」という言葉は、否定的に使われることが多い言葉です。

 

 やはり、そのスポーツを昔から真剣に見ている人からすると、「にわかファンは、軽すぎて嫌だ」と思うのでしょう。

 

 ただ、自分としては、「にわかファン」の全てが悪いとは思いません。

 

 「流行っているから見てみよう」ということでそのスポーツを初めて見て、そのスポーツの面白さに気づく人もいるからです。

 

 最初は、にわかファンだったとしても、そこでそのスポーツの魅力に気づいて続けて観戦するようになれば、そのスポーツのファンが増えていくので。

 

 ただ、問題だと思うのは、「国別対抗戦以外には、全く興味を示さないにわかファン」の存在です。

 

 世の中には、「国別対抗戦」だけを見て、それが終わると、そのスポーツに全く興味を示さない人もいます。

 

 メディアが「国別対抗戦」ばかり煽りすぎると、「国別対抗戦にしか興味を示さないファン」も増えたりします。

 

 そして、そういう人ばかりになると、「国別対抗戦は盛り上がるけれど、国内のリーグ戦になると全く盛り上がらない」ということになってしまいます。

 

 それでは、そのスポーツの発展には繋がっていきません。

 

 「国別対抗戦しか盛り上がらない」という状況になると、そのスポーツにとっては、あまり良い状況ではないと思います。

 

ねじ曲がった愛国心に繋がりやすい

 国別対抗戦となると、どうしても「観客の愛国心」が高まりやすくなります。

 

 「自分の国が好きだ」という気持ちを持つこと自体は、悪いことではないと思います。

 

 ただ、国別対抗戦を見て「愛国心」が高まると、「ねじ曲がった愛国心」を持つ人も増えます。

 

 これが大きな問題です。

 

 「ねじ曲がった愛国心」を持つ人は、「自分の国のチームが一番素晴らしい」と考えて、他の国のチームをやたら下に見たりします。

 

 こういう人は、相手チームが良いプレーをしたとしても、「格下のチームのくせに生意気な」という感じで、素直にほめません。

 

 そして、自国のチームが良いプレーをした時だけ、「さすが!」という感じで、やたらほめたたえたりします。

 

 そうなると、「良いプレーを純粋に楽しむ」というスポーツ本来の楽しみ方が失われてしまいます。

 

 これは良くありません。

 

 また、元々嫌な印象を持っていた国に対して、国別対抗戦を理由に、その国自体を批判するような人もいます。

 

 その国の選手が何かラフプレーをしたりすると「だからこの国は民度が低いんだ」と言う人もいます。

 

 しかし、よくよく考えると、ラフプレーをしたのはその国の一人の選手だけであって、その国の人全員が酷いプレーをしている訳ではありません。

 

 そのため、「だからこの国は民度が低いんだ」という発言は、全くの的外れと言えます。

 

 ただ、こういう人が増えてくるのは、非常に問題です。

 

 なぜなら、そういう人が増えると、それを聞いて「この国は民度が低いんだ」と思うような人が増えてしまうからです。

 

 そして、そう思う人が増えると、「その国に対する偏見」が助長されてしまいます。

 

 また、「ねじ曲がった愛国心」を持つ人は、自国のチームの選手がミスしたりすると、手のひらを返したように怒り始めます。

 

 「こんな選手はいらない」と急に自国の選手を罵倒したりします。

 

 そういうファンが増えると、空気が悪くなりますし、選手もやりづらくなります。

 

 「ねじ曲がった愛国心を持つファン」は、なるべく少ない方が良いですが、「国別対抗戦」となると、悲しいことに、そういうファンが増えます。

 

 そして、「国別対抗戦」を見ている中で、自分では気づかないうちに、「ねじ曲がった愛国心を持つファン」になっているケースもあります。

 

 そのため、国別対抗戦を見て盛り上がっている人は、「自分は、ねじ曲がった愛国心を持っていないか」ということを自問自答した方がいいと思います。

 

 そして、「ねじ曲がった愛国心を持ちそうになっているかも」と気づいたら、軌道修正して、「プレーそのものを楽しむ」ように心がけましょう。

 

「戦争」に繋がるケースもある

 昔から、スポーツの国別対抗戦は、非常に盛り上がることがわかっています。

 

 そして、その盛り上がりを利用しようとする政治家もいます。

 

 実際、スポーツの国別対抗戦には、「愛国心を高めて、国民の一つにまとめる」効果があります。

 

 国別対抗戦は、「国威発揚」するためには、非常に有効な手段と言えます。

 

 そして、国全体が「国威発揚」した状態になると、戦争を始める準備が整います。

 

 実際、ナチス政権時代のドイツでは、オリンピックが、戦争のための国威発揚に利用されました。

 

 1936年に行われたベルリンオリンピックです。

 

 このオリンピックでは、ドイツ選手が大活躍し、多くのメダルを獲得しました。

 

 それにより、ドイツ国内で、国威発揚となりました。

 

 そして、1939年9月、ドイツがポーランドに侵攻したことで、第二次世界大戦が始まりました。

 

 ポーランド侵攻は、オリンピックが終わった3年後に起こっているため、「ベルリンオリンピック」が、直接的に第二次世界大戦のきっかけとなった訳ではありません。

 

 しかし、このオリンピックが「戦争を始める下地作り」に一役買っていったことは間違いありません。

 

 こういった歴史をふまえると、国別対抗戦は、下手をすると、戦争のための国威発揚に利用されるおそれもあります。

 

 そのため、国別対抗戦に政治家が絡んできた場合は、「この政治家は、スポーツを政治利用しようとしていないか?」と疑ってみることが大切です。

 

 そういった人が増えた方が、政治家も、国別対抗戦を国威発揚のために利用しづらくなります。

 

まとめ

 色々と語ってきましたが、改めて考えると、スポーツの「国別対抗戦」というのは、盛り上がる要素が多い試合と言えます。

 

 ただ、それと同時に、「盛り上がりすぎることによるデメリット」があることも忘れてはなりません。

 

 国別対抗戦だと、「プレー以外の要素」が沢山絡んできます。

 

 しかし、それにばかり気を取られていると、どんどん悪い方向に進んでいく可能性が高くなります。

 

 そのため、国別対抗戦を見る時は、いつも以上に「純粋に、良いプレーを楽しむ」ことを心がけることが大切です。

 

 

 

細部にまでこだわった作品を作って、発表してみよう

 あなたには、何か、「好きなこと」はあるでしょうか?

 

 どんな人でも、探してみると、いくつか「好きなこと」が見つかるはずです。

 

 好きなことがいくつか思いついたら、「好きなことの中で、細部にまでこだわりたくなるような、大好きなことはあるかな?」と考えてみてください。

 

 好きなことがあると、人は、つい、「細部にまでこだわりたくなる」ものです。

 

 絵を描くのが大好きな人は、つい、「人物の髪の毛」にまでこだわって描いてしまったりします。

 

 また、料理を作るのが大好きな人は、「隠し味」にまでこだわって料理を作ったりします。

 

 そういう人を見て、「そこまで細かい部分にこだわる必要はある?」「そんな細かい部分にこだわるのは、時間の無駄じゃない?」と言ってくる人もいます。

 

 確かに、そういう人の気持ちもわかります。

 

 絵を描く場合、「人物の髪の毛」を細かく書かなくとも、イラストとしては成立します。

 

 料理を作る場合も、「隠し味」を入れなくても、料理としては成立します。

 

 細かい部分にこだわると、作品を完成させるまでに非常に時間がかかります。

 

 そのため、「時間を食うし、そこまでこだわらなくても」と言う人の意見も、わかります。

 

 しかし、「神は細部に宿る」という言葉はご存じでしょうか?

 

 これは、「細かい部分にこだわることで、作品の完成度が高まる」といった意味の言葉です。

 

 この言葉を見ると、「まさにその通りだな」と感じます。

 

 芸術作品を見る場合、多くの人は、「その作品の目立つ部分を見ている」と思っています。

 

 ただ、そういう人も、「目立つ部分だけを見ているのか」というと、そうではありません。

 

 実は、細部も、仮に本人は意識していなくても、見ているのです。

 

 有名な画家の展覧会に行き、その人が描いた人物画を見て、「これは凄い!」と感動する人は多いでしょう。

 

 人物画の中心は「表情」ですが、作品に感動する人は、表情だけ見て感動しているのでしょうか?

 

 それは違います。

 

 本人は人物画の表情を見ているつもりでも、実は無意識的に「髪の毛」だったり「服」のような細部も一緒に見ています。

 

 そういった細部も一緒に見て、感動しています。

 

 そして、細部に徹底的にこだわっている作品ほど、人を感動させられる可能性が高まります。

 

 「髪の毛一本一本」や「服のしわ」といった細部に徹底的にこだわって描かれている絵には、「リアリティ」が出ます。

 

 そういった細部のリアリティがあるからこそ、表情が引き立ち、表情にもリアリティが出て、感動したのかもしれません。

 

 これが、細部を適当に描いた絵だったとしたら、「普通だな」と思って感動はしなかったかもしれません。

 

 「歴史的名画」と呼ばれるような絵というのは、大抵、細部に徹底的にこだわって描かれています。

 

 もちろん「細部にだけこだわればいいのか」というと、そんなことはありません。

 

 細部にだけこだわり、メインの部分にこだわって描かれていない絵は、多くの人を感動させることはできません。

 

 やはり、「メインと細部の両方」にこだわって描かれているからこそ、見た時に感動するような絵になるのです。

 

 そのため、せっかくメインの部分を頑張って描いたのならば、どうせなら細部にも徹底的にこだわって描いてみましょう。

 

 そうした方が、絵の完成度が格段に上がります。

 

 しかし、「細部にこだわる」といっても、日常生活の全てにおいて細部にこだわれと言っているのではありません。

 

 そんなことをしていると、時間がいくらあっても足りないからです。

 

 むしろ、「大して興味ないこと」や「あまり好きではないこと」に関しては、細部に関しては全くこだわらなくてOKです。

 

 目立つところだけやって、細部は手抜きをしましょう。

 

 その方が、「時間・気力・体力」の節約になります。

 

 そして、「これは細部にこだわりたい」と思える大好きなことがあったら、節約した時間を使って、徹底的に細部にまでこだわってみましょう。

 

 すると、作品の完成度が上がって、自分で作品を見返した時に、より満足感を得られます。

 

 そして、細部にこだわって「これは良い」と思える作品ができたら、「発表」をしてみましょう。

 

 発表する場は、リアルな場でも、ネット上でもかまいません。

 

 絵を描いている人は、とりあえず、絵に興味がある身近な友達に見せてみると良いと思います。

 

 そこで、「いいね」と言ってもらえると、モチベーションが上がります。

 

 さらに、SNSなどを使ってネット上で絵を発表すると、「いいね」が付いたり、「これは素晴らしい」というようなコメントが付いたりします。

 

 そういう反応があると、さらにモチベーションが上がります。

 

 そして、ネット上で発表すると、発表すると、「同じ趣味の友達」ができたりします。

 

 同じように絵を書いている人とネット上で知り合って仲良くなるのも、楽しいことです。

 

 また、ネット上で発表すると、「自分の絵がネット上でバズる(多く拡散される)」こともあります。

 

 そうなると、さらに面白いことになってきます。

 

 自分の作品がネット上でバズって沢山の人に見られるようになれば、「自分の作品に対するファン」もついてきたりします。

 

 「ファンがつく」というのは、何か作品を作っている人にとっては、非常に嬉しいことです。

 

 そして、その絵のクオリティが非常に高ければ、「お金を出してもいい」という人や企業も現れて「それが仕事になる」場合もあります。

 

 「好きなことでお金を稼げる」というのは、素晴らしいことだと思います。

 

 そして、画家としてプロになれば、個展を開くこともできます。

 

 個展を開いてファンと直接交流できれば、さらに嬉しさが広がります。

 

 まあ、ここまでうまくいく人は稀ですが、全くいない訳ではありません。

 

 「試しにネット上で絵を発表してみたら、予想以上にバズって、プロの画家になった」という話は時々聞きます。

 

 ただ、気をつけてほしいのは、せっかく細部にまでこだわった良い作品を作っても、「発表」をしないと、こうなる可能性は0だということです。

 

 「恥ずかしいから」「バッシングされると嫌だから」といった理由で発表をせずに自分一人で楽しんでいたら、絶対にこういうことは起こりません。

 

 そういう意味では、「作品を発表すること」は非常に重要です。

 

 「発表する」からこそ、色んなことが起こるのです。

 

 そのため、大好きなことがあって、細部にこだわった作品を作っているのなら、発表しないのは非常にもったいないことです。

 

 せっかく細部にこだわった良い作品ができたと思ったら、とりあえずどこかで発表してみましょう。

 

 そうすると、全く予想していなかった面白いことが起こるかもしれません。

 

ブログのネタは、夜寝る前に布団の中で考える

 「自分のブログを持っている」という人は、結構いると思います。

 

 ただ、せっかくブログを立ち上げても、長く続かない人が多かったりします。

 

 その原因の多くは、「ブログのネタがない」というものです。

 

 書くネタが思いつかないと、記事を書けず、結局ブログが続かないということになります。

 

 これは、ブログをやっている人の「あるある」でしょう。

 

 自分自身も、以前は、「なかなかブログのネタが思いつかない」と悩んだ時期もありました。

 

 ブログのネタというのは、「ネタを考える時間」を作ったとしても、そう簡単思いつかなかったりします。

 

 せっかく、忙しい生活の中で「ネタを考える時間」を作っても、全然ネタが思いつかないことも多々あります。

 

 また、なんとかネタを絞り出しても、「面白い記事にならなそうだな」と思ってボツにしてしまったりします。

 

 自分も、昔は、「ブログのネタを考える時間」を作っていた時期もありましたが、「わざわざ時間を作って考えるのは効果的ではない」と思い、わざわざ時間を作ってネタを考えることはやめました。

 

 そのかわり、ちょっと暇ができた時に、頭の中だけで、ブログのネタを考えてみることにしました。

 

 そして、「これは良いネタを思いついた」と思った際は、ブログ用の「ネタ帳」にメモを残すようにしました。

 

 これを行うようになってから、徐々にネタがストックできるようになりました。

 

 自分としては、この方法は、なかなか有効だと感じました。

 

 ただ、「他にもブログのネタを考える良い方法はないかな?」と思い、色々と試してみました。

 

 色々と試す中で、他にも、「これは非常に良い!」と思った方法があります。

 

 それは、「夜寝る前に布団の中でブログのネタを考える」という方法です。

 

 自分は、昔から、寝つきが悪い方でした。

 

 布団に入ると、すぐに寝られず、布団の中で色々なことをつい考えてしまっていました。

 

 そして、そういう時は、大抵、「ネガティブなこと」を考えていました。

 

 「明日は、あれをする予定だけど、果たしてうまくいくのかな?」「このままの状態を続けていて、将来は大丈夫かな?」「あの時、なんであんな失敗をしたんだろう?」という感じで。

 

 ただ、そういうネガティブなことを考えていると、「不安な気持ち」が増幅して、余計に寝付けなくなるという悪循環に陥ることが結構ありました。

 

 「これではいかん」と思い、寝る前に別のことを考えることにしました。

 

 そこでふと、「寝る前に、ブログのネタを考えると良いのでは?」と思いつき、それからはずっと、寝る前にブログのネタを考えることにしました。

 

 実際にやってみると、「これはかなり良いぞ!」と手ごたえを感じました。

 

 夜寝る前の布団の中だと、日中と違って、「誰かに邪魔されること」がありません。

 

 そのため、考えることに集中できます。

 

 また、夜寝る前は、「色々と想像力が膨らむ時間帯」なので、「あれを書くといいかも」という感じで、ブログのネタが結構ポンポンと出てきます。

 

 そして、何かネタを思いつくと、「こういう風にブログの文章を書いていったら面白いかもな」という感じで、「頭の中でブログの下書き」をするようになりました。

 

 これが、ブログを実際に書く時に、非常に役立ちました。

 

 翌日、いざパソコンに向かって記事を書く際には、もう頭の中で「下書き」ができているので、スムーズに文章が進みます。

 

 寝る前にブログのネタを考えて、「頭の中で下書き」をするようになってからは、「ネタは思いついたけど、どうやって文章を進めていこう?」と悩むことが少なくなりました。

 

 しかし、寝る前にブログのネタを考えると、何かネタを思いついても、翌朝になって忘れていることもあります。

 

 わざわざ起きて、ネタ帳にネタを書いたりしないからです。

 

 そういうことをしていると、寝つけなくなりますから。

 

 ただ、自分としては、「忘れたら忘れたで、まあいいや」と思うようにしています。

 

 それに、ネタというのは、忘れたと思っても、実は完全には忘れていません。

 

 脳の奥底には残っていたりします。

 

 その証拠に、日中、何かをしている時に、ふと、「あ、そういえば、寝る前に、あのネタを思いついていたな」と思い出すことがあるからです。

 

 そんな時は、「ネタ帳」にメモをするようにしています。

 

 どうしても思い出せないネタに関しては、「まあ、思い出せないということは、大したネタではないだろう」と割り切るようにしています。

 

 そして、これを行うようにしてからは、寝る前に、「不安な気持ちが膨らんでいく」ことが大幅に減りました。

 

 なぜなら、布団の中でネガティブなことを考えるかわりに、ブログのネタを考えているからです。

 

 ブログのネタを考えることは、「創造的なこと」です。

 

 一般的に、人は、「創造的なこと」をしている時は、ポジティブな気持ちになります。

 

 「何かを創り出すこと」は、基本的に楽しいことだからです。

 

 「こういう記事を書いたら面白いだろうな」「このネタだと、沢山の人が読んでくれるかも」といったことを考えていると、自然と気持ちはポジティブになってきます。

 

 ブログのネタを考えていると、必然的に、寝る前に「不安」が入り込む余地があまりなくなってきます。

 

 こういった点も、「寝る前にブログのネタを考える大きなメリットの一つ」だと感じています。

 

 もちろん、今回紹介した方法は、人によって「合う」「合わない」はあると思います。

 

 万人に合うという訳ではありません。

 

 中には、「夜寝る前に考えても、全然思いつかない」という人もいるでしょう。

 

 ただ、世の中には、自分と同じように、「この方法は凄く良い」と思う人もいるはずです。

 

 特に、「寝つきが悪い人」にはおすすめできる方法です。

 

 そのため、「自分は寝つきが悪くて、ブログのネタもなかなか思いつかない」と悩んでいる人がいたら、試しに、夜寝る前に布団の中でネタを考えてみてください。

 

 そうすると、もしかしたら、日中はなかなか思いつかないような、面白いネタがポンポン浮かんでくるかもしれませんよ。

 

 ちなみに、この記事も、夜寝る前にネタを思いつき、頭の中で「下書き」をしてから書きました(笑)。

 

 そのため、「どうやって書こう?」と悩むこともなく、スムーズに記事を書き終えることができました。

 

 

 

うまくいかない日は、さっさと明日のことを考えるようにする

 日々生活をしていると、たまに、「今日は、どうしても色んなことがうまくいかないな」という日があったりします。

 

 できればそういう日は、無い方がよいと思うでしょう。

 

 しかし、残念ながら、時々、そういう日がやってきたりします。

 

 そういう日がやってきた場合、どのようにして乗り切っているでしょうか?

 

 そんな時は、「うまくいかない原因を分析して、解決策を探る」ということをやっている人が多いと思います。

 

 これは確かに、有効な方法です。

 

 問題を解決するために、多くの人がこういう方法で取り組んで、解決策を導き出しています。

 

 しかし、問題なのは、「色んなことがうまくいかない日は、大抵、気分が落ち込んでいる」ということです。

 

 そのため、気分が落ち込んでいる状況で原因を分析しようとしても、なかなか冷静に分析できるものではありません。

 

 また、頑張って分析して「原因を突き止めた」と思っても、後々考えると、それが的外れだったということが多かったりします。

 

 そうなると、「せっかく考えたのに、その時間が無駄だった」ということになってしまいます。

 

 特に、夜遅い時間に、「なんで今日はこんなにうまくいかないんだ」と考えたりすると、ドツボにはまる可能性が高くなります。

 

 夜遅くなると、大抵の人は、気分が落ちやすくなるためです。

 

 そして、色んなことがうまくいかない日であれば、なおさら落ち込みやすくなります。

 

 そのため、「今日は色んなことがうまくいかない」という日があった場合は、なるべく、「その日にうまくいかない原因を分析する」ことは、やらない方がいいと思います。

 

 そのかわり、「もう今日のことは忘れて、明日のことを考えよう」と、明日に意識を切り替えるようにしましょう。

 

 そして、その日の夜は、好きなことをして、なるべく早く寝るようにしましょう。

 

 しっかり寝て、翌日のすっきりした頭で考えた方が、うまくいかない原因を冷静に分析するのがよいと思います。

 

 ぐっすり寝て起きると、自然と気分は回復します。

 

 また、朝の日の光を浴びると、余計に気分も回復します。

 

 日を改めて、気分が回復した状態で、すっきりした頭で考えた方が解決策も、思いつきやすくなります。

 

 自分としては、うまくいかない日は、「さっさと今日のことは忘れて、明日に切り替える」ようにした方が、うまくいくことが多いと感じています。

 

 

 

「結果が出る前に試行錯誤する過程」を楽しむようにする

 何か物事に取り組む際に、「結果」を重視する人は多いと思います。

 

 やはり、「結果」が出ると楽しいですし、さらにやる気も出てくるからです。

 

 ただ、中には、「結果ばかりを求める人」もいます。

 

 「過程」を無視して、「結果が出るかどうか」だけに注目するような人です。

 

 「結果が出るかどうか」は、非常に重要なので、そうなってしまう人の気持ちもわかります。

 

 ただ、個人的には、「結果ばかり追い求めること」は、あまり良いことではないと感じています。

 

 「結果」は、運に左右されることも多いですし、せっかく良い取り組み方をしているのに、結果が出ないせいだけでやる気が出なくなるのは、もったいないと感じるからです。

 

 確かに、結果が出ることは、非常に楽しいことです。

 

 ただ、何か物事に取り組む時、「結果が出ること」だけが楽しいことという訳ではありません。

 

 それ以外にも、楽しいことはあります。

 

 実は、「結果が出る前に試行錯誤する過程」というのも、とても楽しいことだったりします。

 

 「こうしたらうまくいくかな?」「いや、こっちの方がいいかもしれない」と試行錯誤する過程は、創造的ですし、色々と工夫するのは、かなり楽しかったりします。

 

 そのため、何か物事に取り組む際は、結果よりも、「結果が出る前に試行錯誤する過程」に楽しみを見出すようにした方が良いと思います。

 

 そこに楽しみを見出せれば、結果が出なかったとしても、そこまでイライラしなくなります。

 

 頑張って取り組んで、結果が出なかったとしても、「色々と試行錯誤する過程は楽しかったな」と思えば、そこまでがっかりしません。

 

 そして、「また新しいことに取り組んで、試行錯誤する過程を楽しもう」と思えば、またやる気も出てきます。

 

 「過程」を重視して、「結果はおまけ」くらいの気持ちで取り組んだ方が、感情の浮き沈みが少なくなります。

 

 その方が、継続して物事に取り組みやすくなります。

 

 それにそれに、「絶対に結果を出さなければ」とガチガチになるより、「万が一、結果が出ればラッキー」くらいのリラックスした気持ちで取り組んだ方が、逆に良い結果が出やすいものです。

 

 今まで、結果ばかりを追い求めていた方は、試しに、「結果が出る前に試行錯誤する過程」を楽しむように心がけてみてください。

 

 そうすると、物事への取り組み方が、だいぶ変わって、良い方向に向いていくのではないかと思います。

 

 

 

「今日をチャンスに変える。」(2023年のロッテのスローガン)

 自分の趣味は、「プロ野球観戦」です。

 

 そして、昔から、千葉ロッテマリーンズのファンです。

 

 毎年、1月下旬頃に、各チームの「チームスローガン」が発表されます。

 

 「チームスローガン」は、「これを1年間掲げて、シーズンを戦う」という言葉です。

 

 野球ファンの中には、「チームスローガンはあまり気にしない」という人もいます。

 

 まあ、それはそれでありかなと思います。

 

 ただ、自分としては、チームスローガンは、結構気になる方です。

 

 やはり、良いスローガンだったりすると、「今年は、より気合を入れて応援したい」という気持ちになるからです。

 

 そして、2023年1月31日(火)に、ロッテのチームスローガンが発表されました。

 

 今年のチームスローガンは、「今日をチャンスに変える。」でした。

 

www.marines.co.jp

 

 

www.youtube.com

 

 

 これを最初に聞いた印象は、「まあ、いいんじゃない」という感じでした。

 

 しかし、よくよく考えてみると、「凄く良い言葉だな」という印象に変わりました。

 

 この言葉は、様々な解釈ができる言葉です。

 

 そのため、ここでは、「自分なりの解釈」をしてみようと思います。

 

 プロ野球の1シーズンは、140試合以上あります。

 

 その中で、「なかなかチャンスが来ない試合」もあるでしょう。

 

 しかし、選手が、「今日をチャンスに変える」という気持ちで、1試合1試合、これまで以上に集中して試合に臨むようにしたらどうなるでしょうか?

 

 そうなると、「今日はチャンスがないな」と思っていたのに、「実はチャンスがあった」というように変わる場合もあります。

 

 例えば、バッターの場合、「相手チームのエースが先発する試合」があったとしましょう。

 

 そうなると、「エースが先発だから、チャンスがないな」と思ったりするでしょう。

 

 しかし、そういう気持ちで臨むと、相手ピッチャーを打てず、本当にチャンスがなくなります。

 

 しかし、「今日をチャンスに変える」という意気込みで、今まで以上に集中して試合に臨んだら、どうなるでしょうか?

 

 そうすると、「打てない」と思っていたピッチャーからヒットやホームランを打てたりもします。

 

 そのヒットやホームランにより、チームが勝ったとします。

 

 すると、「あのバッターは凄い」と評価が上がり、「一気にチャンスが来た」ということにもなります。

 

 このスローガンは、そういったことを言いたいのではないでしょうか。

 

 そして、このスローガンは、プロ野球選手だけでなく、「普通の生活をしている人」にも当てはまるような気がします。

 

 日々生活をしていると、似たような生活の繰り返しで、「今日はチャンスがないな」と思うことも沢山あります。

 

 ただ、「今日をチャンスに変える」という意気込みで、1日1日を過ごすようにしたら、どうなるでしょうか?

 

 そうすると、今までよりも「今日できること」をしっかりとするようになります。

 

 また、それを積み重ねていくと、徐々に自分の実力が上がっています。

 

 そして、そういった日々を過ごしていると、実力が上がってきているので、チャンスがなさそうな日であっても、チャンスをつかみ取れたりするのではないでしょうか。

 

 そのため、2023年の自分も、「今日をチャンスに変える」という意気込みで、過ごしていきたいと思いました。

 

 このように、「今日をチャンスに変える」というスローガンは、プロ野球選手だけではなく、一般人にも当てはまりまる、汎用性の高いスローガンになっています。

 

 このスローガンを聞いて、「自分も、1日1日を大切にしよう」と思うファンも多いのではないでしょうか。

 

 そういう意味では、このスローガンは、「人の気持ちに訴えかける、良い言葉」だと思います。

 

 2023年シーズンのロッテは、このスローガンを掲げて、吉井監督のもと、飛躍してほしいですね。